レオナルド視点 帝都と従者と人形姫 2
すぐに連れ出すことは難しくとも、近くにいるのならまず姿だけでも確認したい。
そんな俺の願いは、すぐに叶えられることとなった。
カルロッタが言うことには、エドガー邸を覗ける丁度いい位置に知人の館があるらしい。
その知人の館へと、帝都到着の挨拶に赴くことにしたのだ。
この外出に、従者のジンとして同行する。
……人通りは、グルノールの冬といった感じだな。
今の季節は夏なのだが、馬車の中から見る帝都トラルバッハの人通りは、イヴィジア王国の冬に近い。
それなりに外を歩いている人間はいるのだが、夏の昼間の人通りとは思えないほど寂しいものだ。
帝都トラルバッハは立地に問題がありすぎて、冬場は本当に必要な外出以外はみな避ける傾向にあるらしい。
ならば少しでも雪の少ない領地で過ごせばいいのではと思うのだが、そこは薪代がかかろうとも、むしろ薪代をかけてでも帝都で過ごす財力のある者が立派な貴族である、という謎の風潮があるようだ。
こういったところでもイヴィジア王国とは意識が違いすぎ、少し不思議な気分になる。
誘拐された妹を取り戻しに来た、などという物騒な理由ではなく、観光旅行での滞在であれば、これらの違いを楽しんだり、探したりとして過ごせただろう。
「……それでは、私は奥様とゆっくりお話を楽しんでくるから、貴方は回廊に飾られた絵画でも楽しんでいらっしゃい」
他人の館を動き回ることについて、カルロッタが勝手に指示を出していいものなのだろうか。
そうは思うのだが、これは『家人はひきつけておくから、エドガー邸を覗いてこい』というカルロッタの好意だ。
家人には解らなくとも、俺には判る。
とはいえ、家人の了解もなく動き回るのはまずいだろう、と戸惑っていると、家令が案内を買って出てくれた。
ご婦人方のお茶会は長くなりがちなので、従者は別室に控えていた方がいいだろう、と。
「当家の回廊はまるで画廊のようでございましょう。当主様が大変な収集家でいらして、あちらこちらから腕のよい画家の絵画を集めていらっしゃるのです。おかげで絵画が壁紙のように……」
壁紙のように絵画が並んでいる、という家令の言葉は大げさではない。
カルロッタが従者である俺に対し、家人を無視して「回廊でも見て来い」と言ったことに対し、家人が嫌な顔をしなかったのも、このためだろう。
なんということはない。
カルロッタはこの家の当主が回廊を自慢に思っていることを承知で、俺に回廊を見て来いと言ったのだ。
俺にとっては都合がよく、家人にとっては自慢の回廊を見せ付けることができるという、どちらにとってもいい提案だった。
……まあ、俺に絵画の良し悪しなんて、解らないんだけどな。
絵画を集めた家人と、解説をしてくれる家令には申し訳ないのだが、半分話を聞き流しながら回廊を進む。
やがて大きな窓のある露台を見つけると、足を止めて近くの絵画に目を奪われたふりをした。
家令の言葉へと故意に曖昧な返事を返し、視線は絵画から外さない。
いかにも絵画に魅せられて、他へと気が回らなくなっている演技は、カリーサを前にしたパールを参考にさせてもらう。
一枚の絵画の前で動かなくなってしまった俺に、家令は苦笑いを浮かべた後、ごゆっくりどうぞ、と言って去っていった。
絵画に見惚れて話を聞き流す様子など、本来ならば褒められたことではない失態なのだが、絵画を自慢したい家人とこの家に仕える家令にとっては正しい反応だったようだ。
気を悪くした様子もなく立ち去り、家令が去った方向からは男の使用人が椅子を持って現れた。
……少し申し訳ない気がするが。
本気で絵画に見惚れているわけではないので、ゆっくり観賞できるようにと用意された椅子が申し訳ない。
申し訳なかったのだが、ありがたく受け取って絵画を見つめる振りをする。
俺が椅子に腰掛けるのを確認した使用人が回廊の角を曲がるのを確認して、カルロッタから借り受けた遠眼鏡を懐から取り出した。
周囲に人がいないことを確認し、露台へと続く窓に近づく。
夏とはいえ雪の残る露台に出れば目立ちそうだったので、偵察は回廊の中からだ。
……サンルームの中に、ティナが居るんだったよな?
エドガー邸のサンルームを見つけるのは簡単だった。
一階のサンルームは少しでも陽光を取り入れようと、太陽の方を向く南側に作られていた。
肉眼ではサンルームのガラスと、その奥に何かあるらしい濁った色が見えるだけなのだが、遠眼鏡を使えばガラスの向こうがよく見える。
ガラスの向こうに見えた濁った色は、金色の鉄格子だった。
これがジャン=ジャックの調べた鳥籠だろう。
人間を閉じ込めておくために作られたものであろうことは明白で、猫であれば普通に通り抜けられそうな間隔で鉄格子が嵌っている。
……いた。ティナだ。
金色の鉄格子の向こうに、小さめに作られた長椅子が設置されていた。
その端に座る人物の姿に、胃の腑が冷える。
一目で判るティナの異常に、喉がひどく渇いた。
……なんだ? なんで、変わっていないんだ?
倉庫の焼け跡から、ティナの黒髪が見つかっている。
当然、髪が切られて短くなっているだろうことは予想ができていた。
が、俺が驚いているのはそんなことではない。
黒かったティナの髪は、カツラを被せられているのか銀髪だ。
攫われた先でも一応は大事にされているらしく、布が贅沢に使われたドレスを着ている。
ジャン=ジャックからの報告にもあったように、スカートの裾から覗く足は細く、筋力が落ちきっているようだったが、それも報告で先に知っていた。
ティナの纏う色が変わっていようとも、今更俺が驚くことではない。
それでも、俺は今驚かされている。
ようやく見つけることができたティナは、攫われた当時とまったく同じ姿をしていた。
髪の色や着ているドレスはまるで違うのだが、今年十五歳になったはずのティナは、身長がほとんど伸びていない。
成長期であるはずなのに、一年半前に攫われた当時そのままの姿をしている。
もとから十三歳には見えない身長をしていたティナなのだが、今の姿を見て十五歳だと信じる者はいないだろう。
一目でティナの身になんらかの異常事態が起こっているのだと判った。
……座っているせいで背が小さく見える、ってわけでもないな。
一瞬だけそんな希望を抱いたが、違う。
座っていようとも、立っていようとも、ティナの背は伸びていない。
……オスカーだ。
ティナの変わらない姿に衝撃を受けていると、黒犬がエドガー邸の庭へと侵入するところが見えた。
黒犬にはジゼルへの手紙を持たせている。
サンルームにいるジゼルは黒犬の侵入に気がついていないようなのだが、頭のいい黒犬のことだ。
なんとか他人に見つからないようジゼルへと手紙を届けてくれるだろう。
……ジャスパーがいるな。
サンルームにいるジゼルを確認していると、扉の近くに見慣れた髪の色があることに気がつく。
変装のためか髪型は変わっているのだが、髪の色も顔もよく知ったジャスパーと同じものだ。
……ジャスパーがティナを裏切ったのか。
ジゼルからの手紙を読むまでは、まだティナの体調を管理させるために攫われたという線も消せずにいたが、信じたくないことにこの誘拐はジャスパーが仕組んだことだったらしい。
ジャスパーがエドガーへと連絡を取り、ティナを連れ去る段取りを整えた。
目的はやはりニホン語を読ませることらしいのだが、そうなってくるとジャスパーの目的が逆に判らなくなる。
カルロッタによれば、ウーレンフート領には二百年前の転生者カミロが残したなんらかの研究資料が残っていても不思議はないらしい。
エドガーがこれを読ませたくてティナを攫った、というのなら判る。
妹を誘拐された身としては腹が立つのだが、つじつまは合うのだ。
しかし、この誘拐がジャスパー主導で行われたものだと言うのなら、ジャスパーの目的が見えてこない。
ニホン語を読ませるにしても、ジャスパーはティナに充分懐かれていた。
読んでほしいニホン語があると言えば、ティナは快く読んでいたことだろう。
ジャスパーには、最初から他人を巻き込んでまでティナを攫う必要などなかったはずだ。
……ニホン語を読ませることが目的だが、そのためにはティナ本人を連れ出す必要があった、ということか。
ジャスパーはティナに何を読ませるつもりなのだろうか、と考え始めたところで使用人がやって来た。
どうやらカルロッタたちのお茶会が終わり、館を辞する時間がきたようだ。
家令に椅子の礼を言いつつ、絵画の感想を述べておく。
そうしておけば後でそのまま当主へと伝わり、いい気分でまたの機会があれば回廊を歩かせてくれることだろう。
カルロッタ邸に帰ると、夜の闇に紛れて黒犬が戻ってきた。
首輪へと仕込んだ手紙が消えていたので、無事にジゼルへと手紙を届けられたらしい。
数日後にはジゼルが外を気にする回数が減った、とエドガー邸を見張らせている配下からの報告も届いた。
カルロッタ所有の遠眼鏡をエドガー邸の見張りを任せている配下に持たせると、ティナの様子が少しだけ詳しく判るようになった。
ティナの生活は長椅子に座って日光浴をするか、机に向かってボビンレースをするかのどちらかなのだが、日光浴中はうとうとと眠っているように見えて、極稀に目を開けているらしい。
近くに人がいる時には目を開けないのだが、周囲の人間が離れている時だけ、目を開けて外を見ているそうだ。
ジゼルの手紙によると、ティナは心を失っているそうなのだが、この報告を聞く限りは少し怪しい気がする。
何か決定的な隙をティナが見つければ、一人で脱走を試みそうで怖い。
……鳥籠の鍵の持ち主は、日ごとに変わるのか。せめて保管場所が判ればいいんだが。
鍵さえ手に入れば、家主が出かけている隙にティナを連れ出すこともできる。
とはいえ、鍵があっても昼より夜に侵入する方が脱出も逃走も格段に有利になるので、可能性が広がるというだけだ。
いざティナを奪還する手筈が整った時に、実行に移すのはやはりティナが鳥籠から出されている夜になるだろう。
……ジゼルは完全に落ち着いたみたいだな。
ティナの迎えがすぐ近くまで来ているから、あまり外を見て不審がられるな、と書いた手紙を黒犬に持たせたおかげか、ジゼルが不必要に窓の外を見ることはなくなったようだ。
外を見なくなった代わりに、少しでもティナを歩かせて筋力を付けようと奮闘しているらしい。
なんとかティナの気を引こうとしている姿が目撃されているのだが、ボビンレースに夢中なティナには無視され続けているようだった。
「ティナは完全に抱き運ぶ方向で考えた方がよさそうだな」
ティナは何かに夢中になると、すぐ部屋へと引き籠ってしまう。
王都で聖人ユウタ・ヒラガの研究資料や報告書を読み込んでいた時も、一日に二度の散歩の時間を義務として言いつける必要があった、とアルフレッドが言っていた。
活発に外出をする方ではない、という意味では淑女らしくもあるのだが、ティナの場合は夢中になっているものにかまけて自分の健康に無頓着なだけだ。
ジゼルがどう誘導しようとも、今のティナが積極的に体力づくりなどするわけがなかった。
「いくら小せェからって、完全に抱き運ぶのは不可能ッスよ」
「いや、ティナぐらいの大きさなら、いけるだろう」
春華祭でティナを腕に抱いて一日街を回ったことがある。
あの時に比べれば多少成長しているのだが、筋力が落ちていることを考えればそれほど体重に差はないだろう。
ティナなら一日でも抱き運び続けられる気がする。
「……親分の腕力は異常ッス」
「おまえでもできるだろう」
「いやいやいや。無理デス。不可能です。普通の人間にゃ、あの大きさの子どもを一日抱き運ぶとか、ありえねーっスよ」
まあ、いざとなったら交代で運べばいいか、とジャン=ジャックは納得したようなのだが、俺としてはさっぱり納得ができない。
ティナぐらいの小さな子どもを、ジャン=ジャックが抱き運べないわけがないのだ。
……そういえば、ティナも不思議がっていたな?
今思えば、あれはティナの「外出はしたくない」という断り文句だったのだろうが、ティナは「出かけている間ずっと自分を抱き運べ」と言ったことがある。
そのぐらい簡単だ、と俺はティナを腕に抱いてグルノールの街中を歩き回ったのだが、館へ戻る頃にはティナがしきりに首を傾げて俺の腕を心配していた。
いくらなんでも、本当に自分を抱いたまま街中を歩き回れるのはおかしい、と。
そんなに不思議なことだろうか、と思考が横道へと逸れ始めると、カルロッタが自分もティナに会いたいと言い始めた。
「いっそ、エドガーの館へ乗り込もうかしら」
「そんなことが可能なんですか?」
「一応は親戚筋と言えないこともないので……可能は可能ね」
押しかけるぐらいは可能だが、その場合は普通にもてなされて終了だろう、とカルロッタは言う。
本来ならティナの存在をカルロッタが知っているはずはないので、押しかけたところでエドガーがカルロッタにティナを紹介するはずもない。
カルロッタの側からティナを紹介しろ、とエドガーに要求するのは不自然すぎた。
「御大がティナっこを知っていても不自然じゃない流れを作るとなると……噂でもばら撒きますか。エドガー邸には、すっげー美少女が囲われてる、って」
「ティナの噂なんて、ばら撒いてどうする……」
「いやぁ、いー考えだと思うんスよね。ティナっこは外から見える部屋に飾られてっし、帝都の貴族は家に籠って暇してっし。美少女が囲われてるとか噂をばら撒きゃ、暇な貴族が群がると思うンすよね」
その群がる暇な貴族の一人として、エドガー邸へと押しかければいい。
人海戦術で噂をばら撒くための人員は、十分な数の山賊がいる。
帝都で噂を流そうと考えれば、今の俺には容易いことだった。
「……そういえば、ティナは一目惚れをされる方だったな」
王都で追想祭の仮装をしたティナは、どこで垣間見られたのか幾人かの貴族の心を射止め、翌日には贈り物が次々と届けられていたはずだ。
ティナは迷惑そうな顔をしていたが、あの顔に惹かれる気持ちは解らないでもない。
まだまだ可愛い少女でしかないティナだが、将来的には美人になることが約束されたような顔だ。
一目で恋に落ちる者がいたとしても、不思議はない。
「外見だけは飛び切りっスからね。外見だけは」
「ティナは中身も可愛いぞ」
以前アルフレッドとも似たような会話をしたな、と思いだしつつ、ジャン=ジャックの言葉に訂正を入れる。
ティナは顔だけではなく、中身も可愛い。
「あの外見にあの中身だったら、大概の男は夢破れてしばらく女にゃ夢なんて見れなくなりまスよ」
「あら、どんな女の子か、今から会うのが楽しみね」
いかにティナの外見と中身が一致していないか、とカルロッタへ切々と語るジャン=ジャックに、カルロッタはというとコロコロと笑う。
そもそもが、一筋縄ではいかないオレリアが気に入るような少女なのだから、可愛らしいと噂される容姿通りの性格などしているはずがない、とジャン=ジャックの言葉を丸呑みにしているようだ。
ティナの名誉のためにジャン=ジャックの言葉を否定してやりたいのだが、困ったことにジャン=ジャックの言葉はすべて真実だった。
すぐに俺の脚を蹴るのも、蜂蜜が大好きで踊りだすのも、飼い犬に『コクがあって、まろやかな味わい』だなどという味の感想を名前としてつけたりも、全部ティナが実際にしてきたことだ。
ティナは俺にとって可愛くてたまらない妹なのだが、たしかに他人の口から語られるティナは、少しお転婆で足癖の悪い奇妙な美少女かもしれない。
カルロッタ様がカチコミの準備を始めました。
誤字脱字はまた後日。




