レオナルド視点 ケルベロスの追跡
ウーレンフート領のエドガーについて調べるため、カルロッタの案内で帝都トラルバッハへと移動する。
帝都にあるカルロッタ邸にて、先に送っていた遣いからの報告書へと目を通していると、カルロッタは「珍しいこともあるものね」と首を傾げた。
「どうやら近頃のエドガーは、頻繁に領地へ戻っているようね」
カルロッタによると、エドガーは一年のほとんどを帝都の館で過ごし、領地へは近づかない生活を送っていたらしい。
そのため、今回も帝都にいるだろうとウーレンフート領へは寄らずに帝都へ来たのだが、失敗だったようだ。
報告書によると、エドガーはなぜかここ一年ほど頻繁に領地へと戻っているとのことだった。
「でも、真っ黒ね。もう、妹さんはエドガーのところにいるとみていいのではないかしら?」
御覧なさい、と差し出された報告書を受け取り、目を通す。
エドガーについて調べさせた報告書なのだが、近頃の買い物の項目が明らかにおかしい。
女性用の香水と化粧品、刺繍用の針と糸、少女用のドレスと靴、帽子といった小物を購入したかと思うと、揃いで人形のドレスや靴を仕立てている。
娘でもいるのなら自分の娘への贈り物と考えるところだが、カルロッタによるとエドガーに妻子はいない。
不仲の従姉妹や姪はいるが、不仲なだけあって誕生日といった記念日でもないのに贈り物をするような間柄ではないのだとか。
記念日であれば貴族としての体裁を考えて贈りたくもない贈り物を送るが、なんでもない時に従姉妹たちへと贈り物を見繕うような性格はしていないらしい。
「……これも気になりますね。大通りの仕立屋『女神の金貨』へ、ボビンレースを持ち込んで正装を注文しています。衣装に使える量のボビンレースなど、帝国内にあるはずがない」
「うちもまだ道具ができたぐらいで、これから基本の織り方を練習する段階よ。衣装に使えるほどの技術、量となると……職人が育つのに一年以上は簡単にかかるでしょうね」
夏にその存在が知られ、秋の終わり頃から指南書が売られ始めたズーガリー帝国内で、春のはじめに国内で織られたと思われるボビンレースが存在しているということは、本当に不自然なことである。
少女用のドレスや靴を購入していることからも、ティナを誘拐したのはエドガーとみて間違いないだろう。
このまま帝都に留まりエドガーが出てくるのを待つか、カルロッタと分かれてウーレンフート領へと向かうべきか。
これからの行動を考えていると、アウグーン領に残しておいた配下が急使として帝都のカルロッタ邸へとやって来た。
「カルロッタ様、アウグーン城へ商人が手紙を届けにやってきました。クリス……なんちゃらってお嬢様からのお手紙で、大事な手紙なのでカルロッタ様に直接渡すように言われているそうです」
直接渡すように言われているので、他人に預けることはできない。
必ず直接渡したいので、城へ戻るか帝都の館を訪ねるので待っていてほしい、と配下は言う。
カルロッタが領地へと戻るのなら丁度いい。
一緒に移動して、カルロッタをアウグーン領へと送り届けたあと、そのままウーレンフート領へと移動しよう。
そう算段をつけている横で、カルロッタは華やかな声をあげた。
余程『クリスなんちゃら』というお嬢様からの手紙が嬉しかったのだろう。
「あらあら、クリスティーナさんからお手紙が? すぐに戻ります」
……うん? クリスティーナさん?
配下の言う『クリスなんちゃら』はなんとも思わなかったのだが、カルロッタの口から出てきた『クリスティーナ』には大いに困惑する。
クリスティーナといえば、ティナの名前だ。
ティナを『妹』としか伝えていないカルロッタの口から出てきた出てくるはずのない『クリスティーナ』の名に、俺の方が混乱させられた。
「……カルロッタ様、クリスティーナというのは?」
名前が同じ別人だろう。
そう思って一応の確認をしたのだが、驚くことにカルロッタの言う『クリスティーナ』はティナで間違いないようだ。
秋に買ったボビンレースの指南書の作者へ手紙を出したのだ、とカルロッタは上機嫌に微笑んでいた。
「その指南書を作った『クリスティーナ』が、誘拐された私の妹なのですが……」
誘拐されているティナから手紙の返事など届くはずがない。
そう指摘をすると、カルロッタは落ち着いた色合いの紅をひいた唇に指を当てた。
意味合いとしては『内緒』あるいは『黙って』という仕草に、己の失態を悟る。
なんとなくカルロッタには察せられている気がするが、配下にまで俺がイヴィジア王国の人間だとは知らせていない。
マルコから預かった山賊は元イヴィジア王国の民であったために俺のことも知っていたが、道中で増えた配下たちは俺のことを『山賊のジン』としか思っていないのだ。
俺がイヴィジア王国の黒騎士レオナルドだと知られるのは少々不味い。
……しまっ!?
失敗した。
山賊を装い、偽名を使って行動していたのだが、俺が『クリスティーナ』の兄だと名乗ってしまえば、俺が山賊のジンなどという人物ではなく、イヴィジア王国の人間ということがバレてしまう。
イヴィジア王国の商人や一般人が旅行と称してズーガリー帝国を訪れることに問題はないが、イヴィジア王国の騎士が素性と名前を隠して侵入し、帝国内を自由に動き回っているのは不味い。
この事実が知られれば、ひそかに戦争の準備をしているものと邪推され、後々問題になる場合もあるだろう。
そういった面倒を避けるための、変装と偽名だったはずだ。
内心で冷や汗を流している俺を他所に、カルロッタと配下の会話は進む。
ティナからの手紙を誰が運んできたのかと聞くカルロッタに、配下はコーディという商人だと答えていた。
……コーディ?
配下の口から出てきた覚えのある名前に、スッと冷静さが戻ってくる。
コーディが届けてきた手紙ということは、本当にティナからの返事が届いたというわけではないはずだ。
……そうか。アルフの狙い通りになったのか。
指南書を印刷しようとしていたティナの不在に、俺は印刷を中断させようとしたが、アルフレッドは印刷の続行とボビンレースを国内外へと広めることを考えた。
ボビンレースというレースの存在を周知し、指南書を使ってオレリアに恩のある人間を見つけ出そうとしていたはずだ。
その作戦が功を奏し、カルロッタがアルフレッドの網に引っ掛かったのだろう。
カルロッタはオレリアを友人だと言っていた。
友人が孫娘のように可愛がっていたティナの窮地に、手ぐらい貸してくれるだろう。
現にオレリアと俺の関係など調べようもないというのに、誘拐された妹を探しているという俺に対し、十分すぎるぐらい手を貸してくれていた。
人を見る目には自信がある、と言って。
結局、帝都へは見張りを残してアウグーン領へと戻ることにした。
帝都にエドガーはいなかったのだが、またいつ帝都へ出てくるか判らないため、見張りは必要だろう。
「え? あれ? レオ……じゃない、ジンさん! どうしてカルロッタ様とご一緒に?」
アウグーン城で顔を合わせるなり目を丸くしたコーディは、己の失言に慌てて俺の名を言い直す。
そろりと周囲を見渡すコーディの目に映るのは、俺とカルロッタ、侍従を自称する老紳士の三人だ。
普段から普通に使われては困る名前だが、一度ぐらいなら聞き流してくれるだろう人間だけだった。
「……どこかでおまえたちと合流すると思っていたら、どこでも会わなかったからな。気がついたらアウグーン領まで来ていた」
どうしてこうなった、と説明は求めたかったが、まずはカルロッタへの用件を果たすべきだろう。
カルロッタへもティナからの返事ではないだろうと事前に説明してあるが、それでも内容は気になっているはずだ。
「アウグーン領領主カルロッタ様へ、イヴィジア王国のグルノールより、クリスティーナ・メイユ様からのお手紙を預かってまいりました」
「……そのクリスティーナさんは誘拐されているはずだ、とジン親分さんから聞いているのだけど?」
「手紙の中身を書いたのは、グルノールにいるクリスティーナ様の後見を務めている方です」
「そう。では、お手紙を拝見いたしましょう」
ティナ名義のおそらくはアルフレッドが書いたのであろう手紙を読むカルロッタの横で、コーディから経緯の報告を受ける。
カルロッタに聞こえてしまっていいのだろうか、とコーディは気にしていたようだが、カルロッタには俺の妹が誘拐されたという話はしてあった。
どうせ後で説明を求められることになるのなら、内容の想像できる手紙の横で報告を受ければ手間も省ける。
「ウーレンフート領にあるアウグスタ城で、チャックさんがお嬢様を見つけたそうです」
そうです、と発言が曖昧なのは、コーディ自身はティナの姿を見ていないからだ。
コーディがティナの姿を見ていない理由は簡単だった。
ティナを探している時にあちらから目を付けられ、襲撃を受けた。
それを撃退した足でジャン=ジャックが単身アウグスタ城へと乗り込み、ティナの姿を見つけたらしい。
その際に、城へ忍び込むのは商人でしかないコーディには難しいだろう、と別行動をとっていたためコーディはティナの顔を見ていない。
「隣の領地へ抜けた後、俺たちはチャックさんの指示で帝国を出て、チャックさん自身はアウグスタ城を見張るといってウーレンフート領へ戻っていきました」
「ということは、チャックはアウグスタ城か」
ジャン=ジャックが見張り、帝都にエドガーの姿はなかった。
ということは、ティナは今もウーレンフート領のアウグスタ城にいるのだろう。
「カルロッタ様、長らくお世話になりました。俺はこれから……」
ティナの居場所が見えてきた。
帰還とティナの安全を考えればすぐに連れ出すことはできないかもしれないが、まずは無事な姿を確認したい。
そう思い早々にアウグーン城を辞そうとカルロッタに向き直ったのだが、手紙から顔をあげたカルロッタは生きいきとした顔で微笑んでいた。
「ええ、逃走経路の確保は私に任せてくれていいわ。亡き賢女様の大切な女の子ですもの。すぐに取り戻して、我が領へ連れていらっしゃい」
俺が単独でティナを確保しつつズーガリー帝国内に潜伏することは難しいが、領主であるカルロッタならば広い領内に俺たちを隠し、追っ手から匿うことは可能だ。
ティナを見つけ出せても、逃走経路が確保できるまでは取り戻せないものと思っていたのだが、カルロッタの協力があれば逃走経路の確保を後回しにもできる。
今すぐにティナを取り戻すことが、可能になるのだ。
「ありがとうございます。このご恩はいつかきっと」
「いいのよ。賢女様にいただいた恩に比べれば、これでも足りないぐらいだわ」
後のことは気にしなくていいから、早く妹さんを迎えに行ってあげなさい、と背中を押されてアウグーン城を後にする。
コーディが道案内を買って出てくれたが、これは断った。
俺が一人で馬を走らせるのと、コーディの案内で進むのとでは、案内がある方が遅くなるのだ。
コーディをアウグーン城に残して馬を駆る。
途中、情報を集めさせていた配下に遭遇しては、アウグスタ城とアウグーン領へと向かわせた。
アウグスタ城では人手が必要になるかもしれないし、ティナを無事に取り戻せれば二百人規模に膨れ上がってしまった山賊団を解散させる必要もある。
それでなくとも、すでに季節は春になっているのだ。
義賊を名乗り、本来は善良な村人たちである配下は各自の村へと帰還させ、畑仕事に戻さなくてはならない。
……ジャン=ジャックはどこだ?
到着したアウグスタ城では、まず周囲の様子を探る。
警備の兵士や門番はいるのだが、しばらく山賊として過ごした俺には侵入経路がそこかしこにあるように見えた。
人目につかない侵入経路を探しつつ、どこかにジャン=ジャックが潜んでいないものかと姿を探す。
あちらも隠れているはずなので、すぐに見つかるところに潜んでいるとは思えないが、俺の姿を見つければジャン=ジャックの方から出てくることもあるかもしれない。
枝を伝ってアウグスタ城の敷地へと侵入し、広大な裏庭からアウグスタ城へと近づく。
ティナとジャン=ジャックの姿を探しつつ庭を進むと、鉄格子が見えてきた。
建物の構造上、鉄格子の先には城主一族の寝室や私室があるのだろう。
侵入者対策として番犬を放っている屋敷も珍しくはない、と気がついたところで、鉄格子の向こうに黒い毛並みの犬が現れた。
……うん?
鉄格子の向こうには、黒い毛並みの犬が三匹いる。
明らかにこちらの様子を探っていると判ったので、こちらも妹のためには一歩も引くものかと気迫を込めて睨み返す。
そうすると、うち一番後ろにいた犬の尻尾が下りた。
気迫で番犬に勝った、と少しだけいい気分になっていると、三匹の犬が左右に割れる。
奥からもう一匹黒い毛並みの犬が出てきたのだが、その顔つきを見た瞬間に頭の中が疑問符で埋まった。
「……オスカー? おまえ、なんでここに……?」
番犬たちの後から堂々と現れたのは、ベルトランの飼い犬の黒犬だった。
こんなところにいるはずのない黒犬の出現に、頭が一瞬真っ白になりかけたが、踏みとどまる。
どうやら番犬たちは黒犬を自分たちの長と認めているようだ。
となれば、黒犬さえ味方につければ鉄格子の先へと進むことができるはずである。
移動に時間がゴリゴリかかるから、たぶんそろそろレオナルドさん28歳。




