報復サンドイッチ
……おのれ、レオナルドさんめ。
幼児のように力いっぱい泣き喚き、正気に返ればただただ恥ずかしい。
羞恥と怒りからレオナルドの顔を見ることができず、腹立ち紛れに頬を膨らませる。
幼児が頬を膨らませて怒る意味が解らなかったのだが、やってみると意外に内側の怒りが誤魔化せる気がした。
一種の自傷行為だろうか。
頬を膨らませるのも、空気を閉じ込めるのも、そこに力が入る。
怒りでどこかへと向けられる攻撃衝動を、世の中のお子様たちは自分の口という近場で誤魔化しているのかもしれない。
……怖かったんだからねっ! 夜中の不審者とか、本気で殺されるかと思ったっ!!
暗闇で不審者にカーテンごと抱き上げられた時、生きた心地がしなかった。
口封じに殺されるか、身代金目当てに誘拐されるかとも思った。
死を覚悟した瞬間に視界へと入って来たのは、レオナルドののん気な顔だった。
安堵と同時にレオナルドが私の様子を見に来ただけだという真相を理解し、あとは感情がぐちゃぐちゃになって爆発した。
自分で自分が制御できずに、わんわんと泣き喚いた。
意味の解らない罵倒をしながら、レオナルドの顔をベチベチ叩いたのは覚えている。
そして、冷静になった今はただひたすらに恥ずかしい。
……部屋に入って来るなら、一声かけてよっ!!
先ほどまでの恐怖が思いだされるたびに、それがレオナルドへの怒りへと変換される。
頬を膨らませるだけでは誤魔化せない衝動を、拳を握ってレオナルドの脛へと振り降ろした。
それなりに力を込めて殴っているのだが、背後から悲鳴があがることはない。
やはり幼児の腕力では、一瞬の痛みすら与えられないのだろう。
……もうしばらく膝になんか座ってあげないっ!
先ほどもレオナルドは私を宥めようとして膝の上に座らせたのだが、腹が立っていたのでするりとすべり降りてやった。
ただ、また一人にされるのも嫌だったので、左足にしがみついてもいる。
自分のとっている行動ながら、まったくもって意味が解らない。
これでは本当に幼児と変わらないではないか。
そう大人の部分の自分が呆れているのだが、だからといってすぐに気持ちを切り替えることはできなかった。
汗を流してくる、というレオナルドにくっついて移動する。
今夜の恐怖体験の元凶であるレオナルドを頼るのは癪だが、まだレオナルドよりバルトを頼ろうと思えるほど彼に慣れてはいない。
人見知りは前世からの私の性質だ。
よく知らないバルトより、腹が立ってもレオナルドの方が良い。
バルトの用意した風呂は、夕方の探索で見つけた大きな風呂だった。
浴槽のある浴室と脱衣所に、休憩のための長椅子まで設置されている豪華なお風呂だ。
さすがに脱衣所の中までは付いていけず、入り口に座り込んでレオナルドを待つ。
……前世入れて人生初の出待ちが、男の人のお風呂とか、微妙。
廊下は暗いのだが、バルトがランプを用意してくれたので平気だ。
館の主であるレオナルドが風呂にいるため、脱衣所と浴室には明かりが灯されている。
背後が明るいと、それだけで心強かった。
「レオナルド様、夜食はどちらへお持ちすればよろしいでしょうか」
レオナルドの着替えとタオルを運んできたバルトが、浴室に向かって声をかける。
その声にレオナルドが「客間へ」と答えるのが聞こえた。
……お夜食?
夜食と聞こえた声に耳を澄ませる。
先ほど今日は私と寝る、と言ったはずだが、夜食を食べるということは、まだ寝るつもりはないのだろう。
……つまり、私が寝たら部屋を出て行ってお仕事、もしくはもう一緒に寝る、ってことを忘れてる?
自分で言ったくせに、と再び落ち着き始めていたお腹が立ちあがる。
こうなってしまえば、今夜はレオナルドに一泡吹かせなければ気が納まらない。
脱衣所から戻ってきたバルトの後ろをついて歩く。
バルトはあとを付けてくる私に一度だけ振り返ったが、特に何も言わなかった。
ただ風呂の前で待っているのが退屈だったのだろう、と理解されたのかもしれない。
……お夜食に悪戯をするのが目的だけどね。
ちょっとした悪巧みだが、少しだけ溜飲が下がる。
やはり我慢して自分の内だけで処理をするより、多少でも外へだして発散をするのは必要だ。
バルトにくっついて台所へ入ると、作業台の上に置かれたサンドイッチを見つけた。
どうやらこれがレオナルドの夜食らしい。
茶器の用意を始めたバルトを尻目に、踏み台を用意して作業台の上を狙う。
……定番で、ちょっと笑える程度の悪戯といったら、辛子でも仕込むとか?
そう悪戯の方向性を定め、踏み台の上で背後を振り返る。
初めての台所なので、調味料がどこにあるのかが判らない。
「バルトさん、バルトさん」
「はい、なんでしょう?」
少し声が引きつっていたが、思っていたよりも明るい声がでた。
その声に安心したのか、バルトも無警戒で作業の手を止める。
「マスタードとか、辛いの、どこです?」
会心の笑みを浮かべて、無邪気さを装って聞いてみた――ら、バルトにはやんわりと答えをはぐらかされた。
「……レオナルド様もわざと嬢様を驚かせたわけではではありませんし、許して差し上げてください」
「一矢、むくいる。落ち着かない」
やられっぱなしでは腹が立つではないか、と抗議を込めて頬を膨らませる。
今度は苛立ちを紛らせるためではなく、子どもらしさの演出としてわざとだ。
「嬢様には温めたミルクに蜂蜜を入れてお出ししますから」
「わたし、知ってる。それ、ばいしゅう、言う」
子どもと思って誤魔化そうとしていますね? とやり込めてやろうとも思ったが、やめた。
レオナルドがわざと私を驚かしたわけではないと、私だって解っているのだ。
まだ少しやり場の無い怒りが残ってはいるが。
「悪戯、やめる。たべもの、おもちゃ違う」
そう宣言すると、バルトは見るからにホッとした顔をする。
確かに食べ物に罪はないし、玩具にしてはいけない。
レオナルドがわざとではなかったことも理解しているし、私だって見た目は幼女だが中身は大人であると自負している。
多少の過ちぐらいは許せる大人である、と。
「お夜食、わたしもたべていい?」
「では嬢様の分を少し増やしましょうか」
レオナルドと一緒に夜食を食べて仲直りをするのだろう、とバルトは考えたようだ。
私の分として少しサンドイッチを追加してくれた。
お風呂から戻ったレオナルドは、皿に残ったサンドイッチに瞬いた。
それもそのはずで、皿に残ったサンドイッチはバルトが私のぶんに、と追加した少量だけだ。
もともとレオナルドのためにと用意されていた量は、全て私のお腹の中に収まっている。
……さすがにお腹いっぱい。
ちょっとした意地悪のつもりでやったことだが、これが天罰覿面というやつだろうか。
成人男性用に用意された夜食を無理やり食べたので、少々どころではなく満腹で気持ちが悪い。
気持ちは悪かったのだが、レオナルドが驚いた顔をして瞬いているので、仕返しはこれで完了とする。
若干やりすぎた感もあるので、レオナルドの膝に座ってご機嫌を取ることにした。
「……夕食が足りなかったのか?」
残り少ないサンドイッチに手を伸ばしながら、レオナルドはこう言った。
私としては驚かされた仕返しに夜食を横取りしただけなのだが、レオナルドはそれを夕食が足りなかったため、と受け取ったらしい。
これははっきりと否定しておかなければならないだろう。
ちゃんと否定をしておかなければ、明日の朝からまた椀子そばのようにおかわりが用意されてしまう気がする。
「夕ご飯、いっぱい。おいしかった」
だから食事の量は問題ないですよ、と主張する。
今夜レオナルドの夜食を横取りしたのは、あくまで報復行為だ。
食事の量が少なかったわけではない。
「……でも、一人で食事、少し寂しい」
食事に不満があるとすれば、これだろう。
他に人がいる空間で、自分だけが食事をとるのはなんとも居心地の悪いものだった。
「わたしのお部屋って、バルトさん、お掃除してる、見た。広すぎて、落ちつかない」
広くて落ちつかないのは客間もだが。
今夜のところはベッドをレオナルドの体が狭く調節してくれるので、眠れるだろう。
「一番日当たりの良い部屋を選んだんだが……狭い部屋がいいのなら、別の部屋にするか?」
「わたし、選んでいい?」
「ティナが選んでいいというより、ティナの服や靴はみんな俺が勝手に集めたものだからな。俺はティナの好きな色すら知らない」
ティナの好みを教えてほしい、とレオナルドは私の髪を手で梳きながら言った。
これは少しだけ嬉しい言葉だ。
広すぎる部屋よりも、是非とも住みたい部屋がこの館にはある。
「やねうら部屋っ! やねうら部屋がいいっ!」
パッと素で期待に顔を輝かせてレオナルドを見上げる。
幼女の期待を受けたレオナルドは、しかし困ったような顔で眉をひそめた。
「屋根裏部屋は普通使用人が住む場所だ。館の主やその子ども、客が住む場所じゃない」
「しよう人、バルトさんたち? バルトさんたち、おそとの家。やねうら違う」
だからこの館の屋根裏は使用人の部屋じゃないよ、と屁理屈を捏ねてみたのだが、レオナルドの反応は悪い。
やんわりと諦めさせようとしているのが判るレオナルドから、なんとか屋根裏部屋の使用許可を取りたい。
屋根裏部屋のある家になど、前世では住む機会はなかった。
そもそも日本では屋根裏部屋のある家の方がめずらしい。
ついでに言うのなら、アニメや昔の海外ドラマなどの影響で、実はちょっとした憧れがあったりもする。
「狭さが、ね! 狭い、好き。家みたい、落ち着く」
今生の家は狭かった。
住めば都と気にしたことはなかったが、オレリアの家、城主の館と比べるとやはり狭い。
後者は比べること自体が間違っているが。
「……家みたいで落ち着く、か」
他にも屋根裏部屋に対する憧れなども語ってみたのだが、レオナルドが反応したのはここだった。
もしかしたら、勝手に郷愁を感じている、とでも思い込んでくれているのかもしれない。
たしかにあの部屋ならば、三階に用意されている部屋よりも両親たちと住んでいた家に近い。
使用人を住まわせるための部屋なので、壁紙などは地味な色合いが使われているし、床は板張りが丸見えだった。
レオナルドが葛藤しはじめたようだったので、下手なことを言わないように口を閉ざす。
あとはジッと期待を込めてレオナルドの顔を見上げていた。
「……街での暮らしに慣れるまで、だ。それまでは屋根裏部屋を使ってもいい。けど、やはりあそこは使用人の部屋だから、いずれは用意した部屋に移るように」
「いいの!? ありがとう、レオにゃルドさん!」
心中不本意である、と判る顔をしたレオナルドに、ゴマすりを兼ねてムギュッと抱きつく。
難しい顔を作ってはいたが、満更ではなかったのだろう。
レオナルドは苦笑を浮かべた。
親戚の子が特に断りもなく初対面の私の膝に座ったりしたんだけど、あの時の幼児の心境ってどうなんでしょうね。
初対面って警戒しないものかな。
断りもなく突然座られた側としては驚いた。こんなに無防備でいいの!? って。
誤字脱字はまた後日……orz
誤字脱字、見つけた所は修正しました。




