閑話:レオナルド視点 俺の妹 9
翌日のティナは、まだ疲れが少し残っているようだった。
春になって気温が暖かくなった近頃は朝食が終わるとすぐに仔犬を連れて庭へと飛び出していっていたのだが、今日はまったりと食後のお茶を飲みながら長椅子で寛いでいる。
仔犬が早く遊びに行こう、とティナがいつ立ち上がってもいいように足元で伏せて待っているが、ティナは時々軽く頭を撫でてやるだけだ。
いつものように元気よく飛び出していく様子はない。
「ティナはお疲れか?」
「さすがに二日連続でお出かけしたのは疲れました」
今日は館でゆったりと過ごして、午後からはヘルミーネの授業を受ける予定である、というティナには少しだけ申し訳ない気がしたが、春華祭三日目へとティナを誘う。
「わたしはもう二回も春華祭へ行ったんですが……」
「でも俺とは一度も行っていないだろう?」
面倒くさい、とティナの顔にありありと出ている。
判りやすく顔に本音が出てくれるあたり、随分懐いてくれたと思う。
「春華祭の三日目は、お祭りで恋人になった人たちがいっぱいいる、ってヘルミーネ先生が教えてくれたんですが……」
「恋人たちで溢れかえるのは今夜の広場だな。日が出ているうちはそれほどでもない」
春華祭の大まかな流れとして、一日目に意中の相手へと手紙や贈り物で想いを伝え、二日目にその返事を受け取ることで想いが叶った者は恋人同士になる。
三日目は成立したばかりの恋人たちが早速春華祭の名の下に逢引を行う場合が多い。
もちろん、二日目に手紙を送る者や、恋が叶わなかった者もいるので、すべてがこれに当てはまるわけではないが、ハルトマン女史がティナに教えたように、三日目の祭りは圧倒的に恋人同士が多かった。
「昨日はいっぱい歩いたので、疲れました」
「今日は恋の仲立人をする必要はないぞ」
「お祭りの出店も、ほとんど見ちゃいました」
「今日回りたいのは祭りの裏側だ。普通は見れないものだぞ?」
昼食は三羽烏亭でなにか食べよう、と誘うと、ティナはようやく少しだけ考える素振りをみせる。
やはりティナは色気よりも食い気だ。
「わかりました。お出かけの間ずっとレオがわたしのこと抱き運んでくれるのなら行きます」
夏になれば十歳になる大きな子どもなど、一日中抱き運ぶことは不可能だろう、とティナは我ながら良案を思いついた、という顔をして提案してくるのだが、そのぐらいの提案は俺にとってなんということはない。
十歳の子どもといえば結構大きい気もするが、ティナは平均よりも体が小さく、逆に俺は大きい。
そして普段から鍛えているだけあって、筋力にも体力にも自信があった。
出かけている間ずっとティナを抱き運ぶことぐらい、俺には不可能ではない。
兄馬鹿を甘くみた、体力が明らかにおかしい、筋力絶対カンストしてるでしょう、などと意味の解らないことを呟きながら、ティナは俺に抱き運ばれている。
最初こそ出かけることを渋っていたティナだが、騎士の住宅区を出る頃には機嫌が直っていた。
いくつかの臨時の詰め所を訪ね、ここ二日間の報告を受け終わる頃には完全に乗り気になっている。
……機嫌が直ったのはいいんだが、暴れるのは少々厄介だな。
館に戻るまで抱き運ぶという約束に対し、ティナは妨害をする、という遊びを思いついたようだ。
落としたら俺の負けというルールを宣言したかと思ったら、首筋をくすぐってきたり、肩へよじ登ろうと暴れたりと妨害行動に勤しんでいる。
何度か落としたら危ないと注意したのだが、その度に「レオはわたしを絶対に落とさないでしょ?」と可愛らしく小首を傾げながら言うのだ。
……俺の妹は可愛い。
だが時々、こういった理解し難い悪戯をする。
そこがまた可愛くもあるのだが、アルフに言わせるとこれは病気の一種らしい。
可愛い妹を持つ兄がかかる病気だ。
……妹が可愛くてなにが悪い。
病気と聞けば治した方がいいのだろうとは思うが、妹が可愛いのだから仕方がない。
そこは治るようなものではないのだ。
ティナを腕に抱いたまま大通りを抜けると、今年の春華祭で恋人になったのだと判る若者たちが増えてくる。
春華祭をきっかけに恋人同士になり、そのまま秋の収穫祭で婚姻を結ぶのが一般的だ。
……そして、今年の恋に破れた者は酒場で自棄酒を飲む、と。
中央通からわき道へと入り、ティナを抱いたまま裏路地を歩く。
すぐに見えてきた酒場を覗くと、例年通り振られ男たちがたむろしていた。
「……お酒臭いです」
ティナが鼻を摘まんでそう溢すのも無理はない。
通りから入り口を覗いた程度だったのだが、まだ昼間だというのに酒の臭いが強すぎる。
「やはり、今年も路地の警備は増やした方がいいな」
酔っ払いが路上で寝てしまい財布をすられるのも、通りすがりの者が酔っ払いに絡まれるのも、起こらないにこしたことはない。
警備や巡回を増やすことでそれらの事件が一件でも減らせるのなら、巡回の騎士や兵士も本望だろう。
「……レオはなんでわたしを連れて来たんですか?」
巡回がてら昨日受け取った手紙の返事を届けていると、ティナが不思議そうに首を捻っていた。
返事を届ける相手の家や勤め先を訪ねるたびに、一瞬喜色を浮かべた娘がすぐに困惑顔に変わるのが気になるのだろう。
最初から本当に返事が来ると思っている娘は少数だったが、まさか返事を持った男が子どもを抱いてやって来るとは思うまい。
困惑から表情が固まるのも、無理はないだろう。
「ティナと俺は父娘に見えないこともないらしいから、ティナを抱いて街中を歩けば、来年は俺への贈り物が減るだろう、とアルフ発案だ」
砦への贈り物を禁止するのは他の黒騎士が不憫なので、俺への贈り物を減らす案を授けられた。
俺にはティナという被保護者がいると知られれば、交際を望む娘も必然的にティナを受け入れる覚悟のある者、とその時点である程度ふるいにかけられる。
若い娘であれば、これだけでかなり減るはずだ。
「……だったら今日は、レオのことを『お父様』って呼んであげます」
そう言ってティナは、『お父様大好き』と首筋に顔を埋めて頬を摺り寄せてきた。
うちの妹は可愛い。
「『お父様』と呼ばれるのもいいなぁ……」
一番は『お兄ちゃん』希望だが。
父と呼ばれるのも、それはそれで素晴らしい。
「ホントの子どもに『お父様』って呼んでほしかったら、まずお嫁さんを貰わないとですね」
「ティナが呼んでくれるなら、お嫁さんは要らないかな」
つい思ったままを口から出すと、首筋で甘えていたティナがむくりと身体を離し、青い目でじっとこちらを見上げてきた。
「……わたしがお嫁に行っちゃったら、どうするつもりですか?」
ティナが嫁に行ってしまったら。
今はまだ小さなティナも、もう数年もすれば年頃の娘になる。
その嫁ぎ先について今は考えないとしても、いずれティナが自分の元から離れて行くことに違いはない。
「……よし。庭に離れを建ててやるから、婿殿とそこで暮らせばいい」
敷地内に新居を用意してやれば、ティナが嫁いでもそう遠い場所へは行かない。
心配になればいつでも顔を見に行けるし、ティナが婿殿に愛想をつかした時もすぐに館へと帰ってくることができる。
我ながらいい案が浮かんだ、とティナを見下ろせば、ティナは呆れた顔で俺を見上げていた。
「妹をお嫁に出す気はないんですね」
「いや、いつかは嫁に出す気はあるぞ、ちゃんと。ただ、いつでも手助けできるよう、できるだけ近くに住んでほしいと考えているだけで」
「そうですか」
呆れた顔をしたままのティナが、そっとため息を吐く。
自分でも女々しいと思うのだから、兄に引っ付かれる立場のティナからしてみれば、相当頼りない兄であろう。
「……ティナの子どもを養子にするのもいいな」
そうぼそりと呟くと、独身でも養子ってもらえるんですか? と至極真っ当な指摘を受けてしまった。
……以前から思っていたが、ティナは賢い子だな。
時々理解し難い悪戯をしかけてくることはあるが、年齢の割に賢い子どもだと思う。
前は舌っ足らずなこともあって年齢よりも幼く思えたのだが、それが解消した今は時折子どもとは思えない言動をすることがある。
……女の子は心の成長が早いとは聞くが。
ティナのそれは、なんだか少し違う気がした。
子どもの成長や性格に差があるというのは、子どもが多く集まる孤児院という場所で育ったから知っている。
おとなしい子もいれば、腕白な子もいる。
幼くともすぐに文字を覚えてしまう子もいれば、いつまで経っても基本文字すら覚えられない子もいた。
ティナが聞き分けのいい子どもだったのは、それらの個性の一つかと思っていたのだが、最近は少し違和感がある。
……そういえば、初めて出会った時にも違和感がある、って思ったんだよな。
あの時は、服と中身に違和感があると思った。
薄汚れた服を着た、身奇麗な可愛らしい幼女だ、と。
病に倒れた父親がいると言うので会ってみれば、それは貴族であるはずのサロモンであったため、貴族の娘が粗末な服を着ている違和感かと納得もしたのだが。
ティナの内にある違和感は、それだけではない気がする。
……大人びたところがある、と思っていたんだがな?
昼食を取ろう、と寄った三羽烏亭で、ティナがなにかに目覚めた。
悪戯心が刺激されたのか、天性の天邪鬼が目覚めたのか、メニューを全部読め、と言って聞かない。
これまでは明らかにティナが食べないだろうと思うメニューは故意に読まずにいたのだが、どうやら先日遭遇したエセルバート様に俺がすべてのメニューを読んでいるわけではない、と気づかれて指摘されたようだ。
よほど刺身がティナの口にあったようだ。
俺の好みでメニューを隠されるのは嫌だ、と言い始めた。
……反抗期か?
そんなことを考えながら、ティナの求めるままにメニューを読んでやる。
いつもは俺が読み上げたメニューからティナの気分で注文を決めていたのだが、今日はすべてのメニューの中からティナの気になった物を注文した。
これは絶対に食べたいだなどと言わないだろうと思っていた豆を腐らせたウオッタンという料理に、ティナは飛びついた。
飛びついて、出てきたウオッタンを見てティナの顔が壮絶なものに変わる。
……豆を腐らせたもの、と俺はちゃんと説明したぞ。
それなのにティナは出てきた茶色の豆を見て、見るからにがっかりしていた。
「そうだよね。豆を腐らせたら納豆になるよね。豆腐じゃなかった……豆を腐らせても豆腐にはならないよね……」
などと呟きながら、店主の教えどおりに箸を握ってウオッタンをかき回している。
このウオッタンという臭い食べ物は、よく混ぜて糸を引かせて食べるものだと言うのが店主の説明だ。
結局ウオッタンはティナの口には合わなかったようなのだが、ティナは残さず食べた。
半分食べてやろうかと言ったのだが、自分の我儘で頼んだものなので、自分で全部食べる、とティナは謎の心意気をみせる。
そんなに不味いのか、と一口だけティナから貰ったのだが、独特な臭いのウオッタンは本当に不味かった。
ウオッタンが一般的に食べられている食品だというナパジは、本当に不思議な国だ。
ウオッタンをすべて食べたティナは、そこで気力を使い果たしたらしい。
午後はずっとおとなしく、べったりと俺に抱き運ばれて手紙の配達に付き合ってくれた。
レオナルド視点なのでウオッタンとカタカナですが、ティナ視点だと普通に納豆だと思います。
誤字脱字は春になったら直します。
誤字脱字、見つけたものは修正しました。




