春華祭 3
「エセル様、なんでグルノールにいるんですか?」
ばっちり目が合ってしまったし、思わず『エセル様』と呼んでしまったからには気づかなかったふりもできない。
正直なところ逃げ出したかったのだが、長椅子に座ったエセルバートに手招かれてしまったからには仕方がない。
常連と思われる壮年の男性と相席で花見をしていたエセルバートの横へと腰を下した。
「わしはこの店の青魚の味噌煮が気にいっておってな。時折こうして忍びで食べにくる」
「……裏庭へのご招待は常連さんだけ、って聞いたんですけど?」
少なくとも私が常連であると判断されたのは、四季のお祭り限定商品をすべて食べたからである。
エセルバートも常連として認められているということは、最低でも季節ごとに三羽烏亭を訪れているということだ。
それは少し無理のある話な気がした。
「ナパジ料理は『ニクベンキ』にもたびたび出てきてな。どこかで本物が味わえぬものかと探しておったら……この三羽烏亭にたどり着いた、というわけじゃ」
さすがに季節ごとに訪れるのは無理があるだろう、と指摘したところ、元々はティオールの街にある三羽烏亭の常連だったらしい。
ナパジからやってきた三兄弟が経営する店で、グルノールの街にある三羽烏亭は末の弟が独立をした二号店なのだとか。
一号店の常連であったため、グルノールの二号店へ顔を出してもすぐに常連扱いされた、という理由だった。
……それにしても、レオの言ったとおり?
変なタイミングで、おかしなところで出くわす老人である。
まさかグルノールの街の食事処で再会するはめになるとは思わなかった。
「ナパジ料理を食べに来たんですか?」
相槌を打っているつもりなのだが、本音としては『それを食べたら早く帰れ』である。
きっと間違いなくお付の人だとか、お屋敷の人だとかが探しているはずだ。
「久しぶりにナパジ料理を食べたくなってな。ティオールの街まで足を伸ばそうかと思ったのじゃが、荷物を預けて身軽になったでの。グルノールの街に店を出したことは聞いておったので、こちらの方へ様子を見に来てみた」
「荷物って、曾孫のことですよね?」
さすがのエセルバートも曾孫を連れての旅は足が遅くなる、と嫌ったのだろう。
マンデーズの館に預けるという名目でディートフリートを旅の供から外し、自分だけグルノールへやって来たのかもしれない。
「曾孫といえば、お嬢さんには礼を言わねばな。良い場を教えてくれた」
「良い場、ですか?」
はてなんだろう? と首を傾げると、マンデーズの館のことである、と答えられた。
マンデーズ館にいるイリダルは自身を家具を自称しており、仕事に一切の私情を挟まない。
そのため、ディートフリートがどんなに愛らしい外見をしていようとも、命じられた仕事をきっちりとこなすことができるだろう、とエセルバートは言う。
要は、ディートフリートが泣こうが拗ねようが甘えようが、王都の屋敷の乳母や使用人のように甘やかすことはない、というだけのことだ。
それだけのことなのだが、王都では望めない環境だったともいえる。
「あれは良い男じゃった。国に買い上げられているため、国のためにしっかりと役目を果たしてくれるじゃろう」
「……曾孫の我儘、直るといいですね」
よし、綺麗に会話が終わった。
あとは適当に別れの挨拶をして逃げよう、と腰を浮かせると、刺身も食べて行きなさい、と常連の男性に引き止められた。
内心では逃げ出したくて冷や汗物だったが、この世界に転生して初めて見るお刺身に、つい席についてしまったのだから仕方がない。
「お刺身ですか。初めて見ました」
これは嘘ではない。
何度か三羽烏亭には来ているが、メニューにあることすら知らなかった。
常連にしか出していないメニューなのだろうか、と聞いてみたところ、店のメニューには普通に出ていると教えられる。
「あれ? だったら何でレオが読んでくれる時はなかったんですかね?」
「刺身は人を選ぶからの。レオナルドもお嬢さんが食べてみたがるとは思わなかったんじゃろう」
生魚は苦手とする人間が多い、とエセルバートはヘルミーネとカリーサを示す。
促されて視線を向けると、ヘルミーネは無表情だったため判らないが、カリーサはわずかに眉を潜めている。
これはたぶん、生魚が苦手なのだろう。
「……美味しいです」
食べて行きなさい、と言われたので、遠慮なくお刺身を頂く。
海から離れているというのに、意外に種類があるなと考えていると、生簀に入れてティオールの街から川を遡って運んでいるのだと常連男性が教えてくれた。
そのため、お値段は相当張るのだ、と。
……それは、確かにお祭りのご馳走扱いだね。
ご馳走なら少しは遠慮をした方がいいだろうか、と聞いたら、子どもは遠慮などするものではない、と豪快に笑い飛ばされた。
支払いは私が来る少し前に行なわれたセーク勝負で、エセルバートが持つことになっているのだ、とも。
「それにしても、この子はアンタの曾孫かい?」
「孫娘になる予定じゃな」
「お断りですよ」
お刺身を遠慮なく頂いている頭上で交わされる会話に、すかさず突っ込みを入れる。
予定であろうとなんであろうと、王族の嫁など、お断り以外のなにものでもない。
「つれないのぅ。一緒にプリンを食べた仲じゃろうに」
「わたしの旦那様には、最低でもレオより強い人を希望します!」
白銀の騎士にはレオナルドより強い人間もいるらしいのだが、私の知る限りはレオナルドより強い騎士などいない。
レオナルドを知る人物からしてみれば、私の希望はかなり難易度が高い。
つまりは、自分の好みを言っている体裁を取ってはいるが、実質ただの断り文句だ。
「レオナルドより強いとなると、この国には三人ぐらいしかおらんぞ」
幸いなことに、その三人はどれもエセルバートの身内ではないらしい。
これはいいことを聞いた。
当分はこの断り文句でエセルバートから逃げよう。
そんなことを考えていると、ふとエセルバートの視線が私の頭の上で止まる。
まじまじと視線を集めているのは、位置的にカリーサが結んでくれたリボンだろうか。
「随分と精緻なレースじゃな」
「このリボンですか? これは――」
オレリアから貰った、と答えようとしたのだが、これまで口を挟んでくる様子をみせなかったヘルミーネに突然口を手で塞がれた。
理由が解らなかったが、行動の意図は判る。
黙りなさい、ということだ。
ヘルミーネの行動におとなしく口を閉じると、長椅子から抱き上げられた。
どうやら強制的にこの場から離れられそうだ。
「恐れながら、エセルバート様。御身はこのような場で供も付けずに出歩いてよい御身分ではございません」
早急に御供と合流して自分の身分を思いだされますように、と行儀作法の教師であるヘルミーネにしては少々慇懃無礼な物言いをして、裏庭から連れ出された。
「……ヘルミーネ先生、わたし、なにか失敗しましたか?」
突然場を離れた理由が解らず、中央広場へと入ったタイミングで声をかける。
さすがにヘルミーネの細腕では、そろそろ私を抱いて運ぶには無理のある距離だ。
一度下した方がいい。
そんな考えもあって声をかけたら、ヘルミーネは少しだけ困ったような顔をして、私を地面へと下した。
「オレリア様の話は、エセルバート様の前ではなさらない方がよろしいでしょう」
「オレリア様って……ヘルミーネ先生、オレリアさんを知ってたんですか?」
「以前、母の命を救っていただいたことがあります」
女性の身でありながら聖人ユウタ・ヒラガの秘術を正しく受け継ぎ、独り身を貫く姿は憧れるものがあるらしい。
独身主義のヘルミーネとは違い、オレリアは単純に人嫌いなだけなのだが、これはあえて指摘しないことにした。
「王都では有名な話なのですが」
その昔、エセルバートはオレリアを猛烈な勢いで口説いていたらしい。
それはもう情熱的に。
しかし、その頃にはもう立派に人間嫌いを発症させていたオレリアにはすげなくお断りされて、現在に至るのだとか。
オレリアはエセルバートが口説き落とせなかった唯一の女性として有名人なのだそうだ。
「エセルバート様が口説き落とせなかったオレリア様のお気に入りともなれば、どんな手を使ってでも囲い込みに来ると思われます」
「わかりました。エセル様の前ではオレリアさんのお話は絶対しません」
なにそれ怖い、とヘルミーネの言葉に震え上がる。
老いらくの恋とはまた違うのだろうが、オレリアの関心を引くための餌にされるのはごめんだ。
そんな理由でオレリアがエセルバートにおびき出されるようなことがあれば、オレリアにも申し訳がない。
エセルバートが怖すぎる、と逃げ帰った館で早速レオナルドに報告をする。
三羽烏亭で、いるはずのないエセルバートに遭遇した、と。
まさかのエセルバート目撃報告に、レオナルドは書類から顔をあげたかと思うと、すぐに頭を抱えた。
前国王がなにをやっているのか、と。
「……少し出かけてくる」
「夕方にはお休みできるはずだったのに、お仕事増やしちゃってごめんなさい」
「ティナのせいじゃないよ」
そう言ってレオナルドは黒騎士を数人連れて街へと出かけていったのだが、日が沈む頃にはもう帰って来た。
意外に早かったね、と出迎えると、レオナルドは頭の痛そうな顔をして、ただ一言「逃げられた」と肩を落とす。
「……お疲れさまです」
誤字脱字はまた後日。
明日の更新はお休みします。
誤字脱字、みつけたものは修正しました。




