精霊の寵児 1
熱は三日寝込んだら引いた。
だが完全に風邪が治るまでは、とそのあと四日ほど部屋に閉じ込められたので、ヘルミーネの授業が再開したのはグルノールの街に戻った一週間後だ。
久しぶりの授業が楽しくて、その休憩時間にはラガレットの街で出会ったエセルバートとディートフリートへと話が進む。
ディートフリートにはヘルミーネも苦労をしたようだ。
言葉を綺麗に飾ってはいるのだが、内容を要約すれば『おしめが取れたばかりの赤ん坊に学を授けさせられたようなもの』となる。
ディートフリートは本当に我儘放題に、ろくな躾けもされずに育てられていたようだ。
……それ、絶対ディートのためにならないよ。使用人一同、クビにした方がいい。
特に先日アルフからこの国の貴族について聞いたばかりなので、ディートフリートの今後が心配になってくる。
このまま環境が変わらなかった場合、この国の貴族制度ではディートフリートは王位継承者として認められることはないだろう。
……ただでさえ、望みは薄いみたいだしね?
アルフは簡単に説明してくれただけだったのだが、ヘルミーネが王族と王爵についてを少し詳しく教えてくれた。
大雑把には王爵も王族と数えられるのだが、未成人を除く王爵を持たない王族は、王の所有物として扱われるらしい。
者ではなく、物として。
乱暴な言い方をすると、「働かざる者喰うべからず」といったところか。
王爵を得て国のために働かない王子・王女に無駄飯を食べさせる気はないとばかりに、容赦なく臣下の家や他国へと嫁や婿に出してしまうのだ。
そして、王族に数えられるのは基本的に王の孫までらしい。
ディートフリートの場合、現国王の孫であるため王族に数えられているが、教育が足りなすぎて王爵を得られる可能性は今のところとても低い。
今のうちに使用人を入れ替える等して環境を整え、鍛え直す必要があるだろう。
……まあ、なんだったらバシリアちゃんのところにお婿に行けばいいのかな?
少し知り合った程度の関係ではあるのだが、貴族や王族がそれほど楽な身分ではないと聞いてしまえば少しだけ心配になった。
とはいえ、グルノールにいる私がディートフリートにしてやれることは何もない。
「……王など国の奴隷、と言ったのですか? 前国王様の前で」
「さすがに、王族に対して利いていい口ではなかったという自覚はあります」
王族だろうが敬えない相手には頭を下げたくない、程度のディートフリートへの牽制としてつい口から出てしまった言葉だ。
少し冷静になって考えれば、言葉の選択を誤りすぎている。
多少丁寧な話し方はできるか、王族や貴族を相手に不自由なく会話が出来るほどの教養は今の私にはまだないのだ。
言葉の選択をミスしたのも、そのためである。
己の言動を反省しつつ、これからもご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします、と休憩の終わりを促したところで、ヘルミーネは困惑した顔で不吉な言葉を吐いた。
「……完全に、エセルバート様に気に入られたと思って間違いありませんね」
「え? なんでですか?」
普通に考えたら、少し生意気な子どものたわ言である。
国王という立場にいた人間が、気にかけるような言葉ではないはずだ。
「現国王陛下のお耳にまで入ったら、次期国王の后に、と望まれるかもしれません」
「なんですか、それは。無理ですよ。わたしはただの平民の子どもです」
不吉すぎる言葉を紡ぐヘルミーネが怖すぎる。
私は平民として、穏やかに、のんびりと暮らしていきたいのだ。
貴族の親族も、王族の嫁もお断りである。
「王など民の奴隷である、というのは、エセルバート様と現国王であらせられるクリストフ様の信念です。クリストフ様のお子に同じ信念の方がいらっしゃらないため、現在の我が国に『次期国王』と定められた方はおりません」
王族には癖の強いものが多い、という自覚があるらしい。
ならば自分と似た性質の者にあとを継がせれば、民を第一に考える王になるだろう、と王爵たちから後継者を選別しているのだとか。
残念ながら、現国王と前国王と似た性質の王爵は今のところいないようだ。
「……王爵の中に適格者いないのなら、その伴侶にこの性質を求めれば良い、とあの方々なら考えるかもしれません」
同じ信念を持つ私を伴侶に据えれば、王の横である程度の操作はできるだろう、と。
王の妻に政治へと関わる力はないが、王の隣に並ぶ者なのだから、その思考に影響を与えることは可能だ。
多少不安の残る次期国王であっても、信頼できる后を隣に置けば問題ない。
そう考えるかもしれない、とヘルミーネは言う。
「そんな大それた意味で言ったわけではありません、先生。本当に、敬う気になれない王族を敬う気はないとか、王族だからって民を蔑ろにするな、ってぐらいの意味で言っただけで……」
「それを相手が王族と知っていて言える人間、というのがそもそも貴重なのです」
上位者だから下位の者をどう扱っても仕方がない、と諦めるのが普通の平民らしい。
ディートフリートがあの時点で王族だなんて実感できなかったからこそ言えたことだったが、どうやら本当にこれ以上近づかないようにした方がよさそうだ。
「貴女は貴族に戻りたいとは思っていないようですが、むいていると私は思いますよ」
私なら下位の者を蔑ろにはしないだろう、とヘルミーネは静かに微笑む。
ヘルミーネからの信頼はくすぐったく、嬉しいのだが、私には一つ明確な将来の目標ができた。
「……判りました。レオが引退して功爵になる前に、平民で素敵な旦那様を見つけます」
「それは、まずお兄様が納得する相手を見つけるのが大変そうですね」
妹を溺愛中のレオナルドが、その妹が苦労するとわかる相手に嫁がせるわけがない。
最低限として自分と同じか、それ以上の経済力がある男を望みそうだし、武力においても同じことだろう。
すべてにおいて自分以上を相手に求めるはずだ。
私もそう思います、とヘルミーネの言葉に苦笑いを浮かべながら相槌をうったところで、今度こそ休憩時間が終わった。
ラガレットの街で終わらせる予定だったのだが、ディートフリートに遊び相手をさせられたり、誘拐されたりといろいろあって、オレリアに贈る予定の刺繍は遅れていた。
それでも期日のある作業ではないので、慌てる必要はなにもない。
自由時間に居間の暖炉の前でのんびり刺繍をしていると、カリーサが私に来客だと呼びに来た。
来客はすでに応接室へと案内されているらしく、私が案内されたのも応接室だ。
「あれ? お客様って、ニルスですか?」
扉の向こうにいた人物は、よく知る顔のニルスと、こちらもどこかで会った気がする黒髪の女性だった。
……えっと? 誰だっけ?
どこかで会った顔であることは判るのだが、すぐに誰かが思いだせない。
眉をひそめて考え始めた私に、ニルスは改めて女性を私へと紹介してくれた。
「メンヒシュミ教会で民間伝承を研究しているアラベラさんです」
「お嬢様とは秋のはじめにメンヒシュミ教会で会ってるけど、忘れちゃった?」
茶目っ気たっぷりにウインクをされて、ようやく記憶にある顔と目の前の女性が重なる。
メンヒシュミ教会で会った時はラフな格好をしていたが、今日は城主の館訪問ということで、身奇麗に整えられた格好をしていた。
それですぐに判らなかったのだろう。
「ええっと……テオのせいで授業が受けられなくて、暇をしてる時に図書室に入れてくれたお姉さんですね」
「そうそう、あの時のお姉さんよ」
お姉さん、という言葉を強調したアラベラは、実は年齢を気にする微妙なお年頃なのかもしれない。
まずは先にニルスの用件を済ませましょう、と椅子をすすめられた。
「それで、ニルスの用件ってなんですか?」
「以前ティナお嬢さんが探していた『イツラテルの騎士』六巻、および戦中・戦後の事務処理の停滞により献本の遅れていた本を全部で二十七冊、改めてお届けにまいりました」
確認をして受け取ってほしい、と言われたのでバルトを呼ぶ。
レオナルドが不在の時は私がこの館の主とはいえ、まだ私は子どもだ。
確認や責任が生じる事柄には、大人を交えた方がいいだろう。
「……目録どおり、全二十七冊。確かにお受け取りいたしました」
あとは自分が書斎に片付けておく、と言って箱をバルトが持っていく。
これでニルスの用事は終了である。
「それで、アラベラさんはレオにどんなご用ですか?」
「うん? 用があるのは騎士団長様じゃないよ」
「違うんですか?」
はて、では何の用事で城主の館になど来たのだろう、と首を傾げる。
城主の館はほぼ街の端に位置していた。
中央近くにあるメンヒシュミ教会から、ちょっとした散歩で歩いてくるような距離ではないはずだ。
「……まずは、お嬢様の無事の帰還をお喜び申し上げます」
「マンデーズに行っていたの、知ってたんですか?」
無事の帰還、ということは、ラガレットで誘拐されたことでも知っているのだろうか。
姿勢を正していかにも大人のお姉さん、といった風情で椅子に座っていたアラベラだったのだが、マンデーズという名前に形相が変わった。
「お嬢様は精霊に攫われてマンデーズの街へ行っていたんですか!?」
くわっと突然身を乗り出してきたアラベラに、カリーサが動く。
サッと私の横へと来たかと思ったら、私を抱き寄せてアラベラから距離を取った。
そうこうしている間に、アラベラもニルスに抑えられる。
座り直すように、とニルスが懸命にアラベラの腕を引っ張っていた。
「アラベラさん、落ち着いてください。お嬢さんが怖がっています」
「これが落ち着いていられるか! グルノールの街からマンデーズの街までどれぐらい距離があると思っているんだ、ニルス君!? それでなくとも普通は自分の家の暖炉に戻ってくるはずなのに!」
こんな事例は聞いたことがない、と力いっぱい叫んだあと、アラベラは正気を取り戻したようだ。
ポスっと椅子に座り直すと、直前までの取り乱しようが嘘のように鳴りを潜め、素知らぬ顔で優雅に微笑む。
「……今年の神王祭は、砦の主の妹が攫われたと、大騒ぎだったよ」
ヘルミーネや街の住人が街中を捜し回り、黒騎士は城門などの要所を固めて検問などをしてくれていたらしい。
朝日が昇っても私が見つからず、また日が沈んでも見つからず、とにかく街中が大騒ぎだったそうだ。
「それは……本当に、ご迷惑をおかけしました……」
穴があったら入りたい。
あの時はなんだかとにかくレオナルドに会いたくなって、レオナルドのところに戻ろうと思ったのだ。
……お父さんとお母さんも、止めてくれたのにね。
そんなに迷惑をかけていたのなら、素直にグルノールの街へ帰ればよかった、と自然に考えたところでふと気がつく。
……あれ? 私って、自分の意思で帰る場所選んだの?
レオナルドたちが『精霊に攫われた』と言うので、そういう物なのだろうと受け止めていたが、細かく思いだそうとすると、あの時のことは何も思いだせない。
そのくせ、今日のように不意に浮かんできたりはするのだ。
思いだせないだけで、忘れたわけではないのだろう。
「あとでお詫びとお礼にいかなきゃですね。黒騎士には一人ひとりにハグでもすればお礼になるでしょうか」
黒騎士はとりあえずいい。
彼らの拠点はグルノール砦なので、お隣さんだ。
全員にお礼を言う必要があるとしても、一箇所に集まっているのでお礼を言うのは可能である。
問題は、私の捜索を手伝ってくれたという街の住民だ。
誰がどこまで捜索に参加してくれたのかがわからないので、お礼を言って回るにしても限界がある。
「追想祭で働いて返せばいいと思うよ」
「追想祭で働く、ですか?」
住民にはどうお礼をすればいいのだろうか。
それをアラベラに聞いてみたところ、にんまりと悪い笑みを浮かべて労働を提案された。
「わたしにお手伝いできることって、ありますか?」
「あるある! ってか、今日来たのはそのお願いのためだし?」
「お願い?」
なんですか、と聞き返すと、アラベラは姿勢を正した。
このアラベラという女性は、素は男の子のような口調で、でも改まった話をする時には姿勢を正す癖があるらしい。
「今回の騒動でお嬢様の捜索に我がメンヒシュミ教会の秘蔵する『精霊の寵児』を貸し出した代償として、お嬢様には同じ『精霊の寵児』として追想祭にて精霊の目となり、耳となってほしい」
「せいれいのちょうじ……ですか?」
文字だけ考えるのなら、なんとなく意味はわかる。
転生者はその来歴を理由に、精霊に嫌われない。
そのため、精霊はたまに転生者へと幸運を授けるようなことを、どこかで誰かに聞いたことがある。
それのことをアラベラは言っているのだろう。
……え? なんでアラベラさんは私が転生者って知ってるの?
どこで秘密がばれたのか、と内心で冷や汗をかいたのだが、どうやら私の早とちりらしい。
精霊の寵児とは、そのまま精霊の寵愛を受ける子どもというだけの意味だったようだ。
私の場合は精霊に攫われたので、精霊が攫うほどに寵愛している、と判断されたのだとか。
それだけの理由だった。
「追想祭で働けって言っても、もともと精霊の寵児の責務みたいなものだしね。堅苦しく考えることはないよ。ただ用意された席に座って、一日追想祭に参加するだけでいい」
「本当に一日中座っているだけだから、難しく考えることはありませんよ」
長時間座ることを考えて、水分補給や日よけの準備はされている、と太鼓判を押したニルスに少し違和感を覚える。
言い方に妙な実感がこもっている気がした。
じっとニルスを見上げると、ニルスも私が疑問に思っていると気がついたらしい。
少しだけ気恥ずかしそうな顔をして、毎年自分が行っている仕事だ、と教えてくれた。
「ニルスって、転生者だったんですか!?」
思わず口から出してしまった言葉に、慌てて口を塞ぐ。
今、とんでもなく不味い発言をしてしまった。
「転生者!? どっから転生者なんて単語が……っ!?」
ポカンっと口を開けているニルスと、ギラギラと目を輝かせたアラベラは実に対照的だ。
おっとりと瞬いているニルスの横で、興奮状態にあると判るアラベラが私へと手を伸ばしてきた。
反射的にカリーサの胸へと顔を埋めて隠れる。
「お嬢様、転生者って、今何処からでてきました!? 精霊の寵児と転生者にどんなかかわりが……」
「知りませんっ! 覚えてません! あの人が言ってました!」
アラベラのあまりの剣幕に、カリーサの胸に顔を埋めたまま覚えている限りの話をしてしまった。
不思議な世界で出会った青年が、精霊はこの世界の人間を嫌っている。
その代わり、他所から連れてきた魂は嫌いではないので、気まぐれに手を貸すことがある、と。
つまりは、精霊に加護を与えられるような人間は、もともと異世界の人間であった可能性がある、とも。
「あの人! つまり、人間! 精霊と一緒にいられる人間だなんて、それはつまり古の慙愧祭の主役■■■■■!!」
……あれ?
興奮気味のアラベラの口から聞こえた言葉が、一瞬だけ聞き取れなかった。
恐るおそるカリーサの胸から顔を出し、アラベラを見上げる。
先ほどまでは私に掴みかからんばかりの勢いで叫んでいたアラベラは、今は天を仰いでいた。
相変わらず早口で何らかの憶測や仮説を語っているのだが、時折どうしても聞き取れない言葉が混ざる。
前後の文脈から推察するに、それはどうやら人の名前のようだ。
「アラベラさんは、誰のコトを言っているんですか?」
すでに自分の世界に入ってしまっているアラベラから説明を受けることは早々に諦め、慣れているのか困った笑顔を浮かべているだけのニルスにこっそりと聞いてみた。
私の質問に、ニルスはさらに困ったような顔をする。
「アラベラさんの言っている方の名前は、僕にも聞き取れないんです」
「僕『にも』ですか?」
なんだか不思議な物言いをするな、と思ったところで急に辺りが静かになった。
それまで騒音を発していた人物に二人揃って顔を向けると、アラベラは今までの興奮が嘘のように静かな表情で寂しそうに笑っている。
「それが精霊の寵児の特徴の一つサ。愛しい子にはなにも知らせたくないのか、精霊は■■■■■の名前を寵児の耳には決して入れないようにする」
文字で書いて教えようとしてもダメだった、と言われると、思い当たることがあった。
ラガレットの画廊で、不自然に塗りつぶされたかのようなタイトルの絵があったはずだ。
あの絵画のタイトルは、私には読むことができなかったが、カリーサは普通に読めていた気がする。
「メンヒシュミ教会は知の探究者の集う場所。特に私が知りたいのは、かつて世界になにが起こったのか。その真実を知りたい」
精霊の寵児は、精霊を味方につけ、加護を持たないものとは見ることのできる世界の広さが違う、とアラベラは語った。
自分には精霊の加護がないため、調べられることにも限界があるのだ、と。
なにか他に思いだしたことがあれば、いつでも聞かせてほしい。
そう言って、燃え尽きたようにアラベラはおとなしく帰っていった。
時間切れ。予定したところまで行けませんでした。
誤字脱字はまた後日。
誤字脱字、見つけたものは修正しました。




