閑話:カリーサ視点 誘拐されたお嬢様 2
情報が入ってくるのならば、とレオナルドは応接室に留まった。
改めて残された手紙を読む手が震えているが、これは怒りによるものだとわかる。
誘拐犯へはもちろんのこと、子どもたちを囮につかった大人たちへの怒りだろう。
「……差出人の名前が」
「それは随分とのん気な誘拐犯じゃの。……どこの痴れ者がヘルケイレスからイツラテルの馬銜を盗んだのじゃ」
エセルバート様に問われたレオナルドは、手紙を丸ごと老人へと差し出す。
中を見られても良い、隠すような内容ではない、ということだろう。
ちなみに『ヘルケイレスからイツラテルの馬銜を盗む』とは、強者の怒りを故意に買うことを言う。
軍神ヘルケイレスとイツラテルは兄妹神であり、とても仲が良い。
その妹神から贈られた馬銜を、ヘルケイレスは自身の軍馬に用いて愛用している。
そんなヘルケイレスの宝ともいうべき馬銜を盗み出すともなれば、軍神の怒りに触れることは火を見るより明らかだろう。
「ウィリアム……たしか、どこぞの第三王子の腰巾着にそのような名の者がいた気がするの」
「第三王子というと……コンラッド王子か。五年前の敗戦で失脚に追い込まれ、今はアルスター城に居ると聞くが」
「それでこの要求か」
そろそろ私も手紙の内容が気になってきたのだが、エセルバート様の読み終えた手紙はジェミヤンの手へと渡り、その従者の手をへて返却される。
レオナルドからは空の封筒が差し出されたので、手紙を封筒へと戻しつつ、素早く内容に目を通した。
いかにも貴族然とした気取った文体で書かれた長ったらしい手紙は、要点だけを抜き出すのなら「妹は預かった」「返してほしければ国を捨て、コンラッド王子に仕えよ」となる。
他にもコンラッド王子の素晴らしい人柄や自国の良いところ、主をかえたあとの待遇などが書かれているが、そんなことはどうでもいい。
……この手紙を信じるのなら、お嬢様はご無事ですね。
あくまで今のところ、ではあるが。
レオナルドを引き抜きたいと言うのなら、不用意にレオナルドの機嫌を損ねる真似はしないだろう。
……お嬢様を誘拐した時点で終わっている気もしますが。
すでに目を合わせることすら恐ろしい形相になっている主に、手紙の差出人の冥福を祈る。
レオナルドが無事にお嬢様を取り戻した暁には、二度と祖国の土を踏めなくなることだろう。
戦に関係する神々は他にもいるが、主が化身とまで謳われる軍神ヘルケイレスは強さもさることながら戦禍や戦渦を司っている。
かの神が暴れた大地は雑草すら生えない荒野になると言われているように、レオナルドと対峙した敵兵にもあらゆる意味で未来はないと言われていた。
多くは死に、運よく逃げ帰っても二度と戦場に立とうだなどと思えなくなるのだとか。
ただの噂ではあるのだが、五年前にレオナルドと対峙して逃げ延びた隣国の王子は、レオナルドと二度と戦場で再会したくないがないために王位争いから遠ざかることを選んだとの話もあった。
……勇将と評判のレオナルド様を配下に引き入れて、王位争いへの復帰を狙っているのかもしれませんね。
いずれにせよ、迷惑な話だ。
お嬢様にはなんの関係もない理由で、誘拐されたことになる。
「それにしても、脅迫状に記名をするというのも信じられんが、子どもの仮装を解くというのも、信じられん所業じゃな」
ふにふにと手触りのよい猫の耳を模した髪飾りを弄び、エセルバート様がしみじみとつぶやく。
春華祭を迎えてもいない冬のこの時期に、獣の仮装をした子どもから仮装を取るとは、良識がないにも程がある、と。
……誘拐犯に良識を問うのは間違いかもしれませんが。
「そういえば、あの子は猫の仮装をしていたな。知人に精霊に攫われた子でもおるのか?」
「いえ、ティナ自身がこの冬に精霊に攫われ、暖炉から戻ってきた子どもです」
それがどうかしたのか、と言いかけて、レオナルドは口を閉ざす。
精霊に攫われた子どもの迷信に関するいくつかを思いだしたのかもしれない。
「あのお嬢さんが精霊の寵児だというのなら、少しは安心できるじゃろ」
間抜けな誘拐犯は、わざわざ精霊に対する目隠しを取ってくれたのだ。
精霊に愛される者には、いくつかの特徴がある。
その中の一つに、恐ろしくツキがある、というものがあった。
ありとあらゆる幸運が――誘拐犯にとっては不運が――お嬢様の身を守ることになるだろう。
普段であれば迷信に縋るようなことなどしないのだが、事実としてお嬢様はグルノールの街から一晩でマンデーズの街へとやって来るという不思議な現象を起こしている。
ことお嬢様に関してのみならば、不確かな迷信を頼るのもいいかもしれない。
……人の気配?
気配を感じ、天井を見上げる。
レオナルドも同じ気配に気がついたようで、天井を睨みつけていた。
「……ご隠居、少女を乗せた馬車が動き始めました」
エセルバートの配下によりもたらされた情報に、子どもを囮に使うことを計画した大人たちの行動は早かった。
もとより、ラガレットの街中で誘拐騒ぎを起された、と面子を潰された領主がやる気に満ちているので馬車の用意をするのも簡単だ。
足の早い馬と軽い馬車を用意している間に、レオナルドは一度宿泊施設へと戻って簡易の鎧を身につけてきた。
さすがに戦へ出る時のような重装備は荷物として持ち運んではいなかったが、最低限の装備は騎士として用意している。
日が沈み始め、ラガレットの城門の閉門時間が近づいた頃、薄闇の中からオキンと名乗る女が現れた。
「少女を乗せた黒塗りの馬車が、この先の山道で車輪が外れて立ち往生しております」
馬車の車輪が外れている、と聞いて少し安心する。
精霊の寵児など、本当に迷信だとしか思っていなかったのだが、これほどまでにはっきりとした加護が感じられるとは思いもしなかった。
「精霊の加護は効果覿面じゃな」
「迷信を軽んじ、精霊の寵児から仮装を外すようなうつけで助かった」
「精霊の寵児は、昔から我が国に多いからの。隣国の者ともなれば、ただの迷信と軽んじる者もおるじゃろ」
用意した馬車に乗り込むのはエセルバート様と私になる。
領主は帰還が深夜になっても城門を開けるように待機し、レオナルドとオキンは馬で馬車に併走することになっていた。
とっぷりと完全に日が沈み、闇に包まれた山道を馬車と馬がひた走る。
馬車の中からは外が見えないため、気ばかりが急く。
なんとか気を落ち着かせようと、無駄にエセルバート様の世話を焼いてしまった。
無事にお嬢様を取り戻せれば、ここはお嬢様をお迎えする馬車になる。
室内の温度やクッションの準備も入念に行なった。
そうこうしているうちに馬車が止まり、外からヤハチと名乗る男の声が聞こえてくる。
「お嬢さんを乗せた馬車はこの先です。これ以上は馬車で近づけば気づかれるので、ご隠居はこちらでお待ちください」
「うむ、気をつけてな」
「はい」
馬車から遠ざかる人の気配に、慌てて馬車を降りて追いかける。
オキンには馬車に残るようにと言われたが、断固拒否した。
お嬢様をお迎えにいくのだ。
世話係の私が行かないでどうするのだ、と。
月明かりを頼りに進み、先行していたレオナルドたちに追いつくと、すぐに影へと身を潜めた。
レオナルドたちの視線の先は、焚き火がついているため誘拐犯たちの様子が丸見えになっている。
……お嬢様は、馬車の中?
車輪の周囲で作業をしているのは判るのだが、お嬢様の小さな姿はどこにも見えなかった。
「犯人は全部で五人。お嬢さんの見張りが一人馬車の中にいます」
さて、どう攻めたものか。
大切なお嬢様が人質に取られている以上、正面から突撃することはできない。
油断して犯人たちが眠るのを待つか、見張りの数が減った時を狙うのか。
……あれ?
お嬢様の見張りは一人と聞いていたのだが、馬車の中から男が一人出てきた。
焚き火と車輪の周囲にいた男の数は四人。
合わせれば全部で五人の犯人が、馬車の外へと出ていることになる。
馬車の中には今、お嬢様しかいない。
昨日書ききれなかった分なので、今日は短いです。
次は怒れるレオナルドの猛攻かもしれません。
誤字脱字はまた後日。
誤字脱字、見つけたものは修正しました。




