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グルノールの転生少女 ~ないない尽くしの異世界転生~  作者: ありの みえ
第5章 再会と別離

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ラガレットの支配者

 朝食に用意されたクロワッサンサンドを美味しくいただく。

 私から見れば三日月クロワッサンとつい考えてしまうのだが、この世界では三日月ナッサヲルクという名前らしい。

 内心はともあれ、口に出す時には『クロワッサン』と呼ばないように注意が必要だ。


 ……ナッサヲルク、ナッサヲルク……よし、覚えた。


 クロワッサンサンド改め、ナッサヲルクサンドを美味しく頬張る。

 小さめのパンにそれぞれ卵、ローストビーフ、チーズと野菜が挟まれていた。

 サンドイッチは玉子サンドが一番好きだが、ローストビーフの挟まったナッサヲルクもなかなか美味しい。

 温かいポタージュスープは手が込んでいて美味しいのだが、具らしい具がなくて少し寂しかった。


 ……ちょっとレオの作ったゴロゴロ野菜のスープが懐かしいね。


 レオナルドの作る野菜スープなど、オレリアの家を出てから一度も食べてはいないが。

 一時期は毎食のように食べていたので、少し懐かしい。

 レオナルドの料理は大雑把な性格もあるが、歯ごたえを求めるのか具が大きい。

 私が食べるには少し大きすぎて苦手なのだが、あれはあれでおもむきがあった気がする。


 ……さて、今日はどこに逃げようかな。


 どうせ部屋に篭っていても邪魔が入って刺繍はできないのだ。

 だとしたら、はじめから出かけてしまった方が諦めはつく。


 ……でも、シードルさんの教えてくれた甘味屋は口に合わなかったしねぇ?


 女性と子どもだけで行ける治安の良い場所、というところがお勧めされたポイントなのかもしれないが、口に合わないのならそう何度も行きたい店ではない。

 とはいえ、お勧めされた店は一箇所ではないので、他を回ってみるのもいいかもしれなかった。


 ……お勧めしてくれたのって、甘味屋と商店と、あとどこだっけ……?


 甘味屋はおやつの時間にでも行くとして、あとは商店と観光地だ。

 有名な彫刻家の作品が飾られた広場の噴水だとか、王都に並ぶ規模だというラガレットのメンヒシュミ教会だとか、見所は多い。

 どこへ逃げようか考えていると、カリーサが大通りの画廊はどうか、と教えてくれた。


「画廊、ですか?」


「……昨日、馬車の中から見えました。支配人の確認もとってあります」


 大通りに面した画廊は人通りも多く、入り口も大きく開かれているため私が出かけていっても安全であろう、とシードルの太鼓判をもらったらしい。

 ただ、私が画廊のような場所へ行って楽しめるとは思わなかったので、最初はお勧めしなかったのだとか。

 落ち着きのない子どもから逃げるという意味で行くのなら、最高にお勧めの場所だとも言われたらしい。

 画廊で騒ぐ子どもなど、すぐに画廊の人間につまみ出されるだろう、と。


「面白そうですね。行ってみましょう」


 画廊ということは、出先は室内である。

 そして絵画などさまざまな芸術品を観賞することができるのだろう。

 絵画を買うような財力はないので、ただの冷やかしにしかならないのは申し訳ないが、画廊を訪れる人間すべてが絵を買うはずはないので、私もその中の一人というだけだ。

 なによりも、騒ぐ子どもは自動的に排除してくれるというのが素晴らしい。







 昨日の失敗を活かして、今日は馬車の準備ができるギリギリまで部屋で過ごした。

 部屋の中で御者役の黒騎士が呼びに来るのを待ち、こっそりと宿泊施設ホテルから脱出をする。

 なぜただ出かけるだけでこんなにも気を使わなければならないのか、とは思うが、少し楽しくもなってきたのでよしとした。

 何はともあれ、今日は無事ディートから逃れることが出来たのだ。


 静かに揺れる馬車の中から街並みを観察する。

 規模が違うこともあるだろうが、街の様子がグルノールとはまるで違う。

 街角に立つ兵士や黒騎士の姿は見えないが、その代わりのように護衛を連れた人間がいる。

 おそらくは富裕層に属する人間なのだろう。

 グルノールでは富裕層の多い場所が私の行動範囲であったが、グルノールよりも富裕層に属する人間が多いように見える。

 良い服と言えばいいのか、独特なセンスの持ち主の姿が多い。


 ……これなら私の猫耳ぐらい、誰もなんとも思いませんね。


 今日もやはり付けられている猫耳を何気なく触っているうちに、目的の画廊へと到着した。

 御者のエスコートで馬車のステップを降り、改めて画廊を見上げる。

 画廊というと、なんとなく前世で見たビルの一室を借りて絵画などを売っている場所、というイメージがあったのだが、まるで違う。

 ビルの一室どころか、二階建ての立派な建物が丸ごと画廊として開放されていた。

 印象的には美術館といった感じだ。

 画廊の持ち主に気に入られた芸術家たちの作品のみが並べられ、作品の販売や芸術家と賛助者パトロンの仲介を行って新たな作品が生み出される背中を押すのが目的だとかなんとかカリーサが説明してくれた。


 ……うん、本来なら私みたいな子どもが来るとこじゃない、ってことは解った。


 特に芸術に理解があるわけでも、興味があるわけでもないのだ。

 少しだけ芸術家たちに申し訳なくなって、せめて本来の目的で画廊を訪れている人間の邪魔にならないよう隅を歩くことにした。


 ……流行とか、お決まりの画法とか、ないっぽい?


 それとも作品を置く芸術家を選ぶ、画廊の持ち主の趣味が多岐に渡っているのだろうか。

 風景画や人物画、抽象画といったさまざまな絵画が、油絵、水彩画問わず、実に自由なタッチで描かれていた。

 そして、飾られているのは絵画だけではない。

 彫刻のような大きな立像や、盆栽のような小さな箱庭といった、本当にいろいろな作品がある。


 ……うわ、すごいっ!


 冷やかし気分で来ただけの画廊だったが、刺繍で描かれた一枚の風景画に思わず足を止めてしまった。


 ……大きいっ! 綺麗っ!


 圧巻の大きさに、どれだけの時間がかかっているのか、複雑な色使いに一体何色の糸が使われているのか。

 そんな瑣末な感想がポツポツと胸の中に積みあがっていく。

 一切の乱れがない糸の流れに、これを縫い上げた作家の情熱と根気には脱帽するしかない。

 思わず触りたくなる見事な糸の流れに、うっかり触るなんて真似をしないようギュッと両手を握りしめた。


「……気にいったのなら、買いますか?」


 じっと一点を見つめていたら、カリーサにこんなことを言われてしまった。

 魅力的な提案ではあったが、慌てて首を振る。

 買うにしても、私の稼いだお金ではない。

 芸術作品の値段など私には想像もできなかったし、その想像もできない金額をレオナルドに払わせるのは気が引けるなんてものではなかった。


 ……それに、どうせお金を出してもらうんなら、材料費の方がいいです。


 刺繍は楽しいので、せっかくならば材料を買ってもらって、自分で縫いたい気がする。

 さすがに、画廊に飾られるほど素晴らしい絵画を自分が縫えるだなんて思わないが、趣味の範囲でなら自分で作りたがってもいいだろう。


 これ以上同じ作品を見ていたらレオナルドの耳に入れられる、とカリーサの手を引いて移動する。

 後ろ髪を引かれる思いはあったが、他の絵画を見ているうちに刺繍作品のことは頭から消えた。


 ……あれ?


 何気なく見ていた絵画の一つに、ふと既視感デジャブを覚えて立ち止まる。

 改めて絵画を見つめると、なんとも不気味な雰囲気の絵だった。

 炎の中に立つ鎖で雁字搦めになった男が髪を血で赤黒く染め、血の涙を流し、苦悶の表情で胸を掻き毟っている一場面の絵だ。


 ……誰だっけ? この男の人、どこかで逢ったような……?


 不気味な雰囲気に早くこの絵の前を通り過ぎたいとは思うのだが、足が縫い止められたように動かない。

 誰に似ているのかが思いだせれば気が済むだろうか、と絵の中の男に似た顔を記憶の中から探すのだが、なかなか一致する顔が出てこなかった。

 何かヒントはないだろうか、と絵のタイトルへと視線を落とす。


 ……なんて書いてあるの?


 確かにタイトルが書かれていると判るのだが、文字を読み取ることが出来ない。

 無理矢理に理解するのなら、■■■■■といったところだろうか。

 文字があると認識はできるのだが、伏字ふせじか塗りつぶした文字のように読み取ることは不可能だった。


 ……伏字のタイトルまでが作品なの?


 どうにも気になって、小さな声で隣のカリーサに聞いてみた。


「なんて書いてあるんですか?」


「神話を題材にしたのでしょう。これは――」


 腰をかがめてカリーサがタイトルを読もうとしてくれたのだが、横から中年男性に声をかけられたせいで聞き取れなかった。


「お嬢さんはその絵が気に入ったのかな?」


「ええっと……? そうですね、すごいなぁって思います」


 まさか気味が悪くて気持ち悪いだなどと、正直に答えるわけにはいかないだろう。

 当たり障りのない返事をして、突然話しかけてきた中年紳士へと視線を移した。


 身なりの良い男性だ。

 画廊で絵を売っている画家が自作の売り込みに来たのかとも思ったが、画家というよりは賛助者側に立つ人間に見える。


「この画家の絵に興味があるようだったら、私の屋敷においで。彼の絵がたくさんあるよ」


「せっかくのお誘いですが、知らない人のお誘いは受けれません」


 不審者のお手本のような台詞だったが、カリーサは特に警戒していない。

 身なりの良い男性なので、本当の意味で警戒が必要な不審人物ではないのだろう。

 それが判ったので、私ものびのびと子どもらしい返答でお断りしてみた。


「知らない人か。確かにそのとおりだね」


 そう言うと、紳士は背筋を伸ばして姿勢を正し、一礼する。


「ジェミヤン・マルコフ。お嬢さんのことは、娘のバシリアから聞いているよ」


「バシリアちゃんのお父様でしたか。はじめまして、ティナです」


 相手が名乗ってくれたので私も名乗ったのだが、カリーサがこっそり「ジェミヤン・マルコフとはラガレットの支配者の名前です」と耳打ちしてくれた。

 ラガレットは領主が支配する街だと事前に聞いていたので、その支配者となるとジェミヤンが領主ということになる。

 つまり、貴族だ。

 そしてイコールで結ぶのなら、昨日泣かせたバシリアもまた貴族だった、ということになる。


 ……私、貴族のご令嬢を泣かせちゃったのか。


 少しだけまずかったか、とは思ったが、今さらだ。

 貴族を泣かせたという意味では、王子様まで泣かせているので、本当に今さらだろう。


 ……あう。レオになんて報告しよう。


 そんな今さらなことで頭を悩ませていると、ジェミヤンはもう一度私を屋敷へと誘ってきた。


 ……なんだろうね? 私を二度も誘う理由って。


 貴族と聞けば返答には気を使った方がいいのかもしれないが、保護者レオナルドの知らないところで面倒事きぞくには近づかない方がいいだろう。

 ちょっと困った顔を作り、ジェミヤンの二度目の誘いを断った。


「留守中の兄の言いつけを守って行動していますので、兄の知らない方のお屋敷には遊びに行けません」


 バシリアが自分の留守中に知らない人間の屋敷へ遊びに行くようなことがあれば心配をするだろう、と相手が否定しづらい例をあげる。

 娘を持つ父親であれば、これに否とは言えまい。

 狙い通り、ジェミヤンも一応は納得をした。


「ふむ、……よく躾けられている」


 手入れのされた顎鬚あごひげを撫でながら、ジェミヤンが青い目を細めて私の顔を見下ろす。

 ジェミヤンの顔には見覚えがなかったのだが、黒い髪と青い瞳に、先ほどまで見覚えがある気がしていた絵の中の男をどこで見かけたのかを思いだした。

 彼の髪は黒く、片目はとても綺麗な蒼だ。


 ……神王祭の夜に、いろいろお話してくれた人。


 名前は聞いていない。

 たまたま知り合って、少し話した程度の人間だ。

 お互いに名乗りあうような間柄ではなかった。


 ……あれ? どこで会ったんだっけ?


 誰に似ているのかは思いだせたが、どこで会ったのかは思いだせない。

 それどころか、思いだそうとすればするほど確信していたものが曖昧なものになって霧散していく。

 遠のく記憶を引きとめようと試みるのだが、ジェミヤンの声に思考を中断されてしまった。


「……宿泊施設ホテル暮らしは退屈ではないかい?」


 ……なんでホテル住まいだって……あ、バシリアちゃんから聞いた?


「私はお嬢さんのお兄さんの知り合いでね。レオナルドの大切な妹を宿泊施設に一人で置いておくのは警備の面で心配でならない。そこでどうだろう。是非ともお嬢さんを我が家へ招待したいと思うのだが……」


「私としては、お断りしているのに何度も誘ってくる知らない大人自体怪しいと思います」


 こう何度も誘われれば、本当に親切心からの発言であったとしても疑いたくなると言うものだ。

 レオナルドの知人である、というのも怪しい。

 本当にレオナルドの妹を気にかけてくれるような人物がこの街にいるのなら、レオナルドは最初からそこへ私を預けるか、そういう人間がいることを教えてから出かけているはずだ。


 数歩離れて距離を取った私に、ジェミヤンは苦笑いを浮かべる。

 レオナルドの妹という触れ込みのわりには利口である、と。


 何か困ったことがあったら遠慮なく屋敷においで、と言ってジェミヤンは去っていった。

 しつこく屋敷へと誘われはしたが、身分をかざして無理矢理連れ去るような真似はしないらしい。

 ジェミヤンの話は、どこからどこまで信じていいものか、今の私には判らなかった。

年内にグルノールへ帰りたい(希望)

余裕を持って隔日更新にしたのに大掃除終わらない(現実)


誤字脱字はまた後日……

誤字脱字、見つけた所は修正しました。

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