大都市ラガレット
「けっこう揺れるね」
街の整えられた石畳がなくなった途端、馬車の車輪はガタガタと揺れる。
前に一度乗った馬車はグルノールの街の中を移動しただけだったので、石畳の上しか移動していない。
あの時に揺れが気にならなかったのは、石畳のおかげだったのだろう。
……まあ、アスファルトで舗装された道路なんて、あるわけないしね。
ガタガタと揺れる馬車も、一時間もすれば慣れた。
暇つぶし用に、と荷台ではなく馬車の中へと積み込んだ刺繍道具を取り出し、オレリアに贈る予定の刺繍を進める。
アルフとヘルミーネお勧めの図案が華やかな花束だったので、色鮮やかになって刺繍をする私は楽しいのだが、はたしてオレリアはこれを受け取ってくれるのだろうか。
……ちょっと派手な気がするけど、オレリアさんは可愛いもの好きっぽいし、大丈夫かな?
手を止めて出来上がりを確認していると、向かいに座るレオナルドが手元を覗き込んできた。
「だいぶ進んだな」
「マンデーズの館は、お勉強の時間がなかったですからね」
基本的にはカリーサと盤上遊戯で遊ぶか、書斎の本を読むか、刺繍をして過ごすしかなかった。
おかげで随分と刺繍が捗っている。
もしかしたら、次に手紙を送る時にでも同封することができるかもしれない。
そんなことを考えながら作業に戻ろうとしたら、レオナルドが小さな声でつぶやいた。
「……俺のは?」
一瞬なんのことか、と瞬いてしまったのは仕方がないと思う。
レオナルドの刺繍といえば、あれだ。
春華祭におろすシャツの袖へ刺繍を入れる、という話についてだろう。
「レオのはもう終わってますよ」
神王祭の前に完成し、仕立屋へと布を届けてある。
そう説明すると、レオナルドは満足気に笑った。
目の前で私がずっとオレリアに贈る刺繍ばかりをしていたので、気になっていたのかもしれない。
……オレリアさんにヤキモチですか? レオのが終わってなかったら、ヘルミーネ先生はレオの袖に使う布を送ってくれたと思いますよ。
ヘルミーネならば、そのぐらいの気配りは当たり前にしてくれる。
レオナルドが心配をするようなことは何もなかった。
心配性のお兄ちゃんめ、と内心でくすぐったく思いながら、刺繍を再開した。
馬車での旅は、想像していたよりも快適だった。
馬車という箱の中に入るのだから、雨風が防げて外より多少寒さがましになるだけなのだろう、となんとなく思っていたのだが、まるで違う。
小さな薪ストーブが用意されているため暖が取れるし、体の大きなレオナルドは少し狭そうにしていたが、座席へと横になって眠れば足も伸ばせる。
護衛や御者の休憩スペースとは部屋が区切られていたし、カリーサが美味しい料理を作ってくれるので、いつかのように野菜スープのヘビロテに陥ることもなかった。
……馬より日数はどうしてもかかるけど、これはいいね。快適だ。
薪ストーブでカリーサが焼いてくれたクッキーを美味しくいただきつつ、六日目の昼に大都市ラガレットへと到着した。
「揺れなくなったね」
「ラガレットは大きな街だからな。街に入る前から、道が整備されていて馬車が通りやすい」
一番近くの村まで石畳が続いている、なんてことはなかったが、丁寧に小石や雑草の抜かれた道がかなりの長さで続いていた。
石畳の道へと切り替わる際の揺れも、小さなものだ。
少し揺れたかと思ったら、車輪の立てる音が変わった。
興味を引かれて、小さな窓から外を眺める。
灰色の壁がぐるりと街を囲っていて、この距離からでは街の様子が見えなかった。
ただ、街の周辺の様子はわかる。
街の入り口に荷車を引いた商人や農夫が並んでいるのが見えた。
この風景はグルノールの街へ入る時にも見かけたので、どこの街でも同じようなことが行われているのだろう。
門番の兵士や騎士に身元を確認され、許可の下りた者だけが街の中へと入ることを許されているのだ。
「……ティナ、街では必ず護衛をつれて行動するように」
「え? ラガレットの街って、危ないんですか?」
「そうそう危ないってことはないが、用心に越したことはないだろ? ラガレットは領主が治めている地だ。黒騎士の管轄外になるから、何かあった場合すぐに行動が取れない」
「レオがすぐ助けにこれないから、普段以上に気をつけろ、ってこと?」
「そんなところだ」
わかりました、と答えると、馬車が止まった。
耳を澄ませると、御者と門番のやりとりが聞こえる。
すべては聞き取れなかったが、街に入る目的と、馬車の主の身分、人数を聞いているようだった。
しばらくして外から小窓が叩かれる。
レオナルドが小窓から顔を見せると、それで確認作業は終わったようだ。
ゆっくりと馬車が動き始めた。
妹を預けられる宿としてレオナルドが選んだのは、ひと目で高級と判る宿泊施設だった。
宿屋といった親しみやすい雰囲気はなく、グルノールやマンデーズの館に近い。
成金趣味の商人か、貴族の豪邸だと言われたら、納得してしまいそうな華やかさだ。
建物も大きいが、庭も広い。
「……誰の家ですか?」
「館みたいだが、ブレンドレル商会が所有する宿泊施設だ。貴人や大商人が利用する」
「高そうですね……だから貴人や大商人がお客様なんですか?」
「そうだな。宿泊費に見合った警備が保障されている」
ティナを滞在させるにはぴったりだろう、とレオナルドが言ったので、警備面においては信頼があるらしい。
不思議に思って聞いてみたところ、この宿泊施設の警備員には元黒騎士がチラホラと混ざっているのだとか。
その中には、レオナルドの知人もいるようだ。
……それなら本当に安心ですね。
レオナルドのエスコートで馬車を降り、玄関へと進む。
正面玄関の両脇にはドアマンが立っていて、近づくと恭しく一礼してから玄関の扉を開いてくれた。
……やっぱ、ホテルじゃないよ。誰かの家だよ……っ!
前世の知識にあるホテルや民宿と、目の前の宿泊施設がどうしても一致してくれない。
誰かの家へ勝手に上がりこんでしまっているような、奇妙な罪悪感でお腹が痛くなってきた。
なんとなく不安になって、レオナルドの手を握り締める。
「ようこそおいでくださいました、レオナルド様」
身なりの良い男性に迎えられ、レオナルドと挨拶を交わす。
シードル・ブレンドレルと名乗る男性は、名前からこの宿泊施設の関係者であることが判った。
……あれ? このおじさん、どこかで会ったことある?
なんとなく見覚えのある気がして、レオナルドの影に隠れつつ紳士を観察する。
こっそり覗いていたつもりなのだが、シードルは私と目が合うとにっこりと笑った。
「はじめまして、ティナお嬢様。このたびは我がブレンドレル商会が有する宿泊施設をご利用いただき、誠にありがとうございます」
「はじめまして。お世話になります」
挨拶をされたのでこちらも当たり障りなく挨拶を返すのだが、どこで会ったのかが思いだせない。
どうにもスッキリしなくて首を傾げていると、シードルは私が不審に思っていることに気がついたようだった。
自分から私との繋がりを聞かせてくれる。
「ティナお嬢様とはメンヒシュミ教会で末息子がご一緒させていただいている、と聞いています。ニルス・ブレンドレルという名に覚えはございませんか?」
「ニルスのお父さまでしたか」
息子さんにはいつもお世話になっています、とペコリと頭を下げると、シードルもまた私に頭を下げた。
ニルスの父親が商人だなんて、知らなかった。
……うん? 商人の子なら、なんでニルスは教会に住み込みで働いてるの?
ふと気になると、他にもいくつか疑問が湧く。
父親であるシードルがラガレットの街にいて、その息子がグルノールにいる、というのはどうにもおかしい。
前世のように交通機関が発達した世界であれば、そういうこともあるかもしれないが、この世界の移動手段は基本的には徒歩だ。
少し余裕のある者になると、馬や馬車になるが、どちらにせよ街と街とを気軽に行き交うことはできない。
となると、シードルの本宅はグルノールにあり、今日はたまたまラガレットに出張してきていた、という話でなければニルスがメンヒシュミ教会にいるのはおかしい気がした。
……なんか変だね?
そうは思うのだが、他人様のご家庭の話だ。
あまり詮索はしない方がいいだろう。
……似てるのは顔の雰囲気だけかも。
会ったことがある気がする、と思うぐらいにニルスと顔の作りが似ているが、身に纏った雰囲気はまるで違う。
ニルスは少し心配になるぐらいおっとりとした少年だったが、シードルは油断していたら頭から飲み込まれそうな凄みがあった。
この父親からして、どうしてニルスのようなおっとりとした子が育ったのかは謎だ。
「ひろぉおおおおいっ!?」
普通なら従業員の役目だとは思うのだが、シードルの案内で三階の一角へと案内された。
この一角が、しばらくの私たちの宿になるらしい。
案内してくれたシードルが立ち去るのを見送って、改めて入った部屋で驚きの声をあげる。
宿泊施設というよりは誰かの館みたいだ、と思っていたのだが、間取りはやはり宿泊施設として作られていた。
安全を考慮してレオナルドが一番高い部屋を予約したため、この一角が宛がわれているらしい。
三階は『二部屋しかない』と言うのが正しいのかは判らなかったが、一度に泊まれる客は二組だけだ。
左右で二つに分かれており、その大きな部屋の中に使用人用の控えの間や居間、寝室、風呂やトイレ、小さなキッチンまでもが用意されていた。
どちらかというと宿泊施設の一室と考えるよりは、平屋の家が丸ごと一部屋にまとめられ、それが三階には二部屋ある、といった感じだ。
二階の客室にはここまでの広さはなく、全部で五部屋あるらしい。
……これは確かに高級ホテルです。
あまりに広いので、思わず一部屋ずつ覗いてしまう。
子どもみたいな真似を、と頭の片隅で思ってはいるのだが、今生の私はまだ子どもだ。
子どものように振舞ったところで、子どもなのだから問題はない。
「落ち着いたか、ティナ?」
「はい、満足です!」
私があちこちと部屋を探索している間に、カリーサが荷物を運び入れて部屋を整えていた。
居間で寛ぎ始めたレオナルドの目の前には、すでに紅茶が用意されている。
興奮のままにレオナルドの横へと座ると、すぐに私の分の紅茶が用意された。
「今夜は俺もここに泊まるが、明日にはルグミラマ砦へと出立する。ティナにはその間この宿で待っていてほしいんだが……」
「覚えてますよ。お出かけをする場合は護衛を付けて、ですね」
「そうだ。護衛もなしに街へ観光になんて行かないように」
「大丈夫ですよ。外は寒いから、ずっと部屋で刺繍してます」
だから安心してお出かけしてください、と薄い胸を叩くと、レオナルドは苦笑を浮かべる。
それはそれで勿体無い気がするので、少しは観光をするように、と。
主寝室は二部屋あったのだが、やはり私はレオナルドと一緒に寝た。
知らない街のベッドの中というものは、なかなかに落ち着かない。
決して私がどんどん退化しているわけではないと思う。
たぶん、きっと。
翌日ルグミラマ砦から来たという護衛の黒騎士と合流し、出発するレオナルドを見送ると、宣言通りしばらくの宿となる部屋へと戻る。
まっすぐ部屋へ戻る私に、レオナルドからいろいろ言付けられていたらしいシードルが細やかに気を使ってくれた。
評判の甘味屋や商店、観光地といった場所を、女・子どもだけでも歩ける順路と一緒に教えてくれる。
……そして、やっぱり裏路地とか少し細い道は入らない方がいいんだね。
行く予定はないが、一応覚えておこう。
そんなことを考えながら階段を上っていると、視界に小さな足が入った。
小さいといっても、子どもの足というだけだ。
赤ん坊のように小さいというわけではない。
……お隣の部屋にも、子どもがいるの?
足の先を追って顔をあげると、階段を上りきった三階の廊下に明るい金髪の男の子が立っていた。
仕立ての良い服を着た、育ちの良さそうな男の子だ。
……うわぁ、女の子みたいに可愛い顔してる。
本人に面と向かっては言えなかったが、男の子の可愛らしい顔をついマジマジと見つめてしまった。
失礼だとは思うのだが、男の子が可愛い顔をしているのだから仕方がない。
可愛いは暴力だ。
「おい」
……はい?
可愛らしい顔から出てきたぞんざいな言葉に、つい空耳かと瞬いてしまう。
天使のように可愛らしい男の子の口から出てくる言葉とは、到底結びつかないような言葉遣いだった。
「おまえだよ、おまえ! 黒猫女! 何故ぼくの顔をジロジロと見ている!? 怪しいやつめ!」
二度目となれば、さすがに空耳ではないと自覚した。
目の前の天使のような愛らしい容姿をもつ男の子は、どうやら中身がとても残念らしい。
子どもが神王祭でもないのに仮装をしている理由など少し考えれば判るし、そもそも他者の服装についてとやかく言うのは野暮というものだ。
……無視していいかな?
そうは思うのだが、この場合は確かに私が悪い。
初対面の男の子の顔を、女の子みたいに可愛いだなどと見惚れていた方に非があるだろう。
男の子はただ可愛かった、というだけのことだ。
……中身は最悪みたいだけどね。
となれば、非礼を詫びて早々に立ち去るのが一番だろう。
「えっと、ごめんなさい。貴方があんまりカッコいいから、つい見とれちゃいました」
「な……っ!?」
ペコリと頭を下げて、謝罪する。
本音としては「可愛いから」見惚れたのだが、相手は男の子だ。
一応「格好良かったから」と言い換えておいた。
……よし、ちゃんと謝った。あとは関わらないようにしよう。
男の子は何やら赤面して固まっているので丁度いい。
横をすり抜けて急ぎ足に部屋へと逃げ込んだ。
ティナは当然猫耳装備中。
誤字脱字はまた後日。
誤字脱字、見つけたところは修正しました。




