閑話:レオナルド視点 俺の妹 6
入浴を終えて身奇麗になっても、ティナはおかしなままだった。
まだ髪が濡れていると注意しても聞かず、抱っこを要求してくる。
……いまだかつてない程にティナが甘えん坊だ。いや、ティナかどうかまだ判らないんだが。
どこからどう見てもティナでしかないのだが、行動の全てがティナではない。
普段のティナは聞きわけが良く、あまり甘えてこないし、俺のことは舌っ足らずに『レオにゃルドさん』と呼ぶ。
浮かれた時でも『レオさん』だ。
けれど、今のティナは違う。
聞き分けないし、とにかくべったりと甘えてくる。
抱き運ばれながらご機嫌な様子で鼻歌を歌っているのだが、その歌声にいつものたどたどしさはない。
はっきりした口調で聞いたことのない歌を口ずさみ、俺のことはなんの照れもなく『レオ』と呼ぶ。
……いや、レオと呼んでくれるのはいいんだ。レオにゃルドさんより、よっぽど気を許されているのが判るし。
しかし、あまりにもこれまでのティナと違いすぎて違和感があった。
ティナにしか見えないのだが、中身はまるで別人だ。
……別人というより、子どもらしい子どもになった、というところか?
どんな瑣末な違和感も見逃すまい、とジッとティナの顔を見つめる。
目が合うと、ティナはとろけるような甘え顔をして俺に擦り寄ってきた。
……可愛いんだが、何か違う。ティナじゃない。
気持ち的には妻に浮気がばれた夫の気分だろうか。
ティナにしか見えないのだが、ティナとは思えない女児に甘えて擦り寄られ、可愛いと感じる度に罪悪感に蝕まれる。
……本物のティナに会いたい。
しみじみと、そう思う。
まだグルノールを出て十日も経っていないというのに、妹が恋しすぎた。
……さて、どうしたものかな。
暖炉に火が入れられ、暖かくなった居間の長椅子に座ると、早速ティナが膝の上へと乗ってきた。
時々自分から膝に乗ってくることはあったが、普段は隣に座る。
違和感しかないティナに戸惑っているのは、普段のティナを知っている俺だけだ。
カリーサを始め、サリーサはティナのために急いで御菓子を、と厨房から焼き菓子を持ってきたし、アリーサは部屋の準備をと三階にある子ども部屋を暖めに行ったしで、歓迎ムードが凄い。
ティナのはずがないのだから、と今さら別へ移すこともできなさそうだ。
「……砦に連絡を。黒髪に青い目の女児が街で迷子になっていないか確認してくれ」
「すでに連絡済です」
さすが長年館に使える有能家令は違った。
他の三人が突然の幼女の訪問に浮き足立つのとは真逆に落ち着いている。
「わたし迷子じゃないですよ?」
「迷子はみんなそう言うんだ」
ぷくっと頬を膨らませて、ティナが俺を睨む。
全然怖くはないのだが、拗ねられても面倒なのでサリーサの運んできた焼き菓子を口の中へと押し込む。
最初こそ眉を寄せていたのだが、焼き菓子を齧ると途端に表情が変わる。
よほど口にあったのか、俺の膝から降りて焼き菓子の盛られた皿の前へと腰を下ろした。
「ティナ、さすがに床に直接は座るな。お行儀が悪いぞ」
「床じゃないよ。ふかふかの絨毯です」
床に座ってはいけない、と注意をしているだけなのだが、ティナはさっぱり俺の言うことを聞かない。
仕方がないので脇に手を入れて持ち上げると、ティナのお尻の下にカリーサがクッションを挟みいれた。
……あ、失敗した。
クッションの上へとお尻を下ろしたティナは、パッと顔を輝かせて俺とカリーサの顔を見比べる。
どうやらこの完全お世話モードが気に入ってしまったようだ。
よじよじとお尻の下のクッションを取り出して、もう一度やって、とカリーサにクッションを手渡し始めた。
……結局付き合ってしまう辺り、俺はティナに甘い。
何度かティナを持ち上げたり、下ろしたりとして遊んでやりながら、このティナにしか見えない女児の扱いについてを考える。
迷子であれば親元に届けてやらねばならないし、グルノールにいるはずのティナが本当にマンデーズに来てしまっているのなら、グルノールへと確認の使者を出しつつ、館に滞在するための準備を整えてやらねばならない。
本当にどう扱ったものか、とイリダルに相談してみたところ、服や部屋については心配がいらない、と答えられてしまった。
小さな子どもの言うことなので、直前になってやっぱり俺に同行すると言い出す可能性もある、と最初からティナが滞在する準備をしていたそうだ。
……つまり、ティナが今着ている服は、ティナのために用意された服だったのか。
夏にグルノールを訪れたタルモからティナの身長と年齢を聞き、用意していたらしい。
有能家令もここまで来ると少し恐ろしい。
クッションで遊んでいる間に、ティナはカリーサにすっかり慣れていた。
お気に入りの焼き菓子を手に取り、カリーサにどうぞ、と口まで運んでやるぐらいには懐き始めている。
「ティナ、おいで」
「うい?」
ティナの様子が落ち着いていたので呼んでみたのだが、ティナは不思議そうな顔をして首を傾げた。
いつもなら疑問など挟まずに「はいれす」と言って駆け寄ってくるところだ。
……やっぱりおかしいな。
理性はティナではないと否定しているが、理性以外の全てはこの女児をティナだと感じている。
ティナ以外には思えない、と。
首を傾げたままティナが動かないので、こちらから近づいていってティナを抱き上げる。
長椅子に座って膝の上へと乗せると、ティナはニパッと可愛らしく笑った。
……そうか。今の間は「用があるなら自分で抱き運ぶべし」という間か……。
まんまとティナの企みに乗ってしまったらしい。
これが計算してのことだったら、ティナは末恐ろしい悪女になるだろう。
「ところで、なんでティナがここに……マンデーズにいるんだ?」
「そういえば? なんでレオがいるの?」
まずは事情を聞こうとしたのだが、逆に疑問で返されてしまった。
膝の上に行儀良く座るティナは、不思議そうに青い目を瞬かせている。
「俺がマンデーズにいるのは、仕事だからだ。マンデーズ砦で軍神ヘルケイレスの祭祀をするために、グルノールから来た」
「知ってます。九日前に、レオがお仕事に出かけしました」
「九日前……」
計算としてはあっている。
俺がグルノールを発ったのが九日前だ。
「馬車で行くより馬の方が早いから、ってレオがギリギリまでグルノールの街にいたから、アルフさんが呆れてた」
にこにこと答えていたのだが、ティナはふとご機嫌な様子で振っていた足を止める。
「レオ、お仕事は? もう帰ってきたの?」
心底不思議そうな顔をしたティナに、この女児がティナかどうかは別として、何かおかしいということに気が付いた。
何かが致命的なまでに噛み合っていない。
「ティナ、ここがどこか判っているか?」
「レオの家」
「いや、まあ俺の家といえば俺の家なんだが……」
ティナの言う俺の家に、イリダルやカリーサはいないはずだ。
そのことについては何の疑問もないのだろうか。
「ここはマンデーズの街にある俺の館だ。グルノールの館にカリーサはいないだろ?」
そう指摘してみると、ティナは青い目を丸くして周囲を見渡した。
よく見なくとも、装飾からなにからグルノールの館とマンデーズの館では違う。
「……レオが帰ってきたんじゃなくて、わたしがマンデーズにいるんですか? え? なんで?」
それを聞いていたつもりなのだが。
とにかく、ようやくティナの中で俺の聞きたいことが繋がったらしい。
しきりに首を傾げたあと、それまで普通に懐き始めていたカリーサから距離を取るように俺へと身を寄せてきた。
「ティナが突然館に現れた、という報告を受けて館に戻ってきた。俺としては本当にマンデーズの館にティナがいて驚いている」
「まさかレオが荷物にこっそりわたしを入れて……?」
「そんな馬鹿な真似はしてないぞ。大体、そんなことをしても、マンデーズに着く前に気が付くだろ」
それもそうですね、といってティナは首を捻り始める。
どうやら本当に自分の置かれている状況を理解していなかったようだ。
「このようなものが暖炉の中にありましたが?」
いまいち要領を得ないティナに、横からイリダルが灰塗れで真っ黒に汚れた皿を持ってきた。
皿の中には、これまた灰塗れになった黄色い物体が入っている。
「あ、三羽烏亭の大学いも!」
「だいがくいも? なんだそれは?」
「三羽烏亭の、神王祭の限定メニューです。大学いも……じゃなくて、さつまいもの甘ダレ? だったっけ?」
灰塗れの皿を受け取り、ティナは中身を覗き込む。
灰塗れになった中身を見て、ティナはもう食べられませんね、と残念そうに呟いた。
「ヘルミーネ先生と、夜祭で買って食べてたんです。レオに買ってもらった黒猫のお財布で」
あれ? お財布何処? とティナは自分の首を探り始める。
いつものように首から下げていたのなら、今頃はアリーサに回収されて洗濯籠の中だろう。
……しかし、三羽烏亭にヘルミーネ先生か。どう考えてもティナだよな。
ティナにしか見えないが別の女児である、と無理に考える必要はなさそうだった。
だがそうなると、別の問題が出てくる。
夜祭でハルトマン女史と三羽烏亭でさつまいもの甘ダレを買ったというのが本当なら、冬の雪道を馬の足で本来なら六日はかかる道のりを、一日で移動してきたことになる。
それも、連れがいないことを考えれば、子どもの足で踏破したということになるはずだ。
……不可能だ。
そうは思うのだが、実際にティナは今、目の前にいる。
辻褄は合わなかったが、結果だけがここにあるのだ。
「ティナ、ハルトマン女史と夜祭へ行った話を聞かせてくれるか?」
「いいですよ」
ティナの話は、距離を考えなければ何ということもない話だった。
猫耳のついたコートを着てハルトマン女史と夜祭へ出かけ、広場を覗き、三羽烏亭へと行った。
そこでさつまいもの甘ダレなる神王祭の限定メニューを購入し、軒先で早速味をみた、という話だ。
ただ、その後の記憶は曖昧なようだった。
……俺を追いかけて、人違いをして、家に帰ろうと思ったら暖炉の中にいた?
家に帰ろうと思ったら俺のところへ来た、というのは喜ぶべきことだろうか。
館という入れ物よりも、俺という家族をティナは家だと認識してくれているらしい。
ティナの話が終わる頃には、イリダルが黒い毛並みの猫耳を用意していた。
俺には何のことやらいまいち理解し難い内容だったのだが、イリダルには理解できたようだ。
ティナは精霊に攫われたのだろう、と。
神王祭に子どもが精霊に攫われるという迷信は俺も知っている。
とはいえ、まさか本当に精霊に攫われるようなことがあるとは思ってもいなかった。
御伽噺か迷信か、とにかく作り話だと笑っていたのだ。
……だが、精霊の仕業と考えれば、ティナの不自然な移動距離も一応は説明がつく、か。
こうして結果的にティナが目の前にいたとしても、にわかには信じられないことだが。
イリダルの持ってきた猫耳を付けたティナが、俺の膝から降りる。
その場でくるりとティナが回ると、スカートの裾がふわりと広がった。
いつの間に用意したのか、ご丁寧に腰のあたりには黒い尻尾が付けられている。
可愛らしい黒猫の完成だ。
にゃあ、と猫の鳴き真似をするティナが愛らしくて、つい頬が緩む。
カリーサを巻き込んで不思議な踊りを踊り始めたティナに、ほっこりと心が和むのだが、忘れてはならない大至急の用事ができた。
「イリダル。砦から誰か馬の得意な者を借りて来い」
精霊に攫われてマンデーズまで来たにせよ、何者かに誘拐されてきたにせよ、断言できることがある。
今頃はティナがいなくなってグルノールの街では大騒ぎになっているはずだ。
ティナの様子がおかしいのは、大体三日ほどで治まった。
朝目が覚めての第一声が「コクまろは?」だと思ったらベッドから飛び降り、一階へと駆け下りていった。
ひとしきり仔犬の姿を探したあと、ティナははたと正気に返ったようだ。
それまでの甘え三昧、我儘三昧を思いだして恥かしかったのか、毛布を頭からかぶってその日はベッドから出てこなかった。
俺の呼び方が『レオ』に変わったのはそのままだったが、どこへ行くにもついてきて、抱っこ、お膝、と要求をすることはなくなった。
夜はまだ一緒に寝ると言って聞かない。
仕事だといって砦に行こうとすると泣いてグズるティナ、というのはなかなか新鮮な体験だった。
本当に子どもみたいだな、とこの三日間は手を焼かされたのだが、そういえばティナはまだ子どもだったのだ、と思いだしもする。
これまでが聞き分けが良すぎたのだ、と。
今までのどこか大人びた聞きわけの良さがなくなっただけかもしれない。
精霊の世界へ連れて行かれ、童心を取り戻したのだろうか。
そんなことを考えてもいる。
……ティナの寝言のほとんどが食べ物の名前だとは思わなかった。
舌っ足らずの直ったティナの寝言は、普通に聞き取ることができた。
ただ知らない名前も多いので、メイユ村で母親が作ったものが主なのだと思う。
だとしたら、食べさせてやることは難しい。
五日目の夕方、グルノールから急使がやってきた。
報せの内容は聞く前から判っている。
グルノールでティナが行方不明になっている、という物だろう。
予想通りの報告を聞くことになったが、急使の顔に切羽詰まったものはなかった。
聞けば、道中でマンデーズから送った急使と出合い、ティナの無事を知ることが出来ていたらしい。
ということは、今頃はグルノールのアルフたちも胸を撫で下ろしている頃であろう。
……ひとまずは安心、といったところか?
甘えの虫が治まったティナは、祭でもないのに一日中獣の仮装をしていることに抵抗があるらしい。
語尾に『にゃ』と付けて猫の真似をすることもなくなった。
……まあ、ティナにはいいお仕置きになるだろう。
不慮の事故にせよ、なんにせよ、どれだけ大勢の人間に心労をかけたのかはわからない。
それを考えれば、本人的には罰ゲームらしい仮装も、良いかもしれなかった。
……春華祭までの獣の仮装は、また精霊に攫われないように、というまじないだしな。
ティナがどう抵抗しようとも、今のティナに拒否権はない。
春が来るまでティナは猫耳仮装生活だ。
たぶんこれにて4章終了です。
次はたぶん5章……のはず。
誤字脱字はまた後日(といって数本誤字脱字チェックがたまっている)
3日の更新はおやすみします。
誤字脱字、見つけたものは修正しました。




