原発と放射能ロボット
長谷川沙世はその日、いつもにも増して仕事に気合いを入れていた。ノートパソコンと睨めっこし、自宅に帰った後も作業をし続けている。彼女の仕事は食品の総合的なデザインで、移ろいがちな消費者の需要を先取りし、斬新かつ美味しい人気商品を開発するのがその主な役割だ。彼女がよく担当しているのはデザート類で、味はもちろん、パッケージからイメージ戦略までを一貫してプロデュースしている。熱心に作業をし続ける彼女のもとに、不意に彼女の家事用人型ロボットが、紅茶を運んできた。
「本当に、ついに来ちゃったもんね! こんちきしょうめ!」
そのタイミングで彼女はそう言った。ロボットはわずかばかりの反応を見せたが、彼女はそれを気にせずロボットが運んできた紅茶を受け取るとゴクリとそれを飲み込んだ。先の台詞は、ロボットに向けて言った訳ではない。もっとも、ロボットがやって来たことから連想して出た台詞ではあったのだが。
「ありがとう、ラッ君。美味しかったわ」
早々に紅茶を飲み終えると、彼女はそう言って空になった紅茶のカップをロボットに手渡した。「ラッ君」と呼ばれたそのロボットはカップを受け取ると一礼をして台所にまでそれを運ぶ。それを片目に眺めながら、長谷川沙世は“絶対に、マシンになんか負けるもんか!”とそう心の中で呟いていた。
実は今回の彼女の仕事にはライバルがいる。彼女が“マシン”と呼んだそれ、つまりは人工知能だ。かけるコストはほぼ同じという条件で、人間達と人工知能がそれぞれいくつかのデザートのプロデュースを行い、どちらが高い利益を出すかを競っているのである。もしこの勝負に負けたなら、彼女の会社における人間達の雇用環境は更に悪くなるだろう。
だから彼女は、
「絶対に負けられない!」
と、そう思っていたのだ。
これは彼女の会社だけの問題ではない。少し大袈裟かもしれないが、人間社会全体が抱える大問題なのだ。こういった一つ一つの勝負に人間達が勝っていかなくては、雇用のほとんどはやがてマシンに奪われてしまうだろう。
長谷川沙世がまだモラトリアムだった頃から、既にロボットや人工知能に人間達の職が奪われていくという事は起こっていた。人手不足の介護の現場、インターネット販売の主流化で個人向けの運搬が増えた事で同じく人手不足に陥っていた物流業界。まずはそういったところから、人工知能やマシン達の雇用の浸食は目立ち始めた。ただし、実を言うのなら、その遥か以前から、マシンは人間の仕事を奪っていたのだ。例えば、無人工場。人間の気配がほとんどない工場は2010年代から既に存在していた。だが、そういった工場でも人間にしかできない仕事というものは残されていた。荷下ろしや荷積みといった荷役は人間にしかできなかったし、もちろん、商品開発だって無理だ。ところが彼女の時代は、そういった人間にしかできないと思われていた仕事すら、マシンが担い始めたのだ。不可能だと思われていたマシンによる車の自動運転が実現し、荷役作業すらできる汎用性のあるロボットが安価で売りに出される。経営者達はそういったロボット達に飛びついた。24時間の労働が可能で、安定して仕事をし、賃金アップも要求してこないとくれば、それも当然だった。
彼女が食品のプロデュースを仕事にしようと思ったのは、実は“マシンに対抗する為”でもあった。元から彼女はデザートが好きでデザインも好きだったのだが、そういった仕事ならば人工知能には不得手だろうとそう考えたのだ。
彼女の同年代で、“マシンに仕事を奪われる事”に対し危機感を抱いていなかった知り合い達のほとんどは、辛い生活を送っている。そういう意味で彼女には先見の明があったと言えるだろう。もっとも、その彼女の立場も安泰とは言えなかった訳だが。
やがて、仕事に疲れた彼女は、一休みしようとノートパソコンをニュース番組に繋げてみた。そこでは「放射能に汚染されているロボットがまた見つかった」と報道されていた。実はここ最近、放射能に汚染されたロボットが相次いで発見されているのだ。
「またか」
沙世はそう呟く。その原因は、原子力発電所の核廃棄物処理に使われているロボットの部品などが何らかの要因で不正に流出しているからだと考えられている。それから彼女は、日本の原子力行政を憂うのではなく、かつての同級生の一人を心配した。
マシンに対抗する為のスキルを身に付けなかった同級生の中に、少しでも高額の収入を求めて核廃棄物処理の仕事に就いた者がいたのだ。ちょっとした知合い程度だから、詳細までは聞かなかったのだが、それを知った時、彼女はその知合いに同情をした。多少、給料が良くても病気になっては意味などないだろうと思ったのだ。ただ、今その知合いを心配ているのはそれとは別の理由だったのだが。
「核廃棄物の処理にまで、ロボットが進出しちゃってからけっこう経つわよね……。あの人、今でも仕事できているかしら? とことん、ロボットは人間の仕事を奪うわ」
実は数年程前、核廃棄物処理の現場で生身の人間が働かされている事へ国内外から批判の声が上がった結果、その圧力によって、核廃棄物処理現場へのロボット投入が決定されたのだ。当然、人間は解雇される事になる。次の働き場を原子力産業が用意してくれているのならあまり心配はないが、どうやらそんな事はしてくれなかったらしい。つまり、核廃棄物処理の現場で働いていた人間達は、放射線で病気になる可能性がなくなった代わりに、生活が厳しくなったのである。
「これで原子力関連のコストも上がるかもしれないし…… 本当に、どうして前の時代の人達は、こんな“負の遺産”を残してくれやがったのかしらね?」
核廃棄物処理の現場でロボット達が働かされている憐れな(と、人間である彼女には見えてしまう)シーンがニュース番組で流れたのを見て、沙世はそう呟いた。
恐らくは、前の時代の人間達は、将来世代の人間達が、原子力発電所の所為でどれだけ苦しむ事になるかなんてほとんど考えもしなかったのだろう。
長谷川沙世は、それからそんな事を思った。
ロボットが普及したからまだマシになっているが、もしロボットがこれほど普及していなかったのなら、原子力産業が残した核のゴミはもっと深刻なダメージを日本社会に与えていたかもしれないのだ。そういう意味ではロボットは原子力産業を助けたと言えるかもしれない。ただし、原子力産業の衰退を後押ししたのもまた“ロボットの普及”だったのだが。
ロボットが普及する前の時代には、こんな事を想像した人間はほとんどいなかったが、ロボット技術の進歩とその普及は、原子力産業に大きな影響を与えたのだ。
日本社会の大問題に、人口減少とそれに伴う労働力の減少があった。もしも、この問題を放置し労働力が減少し続ければ、当然ながら、労働コストは跳ね上がる。すると、原発の出す核廃棄物処理の担い手はいなくなるだろう。そしてこの“労働力の減少”と、“核廃棄物の処理”は時期が重なるのだ。タイミングは最悪だと言って良い。そのまま進めば、原子力産業の所為で、日本社会に間違いなく大きな負担がのしかかるはずだった。ところが、そこで“ロボットの普及”が急速な勢いで進み始めたのだ。
不足するかに思われた労働力は、ロボットによって補われ、それどころか余るようにすらなってしまった。それによって、核廃棄物処理の労働力不足という問題は解決したのだ。しかし、ではロボットの登場が原子力産業を救ったのかといえばそれも違う。何故なら、ロボットは同時に太陽光発電の普及も促したからだ。
考えれば簡単に分かるが、移動可能なロボットにとって最も優れた電力供給手段は太陽光発電である。太陽電池ならば、電力が切れたとしてもわざわざコンセントを探す必要はない。シート型の太陽電池や、折り畳み式の太陽光パネルを広げれば、それで充電が可能なのだ。ロボットの移動可能範囲が広がるので、その方がより好ましいのは言うまでもない。もちろん、電気代の節約にもなる。充分にロボットに電力があるのなら、その太陽電池を他の電気機器の電源とする事も可能だ。
ロボットに太陽電池が備え付けられるのが一般的になり、生産量が多くなっていくと、太陽光発電の生産コストは大幅に減少した。そして、それに伴って原子力発電の重要性は低下した。原子力発電の利益率は下がり、結果として国は予定よりも早く原子力産業の縮小を宣言するに至ったのだ。
“ロボットの普及”によって、核廃棄物処理の労働コストを下げる方向は、大きく二つに分かれた。一つは核廃棄物の処理にロボットを用いるという方法。もう一つは、“ロボットの普及”によって安くなった人間の労働力に頼るという方法だ。原子力産業が選択したのは、後者だった。理由は単純だった。核廃棄物の処理に関しては、ロボットを使うより、従来通り人間を用いた方が安上がりだったからだ。
核廃棄物処理は非常に危険な作業だ。万が一にも放射能を漏らす訳にはいかない。だからミスする可能性のある既に市販されている汎用性の高いロボットをそのまま用いることはできず、核廃棄物処理用に基本的な部分から開発し直さなくてはならなかったのだ。更にロボットは放射能に汚染されてしまうので、全体から細部の部品に至るまで全て再利用が難しくなる。修理する人間に放射線暴露の危険性が付き纏う為、修理コストも高かった。
しかし、ロボットに任せれば、人間の身を危険にさらさなくて済むのも明らかだ。前述した通り、だからこそ、日本の原子力産業の“人間を用いる”という方針は国内外から批判を浴びたのだ。結果として、近年になりその方針は改められた。そして、放射線暴露の危険のある作業は、人間ではなくロボットが行う事に決まったのだ。
「だらっしゃー! 視覚も、味覚もない人工知能に負けて堪るかってのよ!」
長谷川沙世が放射線測定器を借りて来たのは、人工知能との売上勝負に勝った次の週の休日の事だった。勝因はやはり実際に商品を買うのが、五感を持った人間である点だろう。どれだけ的確にデータ分析ができても、デザートの全てをデータ化する事は出来ないし、過去のデータに頼っているだけでは、消費者の新しい需要を喚起するような商品開発もできない。それに過去のデータの分析ならば、パソコンを使えば沙世達にだって容易にできるのだ。実は頭脳ゲームでも、パソコンなどを使えば、人間は人工知能に勝利できる事が知られている。人工知能が提示して来たデザートは、どれも以前に実績のあった商品の焼き直しに過ぎなかったが、沙世達が提示したデザートは斬新で消費者の目を引いたのだ。
今までの実績以外から商品を産み出そうにも、人工知能には味も見た目の良さも感じる事はできないから難しかったのだろう。沙世はそう考えた。もっとも、これから先、もっと人工知能が進化していけば、その弱点をカバーできるようになるかもしれないから、油断はできないのだが。
とにもかくにも、沙世は人工知能との勝負に勝利して安堵し、心に余裕ができていた。そしてそのタイミングで「ロボットを持っている人は、放射線を測定するようにしてください」という勧告が国から出されたのを知ったのだ。しかも、ロボットを修理に出すと放射能に汚染されてしまうケースが多いらしい。沙世は一ヶ月ほど前にロボットを修理に出していた。しかもその修理屋は、一般的な相場よりも随分と安かった。恐らくは大丈夫だろうが、万が一という事もある。それで、「ちょっと、うちのロボットの放射線でも調べてみますか」という気分に彼女はなったのである。
借りて来た測定器で、ロボットの放射線量を測定して長谷川沙世は仰天した。基準値を上回っていたからだ。
「ちょっと! ラッ君! これ、どういう事?」
軽くパニックになった頭で、彼女は自分のロボットに向けてそう叫んだ。“ラッ君”は、その彼女の言葉を受けて首を傾げる。理解ができないのだろう。ラッ君は小学生よりも少し大きい程度といった身長なものだから、その姿は少しばかり可愛かったが、彼女は少しも和まなかった。健康被害に遭っては堪らないと、ラッ君を物置にまで連れて行くと、そこで電源を切ってドアを閉め、ラッ君の修理を依頼した業者をネットで検索して調べようとノートパソコンの電源を入れた。
ラッ君を放射能汚染させた犯人がいるとすれば、そのロボット修理業者しか考え付かなかったからだ。
ロボットの修理には相対的に高いコストがかかる。それはロボット自身にロボットの修理をさせる事を、国際法上で禁止しているからだ。ロボット自身にロボットの修理が可能になると、ロボットがロボットを作り変える事ができてしまう。するとロボットが人間の手を離れて暴走してしまうかもしれない。人間社会はロボットが制御不能になる事を恐れているのである。
長谷川沙世がノートパソコンにログインして、焦りと怒りが入り混じったような気持ちでネットにアクセスをし、修理を依頼した業者を検索していると不意に声がかかった。
「お茶をお持ちしましょうか? マスター」
反射的に彼女はこう返す。
「ああ、ありがとう。お願いするわ、ラッ君……」
そして、そう答えた一呼吸の間の後で彼女は「ええー!」と声を上げていた。
「どうして、動けるの? ラッ君!」
確かに電源は切っておいたはずなのだ。もしかしたら記憶違いかもしれないと思い、彼女はもう一度同じ事をやってみた。ところがそれでも結果は同じ。しばらくが経つと、ラッ君は勝手に動き出して、物置の中から出てきてしまう。そして彼女に奉仕をしようと近付いて来る。「この物置の中で待機していなさい」と命令しても、何故かその命令をラッ君は無視するのだった。
「明らかにおかしいわよね、これ。一体、何がどうなっているの?」
犯人はロボット修理屋としか考えられないが、それにしてもこんな“自力で電源をONにできる”なんて訳の分からない改造を施す意味が分からない。修理屋にはメリットが一切ない(としか思えない)上に、費用もかかるし、はっきり言って違法だ。
とにかくラッ君に近付かれたら、放射線に被爆してしまう。何とかラッ君を隔離しなくては。彼女はそれから家に南京錠がある事を思い出したので、それを使う事にした。物置に入れた後で、電源を切り、南京錠で重い荷物ののったラックに固定する。これでラッ君は動けないはずだった。
沙世はそれからこの訳の分からない事態への対処の優先順位を決める為に、まずは放射線の人体に与える影響についてをネットで調べ始めた。ラッ君から検出された放射線量は基準値を超えていると言っても大したものではなかった。基準値は厳しい値となっているので、多少超えたくらいでは健康被害に遭う危険性はそれほど高くはなさそうだと彼女は考える。
「問題は問題だけど、今直ぐになんとかしないといけないって程でもなさそうね。取り敢えず、この事を国に連絡して……」
彼女はそんな独り言を言う。そんなところで、彼女は物音を聞いた。物置の方から聞こえて来るから、恐らくはラッ君の電源が入って復活したのだろう。外に出ようと暴れているのかもしれない。聞き耳を立てながら彼女はまた独り言を言う。
「あーあ、物置の中が滅茶苦茶になっちゃいそうだな」
今頃きっと、棚の荷物が下に落ちて散乱している事だろう。ところが、何故かそれから物音が止んだのだった。“おや?”と彼女は思う。わずかな間の後で、金属が弾けるような高い衝撃音が聞こえた気がした。そして、ドアの開く微かな音が。
沙世は頬を引きつらせる。
“まさか……”
小さな不安が急速に大きくなっていくのが分かった。ギシッギシッという何が歩いてやってくる音。沙世の部屋のドアが開いた。そして、
キィ
その隙間から、ラッ君が顔を覗かせた。こう言う。
「マスター。報告します。障害物があったので、排除しました」
その時、長谷川沙世は生涯で一度も上げた事のない声で悲鳴を上げた。
「ギヒィ!!!」
長谷川沙世が物置に行ってみると、綺麗に切断された南京錠が転がっていた。どう考えてもラッ君がやったのだろう。万力並みに強力なペンチのような器具でもなければ、金属を切断する事など不可能だが、ラッ君の外見を観る限りでは、そんなものが備わっているようには思えない。という事は、身体の何処かにそれが収納されているはずだ。が、そんなギミックが家庭用家事ロボットに標準で装備されているとは彼女にはとても思えなかった。
急速に危機感を抱いた彼女は、ラッ君の説明書を引っ張り出して調べてみたが、やはりそんな装備の説明は見つけられなかった。ネットで検索してみても同様だった。ならばこれもロボットの修理屋がやったと考えるのが最も妥当だ。
「こーなってくると、もう放射能がどーとかって以前の問題になって来るわね。何なの、この改造は? 違法なのは当たり前だとして……」
ロボット修理屋の目的を彼女なりに考えてみたが、性質の悪いイタズラくらいしか彼女には思い付けなかった。或いはその修理屋は、放射能に汚染されたロボットに付き纏われる客の姿を想像して、快感を覚える変態なのかもしれない。もっとも、そんな考えが現実的とは彼女には少しも思えなかったのだが。
それから沙世は、ロボット修理屋の目的を考える事を諦め、取り敢えず、ロボットを壊してしまってはどうかという気になり始めた。低レベルとはいえ基準値を超えた放射線を浴び続けるのはやはり嫌だったし、それに明らかに異常な状態のロボットと一緒に過ごすのも不安だった。壊してから物置に入れておけば、問題は何もないはずだ。だが、下手に刺激をしてしまったら、ロボットは自分に反撃をしてくるかもしれない。金属を切断できる能力を持つロボットと戦闘をするなんて、彼女にとっては冗談にもならない話だ。何処か遠くに捨てに行く事も考えたが、放射能に汚染されたロボットを無断で廃棄する事は、倫理的にも法律的にもアウトだろう。それで彼女は、結局警察に相談する事にしたのだった。ラッ君を修理した業者が、法律違反をしているのは明らかなのだから、警察に任せるには充分な理由があった。
――が。
「いやぁ、そんな事を言われても困っちゃうんだよなぁ、ちょっと」
沙世の話を聞くと、一見人の好さそうに見える警察官は何故か笑いながらそう言った。沙世にしてみれば笑いごとではないのだが。
「あの、簡単な話なんですよ? 警察でこのロボットを引き取ってくれればオーケーなんですから」
「そんなの、専門の業者に頼めば良いじゃない」
「業者が引き取りに来てくれるまでには、時間がかかるんです。私にそれまでずっと放射線を浴び続けろって言うんですか?」
沙世の住む家の近くには派出所があるのだが、彼女はラッ君を連れてそこを訪ねていたのだ。だが、運悪くその時、その派出所にいたのは、時折いる“やる気のない警察官”一人だけだったのだった。
「そうは言っていないけどさ、放射能ロボットの引き取りなんて、警察の仕事じゃないんだよ。何か別の手段を考えれば良いじゃない。君と一緒にいる以外では、君の家から離れないってのなら、業者が引き取りに来てくれるまでの間、ずっと友達の家に泊めてもらうとかさ」
「そんなに長期間、泊めてもらう訳にはいきませんよ。お願いです。留置所にこのロボットを閉じ込めておいてもらうだけで良いんです」
「でも、そのロボットは放射能に汚染されているんだろう? そんなロボットを留置所に入れらないって。それに、そのロボットが南京錠を切断したっていうんなら、留置所を壊して逃げ出すかもしれないじゃないか。君の話が本当だったらだけど……」
それを聞くと沙世は苛立たしげに顔を歪める。どうもこの警察官は、“ロボットが南京錠を切断した”という話を、あまり信じていないらしい。沙世が嘘をつく理由などなさそうに思えるのに。それから彼女はラッ君を見てみた。彼は不思議そうに首を傾げる。ため息を漏らした後で、彼女はこう言った。
「分かりました。なら、せめてこの子を修理した業者に連絡を取って、責任を取るように言ってください。この子を引き取るのは警察官の仕事じゃありませんが、その業者は間違いなく法律違反をしていますから、そっちは警察官の仕事でしょう?」
流石にこの相談には、真っ当に対処をしてくれると彼女は思ったのだが、その警察官は相変わらずにやる気のない姿勢を見せるのだった。
「それもねぇ…… いやぁ、もちろん、ちゃんと“上”に報告はあげるよ? あげるけどさ、うちで何かやるかって言ったら、やっぱりそれも難しくてさぁ」
「どうしてですか? 犯罪者を見逃すって言うんですか?」
「いやぁ、管轄が違うんだなぁ。こことは。君の頼んだロボット修理屋は、別の県にあるんだろう? ほら、知っているんじゃないかとは思うけど、警察には縄張り意識ってのがあってさ、違う管轄の事件に手を出すのは色々とまずいんだよ。だから、報告をあげるくらいしかできなくて」
その警察官の言葉に沙世は怒った。
「なんですか、それは? 市民を守るのが警察の義務でしょう?」
「怒らないでよ。僕だって、心苦しんだけど、僕だけががんばってもどうにもならなくってさ。ほら、組織の悪しき体質っていうのかな? どうしても直ぐに解決したいってのなら、その県の警察に直接頼んでよ。まぁ、もしかしたら、それでも断られちゃうかもしれないけどさ」
沙世はその警察官の説明に完全に怒ってしまった。もちろん、警察官の中にも真面目で誠実な人は大勢いるとは分かっていたが、それでも“警察って、なんて不真面目で頼りにならないのかしら!?”と心の中で文句を言っていた。そしてその所為で、彼女は気付くとこう応えていたのだった。
「分かりました。もう頼みません! 直接ロボット修理業者に文句を言いに行って、ついでにこの子を普通に直してもらって、できれば除染もやってもらいます!」
長谷川沙世は、それからラッ君を車の後部座席に座らせると、頭に血が上ったまま修理業者の住所を目指して出発してしまった。往復するとなると休日をまるまる潰してしまうが、その時の彼女にはもうそんな事はどうでも良くなっていたのだった。
やや速めの速度で、長谷川沙世は車を走らせていた。出発した当初は怒りにまかせて、かなりの速度で車を飛ばしていたのだが、やがて冷静になった彼女は少しずつ速度を落としたのだ。先ほどは興奮していた所為で、彼女は気が付いていなかったのだが、異常な状態のロボットと速度を出した狭い車の中で長時間二人きりという状況はかなりホラーだ。もし車をかっ飛ばしている最中に暴れでもされたら、下手したら事故死すら有り得る。今は後部座席でラッ君は大人しくしているが、いつまでもこのままという保証はない。もっとも、この状況から早く解放されたいという思いもあったから、彼女は車をスローにもしなかった。それで“やや速い速度”で車を運転しているのだ。
車を走らせれば走らせるほど、人気はどんどんとなくなっていった。人家も店も稀にしか観られなくなっていく。人口減少の影響で地方の過疎化は異常な速度で進んでいる。一部に人口を集中させないと、効率が著しく悪化するという事情もあった。だから都市部を離れると途端に“人里離れた場所”という昔話にでも登場するような異界の雰囲気が醸し出されて来るのだ。
長谷川沙世は、しばらく進んでコンビニエンス・ストアを見つけると車を停めた。これ以上進んだら、店を見つけるのは困難になるだろうと思ったので、ここで食事などの買い物を済ませておこうと考えたのだ。もちろん、ラッ君と二人きりという緊張状態に疲れたので一休みしたいという思いもあったのだが。
車の外に出ると、ラッ君も付いて来た。“あ、やっぱり付いて来るのね”と、彼女は思う。この辺りの行動はぶれない。パンとお茶を買おうとレジに行くと、三十代くらいの男の店員が話しかけて来た。恐らく、滅多に客が来ないから暇なのだろう。話す相手が欲しかったのだ。
「お客さん。珍しいですね。ここらに原発関連以外で人が来るなんて滅多にないですよ」
恐らく、店員は沙世の出で立ちから原発関係者ではないと判断したのだろう。
その言葉に沙世は吃驚する。
「え? ここって原発の近くなんですか?」
すると、店員は意外そうな顔を見せた。
「知らなかったんですか? 原発がある事を知らないで、ここら辺に来る人がいるとは思わなかったな」
「ちょっと別の用事で来たもんですから…… えっと、原発はどの辺ですかね? 入っちゃいけない場所とかあるのかしら?」
「この先をちょっと行った所を左折して進んでいくと、立ち入り禁止の看板が見えますよ。鎖で道が塞がれています。そこをずっと進むと核廃棄物処理をやっている現場に辿り着くらしいですが、流石にそこまで行った事はありません」
その話を聞きながら、沙世はラッ君が放射能に汚染されてしまった原因をなんとなく察した。予想に過ぎないが、沙世が修理を頼んだ業者は、原発で働いて廃棄されたロボットを違法に回収して、その部品の一部を修理に利用したのではないだろうか。その所為で、ラッ君は放射能に汚染されてしまったのだ。
店員はそれからこんな事を語った。
「数年前は、ここら辺にももう少し人がいたんですがね、ほら、核廃棄物の処理をロボットでやる事になったでしょう? それで一気に人が減っちゃって、この店も、今まではなんとか細々と続けてきましたが、もう限界です。そろそろこのコンビニは潰れますよ。まぁ、仕方がないっちゃないのですがね」
「はぁ」
と、沙世は返す。
あまりその店員からは悲壮感は感じられなかったが、やっぱり何処でもロボットに仕事が奪われる問題は深刻なのだと、彼女はそう思った。
沙世はそれからそのコンビニを出ると、興味本位で立ち入り禁止となっている場所まで車で行ってみることにした。確かに店員の言った通りに看板が出ていて、道に鎖がかかっている。ただ、いかにもお粗末で、鎖の下をくぐれば誰でも簡単に中に入れそうだった。
肩を竦めると彼女は言う。
「予想はしていたけど、やっぱり杜撰な管理体制ね。こんなんで、もしテロリストとかに狙われたらどうするのかしら?」
直接襲うのではなく、核廃棄物を奪ってばら撒くといったテロ方法だって存在するのだ。それくらいなら簡単にできそうだし、日本社会や日本政府に嫌がらせをするのが目的なのであれば、それだけで充分に効果があるはずだ。危機意識が甘いと言わざるを得ない。予算が足りないという事情は分かるが、これで安心できるはずがない。
「まぁ、いいわ。先を急ぎましょう」
それからそう呟くと、彼女は車に戻って、元の道を走らせた。もう三十分も進めば、彼女が修理を頼んだロボット修理屋に辿り着くはずだった。
ロボット修理屋の住所はマンション団地の一室になっていた。マンション団地というからには、少しは人気があるだろうと沙世は思っていたのだが、ほぼ廃墟のような外観だ。誰かが住んでいるようには思えない。ここもやはり原子力産業の衰退の煽りを受けてしまったのかもしれない。
「さて、行きますか」
車を降りて気を引き締めると、彼女はそのマンションを目指した。ラッ君は命令せずとも彼女に付いて来た。健気に思える。その姿を見て彼女は「きっと、あなたを直してみせるからね」とそう呟いた。直らなかったら、また高い金を出して家事用ロボットを買わなければならない。正直、彼女にとってそれは痛い出費だった。
“絶対に直させてやる。もちろん、除染も!”
怒りを蘇らせながら、彼女は歩を進める。自然とその速度は上がっていた。しかし、そんな風に“文句を言ってやる”な気分が乗ってきたところで、それを削ぐようなこんな声が聞こえてきたのだった。
「そこの君、ちょっと良いかな?」
その口調があまりにも軽かったものだから、人気のない場所でいきなり話しかけられたにもかかわらず、彼女はほとんど驚かなかった。
“なんじゃい?”
そう思って彼女が目をやると、そこには“エセ・イケメン”とでも形容すべきなような男の姿があった。顔立ちは整っているのだが、どこか締まりのなさを感じさせる独特の雰囲気がその男にはあったのだ。
「あの、わたし、今、急いでいるんですが」
それでなのか、彼女は気が付くと、ほぼ反射的にまるでナンパを断るようにそう答えていた。こんな場所でナンパはほぼ有り得ない訳だが。
「いやいや、君さ、ちょっとくらいは僕の話を聞いてくれよ。僕は君が急いで向かっている先に一緒に行かせてもらえないかと思って、こうして声をかけてみたんだから」
ナンパではない事は分かっていたが、それでも男の口調から沙世はナンパっぽさを感じていた。多分、この男はしょっちゅう女をナンパをしているのだろうと彼女は思う。
「はぁ」
と、それで疑わしそうに彼女は応える。ここは警戒をしておく場面だろう。いや、ナンパをではなく。
「これからわたしが何処へ向かおうとしているのか、どうしてあなたに分かるのですか?」
その沙世の疑問に、その男はこう返した。
「分かるよ。こんな場所で君みたいな人が向かう所っていったら、ロボット修理屋くらいだろう? それに君は、ロボットを連れているし」
それから男は、ラッ君を見やると小さなサイズのスマートフォンのようなものを彼に向け、スイッチを押した。そこに表示されている数値を、目で確認しているのが分かる。
「しかも、そのロボットは放射能に汚染されているときている。なら、向かう先は、ここのロボット修理屋くらいしか考えられないじゃないか」
“なんですって?”
その説明で、沙世はこの男を無視する訳にはいかなくなった。もしかしたら、ロボット修理屋の謎について少し分かるかもしれない。不可解な表情を浮かべながら、彼女はこう尋ねる。
「その機械は?」
「放射線測定器さ。測定できる距離が驚く程広い高性能の。そのロボットの放射線はそれほど強くはないが、間違いなく放射能に侵されているね」
少し考えると、彼女はこう尋ねた。
「その通りですが、あなたは何者ですか? そんな測定器まで持って。どうして、ロボット修理屋に向かおうとしているのです?」
『ロボットを放射能に汚染させてしまう』
『訳の分からない改造をロボットに施す』
『廃墟としか思えないこんな場所に店を構えている』
これだけ怪しい条件が揃えば、これから沙世が向かおうとしているロボット修理屋が普通ではない事は簡単に分かる。ならば、不審に思った何処かの誰かが調査していたとしても不思議ではない。
“もしかしたら、警察かしら?”
と、彼女は仄かに期待していた。さっき不幸にも当たってしまったような怠慢警察官ではなく、やる気のある真っ当で真面目な警察官ならば頼りになると思ったのだ。もっとも、彼は少なくとも女性に対しては真面目ではなさそうだが。
「失礼、僕はこういう者です」
そう言いながら、彼は名刺を差し出して来た。キザっぽく振る舞っているが、垢抜けてはいない。名刺にはある保険会社の名前と“調査員”という肩書きと、“三城俊”という本人のものだろう名前があった。
「あなた、保険会社の調査員なんですか?」
それを読むと彼女はそう訊く。
「ええ、まぁ、以前は営業をやっていたんですが、ちょっとばっかり色々とありまして、こうして調査員をやっています。いやぁ、人生って分からないものですね」
それを聞いて沙世は“ああ、客をナンパしたんだな”とそう思った。クビにならなかっただけでも感謝するべきだろう。
「実は最近、ロボットが放射能に汚染されたとか、怪しい行動をしたとかって事件が増えていましてね。それでロボットにかけられた保険金の支払いを請求してくる客が出て来たんですが、お金を払わなくちゃならないこっちは堪ったもんじゃなくって。
で、僕が調べなくちゃならない事になったんですが、調べてみたら多くの客がここの修理屋にロボットの修理を依頼しているんですよ。それでわざわざ、その修理屋があるここにまで来てみたってわけです。
が、来てみたは良いですが、その後、どうすれば良いか分からなくて。踏み込むにもどう言えば良いやら。ほら、僕は警察でも何でもないですから、捜査権なんか持っちゃいないんですよ。それで困っていたら、そんなところに都合良くあなたが現れたんです。あなたは意外に可愛いですし、これならついでにナンパしたいという条件にもピッタリだと思って、声をかけてみたんですね」
沙世はそれを聞くと考えた。
最後の方の説明は聞き流すとして、この男はいかにも軽いが、悪い人間には見えないし、嘘を言っているようにも思えない。警察ではなかったが、少なくとも利害関係は一致するようだ。自分一人で謎の怪しい修理屋に行くよりは、心強いかもしれない。
「分かりました。ナンパに応じるつもりはありませんが、修理屋に付いて来る件に関しては構いません」
それで彼女はそう答えた。満足そうな顔で、三城はお礼を言う。
「ありがとう。あ、でも、ナンパの方も気が向いたら考えてみてください」
その言葉を沙世は無視した。
それから二人はマンションの一室で開業しているロボット修理屋へと向かった。三城の説明によると、廃墟にしか思えないこのマンションは一応は活きているらしい。かなり格安だが、電気も水道も通っていて、生活している者もいることはいるのだとか。問題の修理屋は三階にあった。ロボット修理の音が騒音になるからなのか、左右の部屋に人が暮らしているような気配はない。沙世はチャイムを鳴らしてみたが、しばらくは反応がなかった。何の連絡も入れないで来たから不在かもしれないと彼女は不安を覚えたが、かなりの遅いタイミングで「はーい、はいはい」と中から慌てたような声が聞こえてきた。ドアが開き、中から妙に痩せた男が現れた。やや大きめの丸眼鏡をかけていて、いかにも人が好い感じだ。胡散臭そうな人間が出てくるものだとばかり沙世は思っていたから、それを意外に感じた。
「何か御用件でしょうか?」
驚いたような表情で、その男はそう言った。それから彼女の背後に控えるロボットに気が付くと「あ、修理のお客さんかな? ロボットが壊れちゃったんですかね?」などと明るい声で続けて来る。沙世はその独特のペースの所為で危うく自分が怒っていたことを忘れるところだったが、無理矢理に気分を奮い立たせるとこう言った。
「“お客さん”ではありません。“お客さんだった”です。わたしは一ヶ月ほど前に、ネットを介してここに修理を頼んだ長谷川という者です」
すると、修理屋の表情はみるみる青くなっていく。嫌な予感を覚えているようだ。恐らく過去に似たようなケースを経験しているのだろう。彼は「はぁ……」と暗い顔で応えた後でこう質問した。
「何か修理したロボットに不備でもあったでしょうか?」
「“不備があったか”ですって? あんな滅茶苦茶な改造をしておいて、何を言っているんですか? しかも、うちのロボットは放射能に汚染されてしまっているみたいですよ? 一体、どんな部品を使ったんですか?」
その言葉に修理屋は頬を引きつらせる。
「いやぁ…… そんな無茶苦茶な改造をした覚えはないんですがねェ。部品はちゃんと買って来たものですし。もしあなたの言う事が本当だとするのなら、元々、放射能に汚染された部品が流通していたんじゃないですかねェ?」
それはいかにも白々しい口調だった。沙世は大いに苛立ちを覚え、修理屋を睨みつける。その視線を受けると、修理屋は妙に情けない顔になり、「まぁ、ここじゃなんですから、中にどうぞ」とそう言った。一瞬だけ躊躇したが三城も一緒にいることもあって、彼女はそれに「分かりました。中でじっくりと話をさせてもらいます」とそう応えた。
沙世達が通されたマンションの一室は、生活感がほとんどない非常に簡素な部屋だった。何もないお蔭で綺麗に見えるが、隅にあるゴミ箱からは長い間捨てられていないと思われるゴミが溢れていた。確り者というわけではなさそうだ。促されるまま居間にあるテーブルの席に座ると、彼女は自分のロボットの“ラッ君”が見せた妙な行動や、有り得ないギミックについてを説明し、そして低レベルとはいえ放射能に汚染されていることも改めて訴えた。
「早く、ラッ君を元に戻してください。もちろん、除染も。わたしは警察に訴える事も考えていますよ?」
実は既に警察に訴えている訳だが、それは言わなかった。もちろん、その方が脅し効果があると思ったからだ。修理屋は「うーん、それは困りましたねェ」などと言う。
「改造を元に戻せと言われましても、私にはそんな事をした記憶がまるでないんですよ。だから、どうすれば良いのやら……」
その修理屋の言葉に、沙世はカッとなった。口を開こうとする。しかし、そこで修理屋は「待ってください」とそう続けるのだった。
「何もしないとは言っていません。改造に関しては覚えがありませんが、放射能汚染に関しては、確かにうちの責任である可能性が最も高いでしょう。そこで、どうでしょう? そのロボットのボディをまるまる入れ替えてしまうというのは?」
「ボディを入れ替える?」
「はい。電脳チップを取り外して、他のロボットの身体に取り付けるんです。元には戻りませんが、それであなたの抱える問題は解決するんじゃありませんか?」
その修理屋の説明で沙世は気が付いた。
“あれ? もしかして、ラッ君の電源を切った後でチップを取り外しておけば、ラッ君が勝手に動き出す事はなかったのじゃないかしら?”
彼女はチップを取り外すやり方を知らないが、ネットで調べれば簡単に見つけられそうだ。それから彼女は内心で文句を言った。
“そんな簡単な事に気付かなかったわたしもわたしだけど、あの警察官も気付きなさいってのよ。お蔭でこんな所まで来ちゃったじゃない!”
ちょっと理不尽だ。
その間を不思議に思ったのか、修理屋が尋ねて来る。
「どうでしょう?」
その声にやや慌てつつ、沙世は返す。
「分かりました。多少不満ではありますが、それで手を打ちましょう。断っておきますが、ロボットの性能は下げないでくださいよ」
そう言った後で沙世は“ってぇか、むしろ上げなさい”と目で威圧する。それを敏感に察した修理屋は「もちろんです。任せてください」とそう応えた。そこで彼女はふと三城を見てみたのだが、彼はただ黙って部屋の様子や修理屋の様子を観察しているだけだった。彼にここで何か話されると拗れそうな気もするので、彼女にとってはその方が好都合だったが、少しばかり不可解には思った。彼はどういうつもりでいるのだろう? 保険会社の調査はどうするのか……
修理屋が言った。
「では、少々、時間をいただけますか?」
「どれくらいですか?」
「そうですね。2、3時間ほどでしょうか」
チップを付け替えるだけにしては、妙に時間がかかるとは思ったが、沙世は大して不審には思わなかった。そんなに待つと、家に辿り着くのが深夜になるが、この際仕方ないだろうと判断する。
「分かりました。では、待たせてもらいます」
その後で沙世がラッ君の電源を切ると、修理屋は電脳チップを外して、直ぐに外へ出て行った。マンションの中にロボットを保管している訳ではないようだ。修理屋が出て行くと、三城が言った。
「あの……ちょっと、あの修理屋の後を尾行けてみませんか?」
沙世はそれを不思議に思う。
「どうしてです?」
「ここの修理屋が明らかにおかしいからですよ。彼は技術者には思えない。手に職人特有の汚れやタコがなかったし、この部屋だって、技術者らしい道具が一つもない」
そう言われて沙世は初めてそれに気が付いた。
「そう言われてみればそうですね。でも、他に職人がいるのかもしれませんよ?」
「仮にそうだとしても、それを確かめてみるべきでしょう」
“どうしてわたしが?”と沙世は思ったのだが、それを言う前に三城は部屋を出て行ってしまった。なんとなく、沙世もそれに釣られて付いて行ってしまう。追ってみると階段を降る修理屋の背中が見えた。1テンポ遅らせるような感じで、二人は彼の後を追った。幸い、修理屋は足がそれほど速くなく、追うのは簡単だった。修理屋は階段を降り切ると、マンションを出る。そして何故かそのまま森の中へと入っていってしまった。
「森の中にロボットを保管している倉庫でもあるんですかね?」
不可解に思った沙世はそう言う。すると、小さな声で三城が問うてきた。
「本当にそう思いますか?」
沙世はそう思ってはいなかった。ただ、そうとでも考えなければ修理屋の不可解な行動の意味が理解できないと思っただけだ。
しばらく森の中で修理屋の姿を追っていくと、スクラップ置き場のような場所に出た。車や洗濯機やロボットなど、様々な種類の機械が投棄されてある。もちろん、正規のスクラップ置き場ではないだろう。つまりこれらは不法投棄された物々なのだ。修理屋はその中を進んでいく。
「まさかあの修理屋、わたしにゴミを引き渡そうって言うんじゃないでしょうね?」
沙世がそう呟く。三城がぼやくように言った。
「それだけで済めば良いですけどね。お、あそこに軽トラがあるぞ。なるほど、普段はあれでロボットをここまで運んでいるのか」
三城が顔を向けている方向には、確かに軽トラックがあった。一応車が通れる道が森を大きく迂回するような形であるらしい。
「つまり、ここが彼の仕事場って事ですか?」
棄てられているロボットの部品を利用した所為で、ラッ君は放射能に汚染されてしまったのだと沙世は考えたのだ。この近くには、原子力発電所がある。三城は斜に構えたような口調でこう返す。
「“彼の”かどうかは、分からないですけどね」
そのまま修理屋を追っていくと、彼はスクラップ置き場の真ん中に立ち尽くしている一体のロボットに近付いて行った。ロボットは修理屋に反応する。どうもそのロボットはゴミではないらしい。子供くらいのサイズの人型のロボットで、かなり汚れていた。指が極めて精巧に造られているのが、遠目からでも確認できる。
「嫌な予感が的中したなぁ」
それを見て三城はそう言った。「どういう事です?」と沙世は尋ねる。すると彼はこんな事を言って来た。
「多分、ここの修理屋は安かったんじゃありませんか? その理由があれですよ。彼は自分じゃ修理していなかったんです」
“どういう意味だろう?”と思って沙世が修理屋の様子を見てみると、彼はロボットにラッ君の電脳チップを手渡していた。何かを告げている。近付いてみると、こんな声が聞こえて来た。
「いいか? できるだけ安全で高そうなヤツを修理するんだぞ! 今度の客はわざわざここまで乗り込んで来たんだ。警察に通報されでもしたら俺もお前もお終いだからな」
「分かりました。マスター」
彼女はその会話に大きく目を見開いた。
「なんですって? つまり、ラッ君を修理したのはあのロボットだったって事?」
三城が淡々と言う。
「君のロボットが、訳の分からない改造をされていたのはだからでしょう。それはあのロボットが勝手にやっていた事だったんですよ。だからもちろん、あの修理屋だってそれを知りっこない」
その後で彼はデジタルカメラを取り出した。修理屋のロボットはそれから廃棄されているロボットを選別し、何やら修理をし始めた。黒を基調とした色合いで、ラッ君よりも大きい人型のロボットだ。特殊な指が繊細に動き、そのロボットに手を加えていく。修理屋はその様子をただ黙って見つめているだけだった。文字通り何もしていない。
「スムーズに修理をし始めたという事は、ここら辺にある前ロボットは、前もって故障個所を調べられているのかもしれませんね」
その様子をデジタルカメラで撮影しながら、三城は独り言を呟くように言った。沙世が小声で彼に訊く。
「確か、ロボットがロボットの修理や改造をするのって違法じゃありませんでしたっけ?」
「違法ですね。国際法により、世界中で禁止されていますよ。禁止するって法律がない国ではロボットの製造が認められていないくらいですから」
ロボットにロボットの修理や改造ができるようになってしまうと、人間に危害を加えるようなロボットを誕生させてしまいかねないリスクがある。しかも、それが群れて協力でもし始めたら、人間には太刀打ちできないかもしれない。だから、国際的に厳しく禁止されているのだ。
「うわっ! じゃ、バリバリ犯罪じゃないですか。いや、訳の分からない改造をしている時点で既に犯罪なんですけどね」
そう言い終えた後で沙世はあの怠慢警察官にまた心の中で文句を言った。“あの警官めぇー”と。この件は絶対に無視をしてはいけない事だったのだ。そのうちに修理屋のロボットは、廃棄されてあったロボットの修理を終えたようだった。渡されたラッ君の電脳チップを埋め込もうとしている。物凄く速い。前もって、ある程度は修理してあったのかもしれない。
「こんなに速く終わるの? しかも全てロボットに任せっきりじゃない。あの修理屋、あの料金でもボッてるわよ」
その沙世の文句を聞くと、三城がツッコミを入れた。
「いえ、あの……、この期に及んで、言う事がそれですか」
少しの間の後で、ラッ君の電脳チップを埋め込まれたロボットの目が鈍くゆっくりと光った。どうやら電源が入ったらしい。そして緩慢な動作で動き始める。
「どうやら直ったみたいだけど、あのロボットは放射能に汚染されていないのかしら? 汚染されていたら結局無駄じゃない」
沙世がそう言ったので、三城は「調べてみますか」と放射線測定器を新・ラッ君に向けてみた。すると、その直後に「ピーッ」という音が鳴ったのだった。
「ちょっと、何よ、そんな大きな音を出して。気付かれちゃいますよ」
ところが三城はそれに何も返さない。顔面を蒼白にしている。そして、
「やばい」
と、一言。こう続けた。
「あの修理されたロボット、かなりの高レベルの放射能に汚染されていますよ」
それを聞いて沙世は「へ?」と言う。つまり先ほどの放射線測定器から出た「ピーッ」という音は、警告音だったのだ。
「という事は、まさか……」
「そのまさかです。先ほどの君の話が本当ならば、あの高レベルの放射能に汚染された新・ラッ君は、あなたを目指してやって来るという事になります。もちろん、あなたが見つからなければ、あなたの自宅を目指すでしょう」
三城が喋っている間で、新・ラッ君から音声が聞こえた。
「GPSにより、現在位置を確認。周囲の対象に、マスターの居場所を質問します。あなた達に質問します。ワタシのマスター“長谷川沙世”は、何処にいますか?」
修理屋も修理屋のロボットも何も答えなかった。すると、新・ラッ君は周囲を見渡し始めた。沙世を探しているのかもしれない。
その様子を見て、沙世は恐怖のあまり後ずさった。新・ラッ君との距離はそう離れていない。“逃げなきゃ……”と彼女はそう思う。そこで彼女は近くにあったスクラップの一つにつまづいてしまった。その音に反応して、新・ラッ君が視線を彼女に向けた。
「マスターを視覚により、捕捉しました。これよりターゲットに向かいます」
そしてその後で新・ラッ君は彼女の方に歩き始めたのだった。その時、長谷川沙世は生涯二度目となる声で悲鳴を上げた。
「ギヒィ!!!」
もちろん、それから彼女は猛ダッシュでその場から逃げ始めた。背後では彼女の存在に気付いた修理屋が呑気な声を上げている。
「お客さーん! 新しいロボットは確かに渡しましたからねー!」
「ざけんなぁぁぁ!」と、彼女はそれに返す。ダッシュで逃げる沙世に向かって、新・ラッ君が言った。
「ターゲットの逃走を確認。これより、追跡します」
その声を聞いて沙世は叫ぶ。
「なんか、気の所為か、“攻撃対象”と書いて“ターゲット”と読ませるみたいな雰囲気を感じるんだけどぉ!?」
それからラッ君は走り始めたが、道の悪いスクラップ置き場という事もあってか、幸いそれほど速くはなかった。これなら沙世の足でも逃げ切れそうだ。しかしそんなところで、三城が彼女に追いついて来て、こんな事を言うのだった。
「駄目だ、君。逃げ切ったら」
「あんた何を言っているの? わたしに死ねってこと?」
「君が逃げ切ってしまったら、あの放射能ロボットは、今度は君の自宅を目指してしまうだろう。太陽電池を搭載しているだろうから、エネルギー切れもない。すると、高レベルの放射能に汚染されたロボットが、街中を歩き回る事になってしまう。これは絶対に防がなくちゃ駄目です」
それを聞いて沙世は走りながら苦悩した。
「なら、どうしろってのよー!」
「取り敢えず、適度な距離を保ちつつ放射能ロボットからずっと逃げ続けましょう」
「簡単に言うなー!」
走り続ける彼女達の目の前に、廃棄されたロボット群が現れ始めた。しかもロボットの一部がわずかばかり動いたように彼女には思えたのだった。悪い予感を覚える。その次の瞬間、にわかに動き始めたロボット達は、沙世の行く手を阻もうと集まって来た。道がロボット達によって塞がれていく。廃棄されていただけあって緩慢な動きだったが、道はみるみるロボットで埋め尽くされていった。その光景は中々にホラーだった。上半身だけ動くロボットが身体を引きずりながら移動していたり、片足しかないロボットがよろめきながら移動していたり。三城が言った。
「もしかして、あの放射能ロボットには通信能力もあるのか?」
沙世は応える。
「でしょうねぇ! 見りゃわかるわよ!」
それから彼女は走りを加速させる。
「こんちくしょぉぉぉ!」
と叫びながら。
沙世は全速力で、わずかに残るロボット達の隙間を通り抜けようとした。しかし、その時に右足と上着をそれぞれ別のロボットに掴まれてしまう。
彼女は叫ぶ。
「ヒィー!」
しかし、そのタイミングで三城が右足を掴んでいるロボットの腕を思いっ切り踏みつけた。錆びているロボットの腕は意外な程に脆く、簡単に歪んで離れた。ロボットの腕が足から離れたのとほぼ同時に沙世は身体を綺麗に回転させると、器用に上着を脱いでロボットの手から脱した。
「いやぁ、色っぽい姿になった」
上着を脱いで少し薄着になった沙世に向けて三城がそう言った。
「言ってる場合かぁ!」
彼女はそう叫ぶと、再び全速力で走り始める。三城が言った。
「にしても、捨てられてあるロボットには近づかない方が良さそうだね」
「言われなくても分かります! 今、掴まれたばっかじゃないですか!」
「いや、多分、ここら辺のロボットって放射能に汚染されているのが多いのじゃないかと思いまして」
それを聞くと、彼女は情けない声を上げる。
「もう勘弁してぇ!!」
新・ラッ君との距離はやや離れつつあったが、厄介なのは逃げ切ってはいけないという点だった。このままでは逃げ切ってしまうと判断した三城が言った。
「ちょっとスローペースにしましょう」
疲れてきている事もあって、沙世はその言葉に大人しく従ったが、同時にこんな文句も言った。
「でも、どうするんです? このままじゃそのうちこっちが疲れて追いつかれますよ。なにしろ、相手はロボットですから」
「まぁ、僕は狙われていませんけどねぇ」
「おい!」
「冗談です。ちょっと考えます」
そう応えると、三城は額の辺りをポンポンと指で軽く叩き始めた。どうもそれで考えているようだ。
「思い付きました。君は、このまま大きくぐるっと回るような感じで、さっき見た、外へと続く道路の方に向かってください」
「道路? 平らな道の方がロボットにとって有利でしょう? 森の方を目指した方が良くないですか?」
「逃げ切るのが目的だったら、そうかもしれないですが、逃げ切っちゃいけないのだったら違いますよ」
「そうかもしれませんが、だからって道路を目指してどうするんです?」
それを聞くと三城は後ろを振り返った。そしてこう返す。
「残念ですが、説明している時間はありません。僕は準備をしてきますから、君はあの放射能ロボットを道路の方にまで連れて来てください」
そう言い終えてから、三城はいきなり走る方角を変えた。道路があった方角だ。沙世は大声で尋ねる。
「ちょっとぉ、何処へ行くんですかぁ?」
三城は明るい声で応えた。
「だから、準備をして来るんですよ!」
“準備ってなんじゃーい!?”と沙世は思ったが、叫ぶだけの元気はなかった。三城が自分を見捨てて逃げたのではないかと疑わない訳でもなかったが、ここは彼を信用するしかない。言われた通り、大きく回るようにして道路があった場所を目指す事に彼女は決めた。
走り続けるうち、彼女は大量の汗をかいた。こんなに走るのは学生時代のマラソン大会以来だ。汗を吸ったシャツが、べっとりと肌に張り付いて透けている。
“これで、この姿を見てみたかっただけだったら殺すからね、あのナンパ男!”
などと彼女は思う。やがて彼女はスクラップでできた緩やかなスロープを上り始めた。足場が悪い方が新・ラッ君に追いつかれ難いと判断したからだ。だがもちろん、彼女の疲労も激しくなってしまう。しかもはじめは緩やかだったスロープのカーブはいつの間にか急になり、まるで崖のようになり始めた。彼女は心の中で呟く。
“これでここを上り切っても、もしあのナンパ野郎がいなかったら、化けて出てやる!”
つまり、もう逃げるだけの体力が彼女には残っていなかったのだ。有利だから選択したはずのそのスクラップのスロープで、彼女は新・ラッ君に徐々に追いつかれ始めていた。もう新・ラッ君までの距離は十メートルもないだろう。
放射能ロボットと化した新・ラッ君に近付かれるだけで、彼女は強力な放射線を浴びてしまう。彼女の身体はどうなってしまうか分からない。少しまた少しと新・ラッ君との距離が縮まる度に彼女は背筋が凍りつくような恐怖を感じた。彼女は力を振り絞って崖を登っていくが、そのスピードは明らかに落ちていた。
強力な放射線を放出し続ける新・ラッ君は、もうすぐそこにまで迫っている。
彼女は徐々に死を覚悟し始めた。
だが、後少しで崖は終わりだった。それだけが唯一の希望だ。その先には三城がいて、新・ラッ君を何とかしてくれるはずなのだ。沙世は最後に立ちはだかっていた冷蔵庫の壁を力いっぱい掴んで這い上がると、崖の上へと転がり上がった。そのタイミングで、ちょうど新・ラッ君は冷蔵庫の下にまで来る。“ギリギリ助かった”と彼女は思った。が……
――え?
次の瞬間には絶望していた。
「何処にもいないじゃないの! あのナンパ男ー!」
叫ぶ。
そう。放射能ロボットをなんとかする為の何かを準備して待っているはずの三城俊の姿は、何処にも見えなかったのだ。沙世の背後で、新・ラッ君の手が冷蔵庫の端にかけられたのだが見えた。
だがしかし、その時だった。
「そこから、離れてください!!」
とそんな声が聞こえて来たのだ。見ると軽トラックが沙世のいる方に向かって突っ込んで来ている。運転座席には三城の姿があった。沙世は咄嗟に身をかわす。その時ちょうど、放射能ロボット“新・ラッ君”が冷蔵庫の向こう側から顔を出した。三城は運転席から抜け出して外へと飛び出した。
そして、そのまま軽トラックは新・ラッ君に向かって突っ込んで行く。それを見て、沙世はガッツポーズを取った。
「よっしゃぁぁぁ!」
そう声を上げる。ところが、なんとそこで軽トラックに急ブレーキがかかってしまったのだった。
自動ブレーキである。
新・ラッ君に反応したのか。それとも崖に反応したのかは分からないが、とにかく軽トラックは止まってしまっていた。
沙世は叫んだ。
「ノォォォー! 信頼に足る日本の安全技術ぅぅぅ!」
軽トラックは、新・ラッ君にぶつかる寸前だった。新・ラッ君は固まっている。音声が聞こえた。
「マスター。お怪我はありませんか?」
“え?”と沙世は思う。そこでガタリと音がした。停止したはずの軽トラックが、地滑りを起こしたように冷蔵庫と共にずり落ちていくのが見えた。一度止まりはしたが、軽トラックが緊急停止した衝撃で、スクラップの崖が雪崩を起こしてしまったのだ。
「ラッ君!」
そう言うと、沙世は崖の近くまで駆けて寄って行った。崖の下では新・ラッ君が軽トラックに押し潰されていた。壊れている。わずかばかり痙攣するように動いてはいるが、再び稼働する気配はない。彼女はそれを呆然と見つめていた。
「ふぅ。やれやれ、なんとかなったみたいですね」
三城が近づいて来てそう言った。それから沙世の様子がおかしい事に気が付いて、彼はこう尋ねた。
「どうしたんですか?」
命が助かったのだから、彼女は大喜びするだろうと彼は思っていたのだ。彼女は押し潰されて壊れている新・ラッ君を悲しそうに見つめながら言った。
「いえ、可哀想だなと思いまして。考えてみれば、ラッ君には何の罪もないのだし」
それを聞くと三城は淡々と言った。
「君って意外にロマンチストなんだね。アニミズムっていうか。あれはただのロボットですよ。ま、もっとも、確かに一番悪いのは、あの修理屋ですけど」
そんなところで噂をすれば影とばかりに、その修理屋の声が聞こえてきた。
「ちょっとぉ! 僕の軽トラになんて事をしてくれてるんですかぁ?」
怒っている。その修理屋に対し、三城は怒り返す。
「“なんて事をしてくれてるんだ?”は、こっちの台詞だよ。一体、どうして高レベルの放射能に汚染されたロボットなんて寄越してきたりしたんだ?」
それを聞いた修理屋は訝しそうに声を上げる。
「高レベルの放射能? 何を言っているんですか? 僕はちゃんと修理ロボットに“安全なロボットを選べ”ってそう命令したんですよ?」
それを聞いて三城は頭に手をやった。呆れたといった感じで口を開く。
「なるほど。だからか。
まったく、馬鹿かお前は。測定器も何もないロボットに放射線の有無が分かるはずがないだろうが!? 多分、あの修理ロボットは安全なロボットを選べと言われて、できるだけ新しくて高性能のロボット…… つまり、つい最近まで廃棄物処理作業をしていたロボットを選んだんだよ」
修理屋は目を白黒させる。
「そんな…… 何処にそんな証拠が?」
「証拠ならそこに動かぬ証拠があるさ。崖の下で壊れているロボットを、この放射線測定器で計測すれば、簡単に高レベルの放射能に汚染されているって分かるぞ。疑うなら近付いてみろよ。強烈な放射線の影響で直ぐに気分が悪くなるから」
修理屋はその三城の言葉にたじろいだ。
「いや…… それは、ちょっと…」
三城は続ける。
「因みにお前はロボットに修理をやらせていたみたいだが、それも思いっ切り犯罪だ。それに関しては、ここに動く証拠がある」
そこで彼はデジタルカメラを見せた。修理ロボットが作業している様子が映っている。
「僕のデジタルカメラは、動画も撮れるんだぜ」
長谷川沙世はその三城の面白くない冗談を聞きながら、“最期のラッ君に、少しくらいは優しい言葉でもかけてあげれば良かったな”と感傷的な気分に浸っていた。
それから三城は直ぐに警察に連絡を入れた。どうやら怠慢な警察官ではなかったようで、直ぐに修理屋を逮捕しにやって来た。「逃げた方が罪が重くなる」と三城から脅された所為か、修理屋は大人しく捕まった。
――十日後。
三城俊が長谷川沙世をお茶に誘いにやって来た。一応は命の恩人なので、無下に断る訳にもいかず、ナンパじゃないかと疑いながらも彼女はそれに応じた。
「納得いかなくてさ」
と、三城は沙世に言った。いつの間にか彼は彼女に対して敬語を使わなくなっている。
「何がですか?」
沙世はそう返す。
「あの修理屋の事だよ。あの修理屋が使っていたロボットは、警察発表によると彼の自作って事になっていただろう?」
「はい。そうですね……」
逮捕された修理屋は、そもそも無許可でロボット修理屋を営業していたらしいのだが、ロボットに修理をやらせていた事だけではなく、そこに投棄されたロボットを勝手に利用した罪や、修理を請け負ったロボットを放射能に汚染させてしまった罪などが加わり、結構な重罪となった。沙世は少しばかり可哀想に思ったが、自業自得だから仕方ないだろうとそう考えていた。
「でもさ。果たして、そんな事があの修理屋に可能なのかな?って思って。はっきり言ってあの修理屋は素人並だったよ。科学知識もあるとは思えない。なにしろ、放射線の予防をまったくしないであんな商売をやっていたらしいからね」
あの修理屋はどうやらかなりの放射線を浴び続けて生活をしていたらしいのだ。何らかの病気になるのも時間の問題だった。だからある意味では警察に逮捕されて命を救われたとも言える。
「でも、そうとしか考えらないじゃないですか? 実際に修理ロボットは存在していたんだから。他にどう説明するんです?」
沙世がそう尋ねると三城はこう答えた。
「他の誰かが作った修理ロボットを、偶然に手に入れた、とかはどうだい?」
「他の誰かって……」
「例えば、国…… より正確には、原子力産業かな?」
それを聞いて沙世は目を大きく見開く。三城は続けた。
「原子力産業としては、少しでも廃棄物処理にかかるコストを浮かせたい。ところが廃棄物処理のロボットの修理にかかる費用は高額だ。だから、それを浮かせる為に、修理専門のロボットを極秘裏に開発した…… その修理ロボットを偶然にあの男が手に入れ、これ幸いと違法で修理屋をやり始めた。そう考えるのなら、色々な事がスッキリするんだよ。
君のロボットは勝手に電源が入るようになっていたのだろう? それに障害物があったら自力でなんとかできるギミックも装備されてあった。命令を無視してある程度は自分の判断を優先させる事もできる。どれもロボット達だけで廃棄物処理の作業をするのならあった方が良い能力だよ」
それを聞くと沙世は疑問を口にした。
「でも、人間の命令を聞かないってのは、少し問題だと思いますよ? ラッ君は“待機しておけ”ってわたしの言う事をまったく聞かなかったですし」
「それはラッ君が、君と一緒にいる事を最優先事項にしていたからじゃないのかな? 廃棄物処理の現場じゃ、人間の命令よりも優先させるべき事がありそうじゃないか。もっとも、絶対に人間の命令を聞かせる裏コマンドみたいなのはあったのかもしれないが」
沙世はその三城の言葉にラッ君の最後の言葉を思い出した。自分を気遣っていたあの言葉を。
やはり悪い事をした。
そんな思いを彼女は抱く。
三城は語り続けた。
「更に不可解なのは警察だね。僕らが簡単に調査して、直ぐに分かるような事を警察が調べられていないはずがないんだ……
もしかしたら、国ぐるみでやっている“修理用ロボットの開発”を隠す為にわざとあの修理屋を逮捕していなかったんじゃないのかな? 放射能に汚染されているロボットがあんな場所に捨てられていたってだけで充分に問題だが、もしそれが真相なら下手すれば国際問題になりかねないぞ」
聞き終えると沙世は言った。
「確かに面白い話ですが、どれも憶測の域を出ない話です。それに、わたし達には巨悪に立ち向かうような力も根性もありませんし」
三城はそれに頷く。
「まぁ、そうだね。僕も怖い組織になんか立ち向かいたくないよ。ま、それはそれとして、どうだろう? これから一緒に映画でも観に行かない? 実は偶然にチケットを二枚手に入れたところでさ」
“……やっぱり、ナンパだったか”
その言葉に沙世は軽く嘆息した。
帰り道。
既に辺りは暗くなっていた。やや強い雨が降っている。そのしとどに振る雨の粒を見つめながら長谷川沙世は思った。
“あれから何回か強い雨が降っているから、あの新・ラッ君の放射能もある程度は洗い流されているんだろうな”
もちろん、それでも人と暮らせるレベルではないのだろうが。
それから彼女はこんな事を思う。
もしも三城俊の推測が正しいのだとすれば、“修理ロボット”は他にも何体もいる可能性がかなり大きい。ラッ君の電脳チップを埋め込まれたロボットは、壊れていて放射能が強かったので、あのまま放置されている。ならば修理ロボットの一体が、勝手にラッ君を直してしまうという事も考えられなくはない。
「……っても、まさか、そんな事は起きないだろうけどね」
そんな独り言を呟いたところで、彼女の自宅前に辿り着いた。そしてそこで彼女は何者かの影がある事に気が付いたのだった。
彼女は思う。
“誰?”
不気味な予感。
次の瞬間、声が聞こえた。
「お帰りをお待ちしていました。マスター」
それは間違いなくラッ君だった。
その時、長谷川沙世は生涯三度目となる声で悲鳴を上げた。
「ギヒィ!!!」
もちろん、それから彼女は全速力でその場から逃げ出していた。多少はラッ君に対して罪悪感を覚えはしたが、やっぱり命には換えられないから。てか、生きてるし。ラッ君。
「もう、勘弁してぇ!」
もしも、核廃棄物の処理をロボットがやるようになったら、放射能に汚染されたロボットが流出するとかって事件が起こるかも…… って思って書いてみました。もう少しリアルにした方が良かったかなぁ
SciFi杯1605というのに参加してみました。
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