17
私が再び図書室に入ると、いつのまにかお地蔵様が図書室の中に入っていた。男の子が押していた台車にも乗っていない。自分で動けたのか。でもしゃべりそうな気配はない。
(......そういえば、少年くんには名前があったのかな)
私と同様、名前も覚えていなかったのかも知れない。だったら名前をつけてあげればよかった。私も、コウタさんに名前をつけてもらってから、なんだか足場がしっかりしたような感じがしていたんだもの。
(まぁ、親切で名前をくれていた訳じゃなかったけれど)
『 じゃあ、名無ちゃんって呼んでいい?』
名無しのナナちゃん。耳で聞いただけでも、その音を現す文字は分かった。ぶどうと言われて武道か葡萄か、すぐに分かるようなものだ。
その後もコウタさんは、ホラガトウゲさんとばかり話して私を黙殺してきた。私も、ぶるぶる怖がって近づこうとしなかったけど。でも、もう怖がっている場合じゃないって事ぐらい空っぽな私でも分かる。
「......アナタ、強くなったわねぇ」
本棚に向き合った私に、お地蔵様が話しかけてきた。
静かな声で話しかけられたから、大きく驚かなかったけれど、それでも私は少しビクリと身震いする。手近にあった絵本が、ボトッと落ちた。題名は『えりちゃんのひみつ! のーと』
内容は、小さな女の子えりちゃんの自己紹介のみ。起承転結なんてない。
『えりちゃんは、●●県○○町に住んでいる女の子! すきなのはいちごと、みかん!』
『かぞくはおとうさん、おかあさん、いもうと! そしてこころのなかにイドとエス! この二人はきょうりょくしあって、えりちゃんを動かしているんだよ、ひかるくんが言ってた!』
『かしこいひかるくんとえりちゃんはいつもいっしょ! ひかるくんはえりちゃんにいろんなことばを教えてくれたよ!』
『えりちゃんはひかるくんがだいすき! おしえてくれたことはずっとわすれないよ!』
こんな調子で約十ページ。絵は子供の殴り描きみたいなクレヨン画。
正直言って、出版社から商品としては出版されているとは思えないクオリティー。そしてここは精神世界。
直感的に理解したような気がして、私はお地蔵様を振り返る。
あの時コウタさんがやったように、じいっと見つめる。
-アタシ内緒話キライなの、どうせ全部アタシにはわかるんだから堂々と言いなさいよ! -
そう言ってたお地蔵様は、言わずとも私の疑問が分かるんだろう。あの時の男の子より早く応えてくれる。
「......まぁ、そうよ。ここは竹下くん......あの男の子の言う『オリジナル人格』の、記憶が本の形で納められているところ。そして、その絵本はオリジナルの基本情報よ」
名前や性別、家族構成。確かにこれには個人情報が載っている。でも、えりちゃん-私たちの元となった人物-のことは何も分からない。せいぜい『ひかるくん』に絶大な信用を置いている事ぐらいだ。
ひみつ! のーとをそこらへんに置いて、私は図書室の蔵書を調べる。ファッション雑誌、漫画の単行本、法律の本に学校の教科書、内容の薄いハードカバー本、アルバム一冊。
アルバムの中にはスナップ写真。ただしすごくぶれまくっていて映っている人はうっすらと、大きな顔の特徴が分かる程度にしか分からない。
「......これは、」
私の言葉をお地蔵様が引き取った。
「それは、『オリジナル』の映像記憶よ。友達や先生や、家族の顔......高橋ひかるくん亡きあと、かなりどうでもいい存在だったようだけど」
「そのひかるくんは、ひみつのーとの、えりちゃんと仲良しなひかるくんですか?」
「ええ、そうよ」
......かなり、えりちゃんはひかるくんの狂信者だったらしい。
それでも私は見ていくと、最新の写真には私服を着た若い男女が写っている。きっと、歳のころは私より年上、コウタさんやホラガトウゲさんのような大学生。
「つまり、えりちゃんの実年齢は大学生?」
「そうね、正確に言えば大学二年生よ」
突然答えたお地蔵様に、私は再度ビクリと身震い。驚かすのはやめてほしい。
抗議の意を込めて睨むと、お地蔵様は口を尖らせる女の子のような口調で言った。
「強いナナちゃんに、ヒントあげてるだけじゃないの」
「別に私は強くないですよ」
少年くんは消えた。ホラガトウゲさんはコウタさんと追いかけっこしていて動けない。これはコウタさんも同じ。
つまり調査できるのは私だけなのだ。だから動く。ただそれだけ。
「それでも強いじゃない。自分が消えるのは怖くないの?」
《 早くしないと、こいつらはあなたを殺しちゃいますよ? それでもいいんですか!? 》
私が消えると脅かした、あの少年くんの声が脳裏に響いた。でも、どうしてあの子はそう断定していたのだろう。そして、何で彼は自分の手を下さず私にやらせようとしたんだろう。疑問は尽きない、でも答えは出てこない。だって少年くんは死んでしまった。
それをコウタさんの視界から『見た』時、空っぽな私に『何で』が詰まった。
だから、今の私は調べたい。この世界には何があるのか、唯一私が持っている『何で』の命じて言うままに。
「......そうなのねぇ、それならアナタが好きなようにしたらいいと思うわ」
私の思考経路をそのまま見たような口調でお地蔵様が頷いた。きっと、このお地蔵様は、私たちがコウタさんの思考を好きなときに見られるように、私たちの思考なんてまるっとお見通しなんだ。
「あなたって本当に何なんですか」
少しイラッとした私は、ささくれた口調でお地蔵様に聞いてみた。
コウタさんからの実況で、このお地蔵様がゲームマスター、ISH? とか言う『Inside-Self-Helper』 である事を知っている。個人の問題解決に来る『守護天使』とかコウタさんが思っていた事も見た。でも、それが何なのか全くさっぱり分からない。まぁ、私に理解できる説明をくれるとは思えないけど。
だから、お地蔵様が答えてくれた事には驚いた。
「私はね、高橋ひかるくんと協力して、アナタ達が幸せに統合する手伝いをしたいだけなのよ」
最初に聞いた事とほぼいっしょ、でも高橋ひかるくんの名前が出ただけで私の耳にも誠実に響いて、さっきの『えりちゃん』を思い出す。
「......そ、それって」
どんがらがっしゃん。
聞き返そうとしたとき、廊下で大きな音がした。




