第19話 トラブルと意外な一面
翌日。昨日の東雲先輩の話が気になり、生徒会の仕事を終えると、俺は生徒会室を抜け出し、教材室へと向かった。
教材室のある階層に足を踏み入れる者は、基本的にはあまりいない。とはいえ、この前の俺のように、先生から頼まれてそこに向かう生徒や教師が全くいないわけではない。故に、閉じ込められる生徒、という者が出てきてしまうわけだが……。
扉を開け、内部を見渡す。相変わらず狭く、また埃っぽい。後、ついでに暗い。年中、カーテン閉まりっ放しだし。
扉を限界まで開き、閉まらないようにしてから中に入る。
さすがに、わざわざ閉じ込められる趣味はない。
……やっぱり、居心地悪いな、ここ。男の俺でも、閉じ込められたら泣き出――しはしないが、不安にはなるだろう。
まぁ、今時はスマホもあるし……あれ? そういえば、スマホってどうしたっけ? もしかして、生徒会室に置きっぱ? だとしたら、まずいな。こんな状況で、万が一にも何かの要因で扉が閉まったら……。
「城島君」
名前を呼ばれ、振り返る。
扉の所に、不思議そうな表情を浮かべた姫城先輩が立っていた。
「こんな所で、何してるんですか?」
そして、そのまま、室内に足を踏み入れる。扉に手を掛けながら……。
「あー!」
「えっ?」
俺の挙げた大声に、姫城先輩が自分の体を抱くようにして驚く。
――その背後で、無情にも扉が閉まった。
「す、すみません! 私、知らなくて」
俺が事情を説明し、閉じ込められた旨を伝えた所、姫城先輩の顔は青ざめ、俺に対してこうして平謝りをしだしたというわけだ。
「いいですよ。俺が初めに、言わなかったせいもあるんですから」
「でも……」
「姫城先輩、スマホ持ってます? 俺、生徒会室に置いてきちゃったみたいで」
謝罪の流れを断ち切る意味も込めて、姫城先輩にそう尋ねてみる。
「ごめんなさい。私もなの」
「あー……」
これで、外部に連絡を取り、助けてもらう事は出来なくなったわけだ。そして、俺の〝謝罪の流れを断ち切る〟という作戦も失敗した。
「本当にごめんなさい」
話をするにつれ、どんどん小さくなっていく姫城先輩。仕事中は、落ち着き払っていて少しの事では動じないが、実は仕事以外ではそうでもないらしい事は、生徒会に入ってすぐに誰かに教えられるまでもなく、何となく察した。
「とりあえず、落ち着きましょう。俺達が戻らなければ、きっと、岸本先輩か東雲先輩が探してくれますって」
「うん……」
ま、それがいつになるのかは全くの不明で、最悪、大事にまで発展する可能性もなくはないが……。
「姫城先輩は、今日も屋上に?」
「はい。息抜きに。城島君は、教材室の調査ですか?」
「調査というよりは、好奇心ですね」
〝好奇心は猫をも殺す〟と言うが、少し自重するぐらいの方がちょうどいいのかもしれない。
辺りを見渡すと、二脚の椅子が目に入った。教室にあるアレだ。そこまで近付き、ハンカチで二脚とも表面を払うと、一脚を姫城先輩の近くに置き、そこから椅子一脚分あいた所にもう一脚を置いた。
「座りましょう。助けがすぐに来るとも限りませんし」
「そう、ですね」
姫城先輩が腰を下ろしたのを見て、俺も椅子に座る。
「冷静ですね」
「はい?」
「城島君は、こんな事になっても冷静で凄いです。私なんて、さっきからあたふたしてばかりで。生徒会長で、私の方が先輩なのに……」
そう言うと、姫城先輩は顔を俯かせてしまった。
「姫城先輩がいるからかもしれません」
「え?」
俺の言葉に、姫城先輩が顔を上げ、こちらを見る。
「姫城先輩の前で、情けない格好は出来ない。頼りになるって思われたいっていう気持ちが、俺の思考を冷静にさせてるのかもしれません」
「じゃあ、作戦通りですね」
「え?」
「今、私、城島君の事、凄い頼りになるって思ってますから」
そう言って、姫城先輩はその顔に笑みを浮かべた。
先程の言葉といい、少しは落ち着いてきたのだろう。笑みを浮かべているせいもあるが、表情が何だか徐々に柔らかくなってきた気がする。
「……」
「……」
狭い室内に二人きり。しかも、すぐには外に出られないというこの状況。どうしても、相手の存在を過剰に意識してしまう。そして、生まれる沈黙。少し気まずい。
「「あの」」
姫城先輩も俺と同じ考えだったのか、見事に声がハモる。
「す、すみません」
「いえ、俺の方こそ」
二人で謝り合う。
「……」
「……」
今度は先程までとは違い、ハモらないようにお互いの出方を窺い、結局、二人とも黙り込むという先程までと同じ状況になってしまう。
いかん。何やっているんだ、俺は。
「この機会に、自己紹介しません?」
少し迷った末に、俺の方から話を切り出す。
「自己紹介、ですか?」
俺の言葉に、不思議そうに小首を傾げる姫城先輩。
「ほら、俺達、ひとつき近く一緒にいますけど、お互いの事、あまり知らないじゃないですか。だから」
「そういえば、そうですね。自己紹介と言っても、名前ぐらいしか、お互い言ってないですもんね」
姫城先輩の了承を得た事だし、まずは言い出しっぺの俺から……。
「じゃあ、家族構成から。俺の家は父子家庭で、親父と二人暮らしです。兄弟などはいません」
〝はい〟と、目でパスを送る。
「私の家は、祖父、両親、姉の六人家族ですけど、姉は今、一人暮らしをしてるので、家にはいません。なので、実際は五人家族ですね」
「へぇー。姫城先輩、お姉さんいるんですね」
初耳だ。
「はい。一つ年上の大学生です。この学校のOGなんですよ」
「じゃあ、姫城先輩は、お姉さんを追って、この学校に?」
「まぁ、そんな所です」
なるほど。
「姫城先輩は、趣味や特技って何かあります?」
「趣味は……ピアノを習ってるので、練習以外でもたまに弾いたりしてます。気持ちが落ち着くので。特技は……何でしょう?」
いや、俺に聞かれても……。
「城島君は?」
「趣味は……ネットサーフィンしたり漫画読んだり、とかですかね」
本当に、しいてあげればという感じだが。
「特技は……ないですね、俺も」
ま、姫城先輩の場合、俺と違って、思い浮かばないというだけで、ないわけではないんだろうけど。
「城島君は、休みの日、何してるんですか?」
「特に何も。友達と出掛けたり、漫画読んだりテレビ見たり……ですかね。姫城先輩は?」
「私は――」
その時だった。廊下の方から、微かに足音が聞こえてきた。人気や音源のないこの階層に、その音はよく響く。
慌てて席を立つと、俺は扉の方に移動した。
「誰か! 誰かいますか!」
扉を叩き、大声を出す。
すぐに反応は返ってきた。小走り気味の足音が、こちらに近付いてきて、部屋の前で止まる。
「誰かいるの?」
あれ? この声……。
「東雲先輩ですか?」
「え? 城島っち?」
扉越しに、お互いがお互いの声に驚く。
「城島っち……。昨日忠告したのに、なんで閉じ込められるかな……」
「あはは……」
呆れ声の東雲先輩に、俺は苦笑を返す。
「違うの、志緒ちゃん。私が扉を閉めちゃったから」
「うえ? 静香ちゃんも一緒なの? どゆ事?」
「説明は後でしますから。とにかく、鍵を」
「うふふ。こんな事もあろうかと、すでに鍵は私の手の中に」
「なら、早く開けて下さい!」
まったく。ふざけるのなら、時と場所くらい選んで欲しいものだ。
「えーっと、大丈夫?」
「何がです?」
「その、服とか乱れてない?」
「……」
「……」
東雲先輩の言葉に、お互いがお互いの格好を見る。当然、服は乱れていない。当たり前だ。何もしていないのだから。
「って、何言ってるんですか!?」
ようやく、東雲先輩の言葉の意味を正しく理解した俺は、顔を真っ赤にし、叫ぶ。その背後で、何やら不穏な空気が。
振り向くと、姫城先輩が満面の笑みを浮かべていた。しかし、その笑みはどこか不自然で、なぜか怖かった。
「志緒ちゃん。冗談はいいから、早く開けなさい」
「……はい」
姫城先輩の新たな一面を垣間見た瞬間だった。




