第15話 挨拶週間と弁当
ウチの学校には、毎月、〝朝の挨拶週間〟なるものが存在するらしい。
毎月、二週目に行われるそれは、言葉の通り、生徒達に挨拶を促すための行事であり、またそれを行うのは生徒会役員である。
五月の二週目。先月は新しい年度に替わったばかりという事で、〝朝の挨拶週間〟は行われず、今日から始めるこれが今年度初めての〝朝の挨拶週間〟という事になる。
「おはようございます」
裏門を潜り、学校の敷地内に入ってくる生徒と教師に、誰彼構わず声を掛ける。
声掛けを始めた当初こそ、恥ずかしさがあり、どうしても小さな声になってしまったが、声を出していく内にその気持ちも薄れ、それに伴い、声も次第に大きなものへとなっていった。
ちなみに、俺と一緒に声掛けを行っているのは、岸本先輩。後の二人の先輩は、正門の方で同じく声掛けを行っている。
朝のホームルームが始まる十分前になり、ようやく生徒会の仕事が終わる。鞄はすでに教室に置いてあるため、後はこのまま手ぶらで戻るだけだ。
「初めてにしては、よく声が出てたな。明日からも、この調子でよろしく頼むぞ」
その道中、岸本先輩からそんなお褒めの言葉を頂く。
「ありがとうございます」
いくらか、励ましは入っているだろうが、やはり、褒められると素直に嬉しい。
昇降口の手前で、正門で声掛けをしていた二人の先輩と合流し、下駄箱で教室の方向の違う俺だけがその一団から離れる。
廊下には、まだホームルーム開始まで時間があるという事で、談笑する生徒の姿が多く見受けられた。担任が来る前に戻ればいいという考えなのだろう。
教室に戻ると、クラスメイト達に適当に挨拶をし、自分の席を目指す。
「おはよう、城島君。朝から大変だったね」
席に着くなり、隣の席の岡崎から声を掛けられる。
「あぁ。今週は悪いな。一緒に登校出来なくて」
「ううん。生徒会の仕事だもん。仕方ないよ」
俺の言葉に、微笑で応える岡崎。
朝はいつも岡崎と一緒に登校してくるのだが、今日は〝朝の挨拶週間〟があるせいで、それが出来なかった。いつもは二人で登校しているため、一人での登校にはやはり違和感を覚える。……いや、寂しいとかでは決してなく。
「なんか、すっかり生徒会の一員って感じだね」
「……」
椅子を反転させ、前の席の優が半分、体をこちらに向ける。
本人にその意思はないんだろうが、何だか少し茶化されたような気分だ。
「っていうか、美人に囲まれてウハウハって感じ?」
江藤のこれは、完全に茶化しだ。そして、発想がまるで親父である。
「あのな、そんな余裕ないっての。ただでさえ、先輩ばっかで緊張するってのに」
今日なんか、岸本先輩とずっと二人きりだったのだ。それで緊張するなっていう方が、無理な話だ。
東雲先輩はフランクで、姫城先輩は可愛らしい人――というイメージが強い。なので、こう言っては何だが、俺の中で、生徒会役員の中でいちばん緊張する相手は、やはり岸本先輩なのだ。とはいえ、苦手というわけではない。むしろ、憧れていると言ってもいいほど、俺は岸本先輩の事を尊敬している。
「まぁ、どっちでもいいけどさ。たまには、由愛の相手もしてあげなさいよ。この前だって、私達の誘い断って、別の女の子と仲良くしてんだしさ」
「だ、か、ら……」
江藤の言葉には、もう反論する気すら起きない。
夏樹は女の子だが、その前に従妹だ。つまり、親戚。それに、先約という意味では、彼女の方が先で、尚且つ優先度も高い。
「もう、湊」
そんな俺を見兼ねたのか、代わりに岡崎が江藤に詰め寄る。
「あの時は、親戚の子が来てて、仕方がなかったんじゃない。それなのに、いつまでも同じ事を言わないの」
「あのね、由愛」
岡崎に詰め寄られた江藤は、なぜか呆れ顔だった。
「由愛がそんなんだから、孝との仲が進――ん!」
何やら言おうとしていた江藤の口を、岡崎がいつもの感じからは想像できないくらい、素早い動作で塞ぐ。
その動きに、俺と優は、二人で面を食らう。
「ちょっと、湊……」
「だって、アンタが……」
そのまま、内緒話に移行する江藤と岡崎。
距離が距離だけに、聞き耳を立てれば、話の内容は聞き取れるが、俺にも一応はデリカシーというものがあるので、そんな事はしない。
「そう言えば、壮行会には優も参加するのか?」
女子二人の密談を横目に、俺達は俺達で会話をする。
「うん。男子は先輩いないから」
そう言って、恥ずかしそうに苦笑をする優。
「まぁ、なんにせよ、一年で壮行式に出られるんだから、大したもんだよ」
先輩がいないからといって、男子全員が式に出られるわけではない。特に、優の所属する陸上部のように、男女の垣根があまりない所は、どうしてもまだ、女子の方が圧倒的に多く、式に参加する傾向にある。確か、陸上部の場合、七対三の比率だったと思う。
「そんな事言ったら、生徒会役員として、檀上に上がる、孝の方が大したもんだよ」
「別に、俺はたまたま運が良かっただけだよ」
色々な事がいいように転び、今の俺の立ち位置がある。
「きっと、分かる人には分かるんだよ。孝の良さが。そういう人が、孝を生徒会に推薦したんじゃないかなぁ」
「買い被り過ぎだ」
優だけじゃない。みんな、俺を買い被り過ぎなのだ。
昼休み。四人で二つの机を囲む。
二つの机とは、俺と岡崎の机で、それを囲む四人とは、机の持ち主に江藤と優を加えた、いつもの面子だ。
女性陣二人の前には、自作の綺麗なお弁当が、優の前にも、自作ではないが、同じく綺麗なお弁当が置かれている。それに比べ、俺の昼食は、というと……。
ビニール袋から菓子パンを一つ取り出し、それを齧る。
料理が出来ないわけではないが、毎日となるとさすがに面倒で、どうしてもこういう形になってしまう。
「毎日そんなんで、飽きないの?」
江藤が呆れ顔で、俺の齧るパンを指す。
大きなお世話だ。
「一応、物は換えてる」
「って言っても、所詮は菓子パンでしょ? たまには、誰かの作った物を食べたいとは思わないの?」
「そりゃ、思うけど……。そればかりは仕方ないじゃないか。まさか、親父に頼むわけにもいかないしさ」
時間があるないに関わらず、親父の料理のスキルは俺以下、更に興味も薄いと来ている。それなら、まだ俺が作った方がマシというものだ。
「そういえばさー」
突然、わざとらしい口調で、話を切り出す江藤。
「前に由愛、毎日、作ったお弁当のおかずが余って大変だって、言ってなかったっけ?」
「なっ!?」
江藤の言葉に、岡崎の体が椅子の上で大きく跳ねる。
「み、な、とー」
「何? 私、何か悪い事言ったー?」
明らかに、岡崎がなぜ怒っているのか分かっていながら、江藤は惚けている。
江藤もよくやるよ。
「別に私は、思い出した事を、ただ口にしただけで、嘘は言ってないし、由愛に睨まれる筋合いはないんだけどなー」
「なんで、このタイミングなのよ」
江藤に顔を近付け、小声で言う岡崎だったが、その声は、耳を澄まさずとも丸聞こえだった。
「いいって。何も、岡崎に弁当を催促しようってわけじゃないんだから。江藤をそんな責めないでやってくれよ」
なんか、そんな反応を見せられると、本来、関係ないはずの、こちらが申し訳ない気分になってくる。
「まぁ、でも、利害は一致するわけだ」
それまで、黙って俺達の話を聞いていた優が、誰に言うでもなく、ぽつりとそう呟いた。
どう考えてもそれは、思わず口を突いて出てしまった、独り言ではない。明らかに、何かを意図した発言だった。
優は、時よりこういう事をする人間だ。そして、大抵、こういう時は、優の思惑通りに事が進む事が多い。
「孝は食べたいよね? 由愛のお弁当」
優の発言に、ここぞとばかりに乗っかる江藤。その表情は、嬉々としている。
「まぁ……」
本人が目の前にいる手前、大っぴらに否定する事も出来ず、どうしても曖昧な受け答えをしてしまう。
「ほら、孝もこう言ってるわけだし」
「……ホントに? 社交辞令じゃない?」
「おう……」
意を決したというような表情の岡崎に気圧され、思わず頷いてしまう。
というか、この状況、頷く他ないだろう。
「じゃあ、早速、明日から作ってくるね」
「え? あぁ……」
なんだか知らんが、妙な事になった。
岡崎が、明日から俺の分の弁当を作ってくる? なんだ、その展開? それじゃあ、まるで……。いや、考え過ぎか。岡崎は、お弁当のおかずが毎日余って困っていた。だから、もう一人分作ってくる。うん。それだけだ。そこに変な勘繰りを入れるのは、下衆というものだ。
「良かったね、由愛。けど、こうも上手く行くなんて。まさに、作せ――」
「あー!」
江藤の言葉を、突然、岡崎が大声で遮る。
「どうした?」
急に大声出すなんて、岡崎らしくない。
「それに、作戦って……」
「白線。きっと、湊は、白線流しって言いたかったんだと思うな。ね? そうだよね?」
岡崎の迫力に圧され、コクコクと小刻みに頷く江藤。
不自然極まりない光景だったが、無理に追及しても仕方ないので、ここはあえて聞き流す事にした。
しかし、白線流しって……。さすがに、無理があり過ぎるだろ。というか、よく咄嗟にそんな言葉を思いついたな、岡崎も。




