第12話 起床と着信
目を覚ますと、いつもより天井が高かった。
……いや、いきなり、天井の高さが変わるはずがない。これは、天井が高いんじゃない。俺の寝ている場所がいつもより低いんだ。
そこで、ようやく、昨日の出来事を思い出す。
そうか。昨日は、風呂から帰ってきたら、夏樹が俺のベッドで寝ていて、起こそうとしたんだけど全然起きなくて、結局、そのままにしたんだっけ……。
体を少し起こして、ベッドの上を覗き込む。
カラ……? 夏樹はもう起きたのか? 寝坊助の夏樹が、俺より早く起きるなんて、珍しい事もあるもんだ。
「ふわぁー」
欠伸を噛み殺し、体を完全に布団の上に起こす。
「ん?」
すぐ横を見ると、布団が不自然に膨らんでいた。
その膨らみは、まるで、誰かがそこで寝ているような形をしており……。
……まさか。
ゆっくり、掛け布団を捲る。
案の定、パジャマ姿の少女が俺の隣で、猫のように丸まって眠っていた。
そう言えば、ウチに来たての頃は、よくこうして、俺の布団に潜り込んできてたっけ、こいつ……。最近はなかったから、すっかり油断していた。
「おい」
体を揺すり、夏樹を起こす。
「んー? あれ? 私……」
起き抜けで頭がうまく働いていないのか、夏樹の反応は鈍い。
「〝あれ?〟じゃねぇーよ。人の布団に、勝手に入ってくるなよ」
「いやー。つい、寝ぼけて」
絶対、嘘だ。
大体、なんで、フカフカなベッドで寝ていたのに、わざわざ、床に敷いた薄い布団に移動してくるかな。普通、逆だろ。
とりあえず、夏樹への説教は後回しにし、まずは朝を迎えるべく、立ち上がる。
窓まで近づくと、俺は勢いよくカーテンを開け放った。
陽の光が室内に降り注ぐ。
〝本日は晴天なり〟と、思わず言いたくなるくらいの天気の良さだ。
余談だが、あの言葉自体に意味はなく、別に、雨が降っていようが、槍が降っていようが、同じ台詞を言うらしい。由来は忘れたが、確か、アメリカが関わっていたと思う。
――等と、下らない事を考えながら、続いて窓も開ける。
途端、心地のいい風が、俺の頬を撫でた。
「うん。いい風だねー」
背後から聞こえてきた、あまりに呑気な声にカチンと来る。
自分の置かれた状況、分かってんのか? こいつ。
「うっさい。早く起きろ」
振り返り、まだ布団から出ようとしない夏樹に起床を促す。夏樹は、いつの間にか、剥がしたはずの布団にくるまっていた。
「後五分……」
「たく」
こうなってしまった夏樹は、ちょっとやそっとの事じゃ、もう起きない。まぁ、後数分もすれば、自分から起きてくるだろうから、今は放っておこう。
全く起きてくる気配のない夏樹を見限り、俺は一人、一階のリビングに向かう。
室内に人の気配はなかった。
まだ親父は起きてきていないらしい。
自室同様、カーテンと窓を開け、朝を迎える。
一旦、外に出て、新聞やらチラシやらを手に取り、再びリビングに。それらをテーブルの上に置き、台所に向かう。
台所で簡単な朝食を作り、食卓に並べる。もちろん、二人分だ。
親父の分は、いつ起きてくるかも分からないし、いつも作らない。〝朝食は勝手に〟が我が家の家訓だ。他にどんな家訓があるかは知らないが。
今日の朝食は、白飯に、目玉焼きとハム、後はインスタントの味噌汁。シンプル イズ ザ ベストだ。
その頃になって、ようやく、夏樹が下に降りてくる。
おそらく、朝食が出来る時間を、見計らって降りてきたのだろう。偶然にしては、タイミングが良過ぎる。
「ふわぁー。おはよう」
口元を押さえて登場した夏樹の前に、歩み出る。
「もうすんなよ」
「何を?」
俺の言葉に、小首を傾げる夏樹。
こいつ……。
「勝手に布団に入るなって言ってんの」
分かり切った事を、そう何度も言わせんなよな。
「前以て、許可取ればいいって事?」
「そういう事じゃねぇーよ」
「?」
再び小首を傾げる夏樹。
この仕草、この表情、もしかして、マジで言ってんのか、こいつ。だとしたら、
どれだけアホなんだ。
「はぁー。とにかく、もうするなよ」
「はーい」
元気過ぎる返事が、逆に俺の不安を増大させるのだった。
食器を洗い終え、自室に戻る。
「……」
ベッドが占領されていた。
「あ、お帰りー」
読んでいる雑誌に視線を落としたまま、ベッドの上にうつ伏せで寝転んだ夏樹が、俺をやる気なく出迎える。
その格好は、いつの間に着替えたのか、白い半袖のカットソーに、グレーのツイードショートパンツと、パジャマから普段着に変わっていた。
ホント、いつの間に着替えたんだ、こいつ。
夏樹がいるため、着替えるのを諦め、椅子に座る。
勉強机の本棚から漫画の単行本を一冊取り出し、それを開く。三巻完結の恋愛物だ。カメラを題材にした、少し変わった雰囲気の作品だった。
「ねぇ、孝兄」
「んー」
お互い、本から顔を上げず会話をする。
「生徒会楽しい?」
「……遣り甲斐は感じてるよ」
昨日と同じ答えを返す。他に答えようがなかったのだ。
「高校の生徒会って、どんな事するの?」
「さぁー。基本的には、中学とそんな変わらないんじゃないか。やる事の規模は、全然違うだろうけどさ」
なんて言ってみたものの、入って間もない俺が、高校の生徒会について語れる事など、ほとんど無いに等しいのだが。
「じゃあさ、生徒会に可愛い子いる?」
「は?」
突然の話題転換に、思わず本から顔を上げる。
「だって、生徒会役員って、孝兄以外はみんな女子なんでしょ?」
「だからって、なんだよ、その質問は?」
「うーん。なら、クラスには? 可愛い子いる?」
「そんな事聞いてどうするんだよ」
「別にー。ただ聞いてみただけ」
夏樹は、本当に〝ただ聞いてみただけ〟らしく、そのまま、黙り込んでしまった。それを見て、俺も読書に戻る。
それから数分後――
「うぉ!」
朝、リビングに向かう時に、ズボンのポケットに入れて、そのままにしてあったスマホが突如、震えた。
「うお? 魚?」
雑誌から顔を上げた夏樹が、俺の顔を不思議そうな顔で見る。
「違う。ポケットに入れっぱなしで忘れてたスマホが震えて、少し驚いただけだ」
「感触があるのに、忘れるもんなの?」
「時々な」
「ふーん」
とりあえず、スマホを取り出し、画面を見る。
着信中。相手は、江藤だった。
通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『遅い。後、ツーコールしても出なかったら、多分、切ってた』
知らんわ。そんな事。別に俺は、常に江藤からの通話を、待ち構えているわけではないのだ。それに――
「ズボンのポケットにスマホ入れっぱなしにしてたから、その存在をすっかり忘れてて……」
『それって、忘れるもんなの?』
「……」
同じような説明をした所、同じような感想が返ってきた。きっと、この感覚は、女子には分からないのだろう。
「で、用件は?」
『あ、そうそう。今から買い物行くんだけど、孝も一緒に行かないかなって』
「江藤と俺が?」
そりゃまた、変わった組み合わせだ。
『安心しなさい。由愛も一緒だから。ってか、今、由愛の家から掛けてるの。この電話。替わろうか?』
「いや、いい」
いきなり変わられても、何を話していいか迷う。
『そう。で、どう? 来る? 来ない?』
「……」
夏樹の方を見る。雑誌に集中している風を装っているが、こちらに意識が向いている事は明白で、夏樹は明らかにそわそわしていた。
「悪い。止めとく」
『何? 孝のくせして、ゴールデンウィーク中に何か予定でもあるって言うの?』
どうやら、城島孝という人間は、ゴールデンウィーク中に予定を入れる事すら許されない存在らしい。
『もしかして、女?』
うっ。鋭い。これが女の勘という奴か。
「……ちょっと、家絡みの用事でな。キャンセル出来そうにないんだ」
嘘は言っていない。本当の事も言っていないが。
『……まぁ、いいわ』
良かった。何とか、誤魔化せたようだ。
『じゃ、また学校で』
「ああ。またな」
通話を終え、スマホを机の上に置く。
ふう。なんか、一仕事終えた感じだな。
「何? 友達?」
「まぁな」
「別に、良かったのに。遊びの誘いでしょ?」
なんて言いつつも、本当に出掛けたら、きっと、いじけるんだろうな。
「大丈夫。そういうんじゃなかったから」
「ふーん」
興味なさげな声に反し、夏樹の足は、主人の心情を伝えるように、パタパタと楽しげな動きを見せるのだった。




