第10話 OGと料理
二人の先輩に連れられ訪れたそのお店は、学校から歩いて十分程の場所にあった。
喫茶〝味深〟。
味が深いと書いて〝みみ〟と読むらしい。変わった店名だ。
店の外観は年月を感じさせる趣のある造りで、ヨーロッパ風というかアンティーク調というか、とにかくそんな感じだった。
岸本先輩が扉を開けると、鈴の音が店内に鳴り響き、来客を告げる。
「いらっしゃいませ」
女性のはつらつとした明るい声が、俺達を出迎える。
長い髪を後ろで一つに縛った、女子大生風の女性だった。格好は、白いシャツに紺のGパンで、ズボンの上には黒いエプロンをしている。容姿は端麗で、笑顔の中に自信のようなものが見え隠れしていた。
岸本先輩と姫城先輩は慣れているらしく、店員の案内なく、店の奥に進む。
三人掛けのソファーに二人の先輩が並んで座ったので、俺もテーブルを挟んだ、その向かい側にある同じく三人掛けのソファーに一人で腰を下ろした。
程なくして、人数分の水とお絞りを持った、店員が席にやってくる。先ほど俺達を入り口で出迎えた人だ。
「ご注文はお決まりですか?」
水とお絞りをそれぞれの前に並べ、店員がそう尋ねてきた。
二人の先輩はミルクティーを、俺はコーヒーを注文する。この店の特色がよく分からないので、とりあえずいつも他の店で頼んでいる物をチョイスしてみた。
「では、ごゆっくり」
一礼し、店員が去って行く。
現在、店内に俺達以外の客は一名しかおらず、店員も二人しかいない。注文を取りに来た女性と、カウンターでコップを磨く中年の男性だ。
「まずは、二日間お疲れ様。どうだ、生徒会の仕事は?」
「まだ分からない、というのが正直な感想です」
「そうか。まぁ、正式に君が生徒会の役員として認証されるのは、ゴールデンウィーク明けだから、それまでに徐々に感じを掴んでいくといい」
「城島君なら、きっと大丈夫ですよ」
だといいんだが。
数分後、注文した品を手に、店員がやってくる。
「ご注文の品は以上でよろしかったでしょうか?」
そして、飲み物をそれぞれの前に置くと、そう尋ねてきた。
「はい」
女性の問いに、姫城先輩が答える。
「それにしても、珍しいな。お前達が、志緒以外の人間とここに来るなんて」
「へ?」
突如、変わった店員の口調と態度に、思わず驚く。
「彼は城島孝君といって、今度ウチに入った新入生です」
「どうも」
姫城先輩に紹介され、女性に頭を下げる。
「共学一年目から男子を生徒会に入れるなんて、静香も意外と思い切った事をするな」
「いえ、これは学校側から正式に打診があった事で、別に私の意見というわけでは……」
「学校側から? それこそ、思い切った話だな」
「共学一年目だから、らしいですよ。内外に、共学した事をアピールしたいようです、学校としては」
「ふーん」
皮肉混じりの岸本先輩の説明に、女性は微妙な表情をその顔に浮かべた。
話を聞いている限り、この人も聖調学園のOGのようだが、一体ふたりとはどういった関係なのだろう? ……まぁ、何となく予想はつくが。
「あぁ。すまない。この人は、御堂葵さんといって、静香の一つ前の生徒会長さんだ」
俺の内心に気付いたのか、岸本先輩が女性――御堂さんを俺に紹介してくる。
「ちなみに、静香は一年の終わりには生徒会長をしていたから、学年で言えば葵さんは私達の二つ先輩、という事になる」
「どうもー」
「よろしくお願いします」
笑顔でこちらに手を振る御堂さんに、再び会釈をする。
「で、カウンターにいるのが、葵さんのお父様で、悟さん。この店のマスターだ」
岸本先輩の紹介に合わせ、俺が振り向くと、悟さんがこちらに軽く頭を下げてくれた。
俺もそれに応じる。
「今回、生徒会に入るのは彼一人?」
「はい。今後の事を考えると、もう一人は最低でも入れておきたかったんですが」
「まぁ、数だけ揃えても仕方ないしね。使えない駒は、足手まといにしかならない。その点、城島君はいい目をしてるよ」
「え? あの」
御堂さんに、すぐ目と鼻の先まで顔を近付けられ、うろたえる。
「生徒会役員の中じゃ、誰が好みだ?」
「はい?」
今まで話していた内容と全く違う内容の質問だったため、意味を理解するのに少し時間が必要だった。
「君も男の子だ。綺麗どころ三人に囲まれ、何も思わないわけじゃないだろ?」
「……」
助けを求めて二人の先輩を見るも、岸本先輩は呆れた様子でミルクティをすすり、助けてくれる気はなさそうだった。ならばと、姫城先輩に視線を絞る。
「あのー、城島君も困ってますし、そういう質問は……」
俺の願いが通じたのか、姫城先輩が助け舟を出してくれる。
「なるほど。静香はこういうのがタイプか?」
「……へ?」
突然、自分に矛先が向き、姫城先輩が固まる。
「いやいや、意外だな。静香はもっと年上で、包容力のあるのがタイプだと思ってたんだがな」
「それはとんだ見込み違いですね」
さすがに見兼ねたのか、岸本先輩が口を挟む。
「ほー」
「静香は、パッと見は守ってあげたくなる弟のような存在だけど、いざとなったら男らしい人がタイプなんです。そういう意味では――」
「あー」
声を挙げ、姫城先輩が岸本先輩の口を塞ぐ。
言いように言われ、とうとう我慢が限界を迎えたらしい。
「ふーん。これは楽しくなりそうだ」
意味深な笑みを浮かべ、去って行く御堂さん。
御堂葵。前生徒会長か。……何だか、不思議な人だ。
掃除をするため、御堂さんの姿が店外に消える。
その様子を横目に見つつ、俺は色々あってまだ手を付けていなかったコーヒーを口に運ぶ。
程良い苦味と癖のない味が、口一杯に広がる。あまりコーヒーに詳しくない俺でも、この味がチェーン店の物とは比べ物にならないくらい美味しい事は分かった。
「ん?」
視線を感じ、そちらを向くと、姫城先輩が俺を見ていた。
「何か?」
「いえ、城島君は、コーヒーに何も入れないんだなって思って」
「静香は、ブラックが飲めないんだ」
「ちょっと、由佳里」
自分の秘密をバラした友人を責める姫城先輩だったが、当の本人は素知らぬ顔だ。
「そうなんですか?」
「えぇ……」
俺の言葉に頷きながら、姫城先輩は恥ずかしそうに顔を俯かせた。
「好みは人それぞれですから」
などと、一応、フォローを入れてみる。
「けど、ブラックでコーヒーが飲めないなんて、なんか子供っぽくないですか?」
「あぁ……」
まぁ、確かに、そういう印象は受けるかもな。
「やっぱり」
「でも、女性のそういうとこって、なんだか可愛いですよね」
「可愛い、ですか?」
姫城先輩が、意外そうな表情で俺を見る。
「少なくとも、俺はそう思います」
「そうですか……」
再び恥ずかしそうに俯く姫城先輩。
それを見て、何だかこちらも恥ずかしいような気分になってくる。
暫し、沈黙が二人を包み込む。
「んっ! 二人共、私を忘れてないか?」
その沈黙を破ったのは、岸本先輩の咳払いだった。
「え? そんな事は……」
「ねぇ?」
俺と姫城先輩の反応は明らかに不自然で、暗に岸本先輩の言葉を肯定しているようなものだった。
「そ、そういえば、城島君の家に門限ってあります?」
話題転換を図ろうとしたのだろう、姫城先輩が唐突にそんな事を聞いてくる。
「ウチは、決まった門限は特にありませんけど、晩飯作らないといけないんで、早めに帰るようにはしてますね」
「晩御飯、城島君が作ってるんですか?」
姫城先輩が驚いた顔で、そう尋ねてくる。
「はい。親父の帰りは遅いですし、毎日、出来合いの物じゃ、栄養片寄そうですから」
「あ……」
姫城先輩が一瞬言葉を詰まらせ、岸本先輩も渋い顔をした。
どうやら、気を遣わせてしまったらしい。
「すみません、私……」
「そんな。気にしないで下さい。母が亡くなったのは、俺が物心つく前で、親父との二人暮らしが俺の日常ですから」
母の顔を思い出そうにも、俺の頭に浮かぶのは写真の中の母だけで、肉眼で見たものはぼやけてはっきりとしない。
「お二人の家には、門限あるんですか?」
重たくなった空気を換えようと、こちらから話を振ってみる。
「私の家は九時、静香の家は八時になってる。とはいえ、余程の事がない限り、晩御飯前には帰るがな」
となると、やはり、俺の帰宅予定時間が三人の中では一番早いのか。
「城島君の家は、学校からだとどのくらい掛かるんですか?」
「二十分くらいです。ゆっくり歩いてそれぐらいなんで、走れば十分強で着きますけど」
現在の時刻は、五時三十分過ぎ。まだ少し時間的に余裕がある。
「晩御飯は、いつ頃から城島君が作り始めたんですか?」
「中学に入ってからです。元々、親父の飯は不味くはないんですけど、なんか味気ないというか。だったら、自分で作るかって感じで」
自ら率先してというよりは、仕方なくという感じだ。
「でも、いいですね。台所に立つ男性って」
「なら、そういう旦那を貰えばいい。ほら、目の前に打ってつけの男性が……すまない。冗談だ」
姫城先輩の顔があまりに赤くなったため、岸本先輩が途中でからかい目的の冗句を切り上げる。おそらく、俺の顔も少しは赤くなっていると思うが、姫城先輩と比べればその変化は僅かなものだろう。
男性に免疫がないというのは、どうやら本当らしい。




