強いて言うなら異世界ですかね
「ようこそ、この世界へ」
「だ、誰だ」
「私ですか? ……神ですかね、強いて言えば」
「神? ……。ここは……どこなんだ?」
「強いて言うなら異世界ですかね」
「異世界?」
「ええ。表現するならそう表現するしかないんです。あなたは、今はじめてこの世界へと呼ばれて来たのですから。今まであなたがいた世界とは違う世界なんです。……すなわち、異世界、ということになるんじゃないでしょうか」
「異世界……。そう言われてもピンと来ないが」
「そうでしょうね。しかし時間はあります。……なにせ一度足を踏み入れた者はもう、生きて返すわけにはいかないんですから」
「何だと!?」
「諦めてください。あなたは死ぬまでこの世界から出られません」
「嫌だ!」
「いえ、あのう、そう拒むのは早いと思うんですが。この世界のことを何も知らないでしょう?」
「そうだが……」
「知りたいでしょう? ……異世界と聞いて何を想像しました?」
「想像?」
「妄想と言ってもいいですけど。いえね、異世界と聞くと……妄想を働かせる人間が多いんです。元の世界ではパッとしなくとも、この世界では優れた能力を持ちそれを駆使して思いのままに冒険したり強力な敵をなぎ倒したり、大勢から尊敬され異性からは好かれ、なんというかやりたい放題のですね、とにかく素晴らしい生活が送れるんだ、というような妄想をね」
「……そうなのか?」
「ええ。そんなものです。要するに、夢の世界なんですね、なんでも自分の思い通りになる。元の世界があまり楽しくない方ほどそういう妄想に逃げ込むものらしくて。現実逃避というわけでしょうか」
「む……」
「図星ですか? そうでもないですか? まあどちらでもいいのですけれど」
「そうでもないほうだったな。俺は、そんな妄想をするほど夢を持っちゃあいない」
「そうですか。それはお寂しい」
「……なあ、ここは、あの世なのか? 俺は死んだのか?」
「へえ。どうしてそう思うんです」
「だって……そりゃそうだろう。この足元に広がる光景を見れば誰だって」
「ああ……。気がつきましたか。私達が今どこにいるのか」
「気づいちゃいたさ。あまりに現実離れしていて言い忘れただけだ。なにせ見渡すかぎり雲。雲の上にいるんだ。そしてよく見りゃ雲の隙間から小さく見える街。つまりここははるか上空ってことだ。そうだろ? 高さはどのくらいだ? どうやって上がった? 落ちる様子もない」
「そうですねえ」
「つまり魂になっちまったってことなんだろう。俺は今魂がこうして空をさまよっているってわけでさ。俺がいた世界じゃ生きてる人間は宙に浮いたりしない。特別な道具もなしに飛んだりなんてしないんだ。……あんたの言うとおりここを異世界と言っても間違いじゃないかもしれない。あの世ってやつ……天国か? それも異世界には違いないしな」
「天国? ……ははは、なるほど天国ですか。そういう妄想もありですねえ」
「妄想ときたか」
「妄想ですね。……ここは天国じゃありませんから」
「じゃあ地獄か」
「あはは。面白い人ですねえ。天国でも地獄でもありませんよ。この、今あなたが新たに足を踏み入れた世界にはですね、あなたが生きていた世界と同じようにたくさんの生き物が、そして人が生きているんです。死んでるんじゃなくて、生きてるんですよ。あの世じゃありません。初めから言ってるじゃないですか。異世界だって。そうとしか言いようがないんですよ」
「そんな言い方じゃ何もわからんがな……。俺のいた世界じゃないことだけは確かなんだな」
「異世界と言うのは嫌ですか? 嫌なら名前でもつけましょうか? アナザー・ワールドとか。……そのまんまかな」
「名前なんてどうでもいい。いや、そもそもここがどこの世界でもいい。俺を返してくれ」
「返すって?」
「もとの世界にだ」
「それはできませんよ。初めに言ったでしょう。生きて返すわけにはいかないと」
「なぜだ」
「それは……まあその、ここがそういう世界だからだ、と言うしかないですね。安心してください。この世界にも、死はあります。剣で斬られたり銃で撃たれればもちろん、ちゃんと死にますよ。ゲームじゃないんですから。悪党に棒で殴られても死ぬし、火炎で焼かれても死ぬし、水に溺れても死にます。コンティニューはありません。ああ、毒もありますね。解毒できないのとか。……とにかく、人はいろんな理由で簡単に死ぬんですよ。……自殺って選択肢もありますし。それを選ぶ訪問者は少ないですけどね」
「お前が何を言っているのかよくわからんが……」
「そうですか。要するに、命はいつもうっかり失われるものだから気をつけて下さいってことですよ」
「……。危険な世界なのか?」
「そうでもないですよ。わりと平和……かどうかは、あなた次第ですかね。全く安全かというとそうでもないか。とにかく、死ねば終わりです。ちゃんとこの世界から追い出されます。この世界で生きるのはやめられますよ」
「もういい……」
「いいですか。では会話は終わりでいいですかね?」
「なあ、本当は、返せない理由は、違うんだろう? そういう世界だとか言っていたが」
「違いはしませんが」
「だがもう一つある筈だ。それは、俺が……死んだからだろう。元の世界で……あの戦闘で」
「……」
「なあ、あの戦闘だよ。アスリシア帝国の第十一騎士団が、帝王グリアスの配下の四魔将の一人、黒鍵のシュナイダーを討伐しにナダーラ氷穴へと突入した時の……」
「よく覚えておいでで」
「当然だろう。……あの戦いの結末はどうなった?」
「討伐は成功したようですよ」
「……そうか」
「ええ。騎士団は全滅でしたが」
「!! ……くそ。しかし……使命は果たしたのか、皆は」
「ええ。あなたのおかげでね。あなたが自分の身を盾にし、その身朽ちるまで立ち続けシュナイダーの火炎術を押さえ込んだおかげで、魔導師ミズナの天光魔法陣が完成する時間が稼げました。あれが決定打と言えましょう」
「ミズナ!! ミズナは無事なのか!? ……あ……」
「ええ、全滅と言いました。彼女は厳密には騎士団員ではありませんがね。しかし天光陣に魔力を使い果たし命を落としました」
「く……せめてミズナだけは……」
「こんなことはもうあなたに言っても仕方がないことですが」
「……ああ」
「ミズナさんは、あなたが死んだ時は自分も命を捨てる覚悟だったのです」
「……」
「ミズナさんだけではない。最後の一人が相打ちとなるまで戦った他の騎士達も同じ気持ちだったでしょう」
「……ミズナは……この世界に?」
「そう来ると思いましたが。答えは、いいえ、です」
「……そうか……。もう……会えんのか」
「はい。二度と」
「……そうか」
「これで未練はなくなったでしょう。まだ、元の世界に戻りたいと思いますか」
「いいや……。あんたの言うとおりだ。俺にはもう、元の世界に戻る理由がなくなったらしい」
「そうですか。じゃあ、もう話は終わりでいいですか?」
「いいや、まだだ」
「まだ何か」
「お前は最初俺にこう言ったな。呼ばれて来た、と。……この世界、異世界と言ったな……アナザーワールドだったか? この世界に俺を呼び出したのは、何者だ? どんな理由で呼び出したんだ」
「アナザーワールドなんてのは私が勝手に今呼んだだけですけど。どこの世界にも名など無いですよ。質問が二つあるようですね。まず召喚者が誰か、という問いですが、ええと、メグとカイト、という二人組ですね」
「何者なんだその二人は」
「愛しあっていますよ」
「そんなことは聞いてないが……」
「重要ですよ。愛は。何でもとは言いませんが、大抵のことは叶えますからね。二人が何者かというとですね……まあ、もうじきわかりますね。あなたは二人に必ず会いますから」
「確信があるのか。……そういう運命だとでも?」
「まあ、そう言っておきますか」
「ふん。なら会って文句の一つも言ってやるさ」
「やめてあげてくださいよ、それは」
「良いだろう。俺はもう、安らかに眠りたいんだ。それなのにそいつらは、そいつらの勝手で俺を召喚したんだろう? だいたいそいつらはなぜ俺を呼び出したんだ?」
「……理由、ですか」
「ああ、理由があって呼び出したんだろう」
「……理由……理由ですか。うーん、無いようなものですね」
「無い……だと? 無いのか? 人を一人、異世界から召喚したってのに、理由がない?」
「まあその……」
「間違いか何かで呼び出したのか?」
「いやそういうわけじゃありません。二人にもそのつもりがなかったわけじゃないんです。ただ、二人が「あなたを」呼びだそうとしたのかと言われると、判断に困ります」
「どういうことだ」
「ある意味では、誰でも良かったということですよ」
「何」
「とは言っても……二人に聞いてみればもちろん、あなたを必要としたのだと言うでしょうね。いやこれは間違いないと思います。二人はこの世界から帰れなくなったあなたを、家族として迎えてくれる。それは召喚者の義務でもありますし、そうでなくともあの二人なら心配ないでしょうし」
「なら誰でも良かったというのはなぜだ? どういう意味なんだ」
「だって。……知らないんですよ。彼らは、あなたのことを」
「知らない?」
「ええ。あなたがどういう人間か、名前は何か、どこの誰か。顔も、声も、男なのか女なのかも知らない。何ができて、何が好きで、何を大事にする人間か? そういったことを一切知らないまま、あなたを呼んだんです」
「俺を……アスリシア帝国の第十一騎士団の団員と知っていて呼んだわけじゃないのか」
「知らないでしょうね。だって異世界ですし。アスリシアって何? と言うと思いますよ」
「ふっ。誉れ高き閃光の騎士団を知らんのか……」
「そんなもんですよ」
「だが、そう具体的なことを知らずとも、誰でも良かったわけじゃないだろう。戦士を必要としたんじゃないのか」
「どうでしょうね」
「俺の兵士としての腕を……戦闘能力を必要とした訳じゃないのか。魔物に襲われているとか、そういうわけじゃ」
「違うんじゃないですかねえ」
「……それじゃ本当に誰を呼び出すつもりだったんだ」
「だから、誰を呼びだそうとしたわけでもないんですよ。いえもちろん、こういう人がいいという希望もなくはなかったでしょうけど。でも、そういう希望は必ずしも叶わないんです。この世界の召喚術って、そんなに融通がきくものじゃないんですよ。どういう人間がやって来るかはわからないんです。あなたが彼らの希望通りの人間とは限らないんです」
「そりゃ……えらく不便な召喚術だな」
「まあ、そうですね。でも、そのぶん、この世界の人間は誰が呼び出されても受け入れますよ。わりとね。彼らはあなたのことを大切にすると思います」
「そういう気質なのか」
「まあ、そもそも彼らだって同じ召喚術で呼び出された者達ですから」
「……なんだと? 他にも人間が……呼び出されているのか」
「相当な数がね。もしかしたら全員そうじゃないかな。だから大丈夫ですよ」
「そう言われてもな……結局、そいつらは俺を必要としたわけじゃないんだろう」
「うーん、そもそも、あなたがどういう人間なのかなんてことは、大して重要じゃないんですよ。そんなの、あなたが自分で決めることだと言ってもいい。これまでのあなたのことは忘れていいんです。どんなキャラでいきたいですか? 考えてみてください。ああ、そうそう、名前だけは別です。あなたの名前はあなたを呼び出した人間がつけます。それも召喚者の義務ですから」
「名前を? 俺の名を、そいつらがつけるのか? それが召喚者との契約というわけか……。義務と言ったな」
「義務は色々あります。どこの世界も一緒ですね。あなたのいた世界にも義務はあったでしょう」
「義務……というより使命だな。重要なのは。そう、使命だ。俺はこの世界で、何をすればいいんだ?」
「……それも、自分で決めるんです」
「何だと? 使命だぞ?」
「だから、それを自分で決めるんですよ」
「意味がわからん。召喚されたのに……使命がないだと。目的までも定められていないというのか」
「そうですよ」
「敵は? 魔王やその眷属が残ってはいないのか? ああいや、お前の言うように世界が違うのならそれはいないにしてもだ。敵対する国はあるだろう。戦は起こっていないのか」
「なんだ、戦いたいんですか」
「誤解するな。俺だって戦いが好きなわけじゃない。だが俺は剣に明け暮れてきたからな。役に立てそうなことと言ったら……」
「それならそういう生き方もできますよ。でも、そうじゃない生き方もできます。それこそ女の子とずっといちゃいちゃしたっていい。それもやり方次第じゃできますから。好きなように生きて下さい。もちろん初期パラメータや運の要素に左右される部分も多々ありますが、わりと何でも自由にできる世界ですから」
「お前の言うことは……いちいちピンと来ないな」
「ははは。まずはこの世界で色々とやってみることですかね。やってみればそのうち、やっていけるということがわかるかもしれませんし」
「この世界では……何が必要とされるんだ。魔法か? 俺も多少は使えるがあまり自信はないが……」
「さあ? それも自分で探してくださいよ」
「……おい、なあ、俺にはここで必要とされるような、何か能力が与えられるのか? さっき言っていた初期パラメータとかいうのが気にかかる。それはどういうものだ」
「それも私から教える義務はありません。あなたが自分で発見するんです」
「……不親切だな」
「醍醐味、と思ってください。それに、今教えたところで忘れてしまいますから」
「……忘れる?」
「ええ。あなたはまもなく、これまでのこと全てを忘れるんです」
「全てだと?」
「ええ。綺麗さっぱり。もともといた世界のことも、今ここでのことも。なあんにも。何一つ思い出せなくなります」
「なんだそれは。やめろ……!」
「ダメです。これはルールですから。この世界に呼び出された者は、それまでの全てを失うんです。記憶だけじゃない。能力、習慣、経験、思い出。何も残りません。そして肉体もリセットされる。そういう召喚術なんです」
「……おい、頼む。やめてくれ! 俺は……自分を忘れたくない。ミズナとの思い出を……忘れたくないんだ」
「それはそうでしょうね。でも、すいませんがダメです。あなたは二度とミズナさんのことを思い出しません」
「ふざけるな……!」
「抵抗はよしてください。諦めてください。……あ、泣いているんですか? まいったな」
「頼む……。俺は死んだんだ。それは受け入れる。生き返りたいなんて言わん。ミズナにもう会えないのも受け入れよう。だが、記憶は……思い出は残してくれ。それだけを頼りに俺は」
「だからそれを頼りにされちゃ困るんですってば。無理言わないでくださいよ」
「いやだ……嫌……だ……!」
「諦めるしかないんです。いくらでも泣いていいですよ。好きなだけ泣いて下さい。でも泣きつかれたら、前を向いて自分の足で立って、それから、どこかで死ぬまでなんとかやってみてくださいね。だって、生きてこの世界を出ることはできないんですから。少々苦難に満ちた世界かもしれませんが良いこともあると思いますし」
「い……や……」
「慰めになるかはわかりませんが……。あなたが全てを失っていても、この世界はあなたを必要としていますよ。あなたの能力でも、知識でも、記憶でもなく、ただあなたという人間を必要としているんです」
「…………」
「この世界が必要としたのは、あなたの「これまで」じゃないんです。あなたの「これから」です。だからあなたは何も持っている必要はないんです。……もう言葉もわからないですかね?」
「……」
「では。良い旅を」
*
ひときわ大きい泣き声が、廊下に響き渡った。
待合ベンチで祈っていた柏原界人は立ち上がった。
分娩室の扉が開く。
現れた看護婦は、笑顔を見せた。
「生まれましたよ。元気な男の子です」
とある片田舎の産婦人科。
結婚三年目の界人と恵の間に、この日、待望の第一子が誕生した。
赤ん坊は何も持っていなかった。
能力も、知識も、記憶も。
全てを忘れていた。
二人は彼を家族として、この世界の一員として迎え入れる。
赤ん坊は、ただ泣いていた。
彼は「守」と名づけられた。誰かを守れるような強い男になるように、と。
異世界での冒険が今、始まる。