扉の向こう
2013年早々に書いた作品です。
自身の掌編八作目です。
「はぁ、はぁっ。もう、やんなっちゃうよぉ……」
放課後。
校門を出たところで忘れ物をした事に気づき、あたしは教室に向かって走っている。高校一年生にもなって、まだ忘れ物癖が抜けないのはなかなか厄介だ。
(先生方、どうか今回だけは怒らないで下さい。とっても急いでいるのです。今日は早く家に帰って、お母さんとショッピングに行く予定なのです。これは何がなんでも急がなくてはいけないのです!)
なんて心の中で言い訳しながら、廊下を突っ走る。
こんな時は、思い切ってショートヘアにしてよかったなって思える。中学生の頃はロングヘアだったけど、どうも動きにくいから苦手だった。まあ、おしとやかな子とは思われていたんだけどね。
そんな事を考えている間に教室に到着。校門から教室まで約一分でした。我ながら早かったと思います。あれ? 何か口調が……、まあいいや。
無意味に前髪やスカートの裾を整えたりなんかして、教室の扉に手をかける。
――その時、扉の向こうから話し声が聞こえてきた。
あれ、誰だろう。もうすぐ下校時刻なのに、まだ誰か残ってるのかな。ちなみにうちの学校の窓はスモークガラスで、外から中の状況はよく分からない。
「今、私たちだけだね」
「そうだな」
「今日も、疲れたね」
「ほんとだね。君にとっては身を削る思いなんじゃないか?」
「ふふっ、冗談上手いね」
やけに楽しそうな、そして、いい雰囲気の男女の会話がきこえる。何だか入りにくい……。邪魔しちゃ悪いし、もう少しだけここで待ってようかな。
こちらに気づかれないよう、扉に背を向けそっとしゃがみこむ。そして、聞き耳をたてる。決して盗み聞きではないよ。二人のお話に少し興味があるだけなのだ。
「私、ずっと思ってたんだけどさ」
「ん? 何を?」
「私って色んな事書いちゃうでしょ? 本当に色んな事。たまに、絵も描いちゃったりして」
「そうだな。それがどうかしたのか?」
どこかで……聞いた声だ。
そういえばうちのクラスに、小説を書くのが好きな子が一人いたっけ。な、名前が思い出せない……。
長い黒髪と赤いフレームの眼鏡が似合う、キレイな子。でもとても大人しくて、あたしはあまり話した事はない。
ただ、彼女が優しいのは知ってる。以前、筆記用具を忘れた私にえんぴつを貸してくれたことがある。そういえば、返すの忘れてた! 今度返す時に名前も聞こう。
「誰かが嫌だなって思う事を、私が残してたらって思うと怖いの。何だか、居心地悪くなりそうで……」
「う~ん。誰だってキレイ事を言ったり、嫌な気持ちを吐き出したりする時ってあると思うけどな。だから、君はそのままでいいんじゃないか?」
「そうかなぁ」
「うん。僕もよくキレイ事言っちゃうしね。まあ、僕も同じなんだよ」
「ふふふ、そっか。あんまり気にしない方がいいのかな」
「そうだよ」
優しい男子だ~。うちのクラスに、あんな優しい人いたかなぁ。
いや、いる。河野君だ。彼しかいない。
あたしの一つ前の席に座る、雰囲気のある男の子。中性的な顔立ちがとても可愛い。それだけじゃなく、誰にでも気を遣えるすごくいい人だ。
そして、あたしの憧れの人。
いつだったか。あたしが消しゴムを落とした時も、彼が真っ先に拾ってくれた。その時の優しい微笑みは、今もあたしの心に焼きついている。
そういえば、河野くんの声と扉の向こうの男子の声、似てるなぁ……。
え? てことは、これはもしかしてピンチなの?
「あのさ。少しだけ僕のキレイ事、聞いてもらってもいいかな?」
「う、うん。いいよ」
え? ウソ……。告白、しちゃうの? やだ。こんな瞬間をお目に……じゃなかった、お耳にかかってしまうとは。ど、どうしよう……。
「僕は、君が表現するものは全部キレイだと思う。いろんな色で着飾る子もいれば、力強く自分を主張できる子もいる。でも、やっぱり君が一番だ。それに、君にしかできない事ってあると思うんだ」
「私にしかできない事……たとえば?」
「たとえば……僕が生きる理由になってくれる」
「え?」
「君がいなければ、僕の存在価値なんてほとんどないよ」
「そ、そんなこと……」
河野君が、小説美少女に告白してしまった……。彼が、あたしの手の届かないところに行ってしまう。あ、だめだ。涙が出てくる。
今から教室に入って二人の邪魔をしてやろう、と考えてしまう自分がいる。でも、そんなよこしまな感情を必死に抑えた。
だって、あたしが河野くんにアプローチしなかったのがいけないんだもん。
高校に入学して、河野君と同じクラスになって、三か月くらい。その間、あたしは彼とまともに話をした事がない。いつもぼんやりと彼の姿を眺めていただけ。
あたしはおっちょこちょいだし、体型も子供っぽい。唯一女の子らしかったロングヘアも、高校入学と同時にサヨナラした。
そんな自分に自信がもてなくて、彼に話しかける勇気がなかった。
それに河野君は今、真剣に自分の想いを好きな人に伝えている。一生懸命になってる彼を裏切るような真似はしたくない。
でも、泣くぐらいは仕方ないよね。
河野君も、許してくれるよね。
「もし君が、どうしても自分の書いた事をやり直したいって思うなら、僕なら手伝ってあげられる。その事が、とても誇らしいんだ」
「……ありがと」
「いや、なんか……勝手な事ばっかり言って、ごめん」
「ううん。嬉しい」
「何だか、照れるな」
「ふふっ。じゃあさ……これからも、一緒にいてくれる?」
「うん。こちらこそ、お願いします」
はぁ……。
二人とも、おめでとう。あたしの分までお幸せにね。
でも、あたしはどうすればいいのさ。非常に入りにくいったらないよ。
――あっ。
下校時刻のチャイムが鳴っちゃった。早く忘れ物取りに行かなくちゃ。これはもう、失礼承知で入るしかないか。
濡れた頬をハンカチで拭ってから、ゆっくりと教室の扉を開けた。
「し、失礼しま~す……あれ?」
教室には誰もいない。
さっきまで話し声が聞こえてたのに。おかしいな。声の主は、河野君たちじゃなかったの?
でも、たしかに誰もいない。あたしの鼓動が聞こえそうなくらい静かだ。
「も、もしかして、幻聴……だったの?」
もしそうなら、やばくないかな。かなり重症じゃないかな。
いやだ。こんな若いのに幻覚に悩まされるなんて……。もっとポジティブに考えよう。
……ふと、ひとつの考えが頭に浮かんだ。
もしかしたら、いつまでもウジウジしてるあたしを、自分の中の誰かが叱ってくれたのかも。
早くしないと、誰かに先越されちゃうぞって。
「そ、そうだよね」
あたし……今のままじゃいけないよね。
明日からは積極的に、河野君に話しかけてみよう。髪も、ロングに戻しちゃおうかな。
「はっ。とりあえず早く帰らなきゃ。お母さんとのショッピングが待ってるんだ!」
ひとまずの安心と、これからの不安。二つの感情を胸に、あたしは自分の席に向かう。
――でも何だか、ひとつ扉の向こうに行けそうな気がする。
「あったあった。この教科書忘れちゃったら宿題できないところだったよ。……って、他にも忘れ物してんじゃん!」
◇◆
教室の窓際の席、夕日に照らされ紅く染まる机。
その上に置かれた教科書の横で、えんぴつと消しゴムがひっそりと寄り添っていた。
オチで驚かせて、かつ納得してもらうのって難しいです!!
掌編の難しさを改めて実感した作品でした。