一歩踏み出すその時は1
―――勇者ゼイン、奇跡の青年。女神が創りたもうた聖なる剣ユルシュルに選ばれた、聖なる剣ユルシュルの使い手。類いまれな勇気を持ち、仲間とともに励まし合い、闘志と正義を燃やし魔王を討ち滅ぼし、世界に再び平和をもたらした。
………と、世間ではいわれてはいる。
こういえばたいへん聞こえがいい。聞こえは、いいのだ。聞こえは。
しかし実際はというと。現実というのは甘くはないのだ、決して。
実際は、勇者はへたれていた。情けなかった。自分を選んだ聖なる剣を、ごみに出したり川に流したり埋めたりした。
そして、引きこもった。あまりにも情けなく、監視役がつけられた。
勇者に監視がつく。そんな前代未聞なあり得てほしくない役職に就いたのは、大陸有名ギルド一番の“名物受付嬢”。
ガラの悪い冒険者が来ても、札付きの冒険者が来ても、性格が悪い冒険者が来ても、態度のでかい“あなた何様”が来ても、怯むことなく“恐い営業スマイル”で逆に押し返し、彼らを怯ませた受付嬢リーレアンナ・ブルーフェンドルス。名家の貴族のご令嬢でもある彼女だった。
姉御、姉貴、兄貴と慕われはたまた恐れられ、舎弟という名の親衛隊が頼みもしないのに付き従うご令嬢。
そんな彼女が時には姉のように、時には母のように、時には父のように、時には鬼となり勇者をびしばしびしばしと背中を蹴―――否、背中を叩いて勇者を前へと進ませたのが実情だ。現実だ。
だから奇跡もへったくれもないし、もちろん類いまれな勇気も持ち合わせていなかった。
旅の道中でさえ―――現実から逃げ、仲間にずるずると引き摺られて、魔王討伐の旅に出たのだ。しかも……魔物が出れば、仲間の後ろに逃げる。魔物が出れば、聖なる剣を投げて逃げる。魔物が出れば、相手によっては気を失う。こんなにも、勇者は情けなかった。
まぁ、そんなこんなんで……仲間がかなり死力を尽くして、魔王は討伐された。実情は、剣士と賢者がかなり頑張って戦い、監視役がかなり頑張って勇者を震い立たせ―――否、奮い立たせて、ようやく魔王を倒したのだが。
魔王討伐後、勇者の一行は皆通常の時間を取り戻した。
剣士はあるものを求めて再び冒険者稼業に戻ったし(実はギルドを通じて剣士と監視役は顔見知り)、賢者は住まいの森へと帰り研究の日々に戻った。勇者も、加護を女神に返上しいち村人に戻ったという。
そして、監視役はといえば。
「…………」
「…………」
時刻は昼下がり、場所はブルーフェンドルス家が領主を勤めるバックリー地方、ブルーフェンドルス家邸宅の庭。
暖かな日差しが庭へと降り注ぎ、緩やかに風が吹く穏やかな時間。
しかし勇者の監視役だったリーレイは、とてもではないが穏やかではなかった。
「…………」
「…………」
庭に面するテラスにて、ブルーフェンドルス家当主フェルナンドと、嫡子リーレアンナの間に流れる空気は、とてつもなく重苦しいく、とてつもなく息苦しい空気だった。
「…………父さま」
「…………なんだい、リーレイ」
リーレイは名家ブルーフェンドルスの長子であり嫡子だ。
ブルーフェンドルス家は、高い位の貴族ではないけれど、建国の頃の初代王から続く名家。……といっても一族は皆無欲すぎる性格、代々毒にも薬にもならない家柄。だからこそ、王都から少し離れた山間の領地は、のほほんのほほんとした雰囲気。王都からみれば田舎、薬にも毒にもならない領地であった。
しかし、いくらのほほんとしていても、ブルーフェンドルス家は貴族だ。位が高くなくとも、立派な貴族だ。国王陛下より領地を預かった領地の管理者だ。その職務は一族に課せられた義務。ゆえに、嫡子は子を成し、次代へと職務を受け継いでいかなくてはならない。
嫡子たるリーレイにももちろん婚約者はいた。しかし悲しい出来事があって、婚約は破棄となり、いまはフリーであった。リーレイが若ければ、悲しい出来事も事情が事情なので、同情的な人から縁談なり何なりの話が持ち込まれただろう。
しかし悲しいかな、行き遅れの年齢のリーレイは、同情はされても縁談なり何なりの話は来なかった。
……そう、まともな縁談は。
「そこで、わたくしにこの方とに会えと」
リーレイの目の先には、一枚の絵、縁談相手の肖像画だ。
将来的には不安がつきまといそうな頭部と腹部の……年齢も中年期に差し掛かった、離婚を繰り返すという評判の、さる位の高い貴族の次男だ。
「父さま。わたくしの年齢と立場からは何も申せませんが。……にしても、いくらなんでも年が離れすぎてはいませんか。この方、わたくしより父さまのほうが年が近いでしょう!?」
庭に設えた茶会用のテーブルを、ダン! と激しく叩くことでリーレイは気持ちを表した。それでも溢れる気持ちはおさまることなく、リーレイは怒鳴りたいのを我慢し、拳を強く握りこんだ。いまにも爪が食い込んで血が出そうだ。
「しかし、他は十になったくらいの子だ。そちらは親御さんがおまえに年が近い」
リーレイの父である当主はのらりくらりと、娘の怒りをかわす。
「おまえはどちらがいいんだい。それとも、父さんが必死になってかき集めた縁談以外に何かいい話を知っているのかい?」
父に皮肉げにいわれて、リーレイは黙った。リーレイの脳裏に浮かぶのは、ある男性。中年期に差し掛かった男性でもなく、男性という年齢に程遠い子供でもない。彼らよりも年が近い男性。
「いますわ、ええいますとも!!」
リーレイは、ご令嬢にあってはならない態度で――鼻息荒く――父に宣言した。
「勇者さまが、ゼインさまが!!」
リーレイが鼻息も荒く叫んだ名前、それはヘタレ勇者ゼインだった。