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剣士は悩み、迷走する10



「この女性が……」


 やはり桃色の室内には、桃色の寝台に桃色の着衣に身を包んだ女性が眠りについていた。

 黒絹のような艶やかな長い髪が、卵形のちいさな真っ白な顔に流れ落ちていた。閉じていてもわかる大きな瞳は垂れぎみの優しい形をしている。フィンカーズは、開けば何色をしているのか無性に知りたくなった。

 ヴィヴァーネの本体はまさに眠る森の美女であった。あのくねくねと動くオカマのヴィヴァーネからは、全く想像ができない本体であった。


「本当に女性だったんですか……」

「あなたそれは失言ですわよ」


 しかし無理もなかった。フィンカーズの知るヴィヴァーネは筋肉の塊のオカマであって、決して美女ではなかった。


「……だからって、美しすぎませんか……」


 フィンカーズはヴィヴァーネから目をそらした。ヴィヴァーネを見ていると、何故か顔が熱くなるのだ。おかしい、何で脈が激しい。ヴィヴァーネを見ていると、口から心臓が飛び出しそうだった。


「何見惚れてますのかしらぼうや」

「だ、だだ誰がぼうやですか!? そそれに誰が誰にですか!」

「貴方はあたくしから見れば十分にぼうやですわ。おむつのとれたばかりのよちよち歩きの小僧ですわよ」


 ずびしぃっ! と女神はフィンカーズを指差した。


「手段は接吻、魔力を接吻に込めてヴィヴァーネにぶつけますのよ」

「接吻?!」


 要するに、キス、口づけ。

 フィンカーズが、ヴィヴァーネに。


「――っ!?」


 ボッと、フィンカーズの顔が茹で蛸になった。

 賢者ニネット・フィンカーズ、今年で355歳。今までお付き合いした女性はいない。もちろん、キスの経験はない。


「貴方、三百年生きてきて接吻まだですの……、まさか……女性とお付き合いもまだ?」


 女神はおそるおそる問うた。


「………」


 フィンカーズは答えなかった。それが肯定だった。


「えぇー……」


 女神はドン引きだ。あんた何年生きてきたんだと顔が語っている。


「そうですよ初めてですがそれが何ですか血に流れる知識のお陰で知識だけ無駄に豊富な耳年増目年増知識年増ですよ知識無駄遣いですよ」


 フィンカーズはそれよりも、と呟いた。


「私はリーレイをまだ忘れることができません。だから、一瞬でも気持ちを奪われたからといって、ヴィヴァーネに接吻は……」

「貴方は阿呆ですの!!?」


 ばしぃっ、と女神の渾身の平手打ちがフィンカーズの頬を往復する。


「これは人命救助!」


 平手打ちを終えた女神は、次にフィンカーズの胸ぐらを掴んだ。すっかり形勢逆転である。


「誰が貴方の気持ちの在処を聞いていますのこのお馬鹿。あたくしは貴方に何ていいました? ヴィヴァーネを助けろといいましたわ。接吻、人工呼吸ですわ。あなた何を考えていましたのこの色惚けお馬鹿が」


 ――この後しばらく女神の説教が続いた。


「さぁ、さっさとなさい」


 背後に怒り心頭の女神、そんな状態でフィンカーズはヴィヴァーネと向き合っていた。……固まった状態で。


「さっきまでの勢いはどこへいきましたの! ああもう!」


 すっかり形勢逆転であった。


「他に何か方法は?」

「方法、ですって?」


 女神は桃色の眉を跳ねあげた。


「他の手段があるのなら、あたくしはとうに見つけていましてよ。だてに五百年探していませんわ」


 先の魔王より質と量が上回る魔力。そして魔力を使う器。それらが揃って初めて手段として成り立つ。

 その手段は、魔王を凌駕する力をもって、魔王の呪いを相殺することだ。


「口から魔力を注ぎ込むことが、一番良い方法ですのよ。魔王の呪いはヴィヴァーネの全身を蝕んでいますのよ。まさかヴィヴァーネに向かって魔力を放出できませんもの」


 魔力は魔法具等の媒介を通じて使用するか、魔法という形を与えて使用するか、これら二つの使い方が主だったものだ。

 魔力は元来体の内にあるもので、魔力の放出は魔力をそのまま外へ出すことを意味する。それは危険な毒などの薬剤を実験に用いるときに、薄めずに使用することと同意。薄めずに使用法を無視して使用すれば、どのような危険が起こるか……想像もしたくないことになる。

 ゆえに魔力の量と質をクリアしても、器として魔力の放出に耐えうるものでなくてはならない。これに関しては賢者であるフィンカーズは合格だった。彼は神の血を引き、かつ魔王の魔力が身に流れ込んできても耐え抜いたのだから。

 フィンカーズはしばし頭を抱えて悩みだした。普段の彼の様子を知る者が、彼の今のこの状態を見たら、「明日は嵐か、異常気象か、天災か?!」と逃げ腰になっていただろう。


「ならば、安定のある放出ならいいのですね?」


 女神は接吻で、口から放出した魔力を流し込めといった。それが判明している方法の中でも一番安定なのだと。ならば、他に探せばいい。


「接吻から逃げるんですの?! ヘタレですこと!」


 表面上は鼻で笑う女神だが、内心では怒りに猛っているのだろう。じわじわと怒気が毒々しい桃色のオーラとなって具現化し始めている。


「私だって、初接吻は慕う相手と心が通じあってから経験したいんですよ」


 いまはまだ、フィンカーズの胸にはリーレイへの想いが確かに存在している。フィンカーズは長命だ、叶わない想いでも、彼女を想い続けていきたい。いつか、昇華できるその日まで。


「甘ったれたことを!」


 怒り狂う女神をよそに、フィンカーズは眠るヴィヴァーネの横に腰を落とす。ふかふかの寝台に横たえられた白い両手を優しく絡めとり、己の額にあて、目を瞑る。

 フィンカーズは脳裏に穏やかに流れる小川を思い描いた。その小川に自身の魔力を重ねあわせ、小川の行く着く先――湖をヴィヴァーネの手を掴む自分の手に置き換える。体内で練り固めた魔力を水に例え、手に溜めていく。湖に例えた彼の手に、ゆっくりと魔力が溜まる。

 一方で、ヴィヴァーネの体内でおどろおどろしい魔力の気配が目立ち始めた。沸騰して出始めた気泡のように、ぽつぽつと一斉に浮上し、ヴィヴァーネの手へと集中していく。ヴィヴァーネのすぐ近くで凝り固まり始めた異質な――今代の魔王の魔力が混ざった質の高い魔力に反応して。

 こうして、二つの質の高い魔力がふたりの手を境に向き合った。

 あとは単純だった。

 フィンカーズは、ば! と目を一気に見開き、一気に懲り固めた魔力を、ヴィヴァーネの手に集まった魔力へとぶつける。イメージは、飽和量が限度に達し決壊した湖。どばっと、大量の水が水圧によって大地を一瞬にして削り、川を無理やり作っていくイメージ。水は魔力、大地はヴィヴァーネの手に集まる魔力。

 外へ外へと、勢いと力のある大量の水で大地を押し流していく。ヴィヴァーネを蝕むおどろおどろしい魔力を、外へ出していく。


「今です!」


 ヴィヴァーネの体内から、一気に黒く禍々しい魔力が勢いよく放たれ、靄を形成した!


「貫きなさい!」


 魔力を扱うにはイメージが大切だ。

 フィンカーズは迷うことなく禍々しい魔力に指をつきだした。人差し指に一気に魔力を集め、鉄砲水のごとく射出する。


 ――ずば、ずばずばずばっ!!


 連続して射出される質の高い、膨大な魔力。これは賢者であり、魔法を得意とするフィンカーズが編み出した、単純にして瞬時に展開ができ、かつ威力の高い攻撃手段であった。

 続け様に放たれる魔力の塊は、おどろおどろしい魔力に穴を開けるだけではなく、空中にとどまり、網目状の形をなしていく。網目は次第に細かくなり、やがて網目は無くなり布地の様を呈した。


「確保しましたよ!」


 いつの間にかフィンカーズの攻撃はやんでおり、おどろおどろしい魔力の靄は青みを帯びた布地の巾着に包まれていた。この青みを帯びた色は、浄化の象徴である水をイメージしたもの。


「消えなさい!」


 フィンカーズはさらにイメージを展開する。巾着の中に浄化の水を満たすイメージだ。水は靄を取り込み、汚れを消して行くイメージ。水はもちろんフィンカーズの魔力に置き換えて、だ。

 しばらく巾着は激しい動きを見せていた。まるで内部に獰猛な獣を閉じ込めていて、その獣が外へ出ようと暴れているような様であった。

 その動きもいつしかやみ、フィンカーズはそのことを確認して、宙につきだした掌で何かを握りつぶす動作をした。もちろん、魔力を帯びた手で、巾着をぐっと握りつぶすイメージを込めた動作だ。


 ――ぱぁん!


 水を詰めた風船が割れるように、甲高い破裂音をたてて巾着は霧散した。


「これにて、退治終了です!」


 どうですかと勝ち誇り胸を張るフィンカーズに、女神はただただ呆然としていた。

 フィンカーズは水に関係の深い魔力の質をしている。森に籠り隠遁生活を送っていた彼の母である魔女が、浄化に通じる水に繋がる魔力を持っていたから、おそらく遺伝だ。

 巧みな誘導と、巧みなイメージ。それらをもって、フィンカーズはヴィヴァーネに巣食う呪いを構成する魔力を抜き出し、魔力で浄化したのだった。


「……悔しいですけれど、お見事ですわ」


 実にあっぱれな魔力行使であった。


「さあ、起きなさい」


 フィンカーズはヴィヴァーネの手を強く握りしめた。

 ゆっくりと、ヴィヴァーネの瞼がぴくぴくと動き始め、やがて榛色の大きな瞳が何度も瞬いた。


「あらぁ?」


 可愛らしい、囀ずる鳥のような声だった。


「賢者、おはよう?」


 ヴィヴァーネは花がほころぶように喜色満面の笑みを浮かべた。

 ――魔王の呪いを受け、永き眠りについていた先代勇者はようやく目覚めた。

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