剣士は悩み、迷走する7
何だかんだといつもの掛け合いをしつつ、元勇者一行三名は神殿の礼拝室に到着した。
礼拝室は縦に長く、左右に時代を感じさせる木製のベンチがずらーっと並び、僅かの礼拝客が座って熱心に祈っていた。その礼拝客を見ながら、三名は奥に設置された女神像へと進んでいく。
天井の一部は神話をイメージした明かり取りのステンドグラスが嵌め込まれており、きらきらとした光が室内に降り注ぎ、存在感のある女神像をより輝かせていた。
「で、ネネ? 到着したけどどうするの」
リーレイ達は、ただ神殿に赴くとしか知らされていなかった。そもそもヴィヴァーネの手掛かりを掴むため、どのようなことをするかも聞かされていない。
魔王討伐の道中、細かい方針やらちょっとした決め事から戦闘の際の司令塔まで――そういった頭脳面は全て賢者であるフィンカーズに一任されていた。
だからこそ、今だってリーレイたちは「フィンカーズが何か考えてるからついていったら大丈夫」と考えていた。要するに、適材適所である。旅の道中、無駄を省くために行動した結果、適材適所な考え方が身に付いたのだろう。
フィンカーズは黒い何かが滲み出る微笑みを二人に向けた。
「直談判あるのみです」
フィンカーズが続けた言葉に、リーレイとゼインは毒舌賢者を敵にまわしてはいけないと心に刻んだのであった。
どの神殿にも、必ず神殿の長というものがいる。神殿の大元、神殿庁から派遣、もしくは認められた長だ。それは神殿の神官長であったり、神殿の巫女長であったりする。
元勇者一行たちが訪れたこの神殿にも、もちろん長がいる。
「ここが長の部屋ですよ」
神官でもなく、巫女でもない賢者が長の部屋の前にたつ。普通であればここは一般民が立ち入れる場所ではない関係者以外立ち入り禁止区域。
それはもちろんリーレイとゼインにも当てはまる。勇者とはいえ、元だ。勇者は役目を終えれば色々地位を約束されたりはしないのだ。帰還した勇者が得るのはただ“英雄”という名誉のみだ。
フィンカーズは二人に大丈夫ですよと微笑んだ。やはりいつもの笑みとは違い、二人は背筋が寒くなった。
「私は賢者ですから」
しかし、フィンカーズは違う。
フィンカーズは部屋の前に立つ衛兵を黒い笑みと賢者の名前をちらつかせて黙らせた。
賢者、それは国等の権力に縛られることのない中立的位置。例え賢者の力と知恵を貸すように要請されても、賢者は無理強いされない。その血脈に知識を宿していく賢者は、世界の知識といっても過言ではないのだ。
そして、賢者を権力をかさに脅そうものなら、それは世界の権力を敵に回すことになる。
「賢者殿がお越しになられました」
扉が開かれ、中から肥えた体格の神官長とおぼしき老人が現れた。額からたらたらと汗を流し、顔は蝋の色であった。
「おやおや賢者殿! お知らせを頂けたらお迎えにあがりましたものを」
実年齢は遥かにフィンカーズが年上だ。しかし見た目では逆転している。故に、ある程度の地位にいる老人が、一見すれば子供に怯えつつ頭を下げる姿は何とも滑稽な光景であった。
「いいんですよ、出迎えなんて――」
フィンカーズはニコニコ微笑み続ける。
「突然先触れもせずにお邪魔したのですから」
フィンカーズが一歩進めば、神官長が一歩下がる。フィンカーズが笑みを深めれば、神官長の顔色がより悪化する。フィンカーズが発言すれば、神官長が気を失いそうになる。
「突然お邪魔したのには訳がありましてね」
リーレイとゼインは神官長が気の毒になってきた。
「あなた方の秘密を話されたくなくば――わかっていますよね?」
ついに神官長が卒倒した。
フィンカーズのお願いは通された。結果、元勇者一行は神殿の中でも御神体がある中枢へと案内されているところだ。もちろん、関係者以外立ち入り禁止区域である。
この結果をもたらした神官長へのお願いという名の脅しを見て、リーレイは賢者に関わる黒い噂を思い出していた。
人格者であり、穏やかで慈悲に満ちた賢者、それが一般の賢者像だ。黒い噂はその賢者像を覆すものだ――いわく、受け継がれた知識には、各国各地の権力者たちの弱みも含まれているのだという。その知識は権力者当人の世代時代のもの以外に、過去に生きた権力者たちの祖先の弱みまで含まれているのだというのだから、一度握られれば最後末代まで弱みを握られた事と同意である。
神官長も、おそらく当人のないし先人の弱みを賢者に握られていたのだろう。
その弱みは、リーレイから見れば祖父の世代の人生経験豊富な神官長でさえ、震え上がらせ、怯えから失神してしまうくらいのもの。
(味方で良かった……)
リーレイは子孫に賢者を敵に回すなと言い残すことを決めた。
「到着いたしました」
中年にさしかかった神官に案内された場所は、華美に飾られた神殿内部と比べて、かなり目に痛い場所であった。
「……桃色?」
女神の力を知る元勇者と賢者を除き、リーレイは監視役とはいえ神殿関係とは今まで無縁だった。だからこそ、リーレイは女神のことをよく知らなかった。
室内はかなりの広さを誇るだろう。大理石造りの床、高い天井、中央に設置された女神像、女神像が抱える御神体の鏡。それらは全て、濃淡はあれど桃色であった。桃色でないのは、神話を描いた壁だけである。
「生と死を司る女神の力は桃色をしているんだ」
口をポカンと開けて固まるリーレイに、ゼインが言い難そうに説明した。
女神の力が具現し、奇跡が起こるときも桃色一色らしい。ゼインによれば、勇者関係の儀式も桃色だったらしい。
「………」
先程の神官長といい、桃色といい、普段神殿と程遠い環境のリーレイの神殿に対するイメージががらがらと崩れていった。
「さ、呼び出しましょうか」
フィンカーズは懐から小さなペンナイフを取りだし、指にさっと傷をつけた。
「へ?」
リーレイが驚いている間にも、フィンカーズの指から血が出てくる。
「賢者の血は、特別製なんです」
ゼインいわく、脈々と受け継がれてきた賢者というものは、血筋を辿れば“御子”と呼ばれるある神の子孫に辿り着くのだという。
賢者に流れる神の血は、かつてエルフと恋に落ちた神の血。その神は、女神の双子の兄神で、かつて死を司る神であったらしい。神の地位を返上し、地位を生の神である妹神に譲って。
だからこそ、賢者の神の血はその血縁の神を呼べるのだという。
「……降臨なさった女神が逐一教えてくださったんだ」
ゼインは遠い目でそう締めくくった。
そして、次の瞬間に室内が桃色の光に満ちていく。
「っ」
反射で目を瞑り、しばらくして光が落ち着き始めたため、リーレイはゆっくり目を開き、聖なる気配に満ちた室内に目をやった。




