剣士は悩み、迷走する5
「畜生……、目を醒ましなさい、起きなさいヴィヴァーネ!」
ギルドの救護室の一室にて、賢者・フィンカーズは必死にヴィヴァーネに呼びかけていた。しかしヴィヴァーネは目を半分開けたまま、一向に反応しない。身体さえも微動だにしない。
「ヴィヴァーネ、起き……!?」
フィンカーズはヴィヴァーネの身体に触れ――絶句した。
「体温が……?!」
フィンカーズが触れているヴィヴァーネの身体が、生命活動をしている体温ではありえない冷たさだった。まるで、人間ではなく人形に触れているみたいな。もとから体温がないような、人間にしては異様な体温。
さらに、ヴィヴァーネの肌の感触さえ違った。硬質で、弾力に欠ける、それこそ――人形の肌の感触。
先ほど、ここへ連れてくる際に触れたときは、体温はちゃんと存在していた。ということは、今現在急激に体温が失われたことになる。
体温変化ならまだいい。魔法で対処できる範囲だ。取り乱しかけたフィンカーズは、頬をパン! と叩いて気合いを入れた。体温が急激に下がる場面を想定した魔法を即座に思い出し、手のひらをヴィヴァーネに翳して魔力を練り始める。
「≪其の身体に温もりを!≫」
人体に温もりを与える暖炉の魔法だ。冬の季節、遭難救助の際、救助された人間が凍死一歩手前の時によく使用される魔法で、瞬きよりもはやく身体に温もりを浸透させることが可能だ。一般的な救助魔法、それをフィンカーズの膨大な魔力で底上げし、効果をさらに高めた。
「効かない……?!!」
だというのに、ヴィヴァーネに体温は戻らない。魔法は失敗ではなかったはずだ。その証拠にちゃんと発動した、失敗時に特有の、行き場をなくした魔力の暴発も反動もなかった。魔力はきちんとヴィヴァーネに向かい、温もりを与えたはずだ。しかしヴィヴァーネは相変わらず冷たかった。
「定着しなかった……?」
フィンカーズは賢者であるために、自身が歩く知識の宝庫だ。“賢者”は先代、そして先代より前の世代の賢者達の知識を値に蓄える特殊な職業だ。今代の賢者が知り得ない知識も、眠っているだけでたくさん存在している。賢者に流れる血は、知識の図書館といっても過言ではないのだから。
フィンカーズは目を瞑り、脳裏に本棚をイメージした。たくさんの蔵書が陳列された棚、その蔵書の背表紙を一冊一冊見ていく。フィンカーズはすぐ目当ての代物を見つけた。蔵書の形を成した知識を、早送りで紐解いていく。膨大な“まだ知らない”知識が、怒濤の奔流のようになって、フィンカーズを襲う。
「くっ」
膨大な知識を急激に取得したことにより、脳内の処理が遅れ、一気に熱くなった。揺れるような目眩、ガンガンと打ち付けるような痛みに、フィンカーズは無意識に頭をおさえ、ふらふらと膝をついた。
「先代の知識、ですか……出所は」
ぜぇはぁと、大きく肩を上下させながら、フィンカーズはどうにか声を振り絞った。呼吸が苦しく、酸素を上手く吸えない。それでも思わず呟いてしまうくらいに、得た知識はあまりにも驚愕に満ちていた。理解を越えた驚きというものは、開いた口が塞がらず、顎が外れそうになるとは誰がいったのだろう。正にその通りだとフィンカーズは笑いたくなってきた。
「ヴィヴァーネが、先代勇者ですか」
――フィンカーズの掘り出した“賢者の知識”は、先代賢者のもの。五、六百年前に賢者だった先代はフィンカーズの実父であり、ハーフエルフより永い時を生きる森の民、エルフだ。
その先代の知識は、先代がヴィヴァーネに会っていたことを示唆する内容だった。それはあまりにもフィンカーズには理解しがたい事実だった。
「ヴィヴァーネ、貴方は……」
ヴィヴァーネがひた隠しにしていた秘密が、フィンカーズが暴いた瞬間だった。




