剣士は悩み、迷走する1
―――早朝、まだ朝陽が昇りきっていない、まだまだ薄暗い時刻。
鳥たちが飛び交い、可愛らしい鳴き声を辺りに響かせるある森の中、その者は剣を振る手を止めた。見つめる先は、剣を扱うが為にたくさんできては潰れを繰り返したマメやタコだらけの厚いてのひら。
「もうそろそろ、限界のようね」
力具合を確かめるかのように、手を握り―――明るさを増し始めた空を見上げた。
―――J・ヴィヴァーネ、元勇者一行の剣士。筋骨隆々たる、丸太のように鍛え上げられたごつい肉体、黙っていれば野性味に溢れた精悍な顔立ち、若いようで年を経ているような年齢不詳であり、そして何よりオネエ口調のオカマ。
それがヴィヴァーネに対する世間一般に出回っている情報である。
元とはいえ、勇者一行の剣士。その肩書きだけ見れば何とも華々しい。けれども、最後の言葉が全てを台無しにする。
―――そう、オカマ。
ヴィヴァーネの個性はオカマ、その一言につきる。何もオカマが悪いわけではない。悪いどころか、これがヴィヴァーネがヴィヴァーネたるれっきとした個性である。もはやオカマではないヴィヴァーネはヴィヴァーネですらないといっても過言ではないだろう。
魔王討伐の旅の途中、成り行き上ヴィヴァーネが男らしい口調で話したときがある。この時、他のメンバーは皆例外なく、鳥肌がたち背筋が凍ったという。………一同が出した結論、男らしいヴィヴァーネは、ヴィヴァーネにあらず。
そんなヴィヴァーネは、端から見れば、華々しい経歴からすると中身はなんて残念剣士なんだろう―――巷ではそういわれているけれど。
そうではないのだ、実は。
世間一般に出回っている話題や噂などの類いは、ヴィヴァーネの話に限らず、だいたい半分言い当てていて、半分でたらめだったりする。
ヴィヴァーネの場合、それは見事に的中していた。ただ、的中していたのは見た目、客観的な話だけ。そう、ヴィヴァーネのうわべだけ。そう、ヴィヴァーネの本当のところなど言い当てていなかった。
「お久しぶり、リーレイ」
大陸でもハバをきかせているギルド、そのひとつの支店、新規受け付け窓口にて。この窓口の担当は、かつて勇者一行の監視役として、魔王討伐の旅に参加していた元監視役・リーレイである。
彼女は、あともう幾月もすれば、最近婚約したばかりの婚約者と婚儀をあげる予定だ。要するに脳内お花畑、春一色に染まり、意識して気を引き締めても、すぐに顔がにへらとでへでへに崩れる状態にあった。
いまも油断してにへにへしているところへ、突然訪問者が登場したため、慌て顔を営業スマイルへ切り替えた。
「……相変わらず、顔に出やすいわよね、あんた」
「ヴィヴァーネ、あんたも相変わらずギャップが激しいわよ」
ああいえば、こういう。ヴィヴァーネとリーレイの間柄を一言でいえばこんな感じだ。喧嘩までとはいかないけれど、お互い楽しくはっきりと言い合う関係だ。なんだかんだいって気性(オカマ除く)が近しい同士、馬があうのである。
「で。今回は新規登録よね。一人旅はどうしたのよ」
魔王討伐の旅が終わり、幾月か。周囲の人間たちが、彼ら討伐メンバーに取り入れようと、手中に入れようと、懐柔しようと躍起になった。
勇者の一行、それだけで追いかけ回される日々。彼らは有名になりすぎて、賢者と剣士は放浪生活に出たと、リーレイは聞いた。リーレイでさえ、しばらく実家でいたくらいだ。勇者は―――そもそも地図に載っていない過疎の山村出身であり、追いかけ回す前に家どこだ! となったらしい。
まぁ、さておき。もとより剣士ヴィヴァーネは、どこのギルドにも属しないソロの冒険者であった。自身の追い求める目的のため、ただひとりで各地を彷徨っていたという。
旅の間、ヴィヴァーネはその目的が何かを語らなかった。ただ、秘していたいとだけ仲間たちに話していた。だから、ひとりで旅をするのだと。
「ちょっと、……目的にあと一歩なんだけどねぇ?」
ヴィヴァーネは、内緒話をするかのように、リーレイに顔をよせた。
「なになに?」
ヴィヴァーネは黙ってさえいれば、端整な野性味溢れる面立ちである。その顔が近づいているけれど、リーレイは何とも思わない。横の受付嬢がきゃーとかいっているが、リーレイは何とも思わない。
リーレイにはいちゃいちゃする心を決めた相手がいるし、そもそも相手がヴィヴァーネである。ヴィヴァーネに欲情なんてできないのである。なんていってもヴィヴァーネだからだ。
リーレイにとって、ヴィヴァーネは苦楽をともにした仲間であり、そして同性の友達みたいなものだからだ。気がねのない存在であるヴィヴァーネを、リーレイが異性として見る日は永遠に来ないだろう。
例えば大地がひっくり返ろうとも、月が空から落ちてこようとも、海が干からびようとも、リーレイが現婚約者である勇者と別れることもないし、浮気することもない、決して。ふたりの間にある絆はとてつもなく強いのである。
「ひとりでは、無理になってきたのよねぇ。だから、ソロ卒業しちゃおうかしらって。いいパーティー、もしくは相棒探してる子いない?」
ね! と、ヴィヴァーネは首をかしげウインクしながら、両手をあわせてリーレイを拝んだ。女性ならとても可愛らしい仕種だ、多分。女性なら。
しかし、そんな可愛らしい仕種をしたのはヴィヴァーネである。見た目は端整な面立ちの、屈強な肉体を誇るヴィヴァーネである。
(あー……)
リーレイは、横の席からガタタッと崩れる音を耳にした。ちらと見れば、隣の受付嬢が椅子から落ちてしまった光景が飛び込んでくる。彼女は通りかかった男性職員に救出され、リーレイの出番はなかった。リーレイとしては、助けはもちろんのこと―――彼女の呆けた顔を拝んでみたい好奇心もあったりしたので、少し残念ではあった。
「んー……」
隣の席の受付嬢の身と心に起きた悲劇はさておき、リーレイは顎に手を当ててしばらく考え込む。そのリーレイを、ヴィヴァーネが緊張した真面目な顔で見守る。
「あ」
リーレイが呟き、ぽんと手を叩く。何かを閃いたらしい。どこか楽しそうな、笑い出しそうな表情である。
(………大丈夫かしら)
リーレイを見て、ヴィヴァーネははやまったかと一抹の不安を感じ始めた。
何だか、嫌な予感がするのだ―――ヴィヴァーネは、リーレイの何かを企んでいるような、いたずらを思い付いた子供のような表情を見てしまったから。
ヴィヴァーネの話でした。続きます。次回、ヴィヴァーネの予感は当たるのか否か。




