上
長い長い討伐から帰還してみれば、世間は祝賀のムードに包まれていた。
そのムードに熱気に、あたしと討伐メンバーは「自分達の討伐成功はまだ知らないはずだよね」と顔を見合わせ、首をかしげあった。魔王を討伐したのはまだ伝わっていないはずなのだから。
何故ならば―――まだ討伐から1日しか経過していないし、そもそも最寄りの神殿に討伐成功の報を今から知らせにいくのだから。
「あらーぁ、新聞が撒かれてるわぁ」
討伐メンバー内でも屈指のギャップを誇る剣士、ヴィヴァーネが呟いた。そのごっつい手を陽に焼けた鋭い顔にあてて、だ。しかも鍛えられた丸太のごとき巨体をくねくねさせて。
「ヴィヴァーネ、町んなかでそれやめてくださいませんか。町民の皆様が避けて通りますからね。マジやめてくださいませんかね」
町は熱気に包まれ、ビラや新聞の号外や紙吹雪が飛び交う。町民たちも昼間から酒をのみ交わし、にこやかに笑み交わし―――ていたが、ヴィヴァーネが通る度に道の左右にさっとわかれ、道を作るのだ。まるで神話の魔法使いが大海の波をまっぷたつに割った奇跡のように。
それはかつての奇跡の魔法使いも顔を真っ青にする、オカマ剣士が引き寄せた現代の奇跡――といっても奇想天外で奇抜なオカマを避けた足跡という意味――であった。
しかも、だ。後ろに続く勇者までもが避けられてしまっていた。皆、オカマを恐れるあまりに……勇者に気付かないのだ。
「なぁんでー?」
「このままでは、神殿にいっても……アンタのせいで勇者一行って認識されない恐れがありますからね」
「フィンカーズがひどい!」
「ひどくありません」
大きなオカマ剣士と、メガネの小柄なおさげ賢者が、丁々発止と渡り合う。
その様子を、勇者は少し離れた場所から見ていた。彼らの激しい口喧嘩は、周囲の注目を浴びていた。あれが勇者の? おおいやだ下品な、とかの会話がたまに耳に入り、勇者は近くの商店の壁に額を預けた。すごく、すごくやるせなかった。
「どうでもいいから、先に行け。ほらほらほら」
背に影を背負って一人黄昏る勇者は、残る仲間に背を押されながら前へ強制的に進まされたのだった。
「ひどい、仲間の勇者の扱いがひどい」
「なぁにしくしく泣いてんだよ、ほらほらほらほらほら」
終いには、勇者はその仲間に引き摺られるようにして神殿に到着した。
「ひどい、ひどい……」
「うるさい根暗勇者。だまって歩けさぁ口閉じて歩け。あんたは口さえ閉じりゃあ勇者らしいんだから」
勇者は、細身マッチョな影のあるイケメンである―――黙ってさえいれば。黙ってさえいれば、世の女性方は彼の見目に“母性を擽られて”しまうのだから。実際は中身は残念、常にキノコを背に生やしているような、鬱で後ろ向きすぎる性格だ。母性も擽られるのを通り越して、いらいらして背中を蹴り飛ばしたくなる。
「僕なんか僕なんか」
勇者はうじうじし始めた。始まったのだ、いつもの“自信無い僕なんか”の症状が。
「あたしがついてるんだからしゃんとしな!!」
仲間―――確たる称号や肩書き・職業を持たない少女が、再び勇者の背をバシッと叩いた。
「リーレイ、ひどい……」
「ひどくない、ひどくない! 本当にひどかったらアンタから聖剣を奪ってアンタ置いて魔王を倒してるよ!」
勇者の背をバシッと叩く彼女―――見た目は普通の町娘のような平々凡々な娘・リーレイは強いていうなら、国王に勅命で任命された“勇者監視役”だった。
魔王の討伐メンバーは、当初は勇者ゼイン(18)、ムキムキマッチョなオカマ剣士J・ヴィヴァーネ(??)、おさげ毒舌賢者ネネ・フィンカーズ(18)であった。
しかし、勇者は岩にくっついた苔のごとく動かなかった。怖い怖いとおびえたり、僕なんか僕なんかと引きこもった。
オカマ剣士はオカマなので美形に弱く、勇者に強くいえない。毒舌賢者は毒が強すぎて火に油だった。
勇者は、きちんと神の御告げによって選ばれた。間違いのない事実だった。神の作りし聖剣が刺さった家に住んでいたのは彼だけだったから。間違いなく、彼だけが勇者だった。
例え勇者が聖剣を川に捨てても、例え勇者が聖剣をごみ袋に厳重に何重にも入れて不燃ごみに出しても、聖剣は彼のもとに磁石のごとく戻ってきたのだから。例え聖剣扱いがひどくても、彼が勇者だった。
しかし彼は動かなかった。毒舌賢者でさえ吐く毒が尽きたとき、ようやく神殿がが重い腰をあげた。勇者の住む国の王に助けを求めたのだ。
助けを求めたられた国王は「さっさと退治せんかい」と勅命を出した。そして、極めつけとばかりに“監視役”をつけた。それが―――大陸でハバをきかせる冒険者ギルドの受付嬢、リーレイだった。
そう、リーレイはただの受付だった。事務職だった。ただ、時折いる“柄の悪い”冒険者を長年相手にしてきた“荒らし”専門―――ギルドにいちゃもんつけてくる冒険者専門の受付嬢だった。柄の悪いあんちゃんたちに恐れられ、姉御と慕われる受付嬢だった。
その腕を見込まれ、国王からの直々の依頼という名の勅命が下ったのだった。
「あんたが勇者ね、はいはいお邪魔するよー。ほらほら立った立った。旅の支度をするよほらほら!」
押しが強く、遠慮もなく、かつ堂々とした世話焼きのリーレイに、キノコ生やしの勇者もさすがになす術がなかった。
ずかずかと勇者の家に入り、呆気にとられた勇者の尻を叩き、文句をいわせる間もなく言葉をマシンガンのように連ね、半時間で旅支度を済ませたのだ。
そのあとも、リーレイは旅の道中に勇者の母のように、姉のように動いた。時には反抗した勇者を、毒舌賢者と協力して敵の陣地に投げた。
それはすべて“国王からの依頼”事項に含まれていた。勅命、そして彼女は国王に人質をとられているようなものだったから、手を抜くことはなかった。
しかしそれも今日まで。
「ようやくあたしもウェディングよ! あたしの明るい未来が、すぐそこに!」
にやにやしながらリーレイは勇者を前へ進ませる。
「……」
それを聞いて、勇者は足を止めた。背中を押しまくり、前へ進ませていたリーレイは、勇者の突然の行動に―――勇者の背中にぶつかってしまった。勇者の背中に顔からダイブしてしまったのだ。
「いなくなるの、僕の前から?」
勇者は、前を向いたままやけにはっきりと発言した。いつものうだうだな力ない声ではなく、しっかりと力のある声だった。
「どうしたのよ、急に」
リーレイは初めて聞く勇者のまともな発声にびっくりした。とても驚愕した。半年近く一緒にいて、初めて聞いたのだ。魔王を倒すときでさえ、背中を叩かないと前へ進まなかった勇者が、ここへきてまともな発声をしたのだ。
「なに、お腹でもくだしたの? なにか悪いものでも食べたの?」
リーレイは、発声以来沈黙した勇者に戸惑い始めた。ぐいぐい体を引っ張ったり、ぐいぐい体を押してもびくともしない。いつものような――体の芯が海底で揺れるワカメのような――フラフラする勇者でなかった。まるで体の芯がワカメでなく大木になってしまったようだった。
「勇者……ゼイン?」
心配になり、不安にかられたリーレイは勇者の名を呼んだ。リーレイは普段、彼を勇者勇者と称号で呼ぶ。彼自身が勇者であることを、彼自身に自覚させるために。
けれど、今はかつて感じたことのない不安に、リーレイは彼を勇者呼びでなく、彼自身の名前で呼んだ。
「リーレイ……リーレアンナ」
勇者は振り返り、切なげな……何か痛みや苦しみをこらえるような顔で、リーレイを抱き締めた。そう、抱き締めたのだ。しかもリーレイの正式名を呼んで。
「勇者………?」
どうしたのだろうか、まさか報告するだけのことにプレッシャーを感じて不安になっているのか? リーレイはそう結論づけた。そして頭に浮かぶ言葉を振り払うために、何度も何度も繰り返し「不安なんだ」と念じ続けた。そうでもしないと、おかしくなりそうだったから。
まるで―――自分と離れたくないんだといわんばかりに抱き締めてくる彼を前にしたら、何かがおかしくなりそうだったから。
(あたしにはダーリンが待ってるのよ!)
おかしくなりそうだったから―――うっかり、勇者に気を持ちかけそうになったから。
リーレイ、リーレアンナ・ブルーフェンドルス(24)には婚約者がいた。相思相愛の、同い年の貴族の婚約者が。
リーレアンナは、ブルーフェンドルスという、位の高い貴族ではないが、古くからある名家に生まれた。建国の頃、初代王を支えたある領主の末裔だった。かの領主は無欲で、授けられる爵位も断り、細々と後代へと血を繋いでいった。政治の争い事にも関わらずに、細々と。無欲で何も望まずに、中立を保ち、毒にも薬にもならずに細々と。
そのブルーフェンドルス家の跡取りであり、ブルーフェンドルス領の領主の座を彼女はゆくゆくは継ぐ予定だった。その婿もつつがなく決まり、婚姻まであと半年―――そんな時に王の勅命がくだったのだ。
だから、彼女は彼になびかない。愛しのダーリンがいるから、なびかない。優しくて、包容力や行動力のあるダーリンに、リーレイはメロメロなのだから。
それでも―――今の勇者はなかなかの破壊力だった。
リーレイが、ばくばく高なる心臓にびくつきながらも、離れるタイミングを図りかねていると、意外なところから救いの手が伸ばされた。
「リーレアンナ!」
それは―――ここにいるはずがない、リーレアンナ・ブルーフェンドルスの婚約者、ディークフリト・ダーネレードの声だった。