巡礼者
冬のある日。暖炉ではパチパチと火の粉がはぜ、体中を暖めた。クリスは温かいミルクを手のひらでそっと包みこみながら飲んでいた。
空になったコップを置いて立ち上がり、外が気になるのか窓辺に近寄り、目を凝らして白く曇った窓の向こうを見た。外は雪が降っていた。服を着込んだ妊婦らしきお腹の大きい女性がゆっくり横切っていった。石ころにつまづき、母親に助け起こされる少女と目が合った。彼女は小さく舌を出し、去っていった。ありふれた夕暮れ時の日常であった。
「お母さん、まだかな」
テーブルの上にはこんがり焼けたチキンにシャンパンに色とりどりのゼリー。はやく食べたい。でも今食べたら駄目なんだ。お母さんが帰ってくるのを待って、一緒に食べるんだ。今日は特別な日だから。クリスはそう自分に言い聞かせ、ずっと窓の外を眺めていた。雪は降り止まない。
頬杖をついて外を見ていたクリスの、ぱたぱたと動かしていた足の動きが止まった。
人の往来が突然止んだのだ。何の前触れなく。誰もいなくなった大通り。陽はさらに沈み、辺りは薄暗くなっていた。
さらに激しさを増し、雪は降り続ける。クリスはうっすら寒さを感じ、身震いした。暖炉を見やるが、火は消えていなかった。
家にいるのはクリスひとりだ。こんな時、お母さんがいてくれたら。傍にあったぬいぐるみを抱きしめ、ぎゅっと目を瞑った。心強いお母さんの温もり。幸せが胸いっぱいに広がる。
冷たい風が吹いてきた。お母さんが帰ってきたと思い、クリスは期待を込めて瞼を開いた。テーブルクロスがゆるやかにはためいているだけだった。風はクリスの頬を撫で、心に空虚な爪痕を残し、どこかに消え去っていった。
ふと違和感を感じ、部屋を見渡した。別の誰かがいる気配がしたのだ。ドアはちゃんと閉めただろうか。確かめに行こう。足が震えて歩きづらかった。四つん這いでドアまで進み、クリスは息を飲んだ。僅かに、ほんの少しだがドアは開いていた。
ドアの隙間から冷気が入りこんでいたのだ。さっきの寒さの正体はこれだったのだろう。クリスはドアを慌てて閉めた。息を吐いて、冷たくなった手を温めた。
ふたたび窓の前に座ろうとして、クリスは目を見張った。
「人がたくさんいる……」
目の前の通りに、黒服を着た集団が一列になって歩みを進めている。フードを目深にかぶっていて、顔はよく見えなかった。頭のてっぺんから足元まで真っ黒だった。地面に垂れたコートが重たげで、集団はゆっくり動いている。
街の人ではないだろう。今まで会ったことがなかったから、そうクリスは判断を下した。
クリスの視線に気づいたか、黒の集団のひとりがこちらを向いた。先頭に立って歩いている人だった。目が合った気がして、身を縮める。心の中のありとあらゆる幸福が吸い取られるように感じたが、それは気のせいだったのだろう。次の瞬間、一転して幸福はクリスの元へ戻ってきた。
不思議に思ってクリスは小首をかしげた。すると、かすかに彼は笑った。表情は見えないがそう感じたのだ。
彼はクリスに自分を見るよう手を叩き、その手に何かを掴んで空に投げた。すると、さっきまで吹雪いていたのが嘘のように空は穏やかになり、ぼたん雪がふわふわ舞いおりてくる。そして二番目の人は手をそれにかざした。雪は空に溶けていった。<太陽>を与えたのだ。その後ろの人は地面に<種>を蒔いた。そこに<光>を与える人が次に並んでいて、ふわりと一回転し足を踏み鳴らした。すぐに<種>は芽を出し、通りは緑で覆われた。この一連の所作はあっという間であり、クリスはあんぐり口を開けるだけしかできなかった。
気づけば黒の集団が過ぎ去った後、そこには春が来ていた。小鳥が舞い戻り、風は春を唄っていた。
ドアがばたんと開いた。窓の外の景色が揺らぎ、冷気が舞い込んできた。
「遅くなったわね。さあお祝いしましょ」
お母さんが帰ってきた。
「なあに。変な顔をして」
口を大きく開けたままだったのに頬を染め、クリスは勢いこんで話した。
「お母さん。春が来たよ」
「あら、そうよ。今からそのお祝いをするんだもの。冬の終わりに感謝して、春の恵みを祈るのよ」
彼らはきっと冬の終わりを告げる巡礼者なのだ。そうやって世界をずっと旅するもの達。
クリスは窓から空を見上げた。どこまでも澄みわたる青空だった。
初投稿です。新参者ですので、何かアドバイス等いただけたら嬉しいです。