6 異世界帰還計画
「あなたが還れる方法をいろいろ考えていたのだけれど…」
シアニスに切り出されたのは、その晩の夕食後のことだった。
うわ~考えてくれてたんだ…。
響子は少し感動してしまった。
鄙びた田舎の生活とはいえ、いや、だからこそ。シアニスは結構忙しい。撒き割りに家畜や畑の世話。香草摘み。料理の支度。掃除や洗濯。ミリアムの勉強を見たりなど。何せ原始的な手段しか講じられない世界だ。洗濯など響子も出来る事は手伝うようにしたが、慣れないせいもあり、全部終わるまでに4時間も掛かった。効率よくやらないと、とにかくあっという間に一日が終わってしまうのだ。
自分の時間などほとんどないだろう。それを見ず知らずの自称異世界人の為に費やしてくれるなど、感謝しきりだ。
昼間の出来事を話すかどうか、機会を伺っていた響子は出鼻を挫かれる形になったが、すぐにそちらの話題に気持ちを向けた。
とりあえず、件の青年に関する相談は脇に置いておく事にする。
言ってることが物騒だし丸々信用は出来ないが、とりあえず無害。これが響子のファサードに出した結論だった。
自分の人を見る目がまったくなく、彼がとんでもない犯罪者だった場合。確かに、近辺の住人にも危険が及ぶため気にはなるが、何となくあの青年はそういった瑣末な事からかけ離れた所にいる存在に思えるのだ。人の営みに当てはまらないとでも言うのか。
「やっぱり、専門家に頼るのが一番だと思うの。響子が異界から来たというなら、高名な学者や召喚士なら方法を知っているんじゃないかしら」
「でも…そんな人がそこらへんにたくさんいるわけじゃないよね?」
数は少ないけど…と、シアニスは記憶を手繰るように宙に視線を泳がせた。
「ノイシュタットの皇都に天球術を極めた者たちの学び舎があるわ。その道の権威が集う最先端の機関よ。後はフィンバラのナマグサ法王、シルベステル三世猊下も強力なモントラジカの使い手と聞くけど。身分が身分だけに、取り合ってくれるかは賭けね…」
ナマグサ…。
思うのだが、シアニスは顔の割りに容赦がない。
下手に突っ込むと長くなりそうな予感がしたので、響子はあはは…と誤魔化して先を促した。
「そうか…そうだよね。不法入国者が総理大臣に直談判するようなものだもんね…」
「それもあるけど、それだけじゃないわ。今、この大陸のうちパレモロの山岳地方を除いた北方三国フィンバラ、ナリスカン、ノースシャンテは関係が緊迫していてね。大規模な戦争が起こるかどうかの一触即発の状態なの。行動を起こすには時勢が悪いのよ」
ましてあなたは特徴的な外見をしているし。と難しそうな顔でシアニスは続けた。
「民の心は疑心暗鬼になっている。異界から来た、なんて聞かれたら…闇を崇める邪教の徒とか難癖付けられて、異端審問に掛けられかねないわ」
異端審問。
宗教の自由が浸透している日本では縁が薄い言葉だが、過去、欧州を席巻したその行為が、どれほどの冤罪と非道な犠牲の上に成り立っていたかは響子でも知っている。
魔女狩りと言った方がより直接的だろう。
一度疑われたら、もうそれは死を意味する。
焼きごてを押され、辱めを受け、死によってしか身の潔白を明かせない狂気の審判だ。
この世界の法律や宗教が拷問を奨励しているかはわからないが、信仰の熱に酔った輩などどこの世界も似たようなものに思えた。
そういう野蛮なのは勘弁!
ぶるりと背中を震えがよぎり、響子は思わず首を竦めた。
「じゃあ、あまり動き回れないんだよね?平和な国に一旦逃げて、そこで詳しい人とかを探した方がいいのかな」
一寸の虫にも五分の魂。
命は大切だ。たとえ何かの間違いで呼ばれたのだとしても。
あんまりこの世界に役に立ちそうな人間ではなくとも。惜しいものは惜しい。
今の状況を聞いた以上、正直この家からさえ出たくない。
けれど、いくら異世界で身寄りがないとはいえ、いい大人が年下の少女にべったりは頂けない。
とりあえず戦火の及ばない平穏な場所に一旦退避して、自分で身を立てる術を身に着けつつ、気長に帰る方法を探す。
現実的かつ合理的なのはこれだろう。
何せ、どういう要因でこの世界に来たのかもわからない。仮に召喚者がいると仮定して、どこの誰かも不明となれば。
『自活』を念頭に今後を決めた方がいいと、響子は腹を括っていた。
思ったより冷静なんだよね…自分。
うら若いとは口が裂けても言えないが、乙女が一人知らない世界に放り出されれば、泣いてもいい場面だと思う。
でも、郷愁は感じるものの涙が溢れることはないし、どう言うか形容しがたいが、妙な…本当に自分でも妙なほど地に足が着いた感覚があるのだ。
まだ実感がないだけとか?
…違う気もする。
響子の肝の据わった未来設計図を読み取ったのかどうか。シアニスは素晴らしい案があるとばかりにピンと人差し指を立てた。
「一番いいのは、傭兵を名乗る事かしら。どの国でも戦争の準備で兵士を募集しているし、手形も簡単に出してくれる。うまく国の中を渡って、南西の海洋国家ノイシュタットまで行ければ何とかなるわ。英雄の母国という事が関係しているかはわからないけど、あそこは国柄もいいし、人も親切よ」
「傭兵?!私が?!」
まず響子の頭をよぎったのは、先日金曜●ードショーで見たばかりの映像。
迷彩服と赤いバンダナ。
そう、密林の王者ランボー。
アレになれと!?無理!!無理でございます!!!
「い、いいいや、あの…アイディアは嬉しいけど、私体力ないし!腕っ節も強くないし!血を見るとダメだし!」
ぶんぶんと顔の前で手を振る響子に、シアニスは目をぱちくりさせ、次いでぷっとおかしそうに吹き出した。
「いやあね。誰も戦士や格闘家になれだなんて言ってないわよ。傭兵って一口に言ってもいろいろあるのよ。何だっていいの。料理人でも薬師でも。歌に自信があるなら慰問の吟遊詩人なんてどうかしら」
「…………」
ほっとしたのも束の間、そのどれもが並以下だとは言えず、響子は言葉に詰まった。
料理はいつもコンビニのちょい足し料理。
手先が不器用な上、自分の血でも見るのは苦手。
歌声は中学の頃、好きな男の子と友達皆でカラオケに行ったら、超音波呼ばわりされた苦い思い出がある。
沈黙をどうとったのか、シアニスは哀れむような慰めるような何とも微妙な笑顔を浮かべた。
「別に格好だけでもいいのよ。手形発行の際に簡単な問答はあるだろうけど、実際に術の行使を求められたりはしないし。響子の持っていたそれ――」
ちらりと扉の脇に立て掛けてあるものに視線を投げた。そこにはあったのは響子が洞窟から持ってきた杖。
「銘はかすれてて読めないけど、悪くない品よ。いい道具は人を選ぶ。響子の衣装もちょっと変わっているし、異国から来た術士で充分通じるんじゃないかしら」
異国の術士…。
頭の中で自分をそれと仮定して、シュミレートしてみる。
纏うのはタヌキのファーのついた黒のモッズコートと、ラメの入った毛織物。ポケットの中の手帳にはわけのわからない言葉(漢字)がぎっしり。
黒い髪に黒い瞳。いわくのありげな杖を持った、正体不明の異国の女―――。
「うう~ん…通じる…」
のか?
まあ、ハッタリを効かせればアリかもしれないが。それにしても、
「うさんくさい…」
靴、会社に置いてきて良かった…。
スニーカーもかなり浮いているが、動物が神聖視される世界で豹柄のパンプスなぞ履こうものなら、どう好意的に持ても怪しい呪術系にしか見えない。
「だけど、隠れ蓑として傭兵になって、どうすれば?取りあえずノイシュタットに行っても、帰れる保証はないわけだし…」
シアニスは心得ていたように、そういった事に詳しい知り合いがいるの、と地図を指し示した。
「ここから南に下った所に、私たちがいるパレモロ自治区と南のナリスカン教国との国境線があるの。そこにツンギスという小さな街があるのだけれど…。私が以前お世話になった事のある術士が住んでいるわ。『闇』と戦った事もある方で、もう相当な高齢のはずだけど…きっと響子の力になってくれるはずよ」
「『闇』と戦った?ナントカって勇者様の仲間って事?」
50年前なら、若く見積もっても単純計算で70を超えている事は間違いない。
この世界の平均寿命は不明だが、シアニスが『相当な高齢』と言っていることからするに、『ご隠居!』とお付のハチベエ(誰?)に言われてもいい年齢なのだろう。
大丈夫なのかな…不安だ。
偏見はないつもりだし、会社にもそう呼んでいい年代の人が何人かいるが、老人は苦手だ。
例えるなら中身のわからないびっくり箱に似ている。
優しくカドが取れて穏やかな人――いわゆる「当たり」――もいるが、時代錯誤も甚だしい論理を振り回し、思うとおりにいかないと大声で威嚇、手を上げる人だっている。まるで爆竹だ。別々の国に生まれたごとく理屈が通じない。ひたすら取り扱いに注意して、やり過ごすのが利口だという認識が根深くあった。
「ええ、名は『星見のカマル』」
響子の表情からそんな気まずいな感情を読み取ったのか、大丈夫、と安心させるようにシアニスは頬を緩めた。
「先の戦いで勇者の右腕と呼ばれた方よ」
――――眠れない…。
今夜もミリアムのベッドを在り難く使わせてもらいながら、響子はごろりと寝返りを打った。
頭や胸が消化不良を起こし、パンパンに膨張しているような感覚。知恵熱でも出そうな勢いだ。
精神も身体も疲労を訴えているのに、頭の芯がやけに冴えわたり、細胞の一つ一つが休息を拒否するかのように脈打っている気がする。
こうなると、無理な睡眠は返って苦痛だ。
副交感神経が働いてないのかも…。
ここ数日聞いた話の内容が、自分の意識を昂ぶらせているのかもしれない。
元いた世界では、本や映画やゲーム以外では一笑に付されそうなネタ揃いだ。
自分自身、実際にそんな世界があると聞かされたところで歯牙にも掛けないか、言い出した相手の頭を疑うだろう。
実際に、響子はほんの少しだけ、自分の正気を疑ってしまったのだ。
シェイクスピアではないが、実はこれはたちの悪い夢で、自分のこの世界での『死』が、元の世界で目覚める時なのでは?とも。
もっとも、実際に死んで試す程の勇気はない。
この世界はあまりにもリアル過ぎた。夢だというなら、自分の想像力を誉めてやりたいくらいだ。
根拠などなくとも『現実』だと言えるだけの材料―――それは自分の『感覚』だけだったが、響子にとってはそれで充分だった。
例え、着地した答えが意に染まぬものでも、そこにそうやって在る以上、この世界と向かい合っていかなければならない。
考えてみれば、今までの人生で初めての。真の意味でどこにも逃げられない境地かもしれないと響子は思う。
傭兵か…。前途多難だな。
取り敢えずの目的地は定まった。何をするかもわかっている。
数日後には出て行けるだろう。ファサードの言っていた『災い』で、この集落の人々に迷惑を掛けずに済む。
でも、元の世界の自分の年代は、すでに『戦争を知らない子供たち』に属している。
幼い頃、学校で習った原爆の恐怖や、歴史が示す戦争の非道さ、虚しさ。
今も中近東で起こっている民族紛争など、本や映画やニュースなどで伺う事は出来ても『現実』という認識からは程遠い。
そんな自分が(仮)とはいえ、争いの中に身をおき、うまく立ち回る事など出来るとは思えない。生き残れるかどうかすら不安だ。
「ビギナーズラック、もうないだろうな…」
こうやって暖かな寝床で優しい人々にお世話になっている事だって、奇跡だとしかいえないだろう。
「あ~~~何だかぱっと帰れる方法ないのかな。そもそも召喚術ってのがあるなら、召還だって出来るはずだよね。例の勇者の部下のお爺ちゃんとか出来ないのかな~」
RPGまがいのお使い冒険譚などまっぴら御免だ。
即日・迅速・電話一本でお振込みします!…なんてどっかの金融のキャッチコピーじゃないが、時は金なり!同じ結果なら回り道はないに限る。
それに、あの青年。ファサード。
「守るって、言ってた…」
ルル・セレドに捕らわれているとも。
シアニスにさり気なく聞いたところ、フィンバラ所領の最果てに、同じ名の山があるらしい。
『何もないわよ。あんな辺鄙な所』とは彼女の弁。
夏でも万年雪が降り積もり、人の立ち入りを拒む神秘の霊峰。
だが、まだ気候が今よりも穏やかだった太古の昔は、幾つかの北方民族が街を作り、独自の文化で栄えていそうだ。
その名残である遺跡や滅びた文明の遺産――いわゆる財宝――を狙って、遺跡荒らしや盗賊、名を上げたい新米術士などが入り込み、失敗したなれの果てが氷の下に埋まっている、とおどろおどろしい口調で教えてくれた。
気にはなる。
ただ、地図で見たフィンバラはナリスカンの北西。ここからは間にノースシャンテ王国を挟んだ遠い僻地だ。
元々はナリスカン教国が戦争で他国から乗っ取った古の聖地らしく、国としての歴史は浅くとも同胞に対する連帯意識は深い。未開の地らしい閉鎖的な民族性と厳しい気候は、旅慣れた行商人ですら手を焼くらしかった。
まして戦争の火種は、順路であるナリスカンとフィンバラの分裂が発端と聞く。
パレモロの関所の場所すら満足にわからない響子には、ルル・セレドなぞ無謀もいい所だ。
「一体誰なんだろう…?私の事を知っている?」
その割には名前を聞いてきたり、何だか偏りがある気がする。
抱き寄せられた時、えもいえぬ安心感を覚えた。
彼からはこの世界には馴染まない、暖かな日差しの匂いがしたからだ。
冷たい印象が先に立つ容姿には不似合いな、どこか懐かしいひだまりの香り。
途端、見かけに寄らずがっしりとした胸や腕の感触まで思い出してしまい、響子の頬がにわかに熱を帯びた。
いい年齢をした女が、若い子相手に何やってんの。
言い訳じみた去勢を張りつつも、少しだけ速さを増した鼓動は嘘をつけない。
守るなんて言われたのは、生まれて初めてだった。
障害のある父親。家族を養うため留守がちな母。年の離れた兄弟。
三つ子の魂なんとやらか。同い年の彼氏が出来ても、いつだって響子は庇護されるより庇護する側だった。
会社でもそうだ。真面目なだけが取り柄でお局にもっとも近い年代の響子は、必然的に後輩を指導する立場にあった。
そうしたかったわけではない。周囲が響子にそう望み、そうせざる得なかったのだ。
綺麗な子だったから、少し浮かれているのかも。
嬉しい気持ちがあるのは認める。でもそれと彼を信用するかどうかはまた別の話だ。
ファサードの言葉を鵜呑みにするなら、とにかくここから逃げて、どこかで彼が来るのを待つと言う選択肢が出てくる。
だが、捕らわれてると言っていた以上、ファサード自身の状況に問題があるのは明白だし、何よりも響子には彼を全面的に信頼するに足る情報が何もなかった。
やっぱりシアニスの言うとおり、自分が動くしかないよね。
思考から青年を締め出そうとするも、なかなか上手く行かずため息をついたその時―――焦げ臭い匂いが、響子の鼻腔をふわりと掠めた。
「…何…?この匂い…」
眉をしかめ、ベッドから起き上がる。
耳を澄ませば、発達著しい五感の賜物か。家屋の外から慌しい気配とくぐもった人の声をいくつも感じ取る事が出来た。
その内のほとんどが、どうやらこの修道院の女性たちから発せられているらしい。
何かがあったとしか思えない。
脳裏に甦る怜悧な声。
――間もなく災いがやって来る。
まさか…こんなに早く?!
いつとは言ってなかった。ファサード自身、そこまではわからないと言っていなかったか。
「シアニスとミリアムは…」
はっと思い当たり、響子はそれぞれ彼女らがいるはずの部屋に向かった。
予想通りというか、シアニスは勿論、ミリアムもヒースの姿もそこにはなかった。