第五章 暴かれる真実と、残酷な時間
偽物の海で大冒険を繰り広げたあの日から数日が過ぎた。海の小さな体はその日の興奮と疲労がこたえたのか、再び熱を出しベッドの上で過ごす時間が多くなっていた。
そんなある日の午後、時久は海の病室で一つの古い分厚いアルバムを手に取っていた。それは沙月が学生時代からずっと大切にしている彼女の宝物のようなアルバムだった。
「これはママの秘密の宝箱なんだよ」
海が少し得意げにそう言った。
「へえ、そうなのか」
時久はそのアルバムを一枚、また一枚とゆっくりとめくっていった。そこにはセピア色に変色した沙月の少女時代のあどけない写真や、大学時代の友人たちと馬鹿騒ぎをしている若々しい写真がたくさん貼られていた。
そのどれもが今のどこか影のある沙月からは想像もつかないほど明るく、そして幸せそうな笑顔だった。
時久はそんな自分の全く知らない沙月の過去を愛おしいような、そして少しだけ嫉妬するような複雑な気持ちで眺めていた。
そして彼が何気なくアルバムの最後のページをめくったその瞬間だった。
そこに貼られていた一枚の写真に時久の目が釘付けになった。
それは七年前、沙月が一人旅の記念にあの海辺の町の古びた灯台の前で撮った何気ないスナップ写真だった。
そしてその写真の本当に小さな隅の方に偶然二人の若い男性が写り込んでいたのだ。一人は時久、そしてもう一人は彼と一緒にいた友人だった。
長い黒髪を潮風になびかせながらどこか遠くを見つめているその横顔。
それは紛れもなく若き日の長谷川沙月その人だった。
記憶の閉ざされていた扉が大きな音を立てて開かれた。
あの夏の夜。
一人旅で訪れた海辺の町。
小さなジャズバー「Blue Moon」で偶然隣に座った一つ年上のミステリアスな女性。
彼女のその物憂げな瞳に惹きつけられ、意気投合し、二人で夜の砂浜を歩いたこと。
彼女は教職を目指していると言っていた。子供たちに本当に大切なことを教えたいと熱く語る彼女の姿に時久は強く心を打たれた。そして夜が更けるにつれて二人の距離は縮まり、そのまま彼女の泊まっていた安宿で一度だけ体を重ねた……。
断片的な記憶のパズルピースが一つ、また一つと繋がっていき、そして一つの信じがたい、しかし動かしようのない真実を形作っていく。
「……なあ、沙月さん」
時久の声は自分でも驚くほどかすれていた。
「……俺たち、もしかして前にどこかで会ったこと、あるんじゃないか……?」
その問いかけにちょうど病室に入ってきた沙月の顔からさっと血の気が引いた。
逃げられない。
もうこれ以上この嘘をつき続けることはできない。
そう悟った沙月は海のその小さな寝顔を確認すると、時久を無言で外の誰もいない談話室へと連れ出した。
そしてそこで震える声ですべてを打ち明けた。
あの七年前の夏の夜のこと。
その後妊娠に気づいた時にはもう彼が海外へと旅立ってしまっていて、どうしても連絡が取れなかったこと。
そして何よりも残酷な真実。
海が彼の本当の娘であるということを。
あまりにも衝撃的すぎるその事実に時久は言葉を完全に失った。
自分が父親だった。
そして何も知らずに自分の本当の娘の前で「偽物の父親」を演じていた。
そのあまりにもグロテスクで皮肉な事実に彼の頭は激しく混乱し正常な思考ができなくなっていた。
「……どうして……どうして今まで黙っていたんだ……!」
時久は絞り出すような声で沙月を責めた。
「……ごめんなさい。あなたを、あなたのその自由な人生を私の身勝手な都合で縛りつけたくなかったから……」
沙月はそう答えたがそれは半分は本心であり、そして半分はただの彼女の臆病さから生まれた言い訳でもあった。本当のところ彼女は拒絶されることを恐れていたのだ。あの夜の甘い思い出が、現実の重さによって汚されることを。
「……俺には父親になる資格なんてない。今まで何もしてやれなかったんだ。父親の資格なんて……」
時久はそれだけを言い残すと、まるで何かに追われるようにホスピスから姿を消してしまった。
一人談話室に残された沙月はその場に崩れ落ちるように泣いた。
娘のたった一つの、そしておそらくは最後の願い。
そのかけがえのない願いすら、自分自身のあまりにも愚かで、そして身勝手な嘘によって無残にも壊してしまったのだ。
そのあまりにも重い後悔と絶望が彼女の心と体を完全に支配していた。




