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教室に戻れば、何やら私の机を囲んでこちらに睨みを利かせている集団がいた。クラスメイトもいれば、そうでない子もいる。
「雪平さん、ちょっといい?」
集団の一人、クラスメイトの壱高さんが不満そうな顔をして声を掛けてきた。
「特進科の葵君と付き合ってるの?」
その質問に思わず笑ってしまい、手を横に振りながら答える。
「私が葵と? そんなわけないない」
「葵!?」
壱高さん達は私が葵を呼び捨てにした事に過剰反応し、こちらを睨みながらみんなでヒソヒソ話をしている。
ちょうどお昼休み終了のチャイムが鳴り、話は強制終了となった。
壱高さんは私を睨んだまま自席に座り、他のクラスの子達は「ぜんぜん可愛くないのにー」と私に聞こえるくらいの攻撃的な声で話しながら教室を出て行った。
これで終わったかと思っていたら、そんな訳もなく、下校しようと靴箱を開けたらお土産が沢山入れられていた。
どこから持ってきたのか、大量の砂や泥。住処ごと巻き添えをくったであろう、蟻蟻蟻……。
「ギャー! ちょっと雪平さん信じらんない! すぐ片してよっ!!」
顔を横に向ければ、汚いものでも見るかのような視線を私にぶつけてくる女子達がいた。
「え? いや、私も被害者で」
「やだぁ……信じらんない……」
「雪平さんの靴箱近くの子達かわいそう……」
「最低……」
どうしたらそんなセリフが出てくるかの方が理解出来ず、最初は怒りなど湧く余裕もなく、ただ呆然と彼女達を見た。同じクラスの壱高さんのグループまで合流してきて、玄関は一層騒がしくなった。
「えーなになにー? うっわ最悪。なにそれ雪平さん」
「ちょっと聞いてんの? 早く片して!」
「ギャー蟻っ! 蟻っ!! ちょっとその下に私の靴箱もあるんですけどっ!」
一番上にある私の靴箱から、蟻たちは下に向かって隊列を組んで歩き始めた。
周りから攻撃的な声で急かされ、どんどん歩みを進める蟻にも焦り、急いで手で払おうとした。
ちょうどその時、突然誰かに肩を掴まれて靴箱から引き離される。
素早く私と入れ替わったのは葵だった。
葵はリュックを私に投げ渡すと、脱いだブレザーでバサバサと靴箱を這いつくばる蟻たちをはたき落とした。
「きらら、玄関の掃除用具から箒とちりとり持ってきて」
「あ、う、うん」
慌てて掃除用具入れまで走り、箒とちりとりを持って戻って来る。
それから、葵は床に落ちた土や蟻を器用にちりとりに入れていき、玄関を出てすぐのグラウンドの土の上に出した。
蟻たちは帰路を知っているようで、綺麗な一本線に並んで花壇の方へと戻って行った。
葵は箒によじ登っていた残りの蟻もはたいて土の上に落とし、箒とちりとりを掃除用具入れに戻してから、タオル地のハンカチを濡らして戻って来る。
そしてそのハンカチで私の靴箱の中を丁寧に拭いてくれた。私の靴箱を拭き終えるとハンカチを折りたたみ、綺麗な面で靴箱の扉を下の段まで軽く拭き上げた。
すべての工程を終えた葵のハンカチは真っ黒になっていた。
一部始終見てた女子達は、はしゃいだ声を上げて葵を見ている。
「やば、葵君かっこよすぎ」
「槇村君のハンカチが触れたとこ! あそこ私の靴箱!」
ちょうど葵の男友達が集団で玄関にやって来た。このメンバーには葵同様女子に人気のある男子が数名いる。
女子達は彼らに気づくと、急に前髪をいじりだす。
男子達は彼女たちの前を素通りして葵の近くまで来た。
「何してんの、葵?」
葵はいつもより僅かに声のボリュームを上げて返事をしていた。
「ああ、いとこの靴箱がイタズラされてて、土とか蟻とか入れられてたんだよ」
「うっそ、マジで? ひでえな」
女子達が小声で「いとこ?」「うっそ、いとこなの?」「なぁんだ、いとこか」と話し合っているのが聞こえた。
葵はさらに声を張り上げて、壱高さんら女子の集団に声を掛ける。
「ねえ、これやったの誰か知ってる?」
「え? ううん、知らない」
「雪平さん大丈夫だった?」
「びっくりしすぎて、私たちもパニックになっちゃったよぉ」
「雪平さんと葵君っていとこなんだね~」
彼女たちの手のひら返しに、私はまたも呆然としてしまった。
葵はそんな彼女達に極上の笑顔を振り撒く。
「もし犯人見つけたら教えて。みんなもわかると思うけどさぁ、自分の家族とかいとこに嫌がらせされると、自分にされたみたいでムカつかない?」
女子達は相づちをうちながら「うんうん、わかるぅ」「わかりみ〜」と前のめりで葵と話している。
「だから俺めちゃくちゃムカついてんだよね。売られた喧嘩にはちゃんと応えるから、きららに何かする奴見つけたら絶対教えて」
それから葵は壱高さんを見てまっすぐ近づいて行く。人だかりは、まるでモーセの海割りのように、男子も女子もサーッと葵が進む道を開けていく。
壱高さんの前で立ち止まると、葵は片手で拳を作り、その拳でまさかの壁ドンを決めた。
壱高さん含め全員の大騒ぎしている心拍数が強く伝わってくる。
「いい? きららは俺のいとこだからね」
葵の声は穏やかだけど、どこか冷たい。
葵は壁と自分の身体で覆い囲った壱高さんを、じーっと見つめ続ける。
葵を見上げる彼女の顔がどんどん真っ赤になっていき、しまいには過呼吸を起こすんじゃないかと思うほどにおかしな呼吸を始めていた。
「そぉ……なんだ」
あの腕の中には強力な磁場でもあるのだろう。彼女は今、葵の沼に引きずり込まれ、完全に落ちた。
壁ドンも受け取り方次第である。おそらく葵は威嚇したつもりだっただろうけど、壱高さんやその他女子達には胸キュンシチュエーションでしかなかった。
葵はゆっくりと手を壁から離すと、何事もなかったかのように私のもとに戻って来た。
「きらら、帰ろ」
「え? あ、うん」
葵が男子達に手を振ってから、私の腕を引っ張って玄関を出た。
もう彼女たちは私を睨みつけてはこなかった。
「ねえ、いつから私達いとこだったの?」
「今日」
「はあ?」
「いとこって言ったらいい。いとこ同士なら一緒にいても変な噂は出ないから」
「なるほど」
「ほら、急ぐ。今日はきららんちで勉強するんでしょ?」
「ああ、そうだった」
「十分に時間が取れる時は、マジでやるから覚悟して」
「望むところ」
葵は私を見ていつもの葵の笑顔を見せた。
「いいねぇ」
今日はバイトがないので、下校後は私の家で勉強をする約束だった。
二人きりがいいと要望したけど、家族に見られる分には問題ないので、私の部屋には行かずにリビングで勉強をすることにした。