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翌朝、家の玄関を出たら葵が待っていた。
わざわざ学校へ向かう電車を途中下車してくるなんて……。
綺麗に髪はセットされ、黒髪には濡れたような艶があった。制服も適度に着崩していて、抜け感を出している。
さすがはモテ男。完璧だ。
私に気づいた葵が笑顔で手を振れば、通りすがりの女子高生が葵を二度見して顔を赤くしていた。
「おう!」
「朝から何してるの?」
「通学時間も英語の勉強に使った方が効率的でしょ?」
「あー……グッモーニン」
「グッモーニン!」
「でも途中下車とかしんどいでしょ? 私、葵が嫌いだからってそこまで外道じゃないから、朝は別に無理しなくていいよ」
「いや、朝も使わないと全然勉強足りないから」
「あー……はい、すいません」
葵はそこからは怒涛のように英語で話し掛けて来る。確かに耳は鍛えられそうだけど、葵の目立つ容姿で通学路を英語で喋り続けられたら、目立ってしかたなかった。学校に近づくほど、視線は私だけを突き刺してくるようなものまである。
「ストップ。一回終了。めっちゃ見られてるから」
「気にしてたら上達しないよ?」
「さすがに人目が気になって委縮するし、それって勉強にならない。葵は目立つし、勉強は二人きりの時が良い」
私の提案に、葵は目を丸くして喜んだ。
「中々刺激的な提案だね。了解!」
「変な解釈しないで」
昼休みになり、後ろの席に座る親友のみなちゃんが、慌てて私の肩をつついてきた。
「な、なに、どうしたの?」
振り返ると、小動物みたいなみなちゃんは更に小動物のような顔をして慌てている。
小鈴三奈ちゃんは、そばかすと丸眼鏡がトレードマークの小柄な女の子。入学式の日、地元の友達がいなくて心細くしていた私に声を掛けてくれた。クラスも二年連続同じで、みなちゃんがいるから高校生活が潤っている。
「きらら、あれ、葵君だよね?」
みなちゃんが指さす教室の入口に視線を向けると、葵がこっちを見て手を振っていた。まだ昼なのに、背中には通学リュックを背負っている。
「げっ、何してんのアイツ!?」
入学してから葵が私を訪ねて教室まで来ることなんてなかった。
「きらら! ごはん!」
葵はモテる。見た目も良くて、頭も良くて、育ちも良い。モテ要素しかないのだから、モテるに決まってる。特に気の強い女子層からの人気は絶大だった。
そんな葵がわざわざ教室まで私を迎えに来てご指名しているのを見れば、気に食わない顔をする人達がちらほらいるのは当たり前だろう。
私は葵のところまで小走りで向かって腕を掴むと、廊下の隅まで連れて行き小声で怒る。
「ちょっと、こんなの聞いてないし、昨日の今日で準備してるわけないでしょ?」
「準備? なんの?」
「味噌おにぎりでしょっ!」
「あー……いいよそれは余裕ある時だけで。じゃ、行こう」
葵は私の手を握ると、そのまま歩き出す。女子の悲鳴が遠くに聞こえ、慌ててその手を振りほどこうとした。でもそうすればするほど、葵が指をがっちり絡めてきて離さない。
「ちょっと! どこ行くの!?」
周りの女子の目が気になって仕方ない私は、声すら裏返ってしまった。
「校舎裏。二人きりが良いんだろ?」
「二人きりになるまでが目立ちすぎでしょ!!」
「え? なんで? 普通に迎えに行ったつもりだけど」
「無自覚なの!?」
私と葵がこんなに話すのは小学校以来だった。塾の時も、高校に入ってからも、たまに昨日みたいに葵から声を掛けて来てたけど、私は軽くあしらって足早に去っていた。
だから、葵がこんなにも女子から自分がどう見られているかわかっていないとは知らなかった。
葵は階段を駆け降り、非常扉を開けて上靴のまま校舎裏まで出ると、やっと手を離してくれた。
「こっち」
葵に手招きされてついて行くと、もう使っていない用具倉庫の裏側まで案内される。
確かに人の気配はないし、誰か来ても用具倉庫の陰に隠れれば見つかる心配はない。
葵は着ていたブレザーを脱ぐと、当然のように用具倉庫の石階段の上に敷いた。
「ほら、ここに座って」
「でもそれ、葵のブレザーが汚れるじゃない」
「でも敷かないときららのスカートが汚れるでしょ?」
「いやでも……」
葵は先に石階段に座ると、立ちすくむ私を上目遣いで見て微笑んでくる。
コイツはこういう仕草で女子を惑わすのだろう。
「じゃあさ、明日からはちゃんとブランケットかタオル持ってくるから、今日はこれで座ってよ」
「明日から?」
「うん、毎日昼休みはここでご飯食べながら勉強するでしょ?」
「毎日!?」
「当たり前じゃん? 次の試験までは登下校と昼休みは、ながら勉強。下校後や学校ない日できららに時間ある時は、駅の適当な店とかで勉強」
「駅はイヤ。二人でいるのを誰かに見られる」
「じゃあ、どこ?」
「そう言われると……私の家しか……ないね」
葵は驚いたように瞬きする。
「……凄い大胆」
「へっ、変な事は絶対しないこと!!」
「しないしない。同意もないのにするわけないでしょ。心配ならおばさんがいるリビングでやったらいいし」
葵は背負ってたリュックからコンビニのおにぎりとお茶を出して渡してきた。一緒に登校した時にコンビニは寄らなかったから、私の家に迎えに来る前に買っておいてくれたのか?
「ささっと食って、こっちの数学の参考書一緒に解くぞ」
「え、この参考書英語で書かれてるんだけど」
しかも、びっしりと書き込みもされている。
「アメリカのだから」
「なんでそんなの持ってるの?」
「これ使って勉強することもあるから。ネットで買えるよ」
「すご……」
学年一位にまでなる人は、地頭だけじゃなくて、そうなるだけの努力をしているんだと、恥ずかしながら今更思い知った。
「……もしかして、葵もアメリカの大学目指してるの?」
「いや、俺は別に」
「だよね」
そりゃ、両親が医療従事者なんだから、葵もその道を目指すのが大道だろう。きっと狙っているのは国内医学部だ。
その日から、お昼は毎日この場所に集合しておにぎりを片手に一緒に参考書を解くのが日課になった。
みなちゃんにはちゃんと事情を説明した。そしてそれは予想外に喜ばれてしまった。
「え! どんどん行きなよ! 私の事は本当気にしないで! 春奈達もいるし」
確実にみなちゃんには私と葵の事で変な勘違いと期待をさせているけど、誤解を解こうとムキになれば、快く承諾してくれたみなちゃんを不快にさせる可能性もある。だから今は深く感謝するだけにしてお言葉に甘えた。
葵が昼に持ってくる英語で書かれた数学の参考書は、常にちんぷんかんぷんだった。
「A divided by B?」
「A÷B」
「割るってそんな英語で表すの!? というか、今割り算の勉強する?」
「はい、文句言わないで」
本当に葵に任せてて試験で点数が取れるのか心配になってきた。