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 山田川市連続児童誘拐殺人事件——。


 六年前に山田川市で起きたこの事件は、女子児童を狙った卑劣な事件で、次々と犠牲者が増える中、犯人は中々捕まらなかった。

 子を持つ親は毎日登下校を付き添ったり、または市外へ引っ越しを決める家庭もあったほど。

 犯人逮捕のきっかけとなった最後の犠牲者は、初の男子児童だった。犯人は逮捕されたが、この事件は解決したあとも重苦しい空気が尾を引き、連日押しかけるメディアの騒がしさに住民達の疲労や精神的なダメージも蓄積して、数年は転出ラッシュとなった。


 私の片想いの相手である尾河弦史(おがわげんし)も、この時に市外に転校してしまった。弦史はアラブの王子様のような褐色肌と異国風の容姿で、いつも優しくて、頭も良くて、まさに私の王子様だった。

 転校してしまった後も、私達は文通をして繋がっていた。

 そして、弦史が引っ越してから一年たった頃、とうとう私の両親も市外への引っ越しを決意して、私も転校することになった。


 弦史はその後アメリカに引っ越すことになり、更に遠く離れて行ってしまった。


 学校帰り、家のポストをドキドキしながら開けた。余計なチラシを手で払えば、一番下に英語表記の手紙を見つける。


 “From Genshi Ogawa”


 赤と青と白の線で縁取られた封筒に私は歓喜した。


 弦史とは高校二年生になった今でも、変わらずこうして文通が続いている。


 私は急いで玄関を開け、二階まで駆け上がっていく。お母さんが一階から声を掛けているが、適当な返事で返して自室に飛び込んだ。


 弦史からの手紙はいつも綺麗に封を開けるようにしている。

 お気に入りの輸入雑貨屋で買ったペーパーナイフで、手紙の封を丁寧に開けた。


 “雪平きらら様”


 弦史は私の事をきららと呼ぶけど、手紙の出だしは必ず礼儀正しくフルネーム呼びから始める。そういうところが好きだ。


 手紙の内容は他愛もない日常生活の事。そしてたまに弦史が撮った風景写真も送ってくれる。日本とは違ったダイナミックなスケールの大自然の写真を眺め、この大きな空は弦史と私の場所を繋いでいて、今も私たちは繋がっているんだと胸を高鳴らせた。


 “あの事件さえなければ、きららともっと一緒に過ごせたのにね”


 時折こうして引っ越しのきっかけになった事件を悔やむ文章が入る。

 でも、たとえあの事件がなくても、結局は中学生になればこうして弦史は遠いアメリカへと引っ越してしまっただろう。


 むしろ、こうしてずっと文通を続けられていることを私は嬉しく思っている。


『きっとこれから一緒に過ごせるはず。私、高校卒業後は絶対弦史の住むところに留学するから!』


 弦史への返事は、一番字が綺麗に書けるボールペンで書いた。


 ドアをノックする音がして、私が返事をする前にお母さんはドアを開けた。

 お母さんは私が机に向かって手紙を書いているのを見ると、いつも八の字眉になる。


「ゲン君?」


「そうだよ。今手紙書いてるからあっち行って」


 背中越しにお母さんの溜息が聞こえ、そのまま扉が閉まる音がした。


 幼稚園からずっと一緒だった弦史と私と、もう一人、槇村葵(まきむらあおい)の母親同士がママ友として頻繁にお茶をしたり公園にいったりと行動を共にしていた。だから、私達三人も自然と仲良くなり、幼稚園でも小学校でも、年がら年中一緒にいた。


 だけど、葵の父親は外科医で、弦史の父親も外資系大手企業勤務、二人のお母さんはスタイル抜群で服装も洗練された人達だったから、平々凡々な家庭のお母さんは劣等感があったんだと思う。

「うちは葵君やゲン君のおうちとは違ってお金ないからね!」が私によく言う口癖だったし。


 引っ越してからはお母さん達三人で連絡を取ったり集まっている様子など無く、私が弦史の話題を出すと表情を曇らせて黙るようになった。

 もともと抱いていたママ友格差の不満と、距離を置いたことで関係を終わらせたのだと、子供ながらに気づいてからは、なるべく話題にしないようにした。

 お母さんの今のお茶飲み友達は、同じ市内に住む田中さん。どんなきっかけで知り合ったかは知らないけど、たまにうちに来てお茶をしてる。

 田中さんは、葵や弦史のお母さん達とは真逆で、ぽっちゃりとしたフォルムで、服装もいつも何かのアニマル柄のTシャツとストレッチパンツを履いた、超庶民的なおばちゃんである。


 手紙を書き終えた私は、それを持って姿見の前に立つ。

 クラスの中で背の低い方だったあの頃から、成人女性の平均身長まで伸びた。


 ポニーテールを解き、胸元まである髪を手ぐしで梳く。奥二重と主張しすぎない鼻と口は、化粧をすればそれなりにはなるはず。


 再会したら、弦史は私を好きになってくれるかな?


 時計を見たら、さすがに今からだと郵便局の営業時間には間に合いそうもなかった。


「明日学校帰りに寄るかぁ」


 翌日、学校帰りに郵便局へ向かうと、コンビニの前でたむろしている、私と同じ県立海宝高校の制服を着た男子集団が目に入った。

 その中でも一際目立っていたのが、高い身長に、切れ長の涼しげな目元、整ったしっかりとした眉に鼻筋が通りバランスの取れた小顔で、おまけに女子も憧れる美肌であり、髪型はセンター分けの前髪にした槇村葵だった。


 そして私はこの葵が嫌いだった。


 気づかないフリをして通り過ぎようとしたら、葵にがっつり声をかけられてしまった。


「きらら、駅はそっちじゃないだろ? どこ行くの?」


 葵の方に顔を向ければ、ほかの男子達は葵を揶揄うようにニヤニヤしていた。


「郵便局」


「弦史に?」


「そう」


 葵はつまらなそうにため息をつく。

 付き合いきれない私は目も合わせずに葵に手を振る。


「じゃあね」


 そう言ってその場から離れようとすると、葵もみんなに手を振った。


「ごめん、先帰るわ」


 葵の謝罪に、男子達はヒューヒュー口笛を鳴らしている。


 葵はサクサク走ってきて、私の隣まで来たら歩幅を合わせて歩きだした。


「何?」


「郵便局行くんでしょ?」


「そうだけど、先に帰るんでしょ?」


「だから、きららんとこ来たんでしょ?」


 それ以上の会話が面倒くさ過ぎて黙った。


 何度も言うけど、私は葵が嫌いだ。


 私と弦史の転校で、三人バラバラになってしまったけど、葵とは中学に上がってから塾が一緒になった。


 塾で葵に弦史との文通の話をした。

 その文通で私がどれだけ励まされ、勇気づけられているか、学校に馴染めなくても、弦史との文通があるから頑張れると。


 葵だからこそ打ち明けるように話したのに、葵が私に言い放った言葉は「もう弦史はいないんだから、ちゃんときららが生きている世界に目をむけろよ。学校に馴染めないんじゃなくて、きららが現実を見てないんだ」だった。


 それ以来、葵が嫌いだ。


 葵にとって弦史はその程度の友人だった。

 すぐに会えない友達は、大切にすべき現実の友達ではないのか。


 私は弦史と遠く離れていたって、そばに居るのと変わらない。

 近くにいる人同様に日常生活の一部として存在している。絆だって、距離があっても深めることが出来る。

 現にこうして六年も文通が続いている。SNSとかじゃなくて、手紙で、だ。


 弦史の字で直接書かれた文字には温かみがあった。


 “きらら、元気にしてる?”


 その一言だけでも、文字が感情を込めて私に語り掛けてくるようだった。


 “中学校でも友達が出来たよ。学校がすごく楽しいんだ”


 文字が楽しそうに笑っているから、私の顔もついつい綻んでしまう。


 手紙は手間がかかる。


 綺麗なレターセットをお店まで買いに行き、ペンで文字を走らせる。打ち込む作業よりも、文字を書く方が指や腕は疲れると思う。字や文面を間違えたら書き直しだ。


 私なんて、弦史に送る手紙は、書き上がった字が汚く感じたら、最初から書き直してしまう。

 同封する写真やギフトを選び、切手を買って貼り、ポストか郵便局に持って行く。


 そして、相手のもとに届くのに約一週間、返事が届くまでにはもっと時間がかかる。

 

 手紙は、相手の気遣いや心を届けてくれた。


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