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落語家の目指すモノ  作者: 酢琉芽
第一章 前座見習い
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一章5 [3つの選択肢]

今日祝日なので時間がありましたので投稿しました

中学校での最終学年の3学期と言えば、どの月でも受験がある。

しかし伊織にはそれがなく、皆が勉強している時間も落語に当てられると言う事で、伊織にとっては最高の期間となった。


これまでは学校の勉強もしつつの落語の稽古であったが今は落語だけに集中できていた。

するとこれまで半年以上もネタを上げるのにかかっていたが、1月の終わりには一つネタを上げ次のネタを教えてもらおうとした。


すると圓鬼から今までの様に言われたネタを教わるのではなく、3つの噺の選択肢を与えられた。


まず1つ目の噺は【らくだ】この噺は、らくだと呼ばれる大きな男が長屋に住んでいて、長屋中から嫌われているその男の兄貴分が家へ行くと死んでいて、葬儀をしてやりたいが金がなく困っていると屑屋(くずや)来て家の物を買い取って貰おうとしたが買い取れそうな物がない。


兄貴分が屑屋を脅して長屋中から香典を集めてくる様に言った。

屑屋は気が弱く言い返せず言葉の通りにして戻って来ると、次の頼みを聞かされまたそれをやり何回か続けると、その中で大家から貰った酒を兄貴分に無理やり飲まされ屑屋の性格が豹変した。


屑屋と兄貴分は酔ってらくだの死体を漬物樽に入れ荒縄で縛り、屑屋の知人が居る火葬場へ運ぶが道中でそこが抜けている事に気づき、探しに戻ると橋で寝ている坊主を死体と勘違いして樽に入れ火葬場へ行きそのまま火の中に入れてしまった。


熱さで坊主が目を覚ます。


「ここは何処だ!」


「日本一の火屋(ひや)だ」


「うへー、冷酒(ひや)でも良いから、もう一杯頂戴」


この噺は人物も多く、酔っ払いなどの芝居があり高い技術の求められる噺でとても、前座がかけていい噺ではない。そしてこの噺は元は上方落語である。


2つ目の噺は【皿屋敷】この噺は、町内の隠居から番町の皿屋敷にお菊の霊が出るという話を聞いた男。

お菊が9枚まで数えるのを聞いてしまうと狂い死にし、8枚でも熱病に犯されるという。


男は町内の連中とお菊の霊を見に行き、6枚まで数えたところで逃げ出す算段。

お菊が井戸から出て来るとあまりに美しく見惚れてしまい、すぐに6枚目になり逃げ出した。


怖い思いをしたものの、美しくお菊をまた見たくて次の日も見に行きお菊の噂が広まり人気者になる。

これに目をつけた興行師がお上の許しを得て興行を始めた。


毎日大勢の人が来るので、お菊の仕草がわざとらしくなってくる。

見物料を取られる様になってしまったが今晩も見に行く。


6枚目まで数えたところで皆一斉に逃げ出すので、混み合って中々進まない。


すると7枚、8枚と数えていきついに9枚まで来てしまいここで終わるはずが、10枚、11枚続きを数えはじめて遂には18まで数えてしまった。


見ていた連中はなぜ18枚まで数えたのか聞くとお菊が、何枚数えようとこっちの勝手だと言う。

よく見るとお菊は酔っている。


なおも連中は9枚で終わりだと言うとお菊が


「だから分かんないかね、明日はお休みなんだよ」


この噺は、怪談噺ではあるものの他の怪談噺よりも怖さがなく落語らしい怪談噺である。

しかし怪談噺も寄席などでトリでかけられることが多く前座ができる話ではない。


最後の3つ目の噺は【二階ぞめき】この噺は、毎晩の吉原通いで勘当寸前の若旦那。


そこで番頭は女を身請けして、何処か別の場所に住まわせて昼間に通えば良いのではないかと提案すると若旦那が、俺は女はどうでも良く吉原の雰囲気が好きなのだ。


そこで番頭がひやかし(登楼しないのに、遊女を見て回ること)が好きなのかと聞くとそうだと答える。

若旦那は吉原を家に持って来てくれたら夜遊びをしないと言う。


番頭はそれを聞き、出入りの棟梁に頼んで、二階に吉原もどきを作ってもらった。

二階に吉原もどきを作ってもらって事を若旦那へと報告すると、若旦那は着替えてから行くと言う。


番頭が今の着物でも良いのではないかと聞くと、古渡唐桟(こわたりとうざん)(軽くて薄い素材)の着物でなければダメだと言う。


そしてその着物には、(たもと)が付いておらずそれについて番頭が尋ねると若旦那は、ひやかしている時に誰かと当たって喧嘩になった時に邪魔だからと言って二階へと上がる。


2階へ上がるとそこは吉原そっくりしかし女がおらず自身で演じ始めた。

すると大旦那が2階がやけに騒がしく誰かが喧嘩しているのではないかと言い、定吉という男に見に行かせた。


そこで定吉が見たのは、若旦那が1人で胸ぐらを掴み合ったりして喧嘩をしていた。

それを見た定吉が若旦那の肩を触り止めに入ると若旦那が


「おい、定吉家に帰っても、ここで俺に会った事を親父に言うじゃねぇぞ!」


この噺は、昭和の戦時中に禁演落語として上演する事を禁じられた53の演目の一つである。

廓噺は通常、吉原へ行き失敗した男を語ることが多くがこの噺また別の要素で構築されている噺である。


「伊織、今聞かせた3つの噺の中から1つだけ選べ」


どの演目も磨いて来た噺であり、どれも完成度が高い。

落語は話す方はもちろん聞く方も集中力がいる、この時点で既に2時間半経っていた。


どの噺にするか決め難く、伊織が迷っていると圓鬼が話し出した。


「どれを選んでも良いが、一つ目の噺は私の十八番だ。二つ目の噺は山麓亭圓宗の得意としていた怪談噺だ。そして三つ目の噺はお前の落語に最も合っていて、お前の良さが出せる廓噺だ。」


その説明を聞き伊織の顔がより険しくなり、唸りながら悩み始めた。

その様子を見た圓鬼が、また5日後に私の屋敷に来た答えを聞かせろと言って伊織を家に帰した。


家に帰ってからも悩み続け、その日はあまり眠れなかった。



ーーー



次の日の学校、皆が受験に向けての勉強をする中、伊織は目の下を黒く染め今も考え続けている。

次の日もそのまた次の日も、目の前下は黒くなるばかり、整っている顔が頬が少し痩けてしまっている。


そして今日が圓鬼へと答えを出す日だ。


自身の中の、師匠の噺を継ぎたい気持ちと、祖父の様な落語をしたい気持ちと、自分の初めて師匠から認められるだけの良さを出せる噺をしたい気持ちが糸の様に絡み合い答えを出せずに悩んでいる。


そうして悩んでいると、自習の時間に担任の教師から呼び出されてしまった。


伊織は昨日の3つの選択肢で頭が一杯で、なぜ呼び出されたかも考えられない。

誰もいない静かな廊下を2人で歩いて行き、着いた場所は相談室だった。


相談室に入ると担任の教師は、一番奥の席に座りその対面の席へと座る様に言った。

伊織は呼び出された事よりも、噺について悩み込んで俯いている。


担任の教師は、穏やかで優しさを含んだ声でゆっくりと話し始める。


「椎名君、何をそこまで悩んでいるのですか?クラスの皆も心配していますよ」


伊織はそれを聞き理解した。

自分がクラスの雰囲気を悪くさせて、皆の勉強を妨げてしまっていると。


「すみません…」


謝りはしたものの、今も上の空と言った様子の伊織。

先生は、ハァっとため息を吐き一度大きく深呼吸をして。


「椎名君もまだまだ子どもですね…何も理解出来ていません!」


呟く様な言葉から大きくなる先生の声、その声を聞き伊織は()()()初めて顔を上げた。

顔を上げると目の前には心配している先生の顔。


「やっと顔を上げましたね。」


先生はいつも通りの優しく生徒思いの先生に戻った。

伊織はこの5日間、家でも学校でも誰の顔も見ていなかった事に気づいた。


「悩む事はいい事です。悩む事は生きている証拠です。悩んで考えて、いろんな事を模索して成長するのが子どもです。でも1人で抱え込まずに、私でも友達でも家族でも誰かに話して打ち明けてください。答えを示せるかはわからないけど、話してください…」


優しく心のこもった言葉。


伊織の頬を一滴の雫が(つた)った。

()()()から一度も味わった事が無かった感覚。


しかし()()()とは違う感情から溢れ出した涙に伊織は、動揺した。

初めての悲しみ以外から来る涙に。


「先生相談があります」


「分かりました。なんでも話してください」


伊織は自身の気持ちを包み隠さず全てを話した。

先生は頷きながら話しを遮ること無く静かに聞いていた。


先生は伊織の話が終わるとゆっくりと口を開いた。


「3つの噺の中で一つだけ決定的に異なる事があります。しかしここからは、貴方自身で気付かなくてはならないと思います。」


そう言われた伊織は何かに気付き5日前から曇っていた顔が晴れた。


「先生ありがとうございました」


その言葉を聞き先生は安心した顔をして、それは良かったと言い伊織を教室へと帰した。

教室へと帰るとクラスメイト達は、伊織の顔を見て皆笑顔になった。



ーーー



「答えは決まったか」


屋敷の一室いつも弟子達が師匠から稽古をつけてもらう場所。

伊織が圓鬼の問いに対して頷くと、圓鬼は聞こうと言って答える様に促した。


「【二階ぞめき】を教えてください」


「理由は?」


感情の起伏無く静かに言う。

その様子は弟子を試している。


「他の2つの噺は、自分の憧れているもので、二階ぞめきはこれからの自分を作って行くものだと考えたからです」


圓鬼はその答えを聞き、伊織には分からないほど小さく笑みを浮かべた。


「よくその答えに辿り着いたな」


いつも通りの稽古をしている時の厳しい表情で言った。

しかし伊織はそれが、嬉しくて堪らなかった。


いつも稽古の時には、良かろうとしか言わない師匠に、他のしかも賞賛する言葉をかけてもらったからだ。

心の中ではとても喜んでいるが、それを表に出す事はない。


そんな伊織はお構いなしに圓鬼が静かに言葉を告げた。


「これより稽古を始める」

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