一章4 [冬休み]
伊織と鬼姫は高野亭を出てすぐの所にある、スターマニーと言うアメリカ発祥の喫茶店チェーンの店内で待つ事にした。
伊織は今日の高座のお礼に鬼姫に飲み物を奢ると言ったが、それでは姉弟子としての顔が立たないと言って断られてしまった。
「私はカフェラテにするけど伊織はどれが良い?」
「じゃあ俺はエスプレッソにします」
伊織としては少し納得いかないのだが、ここでも鬼姫が飲み物代を払った。
そんな優しい姉弟子と一緒にドリンクを持って店内から外が見える席に隣同士で座った。
2人は街行く人達を見ながら初めて落語の話をしていた。
その話の中で伊織は鬼姫が圓鬼一門に入門した経緯を聞かされた。
鬼姫は高校生の時に山麓亭圓鬼主催のアマチュア学生大会に出場し、その時に鬼姫の才能を見込んだ圓鬼にスカウトされたのだと言う。
鬼姫の話は続き弟子入りしたはいいもの、その時彼女は高校二年生で実家が福岡であり、どうしたものかと考えていると圓鬼が高校を卒業してからでも遅くないと、言ってくれたそうで高校を卒業してから正式に弟子入りしたのだと言う。
そこからは彼女の地元の話になり、彼女の地元はあまり都会の方ではないらしく、地元の愚痴が止まらなくなっていると伊織は思い、どんな遊びをしていたのかと話題を変えた。
するとボーリングやカラオケをしていたと言い、次はボーリングの話をし始め、ボーリングの話がひとしきり終わると次はカラオケの話をし始める。
ここで伊織は出会ってすぐのマシンガントークを思い出した。
彼女は話し始めると数珠繋ぎの様にして話題をコロコロ変えて話し続けるから、最初に何の話をしていたのかが分からなくなってしまう。
そんなマシンガントークを1時間半程聞かされていると、伊織の携帯が鳴り見てみると父からであった。
伊織は父からの電話に出て、高野亭からすぐのスターマニーにいると教え5分程で合流した。
「父さん助けてよ姉さん全然話しが終わらないんだ」
伊織がグッたりした様子であるのに対し、鬼姫は随分と楽しそうな様子をしているのを見て慈昭は、知らん顔で何が食べたいと2人に対して言う。
「私は焼肉がいいです」
鬼姫が遠慮なども一切なく元気いっぱいに言った。
伊織はまだ疲れている様子で俺も焼肉でと言ったので今日の夜ご飯は決まった。
3人が合流した場所から15分程歩くと黒と赤の看板に白蒼と書いてある店に着いた。
店の外見は高級感溢れる見た目となっており、伊織と鬼姫は目を白黒させて驚いている。
「父さんこんな高級そうな店予約も無しに入れるの?」
慈昭はその質問に対して大丈夫だからと言い中へと入ったので伊織と鬼姫も一緒に入る
中へ入ると案の定予約をされていないので入れませんと言われ、すると慈昭は店長を呼ぶ様に店員へと頼んだ。
少しの間待っていると奥から黒の半袖の服に肩にはタオルをかけたイカついおじさんが出てきた。
出てきたおじさんは慈昭を見るなり駆け寄って来て声をかけた。
「久しぶりだなぁ!華織どうしたんだ?」
「久しぶり、君の店で食べたいんだけど大丈夫?」
「当たり前だぁ!誰かお客さんだ奥に案内してやってくれ」
伊織と鬼姫が何が起きたのかも分からないまま、店の奥の座敷へと案内された。
店長らしきおじさんは仕事があるからまた今度ゆっくり話そうと言って厨房へと消えて行った。
「父さん」「慈昭師匠」
「どう言う事!?」「どう言う事ですか!?」
言われた本人は2人の勢いに驚きつつも答えた。
先程の店長らしき人は、慈昭の高校の時からの親友だと言うのだ。
2人も納得したのか先程の勢いは無くなり静かになった。
静かになった座敷で伊織がある事を思い聞く。
「父さんこんな店、母さんに黙って来て良いの?」
すると先程まで笑顔だった父の顔が急激に青ざめた。
青ざめた顔で慈昭は伊織と鬼姫の2人に、この事は黙っておいてくれと言い少し落ち着いた。
「さて2人とも好きなの頼みなさい」
「良いんですか師匠?」
「もう良いの来ちゃたんだし」
すると2人はカルビやタン、ハラミにロースなど様々な部位を頼む。
慈昭はと言うと酒のつまみになりそうな物とビールを頼む、それに便乗して鬼姫もビールを頼んだ、因みに伊織は未成年なのでジンジャエールを頼んだ。
食も進み大人2人の酒も進んだ頃、大人2人は声が大きくなるのと同時に口が軽くなって行く。
そんな時に伊織が父に対して、何故噺を教えたがらないのかと質問した。
「何でかってそれは…」
聞いた本人である伊織と気になっていた鬼姫は唾液をゴクリと飲み込み身構える。
「めんどくさいからかな」
2人は身構えて損したと言って文句を言うが、慈昭はそんな2人を見て笑っている。
ひとしきり食べ終わり、話も区切りがついた時に慈昭がそろそろ帰ろうかと2人に言った。
店を出る前の会計を見た、伊織と鬼姫はあまりの値段に言葉を失ってしまった。
鬼姫に至っては酔いが覚めたと言う程だった。
「慈昭師匠今日はありがとうございました。それでは…」
「何言ってるんだい?若い女性を1人で帰す訳にはいかないだろ、今タクシー呼ぶから乗って行きなさい」
鬼姫はしかしと言って断ろうとしたが、慈昭に説得され乗る事にした。
待っていると数分もせずにタクシーが来て3人は乗り込んだ。
鬼姫はタクシーに乗ると自身の家の住所を運転手へと伝えた。
運転手が伝えられた住所の方へと車を進め始めると、鬼姫は今日の高座の疲れからか寝てしまった。
鬼姫の指定した住所に着くと、伊織が隣に座っている鬼姫をゆすって起こした。
鬼姫はハッと目を覚ますと慈昭へと感謝を伝えて、目の前マンションへと向かって行った。
鬼姫を見送り慈昭が運転手へと住所を伝えて車が走り出した。
車が走り出してすぐに、慈昭が伊織に今日の鬼姫の高座はどうだったかと聞く。
「凄く良かったよ、姉さんの落語は何処か父さんの落語に似ていて」
「当たり前だろ、僕が教えた噺なんだから」
「そうじゃなくて、聞いているとお爺ちゃんを思い出す所がね」
そう言うと2人は黙ってしまった。
少し経ってから父がそれは良かったと言った。
それから2人の会話はなかった。
家に着き扉を開けると目の前には女性が立っていた。
「華織今まで伊織とどこ行ってたの?寄席は2時間も前に終わってるはずだけど」
目の笑っていない笑顔で静かに聞く女性は、華織と呼ばれた男性の妻であり伊織の母である人である。
華織はその女性を見るなり冷や汗が流れ始めている。
「いやっ…雫あの〜…」
「言えない事なんだね、分かったよ今日は付き合ってもらうから」
すると華織の顔が青ざめた、伊織はその様を見ておやすみと言って自室へと入って行った。
2人はリビングへと行き、ソファに腰をかけ空のワイングラスに白ワインを入れた。
ーーー
次の日伊織が朝リビングに行くと、ゾンビの様になっていた父を発見した。
この光景を伊織が見るのは3回目だ、雫抜きで外食をしてくると次の日の朝にはこうなっている。
「おはよう伊織今日から冬休みだけど、いつも通りなんでしょ」
そう言うのは目の前の男性をゾンビにした張本人である伊織の母の雫だ。
いつも通りとは、圓鬼の家へと行き落語の稽古をつけてもらう事である。
「今回は、鬼姫姉さんに色々教えてもらう」
そう言うと母は、そっかと言いその後に伊織には聞こえない声で早いなぁと言った。
伊織は一度部屋に戻り今日の支度をし始めた。
「うぅぅ…ほんとに子どもの成長は…あぁぁぁ痛い!」
「ちょっと華織うるさい!」
雫の声が華織の頭に響き、またゾンビ状態に戻ってしまった。
そんな事をやっていると、伊織が行ってきますと言って出て行った。
ーーー
今日の鬼姫との待ち合わせ場所は、渋谷駅前のハチ公だ。
この日やった事とすれば買い物と食事だけ。
その次の日は、池袋で買い物と食事をして圓鬼宅で稽古。
そのまた次の日は、鬼姫が寄席で高座があるのでその付き添い。
そんなこんなでどんどん日は流れて行き、年越しの日を迎えた。
年越しの日と言う事で祭り気分になる者もいる、それは伊織の周りにも。
「慈昭師匠家に招いてくれてありがとうございます。」
「良いんだよ、伊織がお世話になっているから雫も是非ってね」
「伊織の事、ありがとうね鬼姫ちゃん」
この後はご馳走を食べお酒を飲み皆で年を越した。
年が明けた日は伊織も鬼姫も休みとした。
年が明けてからもやる事は変わらず、買い物する日、稽古をする日、寄席のある日と言った感じで前座の事など何一つ教わらなかった。
伊織は冬休み最後の日に鬼姫に何も教えてくれないじゃないかと言った。
すると鬼姫は付いて来てと言って、圓鬼の屋敷へと向かい圓鬼の待つ部屋へと招き入れた。
「よく我慢したな」
入るとすぐに伊織は圓鬼にそう言われた。
伊織は何が起きているのか分からず放心状態である。
そんな伊織を見て鬼姫が説明し始めた。
説明の内容によると、伊織は若くて我慢出来ないところがあるのではないかと言う圓鬼の考えだった。
その圓鬼の考えは杞憂だった。
そして次の日から新学期が始まるのでまた元の学校終わりの稽古が始まった。
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