一章2 [姉弟子]
鬼姫は夜まで話に付き合わせた礼としてご飯を奢ってくれるらしい。
伊織は申し訳ないからと言って、何度も断ったが結局鬼姫の押しに負けてしまい一緒にご飯を食べる事になった。
「何で未成年連れて居酒屋なんですか?」
焼酎をグイッと飲む赤髪の女性に伊織はジト目をしながら言った。
お酒を飲み幸せそうな鬼姫は酒飲み特有の大きな声とテンションで答える。
「いやぁだって私二ツ目だよ、しかも成り立てホヤホヤ、お金持ってる訳ないじゃん!」
自信満々に伊織へと言い放つ。
伊織のジト目が憐れむ様な目に変わったそして伊織は言い返す。
「お金無いなら奢るなんて言わなければ良いじゃないですか」
ご尤もな意見である。
しかしそんな尤もな意見に酔っ払いは口ごもる様にして小さく言い返す。
「だぁって、弟弟子に良いとこ見せたかったんだも」
駄々をこねる子どもの様な鬼姫に対し伊織は本当に年上なのかを疑ってしまう。
がしかしこの女性は目の前で年上である事を酒を飲むと言う形で証明している。
「良いところ見せるって、今のところただのお喋りな酒飲みですよ」
普通の姉弟子に向ける様な言葉では無いが、鬼姫自身が今日何時間も話している間にフランクに話せと言ってきたのだ。
伊織は断っていたのだが、何時間も会話をしてある程度気の知れた仲になった事と今の鬼姫の様子を見て断っていた自分がバカバカしくなって彼女がお酒を飲んでいる間だけフランクにしようと思った。
「伊織は姉弟子に対して酷いなぁ、言葉がナイフの様に刺さってくるよぉ」
完全に出来上がっている彼女はドンドン言葉も顔も緩んで行く。
何せ彼女はもう日本酒を一本空にし焼酎も2合目を飲み干そうとしている。
そんな鬼姫に対し、伊織は肝臓どうなっているのかと思いつつももう一つの疑問を投げかける。
「姉さんはいつから師匠の弟子なんですか?」
そう言われると鬼姫は言いづらそうにしながら18の時だからと言い。
「2年前かなぁ」
「2年前なら俺が兄弟子じゃ無いですか!」
伊織が珍しく声を張り上げ言った。
それもそうだ2年前に弟子入りしたのであれば10年前に弟子入りをした伊織が兄弟子という事になり今までの先輩づらはおかしいからだ。
「いやでも伊織はまだ楽屋入りすらして無いじゃん」
それはそうだが1秒でも早く弟子入りした方が兄弟子なのだ。
だがしかし伊織は年上の人に敬語で話されても気持ちがよく無いのでやはり鬼姫が姉弟子でいいと言うと彼女は嬉しそうにし好きな物を頼めと言って来たので焼き鳥を15本程頼んだ。
「いやっちょっ、食べ盛りなのは分かるけど頼み過ぎでしょ」
「姉弟子の良いところ見たいんですけど…」
「あぁもう分かったよ好きにしなさい!」
その後も伊織は焼き鳥を頼み続け、鬼姫は酒を飲みながら財布の心配をするのであった。
ーーー
「伊織おはよう!」
新宿駅の前で立っている白髪の少年に明るく声をかけるのは赤髪の女性鬼姫である。
「おはようってもう12時ですよ!俺今日10時から待ってるんですけど!」
「ごめん、ごめん昨日の反動で明日起きれなかった」
鬼姫は怒られているのをお構いなしで軽く言い訳をしてから歩き出す。
「ちょっとどこ行くんですか?そっちは高野亭じゃないですよ」
「伊織こそ何言ってるの?今日私の高座19時からだよ」
伊織はそれを聞いて唖然とした。
出番が今から7時間後であると知らされたのだから。
「じゃあ俺何のために今新宿にいるんですか?」
「何のためって、伊織は今日私の付き人だよ」
伊織はまた唖然とした何故なら付き人と言うのは舞台袖で落語を見る口実だと思っていたからだ。
まさか今日一日本当に付き人をさせられるなんて思ってもいなかった。
「そんな事言ったて今から何するんですか?」
「えっ何てもちろんデートでしょう」
伊織はついに思考が停止し固まってしまった。
「あれ伊織どうしたの?デートって言っても落語の稽古みたいなものだよ」
そう言われて伊織の思考が元に戻った。
いやしかし思考が元に戻ったとしても伊織は言葉の意味を理解出来ずにいるとそれを察した様に鬼姫が説明する。
「廓噺とか人情噺みたいに男女の関係を理解する為のデートみたいな」
廓噺は多くの物が吉原に行った男性の失敗談を語る噺が多くあり、人情噺の男女の関係といえば夫婦である。
「姉さん…それどっちもデートでどうにもならないんじゃないですか?」
「そんな事はないとも!噺の中の関係とは違くても経験をする事は大切だぞ!」
伊織は渋々納得した(納得させられたたと言った方が正しいだろう)様子で今から何をするのかと鬼姫へと問うと彼女はとぼけた顔をした。
「そんなの今から決めるんじゃないの?」
「姉さんもしかしてデートした事ないんですか…」
伊織は鬼姫に対して昨夜居酒屋で向けたジト目で投げかけた。
「おい!姉弟子に対してそんな目を向けるな!」
さも初めて向けられた様な言いぐさに伊織は少し驚くがすぐに気づいた、この姉弟子は昨日の記憶がほとんど残っていない事に。
「そんな事はいいんで何処かに入りましょ」
鬼姫は小さく何かを言いながらも伊織に導かれる様にして歩いて行った。
ーーー
デートとは言ったものの、7時間の間でした事と言えば昼食を取り食べ歩きをすると言うツッコミどころしかない事をして時間を潰して高野亭へと向かった。
高野亭に着くとすぐに鬼姫は色々な人へと挨拶をしてすぐに着替えに行ってしまった。
伊織は楽屋で面識のない人達と少し気まずい時間を過ごすかと思っていると、よく見た顔を見つける。
「父さん今日寄席だったの?」
伊織が話しかけた人は他でもない今日の寄席のトリである辰川慈昭だった。
話しかけられた本人も驚いているがそれよりも周りの前座達の方が驚いている。
「お前こそ何で楽屋にいるんだ?まだ楽屋入りを許して頂いてないだろ?」
「そうなんだけど今日は姉さんの付き人って事で師匠が許してくれたらしい」
「そうか良い機会を頂けたな、鬼姫の高座を見て学べという事だろな」
そんなやり取りをしていると着物に着替た鬼姫が楽屋に入ってきた。
昨日と今日のお昼の様子とは全く違う落ち着いた印象を与える姿である。
「どうだ伊織着物の私はかっこいいだろ」
落ち着いて見えるだけであり言動は変わったいなかった。
しかし慈昭と会話をしている時だけは落ち着いた様に感じられる。
「慈昭師匠私の高座見ておいてください」
「分かったよ、あれをやるつもりなんだね」
「はい!私の成長見ていてください」
2人にだけしか分からない会話であり伊織はもちろん周りの前座達も何一つ分からない会話である。
そんな話をしていると鬼姫の高座の時間がきたようだ。
鬼姫と伊織は舞台へと向かって行く慈昭はそんな2人の様子少し後ろから見ている。
「伊織よく見ておきなよ姉弟子の落語をね」
少しばかり緊張の色が見えたが、それを隠す様に伊織へと微笑んだ。
微笑むと鬼姫の緊張の色が消えた。
出囃子が鳴りそれを聞いた鬼姫は舞台袖から出て行って。