消えたクラスメート
昭和47年(1972)2月。
高校の卒業式の前日、彼の姿は忽然と学校から消えた。同じクラスだったが、話したことは一度もない。
ただ、何より印象的だったのは、毎朝、早くから学校の正門前で、登校生徒にビラを配っていた。ヘルメットを被り、首に手拭いを巻いたスタイルで。
ビラには、大都市で開かれる学生集会の日時とよく分からないメッセージがガリ版刷りされていた。何度も教師に見つかり、連れていかれるのも見た。彼を突き動かせていたものは何だったのだろう。もっと、楽に生きれば良いものをと思った。
あの頃、大学生を中心に学生運動が活発に行われていたが、まだ、高校1年生で、地方都市の高校だったので、私は全く何をするものか、なぜするのかも知らなかった。
昭和44年、医学部のインターン制度に反対した東大生に依る「東大安田講堂事件」が起こり、ニュースは毎日テレビを賑わせ、学生たちと盾と棒を持ったダース・ベイダーみたいな機動隊の衝突がよく写し出されていた。東大生だけでなく、以外の学生たちも大勢参加して逮捕されたりしたとあるから、何かみなやり場のない不満を抱えていたのだろうか。
「体制」という抽象的な言葉が勝手に一人歩きをしているような混沌とした時代。
しかし、私はそんなこと関係なく、友だちと放課後、お好み焼きさんでおしゃべりしたり、
可愛い洋服を探したり、普通の高校生活を送っていた。
その後、大学に進み、商事会社に就職。確かに最初の頃は「体制」という言葉は時々聞かれたが、やがて、時の流れとともに朽ち果てて行った。
高校卒業と同時に就職する男子生徒は、青春と別れを告げるように長い髪を切り、「体制」の支配する社会に出ていった。
あれから、何十年も時間が経った、今日、テレビの懐メロ番組から聴こえた「いちご白書をもう一度」
ヘルメットの彼は今、どこで何をしているのだろうか。
高校のグランドの長い灰色の壁に、彼がスプレーで書いた「体制崩壊を目指す」の文字が折からの雨に濡れ、涙のように文字が崩れて行った様を思い出す。
確かにあった青春。
そして、確かに終わった青春。