婚約破棄連続殺人事件
「君との婚約は破棄させてもらう!」
よくあるタイプの学園の、よくあるタイプの卒業パーティー会場で、よくいるタイプの王子殿下が高らかに告げた。
片手は寄り添う男爵令嬢の腰に、片手は眼前の侯爵令嬢を指さして、
「婚約破棄だ!」
お声も顔も、自信に満ちたご様子だった。
「あらあら」
対する侯爵令嬢は、優雅に扇をひらめかせ、「なぜかしら?」と首をかしげた。
「なぜか、だと?」
王子殿下は、正義を確信した表情でにらむ。
「逆に、君に問う。今この場に僕の護衛騎士候補がいない理由をどう考えている!」
問いというより罵倒のようなその言葉に、侯爵令嬢は薄く笑った。
「もしかして、体力測定日の中央階段でのことが原因かしら?」
「そうだ。君に階段からたたき落とされ、僕の護衛騎士候補としての彼は死んだ」
王子殿下は、大仰なしぐさで額に手を添える。
「これを殺人と呼ばずしてなんと呼ぶ!」
「巻き込まれ事故?」
「なにをっ」
王子殿下の怒りをいなすように、侯爵令嬢の扇が音を立てて閉じられた。
「そもそものお話ですが、階段から突き落とされたのは私ですわよ」
「だが、君は無傷ではないか」
「それは――」
階段上で誰かに背を押され、体が宙に浮いた瞬間、侯爵令嬢は考えた。
石造りの急な階段。
中央の踊り場までに最低3回は打ち付けられるであろう己の体。
このまま落下に身を任せれば、よくて怪我、悪ければ死んでしまうかもしれない。
だから――、
「私、習いたての物魔法を使いましたの」
物魔法は、射出と組み合わせて使った場合に反動を生じる唯一の系統だ。
授業では、反動で吹き飛ばされないように足場のしっかりした場所で使えと教えられたが、足場がない状況の今こそ、それを使うべきであると判断したのだった。
「階段下に向けて物魔法を放った反動で、無事、無傷で階段上に降り立つことができましたわ」
その時その場に居あわせた生徒たちは、制服の裾をひるがえし、空中2回転ひねりをきめて着地した侯爵令嬢の、息ひとつ乱さぬ優雅な姿を思い出した。
ある者はその記憶にため息をもらし、ある者は隣の生徒に語って聞かせる。
まるで、顕現した妖精の舞いのようであった、と。
「勢い余って、後ろにいらした一団のみなさまを躍り越えてしまったのは、かわいい計算ミスですわ」
侯爵令嬢の恥じらいの笑みも、王子殿下のこわばった表情を和らげることはできなかった。
「そうして君は、八つ当たりのように僕の護衛騎士候補を突き落としたのだな!」
すべてわかっているのだとでもいいたげな言葉に返るのは、柔らかな否定。
「あら、違いますわ。……違いますけれど、少しだけ私にも責任があるかもしれませんわね」
「そらみろ!」
「ほんの少しでしてよ。私自身を押し戻す際、堅い物を打ち出しては建物を傷つけてしまうと思い、物魔法でボールを形成いたしましたの」
侯爵令嬢は閉じた扇をくるりと回し、コートで行う多人数球技用ボールほどの大きさを宙に描いてみせる。
「そのボールが、階段下の廊下の壁だか床だかに、なにやら絶妙な角度で当たって跳ね返りまして……」
「それが、彼に当たったというのか」
「結果的には、そうですわね」
結果にいたる経緯があった。
最も階段に近い位置にいた男爵令嬢が、ボールに気づくなり素早くしゃがんでよけたのだ。結果、背後の護衛騎士候補が……。
「ボールは男爵令嬢さまの頭を超え、護衛騎士候補さまの顔面に、こう、みごとにバチーンと……くふっ……」
にらみつける王子殿下の視線を遮るように、侯爵令嬢の扇が広げられる。
「お顔でボールを受け止めてバランスを崩したところ、お足元にしゃがんでおられた男爵令嬢さまにつまずいて、何がどうなったのか、哀れ護衛騎士候補さまは階段を転げ落ちていかれましたわ」
「その際に負った怪我で、彼は再起不能に……」
王子殿下は悲痛な表情を片手で覆う。
「やはり、君の魔法が彼をたたき落としたのではないか!」
「あら、嫌ですわ。彼とて腐っても殿下の護衛騎士候補、常日頃ご自慢あそばしているとおり、体術だけは人に優れておられますもの。華麗な受け身で踊り場に降り立ち、『奇襲とは卑怯な!』と騒いでおられましたわ」
「では、なぜっ」
「鍛えられた肉体で、階段で受けた傷はたいしたことがなかったようですが、いかんせんお心の鍛え方が足りなかったのですね。護衛騎士候補さまにとどめを刺したのは、そちらの男爵令嬢さまでございますわよ」
意味がわからず、王子殿下は傍らの男爵令嬢に視線を向けた。
「どういう意味だ?」
「え~、あたし、わかんないですぅ」
「お鼻の粘膜がボールの勢いに負けてしまわれた護衛騎士候補さまに、男爵令嬢さまがおっしゃったのです」
侯爵令嬢は「んんっ」と喉の調子を整えて、男爵令嬢の声まねをする。
『え~、護衛騎士くんったらいっつも、『俺は油断というものをしたことがない。油断がなければ奇襲などない。だから俺は殿下とおまえの護衛騎士なのだ』とかいってるくせに、顔に奇襲受けちゃうとか、だっさ~い!』
あまり似ていない声まねに、男爵令嬢の目が泳ぐ。
「え~、そ、そ、そんなこといったかなぁ?」
「私寡聞にして『だっさあい』がどんな意味の言葉かは存じませんが、ともかく、あれがとどめの一撃であったことは間違いございませんわ。護衛騎士候補さまはそのまま崩れ落ち、自力では立ち上がれなくなってしまわれましたから」
体力測定日の「中央階段・護衛騎士候補殺人事件」の目撃者たちが大きくうなずき、侯爵令嬢の言葉を肯定した。
「あらあら、まさかと思いますが、こんな濡れ衣で私有責の婚約破棄を主張なさるおつもりでしたの?」
扇の影から見える侯爵令嬢のまなざしは、いっそ哀れむかのようだった。
「き、君の罪はそれだけではない!」
王子殿下は、ぎゅっとすがりついてくる男爵令嬢に力を得てうなずくが、殺人犯(予定)の罪をあばき、その勢いのまま婚約破棄などという莫迦げた行いを押し通すつもりであったにしては、名探偵の事前調査はお粗末すぎた。
「僕の護衛魔道士候補への仕打ち、忘れたわけではないだろう」
残念ながら、名探偵王子殿下の言葉に、先ほどまでの勢いはない。
「もしかして、魔力測定日の測定用噴水でのことをおっしゃっているのかしら?」
「そうだ。君によって噴水に突き落とされ、僕の護衛魔道士候補としての彼は死んでしまった」
王子殿下は、大仰なしぐさで目を覆う。
「これが殺人でないならなんなのだ!」
「もらい事故?」
「なんという……」
王子殿下の嘆きを払いのけるように、侯爵令嬢の扇が音を立てて閉じられる。
「そもそものお話ですけれど、噴水の水で攻撃されたのは私ですわよ」
「だが、君は害されていないではないか」
「それは――、」
凶暴な魔猿の姿に形成された水の接近に気づいたとき、侯爵令嬢は考えた。
魔力を多量に含ませた測定用の水。
魔法を打ち消したとしても、彼女の体を覆い尽くしてあまりあるその水量。
このまま噴水の水をあびてしまえば、よくて怪我、悪くて魔力酔いからの後遺症コース。
だから――、
「私、その水を打ち返すことにいたしましたの」
幸いなことに、そのとき侯爵令嬢の手には測定結果記録用のボードがあった。
ボードに施されていた水濡れ防止魔法を極限まで高めつつ、自身めがけて飛んできた凶暴な魔猿の顔を真正面からぶっ叩いたのだった。
「我ながら、上手に打ち返すことができましたわ」
その時その場に居あわせた生徒たちは、両手で構えたボードを力いっぱい振り下ろす侯爵令嬢の、髪一筋乱さぬ華麗な姿を思い出した。
ある者はその記憶にため息をもらし、ある者は隣の生徒に語って聞かせる。
まるで、顕現した勇者の一撃のようであった、と。
「打ち返す際に、水の形を魔猿から魔獅子へグレードアップさせたのは、お茶目ないたずらですわ」
侯爵令嬢の恥じらいの笑みも、王子殿下のこわばった表情を和らげることはできなかった。
「その魔獅子が僕の護衛魔道士候補を巻き込んで噴水に突っ込んだのも、単なるお茶目というつもりか」
怒りに震える王子殿下に、侯爵令嬢は小さく首をかしげる。
「あら、違いますわ。……違いますけれど、少しだけ私にも責任があるかもしれませんわね」
「そらみろ」
「少し、ですわよ。魔法を打ち返す際、他の方に水がかかるのも危険ですから、すべてまっすぐ噴水に戻るよう、細かく方向を調整いたしましたの」
侯爵令嬢は扇と左手の指先で、まっすぐに跳ね返すしぐさをしてみせる。
「その過程での、不幸な事故というのか」
「ええ、まあ、事故ですわね」
事故にも色々あるわけだが、これは人為的事故というべきものだろう。
もともと噴水の傍らにいた男爵令嬢が、隣人の手を取り、軽やかに立ち位置を入れ替えたのだ。結果、入れ替わった護衛魔道士候補は……。
「男爵令嬢さまと入れ替わりに水の軌道上に身を置くことになった護衛魔道士候補さまは、こう、水の魔獅子に丸呑みにされて……ぷふっ……」
憎々しげな王子殿下の視線を遮るように、侯爵令嬢の扇が口元を覆う。
「全身を水に呑まれて踏ん張りが利かなくなったところで、男爵令嬢さまが手をおはなしになったものですから、哀れ護衛魔道士候補さまは噴水に転がり込んでしまわれましたわ」
「噴水の水につかったことよる魔力酔いの後遺症で、彼は再起不能に……」
王子殿下は嘆息する。
「あら、嫌ですわ。彼とて腐っても殿下の護衛魔道士候補、常日頃ご自慢あそばしているとおり、魔力量だけは人に優れておられますもの。測定用の水に浸った程度で魔力酔いなどなさいませんわ。すぐに立ち上がって『不意打なんて卑怯だ』というようなことをいっておられましたもの」
「ならば、なぜっ」
「持って生まれた魔力のおかげで、水浸しになってもたいしたことはなかったようですが、いかんせんお心の方はあまり強いお生まれではなかったのですね。護衛魔道士候補さまにとどめを刺したのは、そちらの男爵令嬢さまでございますわよ」
王子殿下の眼に、ちょっとだけ弱気な色がよぎる。
「どういう意味だ?」
「え~、あたし、わからないなぁ」
「水もしたたると申しますか、水がしたたるといった方が正解な状態の護衛魔道士候補さまに、男爵令嬢さまがおっしゃったのです」
侯爵令嬢は「ああっ」と喉の調子を整えて、男爵令嬢の声まねをする。
『え~、護衛魔道士くんったら、いっつも『どんな魔法攻撃にも瞬時に反応できてこそ護衛魔道士じゃん。それができない格下は、常に防御魔法を展開しとけっての。不意打ちずるいとか、あほじゃんね』とかいってるくせに、不意打ちでびしょ濡れとか、かっこ悪~い』
男爵令嬢の肩が震える。
「え~、そ、そ、そんなこといったかなぁ?」
「私、記憶力には自信がございますの。ですから、あれがとどめの一撃であったことは間違いございませんわ。護衛魔道士候補さまはそのまま噴水内に倒れ込み、自力では立ち上がれなくなってしまわれましたから」
魔力測定日の「中庭噴水・護衛魔道士候補殺人事件」の目撃者たちが大きくうなずき、侯爵令嬢の言葉を肯定した。
「私、さすがにちょっと飽きてまいりましたわよ」
侯爵令嬢の口元は笑みをたたえていたが、その目はすでに笑っていなかった。
「き、きき、君がやったのだと聞いている……」
迷探偵王子殿下の胸をよぎるのは、「二度あることは三度ある」という絶望か、「三度目の正直」という名の小さな希望か。
「僕の、側近候補のことなんだけどね?」
どちらにせよ、もはや後には引けない状況だった。
「もしかして、学力測定日の教室での出来事をいってらっしゃるのかしら?」
「うん、それ。君に制服をビリビリにされて、僕の側近候補としての彼は死んじゃったわけでしょ?」
王子殿下は、ちらちらと侯爵令嬢のようすをうかがう。
「これは殺人といっても過言ではないといえなくもないのではないだろうか……」
「おおいに過言ですわね」
「そうかな……」
王子殿下のつぶやきを消し去るように、侯爵令嬢の扇が音高く開かれた。
「そもそものお話ですが、突然雷魔法で攻撃されたのは私ですのよ」
「でも、君、なんともないじゃない」
「それは――、」
雷魔法が眼前に迫っていることに気づいたとき、侯爵令嬢は考えた。
数ある系統の中でも殺傷力の高い雷魔法。
多少よけたところで逃げ切れない範囲設定。
このままぼんやりしていては、よくて大怪我、悪くすれば死んでしまう……。
だから――、
「私、跳ね返すしかないと思いましたの」
雷系統は上位魔法に分類され、消滅させるのは至難のわざとされている。
魔道士でもない侯爵令嬢にできることは、覚悟を決めてタイミングよく払いのけることだけだった。
「とても、頑張りましたのよ」
その時その場に居あわせた生徒たちは、青ざめながらも一歩も引かず、盾のように構えた分厚い教科書で雷魔法を跳ね返す侯爵令嬢の、微笑みさえ浮かべた気高い姿を思い出した。
ある者はその記憶にため息をもらし、ある者は隣の生徒に語って聞かせる。
まるで、顕現した戦女神のお姿のようであった、と。
「跳ね返す一瞬、雷よりも殺傷力の低い風魔法に変質させることができたのは、日ごろの学びの賜物だと思いますわ」
侯爵令嬢の恥じらいの笑みも、王子殿下のこわばった表情を和らげることはできなかった。
「その風魔法が、僕の側近候補の制服をビリビリに引き裂いたのも、君の学びの賜物か」
もう、何を信じていいのかわからないといいたげな王子殿下に、侯爵令嬢は首を振る。
「あら、違いますわ。……違いますけれど、少しだけ私にも責任があるかもしれませんわね」
「そうか……」
「魔法を打ち払うとき、無造作に払いのけては教室中が攻撃対象になってしまうかもしれませんから、頑張って、魔法の出所に照準を絞ってたたき返しましたの」
侯爵令嬢は、その際に手にしていた教科書でそうしたように、扇で何かを跳ね返すしぐさをしてみせる。
「なぜか、それが彼を直撃したというのか」
「なぜか、と申しますか……」
なぜもなにもない。
そのとき雷魔法の出所にいた男爵令嬢が、それはもう見事な側転を披露してみせたのだ。結果、彼女の後ろにいた側近候補は……。
「皆が一瞬、男爵令嬢さまの側転に見惚れてしまったのですが、その間に、側近候補さまは、こう、風魔法でグルグルッと……うふふふふ……」
もはや侯爵令嬢は笑いを隠そうともしていなかった。
「ちょっと『聖女っ子ミミちゃん』の変身シーンのようでステキだったのですけれど、絵本と違ってちぎれた制服は聖装束になることなく、哀れ側近候補さまは半裸のお姿となられましたわ」
「衆目の中裸体をさらすという辱めが、彼を打ちのめしたのか……」
今現在醜態をさらしている自覚が芽生え始めている王子殿下は、側近候補の羞恥を我がことのように感じ取って涙をこぼした。
「あら、嫌ですわ。頭脳派とか自称しておりましたけれど、それなりに肉体美的なものにも自信がおありの側近候補さまですもの。風がやんだとき、ミミちゃんの変身シーンを意識したのか、『ふっ』などと格好をつけて前髪をかき上げておられましたわ」
「だったら、なぜ」
「裸体はさらしても差し支えがなかったようですけれど、いかんせん、制服ビリビリの余波で側近候補さまは、さらしてはならないものをもさらしてしまったのですわ。そして、そんな彼にとどめを刺したのは……」
「……」
王子殿下は、今さら突き放すこともできずに腰を抱えたままの男爵令嬢を見下ろした。
「……君か?」
「エェ……、アタシ、ナニモワカリマセェン」
「てっきり側近候補さまの個性的おしゃれセンスだと思っていたふっくらした袖口から、大量のカンニングペーパーをまき散らしてしまった彼に、男爵令嬢さまがおっしゃったのです」
侯爵令嬢は「えへんっ」と喉の調子を整えて、男爵令嬢の声まねをする。
『え~、側近候補くんったら、いっつも『私が常に学年首位であるのは、日々真剣に学んでいるからだ。正しく学ぶ姿勢があるならば、測定試験前の詰め込み勉強など不要』とかいってるくせに、カンニングペーパー詰め込んでるとか、最っ低ぇ!』
男爵令嬢は、なにやらカタカタ小刻みに揺れていた。
「……」
「つまり、この連続殺人事件の真犯人は、君ということか……」
王子殿下は悲しげなまなざしを男爵令嬢に向ける。
「……あ、ああ」
「まあ、側近候補さまに関しては、男爵令嬢さまがとどめを刺さなくても色々終わりであったろうとは思いますけれど」
侯爵令嬢は困ったように眉を寄せた。
「お三方とも、日ごろから言動に問題がございましたから、ご自身の言葉で殺されたようなものでございますわね」
それから、と事のついでのように言葉を継いだ。
「婚約解消、承りましたわ」
ここに、連続殺人事件の真犯人は暴かれ、謎はすべて解決しようとしていた。
「あ、あああ、あんたなんかっ、黙って『婚約破棄されて、断罪されて、身分剥奪されて、みじめに野垂れ死んじゃえばいいのにっ』」
男爵令嬢が、最後のあがきなどしなければ、連続殺人事件はここで終わっていたはずだった。
「あらあら」
バチンと激しい音がして、侯爵令嬢の前に極彩色のモヤが立ち上った。
「こんなこともあろうかと、言魔法防御の魔法を展開しておいてよかったですわ」
強い願いを言葉に乗せて放つ言魔法は、呪いと呼ばれることもあり、印象があまりよくない。そのため修得者はほとんどいないといわれていた。
しかし、王子殿下たちの踊らされっぷりを間近に見ていれば、男爵令嬢がその使い手であることは察しがつこうというものだ。
「悪意の塊のような言魔法など受け取りかねますので、お返しいたしますわね。……」
小声で何事かつぶやいた侯爵令嬢が、魔法付与された扇で軽くあおぐと、モヤはゆっくり男爵令嬢へ向かって漂っていく。
「きゃぁっ、侯爵令嬢さまが、またあたしに意地悪をするぅ」
この期に及んで男爵令嬢は、力いっぱい王子殿下にしがみつき、引き寄せた。
その後の展開はお察しで、
「うわぁぁぁっ」
王子殿下はモヤに包まれて悲鳴を上げた。
だが、腐っても一国の王子、側近や護衛候補たちのようにひとり被害者となる愚を犯すことはなかった。逃れようとする男爵令嬢を、より一層強く抱きしめかえすという根性を見せたのだ。
やがて極彩色のモヤは吸い込まれるように消え、残されたのは茫然自失で抱き合うふたりの男女。
「言魔法を食らった……、呪いの言葉どおりになっちゃうやつ? 僕、婚約破棄されて、断罪されて、身分剥奪されて、みじめに野垂れ死んじゃう……?」
「いやぁぁぁぁっっ」
婚約破棄連続殺人最後の被害者たちが衆人環視の中でその未来を閉ざされ、事件は幕を下ろした。
完
「うふふ。お気づきではないようですけれど、魔法を送り返す際、言葉の内容をすこし変えて差し上げましたわ。これは、私からの哀れみを込めたお餞別ですわよ。……おふたりとも、『しばらくは婚約もできず、お莫迦さんとののしられ、ご両親に叱られて、みじめにおしりペンペンされておしまいなさい』」




