第五話 先生
リチャードとエリカは電車に乗っていた。景色の流れるスピードが速い。
「株式会社スワンに向かってるんですか?」
「いえ、違う所を目指してます」
エリカは忙しなくスマホを操作しながら、質問に答えた。
「私達が株式会社スワンに正面からアポ取っても、恐らく社長はまともに取り合ってくれないでしょう」
「それは確かに」
(数日前捕まえた盗撮犯の言うことが正しいなら、株式会社スワンは悪事に関わっている。勇者やガーディアンとの対峙は避けたいと考えてもおかしくない)
「だから今から、社長が無視できないほどの行動を起こす必要があります」
「無視できないほどの行動? 何をするつもりなんですか?」
エリカはニヤリと笑った。
「サイバー攻撃です。株式会社スワンにサイバー攻撃を仕掛けて、社長を記者会見の場に引き摺り出します」
「え、僕らがサイバー攻撃する側なんですか!?」
エリカは頷いた。
「勇者の不逮捕特権をフルに活用しましょう! 正義に犠牲はつきものです!」
(そういうもんか……?)
リチャードは首を傾げたが、特に反対はしなかった。社長に会うアイデアはリチャードには思いつかない。現状リチャードにできることは、エリカの提案に乗っかることだけだ。
「具体的には、DDoS攻撃とメールボムでサーバを落としてから、SQLインジェクションと標的型攻撃で個人情報の窃取を狙います」
「個人情報? 大丈夫なんですか? そんなことして」
「平気平気。うちが盗むだけで、外にばら撒いたりしないし」
エリカは停車ボタンを押した。間抜けな音が車内に響く。
「じゃ、協力者に会いに行きましょう」
電車を降りて数分歩く。
二人が足を踏み入れたのは、学校だった。
広大な敷地内を大勢の若者が行き交っている。あちこちから話し声がしてきて騒がしい。
「ここは確か……ガーディアンの養成学校」
「そうです。ガーディアン養成学校ガルーダ。私はここの卒業生なんです」
ガーディアンになるには、専門の学校を卒業する必要がある。ガルーダは数多くのガーディアンを輩出している名門校だ。
「いやー、懐かしいなぁ!」
エリカはきょろきょろと辺りを見回している。
「ここに協力者がいるんですか?」
「そうです。えっと研究室は……こっちか。ついてきてください」
迷いながら歩くエリカの後を、リチャードはついていく。いくつもの建物の隙間を縫うように歩くと、その先にひっそりと立つ細長い建物があった。隣の大きな建物の日陰にすっぽりと入っているせいで、なんだか陰鬱な印象を見る人に与える。
「ここ入りますよ」
細長い建物の中に二人は入る。中も暗く、人の気配が無い。
光の入らない廊下を歩き、階段を上る。自分達の足音以外は何も音がしない。学生で賑やかな外とは打って変わって、この建物内は静かだ。
エリカはある部屋の前で止まった。扉をノックする。中から返事がした。
「あ、はい。いますよ」
少しして、扉が開く。蝶番が錆びついているのか、化け物の断末魔のような音が鳴った。
「あれ、エリカさんじゃないですか」
出てきたのは白衣姿の男だった。髪はうねって鳥の巣のようになっており、実際青い小鳥が頭の上に乗っていた。
「はい。少し力をお借りしたくて」
「へえ」
男はリチャードに目をやる。
「この方はもしかして……」
リチャードは自己紹介した。
「勇者のリチャードです」
「ああ、あなたが……」
男は軽く頭を下げた。上に乗っている鳥は器用に後頭部に移る。
「初めまして。私はこの学校で教員をしてます。ベナンティと言います。エリカさんは私の教え子です」
「なるほど、恩師なんですね」
「エリカさんが僕に恩を感じてるかは分かりませんが」
ベナンティが入室を促してくれたので、二人は研究室に入り、中のソファに座った。
研究室の中は散らかっていた。書類が所狭しと積み上げられており、本棚にはずらっと書籍が並んでいる。
リチャードは本棚の背表紙を眺めた。
「AIに心はあるのか」
「人工生命の全て」
「ライフゲームから見る生命」
(なんか凄いこと研究してるんだな……)
リチャードはそんな感想を抱いた。AIにも人工生命にも明るくないので、ざっくりとした感想しか出てこない。
「興味あるかい?」
ベナンティがリチャードに言った。
「はい」
リチャードは答えた。興味がないことはないが、それよりも専門で研究している人に対して興味がないと言い放つのは失礼だろうという気持ちが強かった。
「人工知能にはまだまだ可能性が秘められているんだ。狩猟社会から始まって、農耕社会、工業社会、情報社会と進んで今は5番目のSociety5.0と呼ばれて久しいけど、現代社会の利便性の核は間違いなくAIなんだ」
「確かにAIって言葉はよく聞きますね」
「でも現代におけるAIの使い道は、せいぜいビッグデータの解析ぐらい。ネットショッピングのレコメンデーションとか、正確な天気予報とか? 僕はAIで命を作りたいんだ」
「命?」
「コンピュータウイルスって知ってるよね。コンピュータの中に入り込んで悪さをするプログラムさ。もちろん本物のウイルスじゃない。コンピュータウイルスは三つの機能のどれかを持ってる。自己伝染機能、潜伏機能、そして発病機能。自己伝染機能ってのは他のノードに自分のコピーを作成する機能で、潜伏機能ってのは発病まで沈黙する機能。そして破壊活動を起こすのが発病機能」
「本当のウイルスみたいですね。潜伏とか発病とか」
「その通り。目に見える動きはコンピュータが模倣できる。そうなれば僕らの目には本物との区別がつかない。ライフゲームっていうシミュレーションゲームがあってね。生命の誕生、生存、死でさえコンピュータは模倣できる。まあ、これは極めて簡易的なモデルだけど。人間的な行動をするようにプログラムされた精巧なアンドロイドと、人間の違いは一体どこにある?」
「それは、生きてるかどうかでしょう?」
「他人が生きてるかどうかを君はどうやって判断する? 体温か? 心臓の鼓動か? それら全てコンピュータは模倣可能なのに?」
「……確かに」
「こういうことを言うと、『人間には心がある』と反論する奴がいる。心ってなんだ? それは確かに人間に備わっているものか? では心がある人間のアウトプットを全てコピーできるAIに、心がないと決めつける根拠はなんだ?」
ベナンティは立ち上がって手を大きく広げた。
「人間の心を決めるのは遺伝子と環境だ。それはつまりプログラムさ! 人間とAIに一体どれほどの違いがあるというのか!?」
「先生、本題に入ってよろしいでしょうか」
エリカが水を差した。ベナンティは咳払いをする。
「うん。本題って何かな?」
「突然ですがIPアドレスを5000万用意したいんです」
エリカが言うと、ベナンティは口をあんぐりと開けた。
「5000万!? 何に使うんですか?」
「DDoS攻撃に使うんです」
ベナンティは溜め息をついた。
「エリカさん、いくらなんでもそんなの無理ですよ」
「学校のアドレスでマルウェアの入ったメールを学校関係者に送るんです。感染したボットをC&Cサーバで操ればいけるんじゃないですか」
「学生のPCを乗っ取るつもりですか!?」
「先生、勇者には不逮捕特権があるんですよ」
「いや、それは知ってますけど……」
「魔王を討伐するためなんです。多少の犠牲は大目に見てください」
「……分かりました」
ベナンティは立ち上がり、研究室を出た。二人も後を追う。
ベナンティは階段を下に降りた。長く続く階段で地下へと潜る。
「広っ!」
地下には巨大な空間が広がっていた。その中に人間ほどの高さの機械が、綺麗に整列されて置かれている。
「これはスーパーコンピュータ阿僧祇。処理速度なら世界一のコンピュータだよ」
ベナンティはパソコンのキーボードを叩く。ちゃんと稼働したのを確認すると、彼は二人に言った。
「じゃあ僕は今から暫くこの部屋を空けるから、その間やることには目を瞑ろう」
「ありがとうございます!」
エリカが頭を下げた。リチャードも彼女に倣った。
「僕は積極的に悪事には加担しない。目を瞑るだけだ。今までもそうやって生きてきたしね」
「あの、これはお礼なんですが……」
エリカはバッグから1000万円を取り出し、ベナンティに渡した。
「……あざっす」
ベナンティはありがたくお金を貰い、部屋を出た。
「よし、やるか!」
エリカがパソコンのキーボードを叩き出す。超高速のブラインドタッチだ。
リチャードはその様子を離れた場所から眺めていた。
エリカのサイバー攻撃は数十分続いた。
「おっしゃ、終わり!」
エリカが立ち上がる。
「結果が出るのは今日の午後かな。勇者様、学食でご飯でも食べましょう」
「はい」
二人は学食で日替わり定食を頼んだ。安いのにボリュームがあるのは学食の良い点だ。
この日の日替わり定食のメニューは酢豚だった。これに白飯と味噌汁、漬物と小鉢がついてたったの300円だ。二人合わせても600円。
「さすがに安過ぎでは?」
「税金のお陰ですね」
ベナンティに渡したお金を入れて、これで残高は89660030円の計算になる。
食事を終えると、エリカがスマホの電源を入れた。暫くスワイプして、リチャードにスマホの画面を見せてくる。
「きました!」
スマホの画面にはネットニュースの記事が映っていた。
「株式会社スワン 個人情報10万件流出か」
リチャードは目を丸くした。
「上手くいった……」
「これで記者会見ですね」
エリカはぐっと拳を固めた。