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第一話 脱獄

 ある平和な王国の外れに、小さな村がある。時間の進みがとてもゆっくりに感じられる、のどかな村だ。

 村には、一人の若者がいた。若者は幼いときに父親をなくし、以来母と二人で暮らしている。

 名をリチャードと言う。


「くそ……魔王め……! ふざけたことをしてくれる……!」


 リチャードはスマホを何度もタップする。しかし応答がない。

 リチャードはキャスター付きの椅子に足を抱えるように座り、ぐるぐると回った。リチャードの部屋はあまり広くない上に物が多いので、ちゃんと足を折らないと回ってる途中に指をぶつけてしまう。

 案の定、リチャードは足を棚にぶつけ、悶える羽目になった。


「くっそー……」

「クラッカーの仕業?」


 隣にいたリチャードの母が心配そうに言う。


「多分ね」


 クラッカーとは、情報システムへの悪質な攻撃、クラッキングをする存在だ。

 現在この世界の平穏は、自らを魔王と称する者とその部下のクラッカー達によって脅かされている。

 スマホやパソコン、インターネットに繋がった家電。ITに依存しているこの世界では、情報システムへの攻撃は大きな被害をもたらす。実際、魔王達の攻撃による被害額は、既に1兆円を超えている。

 どこかの学校の入試問題を漏洩させたり、宝くじが当選した嘘のメールを送って個人情報を抜き取ったりと、魔王達は国境を問わず悪事に勤しんでいる。

 一刻も早く魔王を何とかしなければならない。世界中がそう思っていた。

 そんな魔王を討伐するため、王から任命を受けた勇者が、このリチャードだ。


「この国で一番腕の立つそなたに、勇者の役を与え、魔王討伐を命令する!」


 王からこう命令を賜ったのが、一週間前。突然のことだったが、リチャードは快諾した。


「いいですよ」


 リチャードはITにあまり詳しくなかった。どこに魔王がいるのか、どうすれば魔王を討伐できるのか、そんな具体的なことも何も分からない。

 しかし王の言う通り、リチャードは王国で一番腕っぷしがあった。大人より遥かに剣技が上手いし、誰よりも重いものを運ぶことができた。

 それに、リチャードは若さゆえか、根拠のない自信に満ち溢れていたので、喜んで勇者になることを引き受けた。


(魔王っていうぐらいだから、なんか禍々しい感じの城にいるだろ。そんな城は本気で探せば見つかるはずだ。魔王をサクッと倒したら、僕は世界中から感謝されるヒーローだ!)


 王は旅の資金として、勇者のオンライン口座に1億円入金した。

 そして一週間後。リチャードの旅は、始まる前から終わりを迎えようとしていた。


「ちくしょう! 奴ら姑息な手を使ってきたんだ! 口座から金を下ろせないなら、旅に出られないじゃないか! 折角王様から1億円貰ったのに……」


 リチャードは頭を抱えた。


「まさか、家から一歩も出られずに終わるなんて……これでは旅に出られない……装備も整えられない……棍棒と布の服でどうすれば良い……」


 リチャードのスマホはなぜかネットバンクにアクセスできず、金を引き出せないでいた。


「どうしよう……」

「もうすぐガーディアンが来てくれるって話だけど……遅いわね」


 リチャードの母は、しきりに壁にかかった時計に目をやっていた。

 勇者は、重大な使命を授かる者の役職。そしてガーディアンとは、そんな勇者と勇者にまつわる物を守護する役職である。

 「勇者を守護する」と言われているが、実際ガーディアンが勇者を守護することはほとんどない。勇者に任命される人間は、大抵ガーディアンよりも遥かに強いからだ。

 そのためガーディアンの主な仕事は後者、「勇者にまつわる物を守護する」こと。

 情報資産の保全である。


 ピンポーン。


 インターホンが鳴った。リチャードは母に目をやる。


「来た」


 リチャードは急いで部屋を出て、玄関へと走った。

 ドアを開けると、一人の女がいた。


「いやー遅れてすみません! 道に迷いました!」


 女は長い黒髪を無造作に掻きながら、特に反省の色の見えない謝罪をした。


「あなたが……」

「はい、ガーディアンのエリカです!」


 エリカは紋章を取り出してリチャードに見せた。王様から直々に授かる手の平サイズの紋章が、役職の証明となる。

 ガーディアンの紋章には真っ赤に燃える壁が描かれている。情報セキュリティを保護するシステム、ファイアーウォールだ。

 もっとも、ファイアーウォールは防火壁を意味する言葉なので、壁自体が燃えているのは少々おかしいのだが。


「勇者のリチャードです。よろしく」


 リチャードも自分の紋章を見せた。勇者の紋章は黄金に輝いており、剣が描かれている。


「おー、これが勇者様の紋章ですか。よろしくお願いします、勇者様」

「早速助けてほしいことがあるんで。どうぞ、上がってください」


 リチャードはエリカに、リビングに上がるように催促した。エリカがリビングに入ると、リチャードの母がエリカにお茶と茶菓子を出してくれた。エリカは茶菓子を頬張りながら、リチャードの話を聞く。


「王様が旅の資金としてオンライン口座にお金を振り込んでくれたんです。それを引き出そうとサイトから銀行口座にアクセスしようとしたけど、クラッカーにやられて操作できなくて。……まだ金が盗まれたとは限らないから、ガーディアンの業務からは外れると思うんですけど」

「いえ、情報資産を守ることはガーディアンの仕事ですよ。情報資産を守るとは、情報を保全する情報セキュリティの三つの指標が満たされた状態にすること」


 エリカは指を三本立てた。


「指標?」

「はい。機密性、完全性、可用性です。機密性というのは、盗聴されないこと、完全性というのは、情報が喪失されたり改竄されたりしないこと、可用性というのは、必要なときにいつでも利用できること。今回は可用性が損なわれてる事象ですね」

「そ、そうなのか」

「それと、まだクラッカーの仕業と決まったわけではありません。情報セキュリティを脅かすものを脅威と言うのですが、脅威にはクラッカーの他に災害や故障という物理的脅威もありますから」


 リチャードには、エリカの言っていることがあまりよく分からなかった。とにかく、解決してくれるらしい。


「まずはスマホを見せていただけますか?」


 リチャードはスマホをエリカに見せた。


「ふむ……」


 エリカは考え込んだ。スマホを操作して、設定を確認する。


(特におかしなところはなさそう……ん?)


 エリカは自分のスマホを取り出し、リチャードのものと見比べる。二つのスマホは同じ機種で同じOSだが、よく見るとアイコンが若干違う。


「……質問ですが、スマホはいつ買ったものですか?」


 エリカの問いに答えたのは、リチャードの母だった。


「ほんの数日前です。この子が勇者として旅に出るって決まって、そのお祝いに。今までスマホを持たせてなかったんですけど、旅に出るならいるだろうと思いまして」

「なるほど。どこで買いました?」

「安く売ってる店を見つけたんです。駅前で売ってるスマホの四分の一以下の値段で売ってたもので、その場で決断して買いました」

「そうですか……」


 エリカは確信を得たように数回頷いた。


「母さんは買い物上手で、安いものを見つけるのが得意なんですよ」


 リチャードが言うと、エリカは渋い顔をした。そしてお茶を一気に飲み干すと、口を開いた。


「全て分かりました。これは脱獄です」

「ん?」

「このスマホ、脱獄してますね」


 エリカから発せられたのは、予想だにしない言葉だった。


「脱獄?」

「ええ。スマホの制限を取り払う行為を脱獄って言うんです。堅牢なセキュリティから脱け出すことを、刑務所からの脱獄になぞらえて。自由にカスタマイズができるという利点がありますが、セキュリティにかなり問題があります。データが容易に盗聴されたり、スマホが動かなくなったり。正規のショップで購入してないスマホには、そういった細工がなされてるものがあるんです。早い話が粗悪品ですね」

「僕のスマホが、その脱獄をしてる……?」

「ええ。勇者様の口座情報も、勇者様がスマホで見てたエッチなサイトも、全て筒抜けということです」

「なんだと!?」


 ショックを受けたのはリチャードと、リチャードの母だ。


「そんな……私が買ったスマホが……粗悪品だなんて……」

「ショップの四分の一で売ってある時点で怪しむべきでしたが、まあ知らなかったのはしょうがないですよ。今から迅速に対処しましょう」


 エリカの言葉にリチャードは納得した。過去を悔やんでもしょうがない。


「対処って、どうすればいい?」

「初期化すれば大丈夫だと思いますが、念のためにスマホを買い替えた方がよろしいかと。セキュリティ的によろしくないですから。買い替えた後でパスワードも諸々変えましょう。盗聴されて筒抜けだったはずです」


 リチャードはエリカに言われるがまま、スマホを初期化する。

 初期化を終えた後で、リチャードはスマホを胸ポケットに入れた。そして母の肩に手を置く。


「母さん」


 リチャードの母はかなり落ち込んでいるように見えた。無理もない。息子にお祝いとして買い与えたスマホが、悪意ある細工を施されたものだったのだ。


「ごめんね……私がケチなせいで、あんたに迷惑をかけて……」

「母さんは何も悪くない。悪いのは、スマホに細工をした奴だ」


 エリカは強く頷いた。


「その通りです。数日前に『脱獄犯』がこの近くにいたなら、今もまだ近くにいるはずです。サイバー攻撃をする魔王とも繋がってるかもしれない。どの道勇者を名乗るなら、悪は放っておけないでしょう」


 リチャードは頷いた。


「そいつをぶちのめすのが、ヒーローへの第一歩ってことか」


 リチャードの母はリチャードの手を強く握った。


「気をつけてね」


 こうして、リチャードとエリカの旅が始まった。

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