62話:「涓滴岩を穿つ」
まるで世界がひっくり返ったような衝撃だった。文字通り頭が真っ白になった大平下は呆然とその場に立ち尽くす。彼はアバターも驚愕するほど青ざめた表情をしていた。
「楽しそうだな」
彼の脳裏では、過去の出来事が転々と現れては消える。それはさながら走馬灯のよう。
「なあ、聞こえてんだろ」
男は再度語りかけてくる。吉水は二人の関係が訳有りだということを悟り、瞬時に大平下へと歩み寄った。大層なことはできない。それでも、彼女は自身の直感から二人を近づけてはいけないと思っていた。
しかし、邪魔が入ることを男は許さなかった。
「女がしゃしゃり出てくんじゃねえ」
「時代錯誤な差別発言。看過できるものではないわね」
「あ?」
男は反射的に言い返した吉水との距離を詰めてくる。それは人並み以上に気の強い彼女であっても、恐怖でしかない。
ただ、それ以上に最悪な事態が目の前で発生した。
大平下が男と吉水の間に立ち塞がったのである。
「かっこいいじゃんか。大平下君よー」
「……」
彼は男の挑発に対しても超然とした態度を崩さなかった。しかし、涓滴岩を穿つ(うがつ)という言葉もあるように、耐えているだけではいずれ限界が訪れる。更に人は一度タガが外れると、すぐにエスカレートする性質も持ち合わせていた。
「調子乗ってんじゃねえぞ」
暴力とてその例外ではない。先程までは言葉での挑発止まりだった男が、今では大平下のワイシャツを引っ張って恫喝している。
「……」
それでも大平下は無言を貫いていた。この状況は決して居心地の良いものではない。だが、目先の利益だけを考えて動くと、全てが最悪の結論で終わってしまうことを彼は経験から学んでいた。
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