未来と孤独と救い――11
「いい湯だった」
「ご満足いただけたのならよかったです」
風呂に入ってきた俺に、セシリアが「ふふっ」と笑いかける。
本当によかった。二〇〇年前は湯を沸かすのに一苦労で、なかなか風呂に入れなかったからな。
俺の生活についての問題は、セシリアが面倒を見るという結論に着地し、俺たちはともに過ごすことになった。
いま俺たちがいるのはセシリアの部屋だ。緑の絨毯が敷かれた室内には、鏡台、本棚、キャビネット、ビューローやベッドが設けられている。
部屋の隅にある暖炉に似た機器は、室内の温度を調整する魔導具で、夏は涼しく、冬は暖かく過ごせるらしい。素晴らしい時代になったものだ。
俺より先に入浴を終えたセシリアは、薄桃色の寝間着に着替え、ビューローの椅子に腰掛けていた。ハーフアップにされていたゴールデンブロンドは下ろされ、湯上がりということでしっとりとしている。どこか大人っぽい。
「夜も遅いのでそろそろ眠りましょうか」
「そうだな。布をもらえるか?」
「布、ですか?」
俺の注文に、セシリアが目をパチクリさせる。
俺は「ああ」と頷いた。
「時期的にまだ夜は冷える。防寒に用いたいのだ」
「……もしかして、床で眠るおつもりですか!?」
セシリアが目を丸くして、跳ねるように立ち上がる。
「ダメです! 大恩人を床で眠らせるなんて、できるはずがありません!」
「野営と比べれば充分快適だぞ?」
「それでもです! イサム様はベッドをお使いください! わたしが床で眠ります!」
「そういうわけにはいかん。女性を床で眠らせるなどできん」
俺が首を横に振ると、「むむぅ」とセシリアが唇を尖らせた。意見を曲げるつもりはないらしい。
かといって俺も譲れない。女性を床で寝かせ、自分だけベッドで眠るなど、男としての矜持が許さんのだ。
どう説得しようかと考えていると、セシリアがなにかを閃いたように、ピン、と人差し指を立てた。
「では、一緒にベッドで眠りましょう! これで解決です!」
「……む?」
俺は眉をひそめた。
それは解決と言えるのか? いや、言えんだろう。
「セシリア。それでは別の問題が出てくるぞ」
「たしかにふたりで眠るには狭いですけど、くっつけば大丈夫ですよ?」
「そうではない」
ひとつ嘆息して、俺は指摘する。
「男とひとつの寝床で眠るのは、流石にどうかと思うのだが」
思えば入浴の際も、セシリアは俺とともに風呂に入ろうとしてきた。背中を流すつもりだったらしいが、俺は丁重に、かつ、断固として断った。
どうやらこの子は、男に対する危機感が足りないようだ。用心することを覚えさせたほうがいい。
俺が忠告すると、セシリアは決まりが悪そうに目を逸らし、指先をモジモジさせた。
「わたしも大胆なことを言っている自覚はあります。ですが、イサム様を信頼していますから」
羞恥心からか頬は赤らめているが、それでもセシリアは微笑みを浮かべていた。
俺は「ふむ」と腕組みする。
男女が床をともにするのはやはりいけないと思うが、ここまでセシリアが言ってくれているのに、断るのはいかがなものか? セシリアとて恥ずかしいだろうが、それでも俺を気遣ってくれたのだ。これ以上、あれこれ言うのは野暮ではないだろうか?
しばし黙考し、俺は結論を出す。
「わかった。ともに寝よう」
「はい!」
セシリアがニコリと笑う。俺を微塵も疑っていない純粋な笑顔だ。大変愛らしい。
頭を撫でてあげたい気持ちになりながら、俺はセシリアとともにベッドに入る。
ベッドは驚くほどふかふかだった。二〇〇年前のものとは雲泥の差だ。これはぐっすり眠れそうだな。
「それでは明かりを消しますね」
「ああ」
俺が頷くと、天井から吊り下げられていた丸い器具から、明かりが消えた。
あれは使用者の魔力を吸い、自動で光を灯す魔導具らしい。使用者の意思ひとつで、点灯・消灯を切り替えられるそうだ。
暗闇に包まれた室内で、俺は一日を振り返る。
人生で一番と言える激動の一日だった。
ラゴラボスとの激闘。
仲間との別れ。
未来への来着。
様変わりした世界。
孤独。
そして、救い。
これからどうなるかはまったく予想がつかない。だが、俺は決めたのだ。この世界をセシリアとともに生きると。
「――起きていますか、イサム様?」
しんみり思っていると、すぐ隣にいるセシリアが声をかけてきた。
「どうした?」
「手を、繋いでもいいでしょうか?」
「ああ。構わない」
「ありがとうございます」
囁くように礼を言って、セシリアが俺の手を取る。
セシリアの手はかすかに震えていた。
俺は悟る。
セシリアは誘拐されかけていた。助けられたとはいえ、相当な恐怖だったろう。怯えが残っていても仕方ない。
「大丈夫だ」
俺よりもずっと小さな手をキュッと握り、右腕を回して肩を抱く。
「心配しなくていい。俺が側にいる」
「……はい」
ほぅ、と息をつく気配がした。
ポン、ポン、と赤子をあやすように肩を叩いていると、やがて安らかな寝息が聞こえてきた。
天使の如き、セシリアの寝顔。それを見つめながら、俺は改めて口にする。
「大丈夫だ。心配しなくていい。俺が側にいる」
そう。俺はロランとマリーに誓ったのだから。
「きみは、俺が守る」




