プロローグ
勇者パーティーの旅は終わりを迎えようとしていた――勇者の消失によって。
「ぐ……っ!?」
軽鎧とマントを身につけた、青髪碧眼の青年――『勇者』ロラン=デュラムの体に、血ヘドのように赤黒い、鎖が絡みつく。
赤黒い鎖に拘束され、ロランは凜々しい顔立ちを歪めた。
「これは……なんだ!?」
「『時縛大呪』。儂のとっておきよ」
狼狽するロランの様子に、トドメを刺される直前だった『時の魔将』ラゴラボスが、ニヤリと醜悪に頬をつり上げた。
「儂の命と引き替えに、相手を時の彼方へと飛ばす特殊能力。勇者よ、汝は終わりじゃ」
俺たちは絶句する。
『時縛大呪』を使った影響か、満身創痍のラゴラボスの体が、ザラザラと崩れ落ちていく。
「ただではやられんよ。貴様も道連れじゃ」
気味の悪い笑い声を上げながら、ラゴラボスは息絶えた。
これで魔王直属の大魔族『十二魔将』をすべて倒せた。魔王討伐はもう目前。
なのに。
それなのに。
世界の希望が失われようとしている。
「こんなところで終わらせてたまるか!」
白い全身鎧と巨大な盾を装備した、銀髪赤眼の大男――『白騎士』アレックス=アドナイが、いかつい顔つきに焦りを滲ませながら叫んだ。
「フィーア! リト! 解呪だ!」
「ええ!」
「言われなくてもっ!」
黒い三角帽子を被った、灰髪紫眼の麗人――『賢者』フィーア=ホークヴァンと、体より大きなリュックを背負う、緑髪金眼の小柄な少女――『工匠』リト=マルクールが応じる。
リトがリュックに両手を突っ込み、宝石でできた護符を大量に取り出した。
「ありったけ投入だよ!」
リトが大量の護符をロランに向けて放り投げる。
放り投げられた護符はロランの前で止まり、宙に浮いたまま、純白の光を放った。
あれはリト特性の『退魔の護符』。魔法・呪いの威力・効果を軽減させるアイテムで、魔将の魔法をひとつで打ち消すほど強力なものだ。
一八もの護符が効果を発揮するなか、フィーアが知的な眼差しを鋭くして、樫の杖を構えた。
『我らを蝕む悪しき呪いを退けん――ディスペル!』
ロランの周りに青白い光球が無数に浮かぶ。
解呪魔法『ディスペル』。
光球がグルグルと旋回しながらロランへ近づいていく。
護符と解呪魔法の相乗効果が『時縛大呪』の鎖を打ち消さんとして――
バチィッ!!
鎖から放たれた赤黒い稲妻によって弾き飛ばされた。
「そんな……っ!?」
「なんですって……っ!?」
リトとフィーアが目を剥く。
人類最高の技術者リトと、人類最高の魔法使いフィーア。そのふたりが解呪にあたり、それでも失敗したのだから無理もない。
このままではロランが消えてしまう。
俺たちは絶望に包まれた。
「いやです!!」
俺たちが立ち尽くすなか、涙声交じりの叫びを上げて、白と金を基調とした祭服をまとう、金髪翠眼の少女がロランに駆け寄った。
『聖女』マリー=イブリールが、ロランを解放しようと鎖をつかむ。
途端、赤黒い火花がマリーの手を弾いた。
「あぐ……っ!!」
マリーが愛くるしい顔立ちを苦悶に歪める。
それでもマリーはキッとまなじりを上げ、再び鎖へ手を伸ばす。
ロランが血相を変えた。
「やめるんだ、マリー!!」
「やめ、ません……!!」
「このままでは、きみまで巻き込まれてしまうかもしれない!!」
「それでも、やめません……!」
顔を汗まみれにして、ボロボロと大粒の涙をこぼし、ゼェゼェと息を荒らげながら、マリーが吠える。
「ロランを連れてなんて……いかせません!!」
苦痛に耐えて鎖を握りしめ、マリーは時の魔将の大呪法に抗い続けた。その姿は痛ましく、しかし、どこまでも気高い。
マリーの気高さが、俺の胸を打つ。
そうだな、マリー。
マリーの気高さが、俺に覚悟を決めさせる。
俺も同感だ、マリー。
俺は腰に佩いている刀を抜いた。
ロランを連れてなどいかせん。ロランは人類の光そのものなのだから。
なにより――
「お前に絶望は似合わん」
タンッ、と軽やかに地を蹴り、ロランへと駆けながら、俺は刀を上段に構えた。
「――――疾っ!!」
一閃。
全身全霊を込めた斬撃が、ロランを縛る鎖に裂傷を作る。
即座に俺はロランの腕をつかんだ。
「イサム!?」
「生きろ、ロラン」
目を見開くロランに、俺はニッと歯を見せる。
鎖が両断された瞬間、俺は力任せに腕を引いた。
俺に引っ張られ、ロランが鎖の縛めから逃れる。
ロランと俺の位置が入れ替わり――自己修復した鎖が、俺の体に絡みついた。
鎖が俺の体を締め上げる。ギリリと奥歯を噛みしめ、全力で抵抗を試みるが、鎖はびくともしない。
魔将が己の命と引き換えに発動させた呪いだ。『剣聖』こと俺の一撃で斬り裂くことはできたが、打ち消すのはやはり不可能だったらしい。
この状態では刀も振れん。手詰まりか。
諦観の溜息をこぼし、それでも俺は安堵の笑みを浮かべた。
これでいい。これでロランは助かる。希望は失われん。
「イサム……どうして……」
「お前がいなくては魔王の討伐などできん。それに、マリーが悲しむ」
ロランが息をのんだ。
ロランとマリーは恋仲だ。だからこそ、マリーは必死でロランを助けようとした。
マリーの涙を見て、引き裂かれそうになっているふたりを目にして、どうして黙っていられようか?
ロランとマリーの仲を裂く者は、魔将であろうと、魔王であろうと、たとえ神であろうとも、この俺が許さん。
「……それはあなたも同じです」
マリーがグッと唇を引き結び、俺の体を縛る鎖につかみかかった。ロランにしたのと同じように。
赤黒い火花がマリーの手を焼く。
俺はギョッとした。
「マリー!?」
「イサムがいなくなってもダメなんです! あなたが消えたら悲しいんです!」
悲しみと切なさと憤りが混じった目で、マリーが俺を見上げる。
「わたしたちはずっと一緒にいた幼なじみじゃないですか!!」
ズキリと胸が痛んだ。
「そうだぞ、イサム! 僕たちは誰が欠けてもいけないんだ!!」
ロランもまた、マリーと同じように鎖をつかむ。
赤黒い火花に反発され、両手を血塗れにしながら、それでもふたりは決して鎖を放そうとしなかった。
ああ……俺は恵まれているな。
絶体絶命の状況にもかかわらず、俺は喜びを覚えていた。
素晴らしい仲間に恵まれた。こんなに幸せなことはない。胸がすく思いだ。
「そう言ってくれるだけで充分だ」
ロランとマリーに微笑みかけ、俺はアレックスたちのほうに顔をやった。
「アレックス。俺がいなくなってからは、お前が皆を守ってくれ」
アレックスが痛ましげに眉根を寄せ、両目から涙をこぼれさせる。
寡黙で厳格な男だが、こいつも泣くのだな。最期に珍しいものが見られた。
アレックスが涙を拭い、純白の盾を高々と掲げる。
「誓おう! 我が盾と誇りにかけて!」
「頼んだぞ」
続いて俺は、フィーアに目を送った。
「フィーア。ロランたちを、人々を、その聡明さで導いてくれ。勇者パーティーの頭脳はきみだ」
フィーアがまぶたを伏せ、血が滲むほど杖を握りしめ、なにかを諦めるように長く嘆息した。
「――任せなさい」
「ちょっと待ってよ! なに諦めてるのさ!」
アレックスとフィーアにリトが噛みつく。
「アレックスもフィーアもイサムがいなくなるって決めつけて! イサムもイサムだよ! 遺言なら、もっと年取ってから――魔王を倒して、世界を救って、目一杯生きてから残すもんでしょ!?」
リトがリュックを下ろし、ガサゴソと漁り出す。
「待ってて! いますぐ助けてあげるから! あたしが、その呪いを解くアイテムを作ってあげるから!」
リトは天才だが、一〇代半ば。精神的にまだ幼い。
だから認めたくないのだろう。俺を助ける方法がないことを。
『時縛大呪』は解けないと、本当は気づいているのだ。それでも諦めまいと足掻いている。
その強がりの、なんと尊いことか。
「いいのだ。リト」
「でも……でも……っ」
「俺はもう助からん。代わりにロランたちを助けてやってくれ。その技術は、魔王を倒すため、世界をよりよくするために使ってくれ、リト」
「う……うぅ……っ」
リトが崩れ落ち、大声で泣きはじめた。
最後に、俺はもう一度、ロランとマリーに顔を向けた。
広間にリトの泣き声が響くなか、ふたりはなおも諦めず、鎖を解こうと歯を食いしばっている。
鼻の奥がツンとした。
いかんな。俺まで泣いては皆が悲しむ。
天を仰ぎ、無理矢理涙を引っ込めてから、俺はふたりに声をかけた。
「ロラン、マリー」
ふたりが俺を見上げる。涙に濡れた瞳が俺を写す。
「幸せになってくれ」
直後、一層大きく火花が爆ぜ、ロランとマリーが弾き飛ばされた。
鎖が明かりを放ちはじめる。自身と同じ、血ヘドのように赤黒い、禍々しい明かりを。
『時縛大呪』がいよいよ発動する。
仲間たちの姿が薄れていく。俺を呼ぶ声が遠ざかっていく。
恐怖が、悲愴が、惜別が、俺に襲いかかる。
それ以上に誇らしかった。
仲間を守って逝けるのが、なによりも誇らしい。
俺は笑った。
「さらばだ! 我が友たちよ!」
光が、色が、音が、失われた。