第7節【継承】
ゾメストイに幽閉されて、すでに三十時間は経過している。
魔力はすでに、回復していた。牢には簡素だが、ベッドがある。最低限ではあるが、食事も運ばれている。それは決してゾメストイがいうような『情け』や『温情』ではなくて、一つの目的から来るものである事が窺えた。
皇剣は取り上げられずにいた。その理由も解っている。
ゾメストイの目的は、王鱗紋の継承である。そういう意味では全軍に囲まれた時に、皇剣を起動させていなくて良かった。
王鱗紋の継承には、大別して三つの方法がある。
一つは宿主から任意で直接、継承する方法だ。エルナスは前皇帝の手によって直接、継承された訳ではない。
先代の皇帝は、獰猛で狡猾な性格をしていた。兵を率いて戦に出る時は、先陣突破を常としている。王鱗紋の力に頼らずに、己の魔力を剣に乗せて闘うさまは正に――鬼神。その姿から、阿修羅王の異名で敵国に恐れられている。
各国の猛者を数多く屠ってきた阿修羅王は、勇猛であるが故に戦死した。
雷の国【トール】との戦での事だ。ダイナー帝国側の兵力が五千人に対して、トール軍側は二万人もの兵をぶつけてきた。別の敵国との戦で疲弊していた所を、トールの軍勢が追撃する形である。故にダイナー帝国側は、窮地に瀕していた。
当時の猛将たちが殿を引き受けて、阿修羅王を逃がす策を提示するのを無視して、阿修羅王はその身を敵軍に差し出した。
唐突な阿修羅王の単騎突破は、敵のみならずダイナー帝国側ですら意表を突く形となる。故に兵が動くまでに、僅かに誤差が生じた。
阿修羅王の突撃は、トール軍勢を大きく揺るがす結果となる。そのお陰でトール軍を退ける事ができたが、阿修羅王は崩御したのである。
驚くべき事だが、阿修羅王は王鱗紋を起動していない。死地において、己の力のみで闘い抜いたのである。その理由は、皇剣を奪わせないためだ。王鱗紋を起動させた状態で宿主が死ねば、王鱗紋を強制的に継承できるからだ。自らの死をもって、阿修羅は子に『力』の象徴を残したのだ。
宿主を喪った皇剣を、子であるエルナスは継承した。宿主の血族だけが、王鱗紋を継ぐことが出来るのだ。
血の継承を経て今日に至るのだが、エルナスには阿修羅の『気性』も不動の『覚悟』も持ち合わせていない。王鱗紋を起動させなかったのも、万が一のための切り札として温存していたからだ。そのお陰で首の皮、一枚で命を繋ぎ止めれているのだ。
「兄ちゃん、辛気くさい顔してんなぁ。どないしたねん?」
不意に声を掛けられて、我に返る。
昨夜、目の前の牢に新入りが現れた。背中に瘤のついた珍獣である。先ほどまで意識を失っていたようだが、目を覚ましたらしい。
「珍獣が喋った……」
思わず、漏らしていた。
見たこともない珍獣の訪れだけでも驚きなのに、その珍獣が言葉を話すのだ。
――驚き以外の何者でもない。
「喋ったら、アカンのかッ!!」
僅かに怒気が含まれた声と共に、唾液が飛んできている。異臭が鼻腔を刺激した。
「珍獣やない。ワイは、ラクダやッ!!」
二足歩行で立ち上がり、前足の蹄を胸に打ちつける。
「君は、ラクダという種類の生物なのか?」
「ちゃうッ……ワイの名前が、ラクダや。ラクダとかいう、訳の解らん生き物がおる訳、無いやろッ……アホな事、言うたらアカンでッ!!」
訳の解らない生物が、訳の解らない生物について談論(だんろんn)している。
それが余りにも滑稽で、おかしかった。
「兄ちゃん。何、笑うてんねん?」
不思議そうに、珍獣――ラクダは問う。
「すまない。なぁ、ラクダ?」
「何や。なんか、くれるんか?」
何も食べていないのに、口一杯に涎を溢れさせて、くっちゃ……くちゃ……と、粘着質な音を立てている。
正直にいうと、少し面白い。
「ラクダは、人を乗せて走れるかい?」
馬に比べれば多少、小さいが乗り物として使えるかもしれない。ラクダとしても、牢から出たいはずだ。
「兄ちゃん。ワイを、嘗めとんのか?」
物凄い眼光で、睨まれている。涎が、ボタボタ……と、床に垂れている。
「名前は、何ていうんや?」
物凄い量の涎が、垂れている。
「エルナスだ……気を悪くしたのなら、謝るよ」
怒っているのだろうか。物凄い形相だが、むしろ垂れている涎の量の方が恐い。
「先に、ゆうとくけどな。ワイ、めっちゃ強いねんで」
明らかに、怒っているような素振りだ。並々ならぬ、涎の量である。
「ほんで、めっちゃ走れるがな。毎日、獣王はんのために走っとるがなッ……それやのに、なんでやねんッ!!」
何やら憤慨しているようだが、理由までは解らない。
それよりも、溢れる涎の量に不安を抱いている。鼻腔が異臭の刺激に、悲鳴を上げている。
「少し、落ち着けッ……ラクダ。何があったか解らないが、今はひとまず落ち着くんだッ!!」
これ以上、涎を垂らされては臭くて敵わない。
「これが、落ち着いてられるかいなッ!!」
「うわッ……汚ッ!!」
涎が飛散してくる。このままでは、不味い。
ゾメストイの定めた期日よりも先に、ラクダの涎にやられてしまう。
「そうだッ……ラクダ。ここから、出たくはないか?」
「せやなぁ、出たい。脱走するんなら、手ぇ貸したってもえぇで。その代わり、一つ条件がある」
少し涎の量が、引いてきたようだ。
「良し、言ってみろ。何でも、聞き入れよう」
脱走に協力的なのは、非常に助かる。
「ワイを獣人族の集落まで、連れて行って欲しいんや。道案内ならしたる。その代わり、きっちり此処から出したるッ……どうや?」
どのみち、此処を逃げれても身を潜めなければならない。獣人族の集落に、匿って貰えるかもしれない。
悪くない条件である。
「勿論だ。力を、貸してくれないか?」
涎は完全に、引いたようだ。
「しゃあない、やっちゃなぁ。ホンマは獣王はんか、あの子らしか乗せらんねんけど……乗せたるわ、エルナス」
「ありがとう、ラクダ。なら、脱走の計画を、練らないとな」
流石に無策で、此処から抜け出せるはずがない。
ゾメストイは王鱗紋を奪うために、王鱗紋を起動させる状況に持ってくるはずだ。
それは詰まり、こちらが脱走しやすい状況を態と用意してくる事を意味している。ならばそれを、逆手に取るまでだ。
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