第3節【幽閉】
「何処へ行かれるのですか?」
不意に、背後から声がした。良く知る者の声だ。
長い銀髪を後ろに束ねたゾメストイが、こちらを見ていた。前方からは重装歩兵の大隊が、刻一刻と押し寄せている。
後方からは魔導騎士団の中隊が迫っている。鉄壁の包囲網が、逃げ場を完全に遮断している。ゾメストイの号令で、エルナスの命は容易に奪える状況であった。最早、処刑を待つことしかできない。
けれど懸命に生き残る策を模索した。それは暗闇の中を、闇雲に転げ回る行為に等しい。
無様に命乞いをしたところで、助かるはずもない。
「何故、裏切った……ゾメストイ。妹を選定に差し出すのが、そんなに気に喰わないか?」
謀反を起こすとしたら、それ以外の理由は考えられない。ゾメストイの表情には、何の変化も見られなかった。
「陛下をこの手に掛けるのは大変、心苦しいのですが……致し方が、ありません。ですが、友としての情けがあります」
こちらの質問に答えるつもりはないのか、芝居が掛かった口調で宣うが胸中までは窺えない。
謀反を起こして何の罪もない民を虐殺しておいて、情けも何もなかった。
けれどもエルナスには、その薄氷にも等しき『情け』に縋る以外の手段はなかった。誰に軽蔑されようとも、命が助かるのであれば何でもしていた。無様で醜悪であっても、生き延びるつもりでいた。
「まずは皇剣を起動する王鱗紋を、この私に継承して貰えますか?」
何代にも渡って伝わってきた皇剣は、皇位継承と共に委ねられてきた帝国の象徴のような物だ。その材質には、この世で最も堅いドラグナー鉱石が用いられている。皇剣の持つ王鱗紋は、聖地アリアドスに入るための鍵でもある。
ゾメストイの狙いが、理解り掛けてきた。ならばまだ、交渉の糸口が在るはずだ。
決して王鱗紋を、継承させてはならない。そうすれば、その場で殺されるのは明白だ。
ならば少しでも時を稼ぐことが、生き長らえる唯一の策となるだろう。逃げ回っている時に、救命要請のための術を放っている。救援には、早くとも数日の時を要するだろう。
それまで何とか、堪えなければならない。
「此の事を、エアリゼは知っているのか?」
エアリゼとは、ゾメストイの妹の名だ。
先遣の任で、アクアグランデに赴いている。
ゾメストイに取って、たった一人の肉親であるエアリゼは何よりも大切な存在である。そのエアリゼの命を救うために、ゾメストイは国を裏切ったのだ。決して褒められたことではないが、逆の立場ならば同じ事をしていたかも知れない。
「貴方に知る必要はありません。三日の猶予を与えます。それまでに、生きるか死ぬのかを選んで下さい」
底なしに昏い瞳が、冷やかにこちらを見ていた。
その双眸の奥には一体、如何なる闇が潜んでいると言うのだろう。眼前に佇む男はすでに、自分の識る友ではない。
「陛下を、お連れしろ。呉々(くれぐれ)も、鄭重に扱うんだ」
今は只、わずかに長らえた命の使い道を思案する事しかできなかった。