第11節【フィオナ】
――魂は何処に沈み往くのだろうか。
彼の方に出逢ってから、そんな考えばかりが過ぎるようになった。民を導く立場にありながら、定めから逸脱したところに想いを馳せる自分が存在する。そんな自分が意外であったし、嫌悪している自分も居る。しかし、初めて抱く感情を、無意識の内に肯定していた。居心地の良いその感情が、自分の識らない自分を次々に引き出していく。
聖地アリアドスで初めて逢った時のことを、今でも良く憶えている。舞を踊る自分を、エルナスは不思議そうに眺めていた。そんなエルナスが、どこか可笑しかった。何故だか上がる心音を抑えながら、フィオナは意を決して声を掛ける。そんな自分は、エルナス以上に滑稽であったと思う。二言三言、言葉を交わして去ろうとする自分を呼び止めるエルナスに、伝達手段を与えた自分が驚くほどに以外であった。
エルナスと出逢って、三年が経つ。幾度となく、逢瀬を重ねた。最初の内は、一族にも御忍びであった。悪い事をしているようで、罪悪感が胸を衝いていたが、何処かそれ自体を愉しんでいる自分も居た。年月を重ねる毎に、想いは重畳されていった。本能の儘に、欲望の儘に、エルナスを求めて密会を続けていた。父の放った密偵によって、エルナスの存在は露呈するのだが、フィオナは一族を抜け出そうと覚悟を決めていた。
フィオナは恋をしている。盲目であり、焦熱的な、純然たる恋である。故に全ての感情よりも、無自覚にも最優先させているのだ。
エルナスの温もりが、法悦の想いを抱かせているのは間違いなかった。エルナスの存在が、フィオナに取っては、何よりも大切である。それは一族の長の立場から考えれば、望まれるべき事ではないかも知れない。裏切り行為にも、等しかったに違いない。一族の眼を欺いて、逢瀬を繰り返してきたことは事実だ。けれども有りがたい事に、民の殆どの者が受け入れてくれた。
一族の呼称は時代や地域によって変わりゆくが、今は【慈愛の風】と人々に語り継がれている。一族の歴史は古く、五千年もの時を遊牧の徒として過ごしてきた。国を持たず、定住する土地も持たない。不変の掟だけが、一族の証明となっていた。他者とは一切の交わりを持たない。闘う術はあるが極力、争いを避けるようにしてその存在を維持している。故に他民族との婚姻は、認められてはいない。況してや一国の王族に恋心を抱くことなど、あってはならなかった。
変わることを一族は、極端にさけて、その存在を隠しながら生き永らえてきた。それにも拘わらずに、一族の答えはエルナスを受け入れる方向で可決している。それほどまでにフィオナは信頼されているし、何よりもそれ以上に愛されている。だからこそ、フィオナの見染めたエルナスを全面的に、一族はサポートすることを認めている。故にエルナスの放った救援信号を受けて、一人の男が兵を率いてダイナー帝国へと遣わされた。
本当はフィオナ自身がエルナス救出の任に向かいたかったが、立場上の都合で動くことが出来なかった。
「フィオナよ。彼の救出には、チェスターが向かっている。奴の弓の腕前は、一族の中でも群を抜いている。本当は、私が出向く心算だったんだが、エンヤに酷くどやされてしまったよ」
呵呵大笑の声を上げるゲオルグを見て、自然とフィオナも笑みを漏らしていた。
「お父様には、一族を護る責務があります。お母様の責め苦も、仕方がありませんわ」
一族の長の座と、王鱗紋はすでにフィオナは受け継いでいる。それでも大きな取り決めを行う際の最終的な決定権は、未だにゲオルグに委ねられている。実質的な長としての実権は、ゲオルグが握っているといっても過言ではない。故にゲオルグが戦地に向かうことは、望ましくはなかった。
それにチェスターは、一族でも屈指の戦士である。フィオナに取っては優しい実兄であり、父の次に信頼のおける存在であった。
「エルナスはすでに、我々に取っても家族も同然だ。彼を必ず、救い出してみせる。安心して、聖地巡礼に赴きなさい」
間もなく千年桜は、満開の時期を迎える。世界の平穏のためには、自分を含めた複数名の巫女が、巡礼をしなければならない。そこで行われる儀式の成否が、世界の存続を決めると言っても過言ではなかった。
一族の伝承によると、巫女の祈りが聖地アリアドスの龍脈を鎮めるとされている。詳しいことは誰も識らないが、巫女たちには特殊な力が宿っていると言われている。過去に数回、聖地を訪れて舞を踊っていたが、千年桜は何も応えてはくれない。
自分には、世界を救う定めが課せられている。けれど不謹慎にも、意識はエルナスへと向けられている。
――魂は何処に沈み往くのだろうか。
その問いの答えが、アリアドスにあるように思えてならない。




