今日も平和な辺境の村を記す話
ありがたいお言葉に力をもらったので、感謝がわりに書き殴りました。
時間つぶしにでもどうぞ。
すう、と息を吸う。
少しして吐き出すと、ほう、と息とともに小さな声が出る。
新鮮だった。
培養槽だとか、異次元だとか、そういった歪んだ空間や場所ではなく、青々とした草花と広い空が見える絵のように平和な村。
柔らかい皮膚が不思議だった。
肌を刺す陽の暖かさが不思議だった。
僕に向かって、おはよう、と優しく声を掛けてくれる両親が不思議だった。
どうやら僕は、奇妙なほど優しい場所にいるらしい。
記録。
認識確認、領域確保、概念理解。
肉体年齢はおよそ5歳。人型の幼体と判断する。
前世、おそらく僕の記憶が改ざんされていなければ。以前の常識はここにはないものらしい。自身の思考を切り離して効率よく働かせることも普通じゃない。都合良くある分子を構築するように動かせて物体を生成することも普通じゃない。
なんだか変わった世界だ。
でも、悪い気分ではない。むしろ、初めてのプレゼントをもらったような気分だった。
プレゼントといえば、本日は誕生日という日だったらしい。
父だという、遺伝子情報が近しい成人男性体から、粗悪な紙束を紐で結わえたもの ― 本、というらしい ― をもらった。どうやら定期的に成長を祝う贈り物があるようだ。別次元を作り上げて自我を保存するのではなく、ここでは日記なるものをするのが子どもらしいことだという。
どういうことを書くのかと聞くと、母 ― 彼女は成人女性体だ ― は薄茶色のアーモンドアイをいたずらげに瞬かせて、あなたの好きなことを書きなさい、と言った。興味をもったことでもいい、と。
好きなこと。
興味をもつもの。
ぱっと浮かんだのは、予想肉体年齢が同じだろう相手のことだった。
なるほど。彼女、イーズィのことは、並列思考の一つを割り当てて細かに記録している。
イーズィは、僕の意識が正常に働きはじめたときにはすでに近くに居た存在だ。家族でもないのに、近くに在って、親しく暖かく接してくれる。同じ小さな存在が眩く、面映ゆく、出会って言葉を交わした数秒後には、「イーズィ専用に考える意識体が必要では?」と並列思考の開発を始めたきっかけとなった。以前の体と勝手は少々違うが、できないことはない。ずいぶんと丈夫な肉体をもっているようだし、多少の無茶は平気になった。
僕の認識だけよりも、書き改めることで新たな発見もあるかもしれない。何より、物事を書き記すのは新鮮だ。わざわざ腕や指先を動かして文字を描くなんて、変わったことをする。
ところ変われば、文化も違うのだろう。イーズィも三日前くらいに郷に入れば郷に従えと自分に言い聞かせるように呟いていた。
「あらぁ、イーズィちゃんのこと書くのね。あなたって、本当に好きなのねえ」
「いいじゃないか、可愛いお友達ができるのは大歓迎さ」
表紙の紙に大きく「イーズィ」と書くと何故か微笑ましそうに両親が言う。むかりとした心地になるのは何故だろう。この体になってから不可思議な体験ばかりだ。
なんとなく二人に見られながら書く気になれず、本を抱えて部屋に戻る。
小さな体にはまだ大きい机へ本を広げて椅子に腰掛けてペンを握る。
題名。イーズィ・ブック。
いい名前だ。一人でうんうんと満足感をもって頷く。
僕はこうして日記なるものを始めることとなった。
□ □ □
記録開始1年目。春の月。二日。晴れ。
日記というものを始める。記録と何が異なるのかは不明だが、意識化層の一致もみられないこの星において、他者もこの記録を照覧できる手段である。然らば、日頃思考を割いている彼女について書き残すことは、彼女の良さを理解できる一助となるのだろう。
合理的だ。
しかしながら、冗長になると将来の読者も飽きることを考慮して簡潔に記そう。
今日のイーズィは、彼女の母の手伝いをしたとうれしそうに報告してきた。手伝いの内容は教えてもらえなかった。仕方ないので、ちょっと空間歪曲して過去視スコープを作って確認した。
料理の練習のようだ。生成りの粗雑なつくりのエプロンではしゃぐ様子を見るだけでも楽しく感じた。
1年目。春の月。10日。晴れ。
イーズィに頬をたたかれた。いくら幼くても男女が川辺で体を洗い合うのはだめらしい。
余すところなく彼女の人体バランスや構成を記録しておけば、いざというとき損なうことがないようにできるのに。何故。何故だろう。疑問に思っている間に彼女は怒って部屋にこもってしまった。胸が苦しくなってうずくまっていたら母に心配された。
1年目。春の月。20日。くもり。
アルフ兄さんとイーズィが遊んでいた。
数少ない村の若手だから兄妹のように接してくれている、とはイーズィの言葉だ。面倒見がいいようで、確かに僕にも保護者のような態度だ。家族でなくても年上の男性を兄と呼称するのがこの場合の普通らしいので、イーズィに習って兄と呼んでいるが……イーズィが頼りになるお兄ちゃんよね、という言葉にはうまく返せなかった。たかが7つ8つ年が離れているだけではないか?
明るい性格はともかく、頼りになるとはどのあたりだろう。彼女の価値観に合わせるのは難しい。
1年目。春の月。29日。晴れ。
イーズィが誕生日にはお風呂に入りたいなあと話していたので、詳しく聞いた。
清潔を保つために湯を溜めて入る? わざわざ湯を? ここなら術を使うなり精神生命体を捕まえて命令するなりすればいいだけではないか。
悩ましそうにするイーズィの様子は、とりあえず五感の記憶をそのまま保存することにした。ぼんやりと考え込んでいると思われたのか、父から、こういうときには「悩ましげな君も可愛い」と言うといいと言われた。
今度から言おうと思う。
1年目。夏の月。5日。晴れ。
風呂なるものを作ってみた。
機械? というものの元となる金属と電子というエネルギーを利用するものらしい。詳しくはわからないとイーズィがいうので、適当に補完してプレゼントしてみた。
泣いて喜ばれるとは思わなかった。抱きつかれてぐるぐる地面を転げ回ったのは初めてだ。
イーズィの体はすごく温かくて柔らかかった。もう一度書いておこう。
イーズィの体は温かく柔らかい。同じ体組織でできているのだろうか。心配だ。
1年目。夏の月。18日。雨。
不安が形になると困るので、イーズィにプレゼントした風呂を調整するついでに計測器をつけた。心拍数に体温上昇値、精神状態などがわかるようにして密かに研究してみる。
結果としては、おなじ人型で大体同じゲノムをしていることが確認できた。
確認最中は僕の心拍数の増加や気分の高揚がみられた。ドキドキと臓器が音を立てる事象が起こるとは不可解だ。
なんとなく、イーズィにばれたら怒られる気がしたので秘密にしようと思う。
1年目。秋の月。22日。雨。
イーズィがお泊まり会しよう! と押しかけてきた。
イーズィの父だけ、ひどい表情をしていた。
僕は押し寄せる怒濤のぽわぽわとした心地と戦うのでいっぱいだった。
1年目。冬の月。20日。雪。
新たな年に備えてと冬ごもり準備が始まった。この世界は手間暇をかけていろんなことをする。
イーズィが寒いね、と身を寄せてきた。僕は暖かい気持ちになったけれど、イーズィは寒そうに体を震わせていた。貧弱な暖炉では役に立たないのだろうか。
1年目。冬の月。21日。雪。
イーズィの家自体を気温が一定になるように結界を作ってみた。ついでに僕の家も。不思議ね、と首を傾げるイーズィと精霊様の加護ではと戦々恐々している大人の差が激しい。
精霊様とはなんだろう。精神生命体の一種か何かだろうか。機会があれば捕獲してみよう。
1年目。冬の月。30日。雪。
転生者についてイーズィから説明を受けた。
どうやらイーズィはいつかの記憶が眠っている、そうだ。でも、僕ほど引きずってはいないようだ。事細かに説明できることは少なく、僕が話すことに一喜一憂しては感心してくれた。仲間がいるなんて、うれしいわ、と抱きしめてくれた。
イーズィは僕がいるとうれしい?
ぐるぐると考えがうずまいてまとまらない。
1年目。春の月。1日。くもり。
花の精霊を捕まえた。
イーズィの形のいい小鼻に口づけしていたので、彼女が視認する前に隔離した。イーズィのいつかの記憶を聞くに、そんな生き物はいないらしいので、そんな生き物を目の当たりにしたら驚いてしまうだろうから。
捕獲したことで調べる機会に恵まれたので、僕としても上々の成果だ。珍しく浮かれている、とイーズィにも両親にも、アルフ兄さんにも言われた。そういえば明日は僕の誕生日らしい。誕生日を待ち遠しく思っていると受け取られたようだ。
2年目。春の月。2日。晴れ。
イーズィとずっと一緒にいることは、僕の嫁になるということと同義らしい。
誕生日の席で、僕の父がイーズィの父にそう話していた。よく覚えておこう。
2年目。春の月。8日。晴れ。
同世代がいないから、必然的に僕とイーズィが番うものだと思っていたが、アルフ兄さんとイーズィが番う可能性があると母から指摘を受けた。
無性に落ち着かない心地になったので、主張をすべきか。毎日イーズィにあったら、僕の嫁と言っておこう。地道な周知は時として大事だろう。
□ □ □
4年目。春の月。2日。雨。
9歳になった。
日記を書いてかれこれ4年目になる。書く作業は、当初僕が思っていたよりも楽しい作業だ。部屋にイーズィ・ブックの巻数が増えていく様は達成感を覚える。
何故か母には、絶対イーズィには見せるな、と念押しされた。笑顔でも圧力を感じることがあるようだ。器用な能力を母は持っている。仕方ないので、最新刊以外は亜空間に保管することにした。
僕の誕生日会には、僕より楽しそうなイーズィが料理を持参してきた。
木の実を砕いた粉で作られたケーキは、昔作ったことがある料理の一つだとこっそり教えてくれた。味覚は最上の美味と知覚していないけれど、頭から足先まで満たされたような気持ちになる。成分はごく普通の素材で、なんの呪いも術もかかっていないのに。
一緒になったら、毎日この気持ちを味わえるのだろうか。
それは、とても得がたいものだ。
4年目。夏の月。5日。晴れ。
イーズィから結婚の言質をもらった。
勢い余ってライフリンクの術を用いてしまったが後悔はない。ずっと一緒にいるということは、死ぬまで一緒と同義だからいいだろう。
イーズィの記憶領域を閲覧して、彼女が不安に思っている事項を整理してまとめておく。
一つ。アルフ兄さんが特殊な立場ではないか。
一つ。村に危機が迫るのではないか。
一つ。世界が壊れるのではないか。
夫婦とは互いを支えるものだと母とイーズィの母から薫陶を受けたので、イーズィの不安を取り除かないといけない。頼まれたら断れないのは、尻に敷かれているというらしい。父から教わった。
……イーズィの尻に敷かれても十分に動けるから問題ないのでは?
4年目。夏の月。6日。晴れ。
調子が良かったので、物理障壁のほかに空間を歪めて村ごと異界にした。
イーズィの想像から創作意欲がわいたので迎撃用に防衛となる人形も配置してみた。変形するロボットが人型であったり、わざわざ既存の動植物を混ぜたりするなんて、イーズィの世界の記憶は荒唐無稽で面白い。
アルフ兄さんだが、昨夜の歓迎会でメレンダと名乗る女性と仲よさそうにしていただけで、特に問題は見当たらなかった。
イーズィは何が心配なのだろうか。
アルフ兄さんからメレンダを紹介してもらうついでに、解析を試みてみる。花の精霊と同じ体組織をしていたので精神生命体の仲間だと仮定した。何も思い出せないと言っていたが、当然だと思う。生まれて数時間くらいだろうし。
イーズィがいない歓迎会はなんだかつまらなかった。その分、今日の寝ぼけたイーズィはより可愛く見えた。
訂正。僕の嫁はいつも可愛い。
4年目。夏の月。13日。雨。
最近、空間の障壁に干渉しようと試みる個体がいるようだ。
幸いイーズィが感知して不安にはなっていないが、気づいて戸惑ったらいけないので、痕跡が残らないように片付けておいた。
ちょうど狩りに行っていた、アルフ兄さんのおじさんが目撃して驚いていたので、夢だと思わせて家に帰した。
4年目。夏の月。18日。雨。
王の使いだとか、尊き血の方からの下知であるだとか、村の向こうで騒ぎながらうろうろしている人間の団体がいた。
異界化した影響で、只人が村に侵入することができないため、あてもなく彷徨う様子が滑稽だった。例えるなら、イーズィの世界でいうコント? シリアスな笑い? を見ているようだった。
ちょうど暇をしていたのでしばらく眺めていたら、ため息をついて引き上げていった。
4年目。夏の月。21日。くもり。
アルフ兄さんから、あまり異様なことをすると庇えないから気をつけろ、とたしなめられた。
なんでも、手紙で訴えがあったらしい。どこからだろうかと探ってみたところ、この世界の上位層にあたる者がいるらしい。絶対的な管理者がここにもいるのかと驚いたが、全知全能どころか、調査一つに手間取る程度の人物だったので、やはり僕の常識にある存在はここにはないのかと再確認して安心した。
異様なこととは何のことか心当たりはなかったが、頭をなでられて心配されたので、一応うなずいておいた。僕より大きな手だった。いつかこのくらい僕も成長するのだろうか。
イーズィは僕の有能さに目をつけられたんじゃないかしら、と言って目を輝かせていた。いたずらするなという説教だと思う、と教えたらがっかりされてしまった。
4年目。秋の月。2日。晴れ。
召喚状がきたらしい。
ついてくるかとアルフ兄さんに言われたが、イーズィから離れる意義が見いだせなかったので断っておいた。なぜ見ず知らずの輩に会いに行かないといけないのだろうか。不便な世界だ。
アルフ兄さん曰く、技術は国に還元するべきだという主張があった、とのことだ。何故?
ただ、イーズィが自分のことみたいに誇らしそうに、凄い凄いと言ってくれたので、今日はいい日だなと思った。
アルフ兄さんは例の尊い血の一族らしいことがわかって、イーズィが興奮していた。
今日はあんまりいい日ではなかったかもしれない。
4年目。秋の月。9日。晴れ。
排水溝にこびりつくヘドロのような精神生命体が障壁外にうろついていた。今日はイーズィと森に行って茸を採りに行くのだから、汚物をイーズィの目に映すわけにはいかない。念のため、イーズィにヘドロは好きかと聞いてみてから片付けることにした。
イーズィが泥パックは知っているけどヘドロは需要がない、と断言したので塵一つ残らず消しておいた。塵が僕のイーズィのきれいな髪に絡まないように徹底的に。
きれい好きな男は需要があるらしい。
イーズィに褒められた。
ところで、世界の半分をやると言って媚びる生き物は、需要があるのだろうか。
4年目。秋の月。14日。晴れ。
メレンダがアルフ兄さんをつれて出て行った。いや、逆だろうか。どっちだっていいが、イーズィが心配そうに見送っていたので、何かあった時のために護身具を渡しておいた。
いざとなったら諸共爆発してむこう数年は不毛の空間を作るものだと説明したら、メレンダに異様におびえられた。メレンダみたいな精神生命体は大地に根付く生き物だから受け入れられないのかもしれない。イーズィには怖がられていないので気にする事柄ではないだろう。
イーズィはこれから村が襲われたらどうしよう、と可愛く身振り手振りで僕に訴えてきたが、一切問題ない。
そもそも異界化したこの村に手出しする存在は、この世界にいないとここ最近の調査で判明している。
村以外はよくわからない。ヘドロで汚れているなあという土地が点々とあるぐらいだ。
どうやらアルフ兄さんは何かを受信したメレンダに頼まれて村の外にその掃除をしにいくらしい。
……不安そうなイーズィには悪いが、お願いと僕を頼るイーズィが見られるので、村が絶対安全であることは黙秘しておこうと思う。
イーズィが僕を頼ってくれる日々を伸ばすために、願わくはアルフ兄さんには長い旅路を歩いてもらいたいものだ。
9年目。春の月。3日。晴れ。
イーズィからアルフ兄ちゃんが帰ってきたわ! と報告を受けた。
帰ってくるのが早すぎる。まだ4年と少ししか経っていない。不安なイーズィを甘やかす日々が終わるとは寂しいことだ。
アルフ兄さんは帰ってきた早々に、メレンダと結婚すると村のみんなに言っていた。すぐにでも祝いの宴席準備が始まるだろう。
イーズィ。僕の嫁。何故僕らはまだ式をあげてはいけないのだろう。
もう実質結婚しているからいいのではないか。
最近はイーズィと結婚式を挙げる日と進行について理想のシミュレーションを分割した思考で考えている。この世界は結婚をあげて夫婦となる儀式をするには、最低でも肉体年齢が16を超えないといけないらしい。
悪しき慣習ではないだろうか? あと2年も待たないといけないなんて、理不尽だ。
僕と僕の嫁たるイーズィは村の公認だけれど、イーズィがそういう式をあげないと魅力的な行為のあれこれを否定するから消化不良の日々を送らざるを得ない。
健全な肉体の欲求不満は恐ろしいと、12を超えたあたりから実感するとは思わなかった。
誕生日のプレゼントに、と昨晩無理に迫ったら頬をたたかれたので、大人しく待つことにした。手首のひねり、角度、速度ともに、かつてくらったときより上達していた。
まだまだ現役冒険者だという彼女の父が、余計なことを教えているに違いない。
つらい。
□ □ □
ため息と共に書き上げた日記を閉じ、イーズィに見つからない場所へと隠す。
最近とみに、彼女は僕の部屋で何かを探すことがある。母からなにか聞いたのだろうか。
イーズィの記録と始めたはずが、自身の日々や得た感情について書き綴るようになってから、幾年。
いつかの母が言った言葉をなんとなく思い返してみる。「絶対イーズィには見せるな」という言葉を。
この世界の常識、感性は正常に育まれ、心の機微も理解が及ぶようになったと思う。郷に入って郷に従った結果だ。
つまるところ。
この日記。イーズィに見られたら、怒られるなあ、と。
世界の脅威はどうだっていいし、なんとでもなるが、愛する嫁の機嫌はどうにもならない。
僕の心の安全のためにも、イーズィには今日も平和で安穏と生活してもらわないと。
軽やかなノック音がする。ああ、そろそろ来る時間だと思っていた。
ついで弾んだ声が家の外から届く。
「コルキデ、いるかしら」
意識せずとも表情を緩めて部屋を出る。
「いるよ、僕の嫁」
無機質無感情が、だんだんと感化されていく様子が浮かんだなら何より。