第三話 邂逅
城に近づくにつれて悲鳴と怒号がさらに大きくなる。
城門までたどり着いて、結月は目を大きく見開いた。
「じょ、城門が壊されているなんて……」
鉄製ではないにしろ、厚く硬い木で作られた内開き式の門は無惨にも吹き飛んでいた。
見れば破城槌でもぶつけられたかのような衝撃の跡がある。
理解が追いつかない。
ーー陥落という言葉が脳裏をよぎり、結月は全身の力が抜けてしまいそうになるのをすんでのところで堪える。
「姫様、まずは状況を確認しましょう。城門が壊されていたのは確かに一大事ですが、まだこの城が陥落したと決まったわけではありませぬ」
「でも……門が、壊されて……」
「おかしいとは思いませぬか。門が壊されているにも関わらず、ここには死傷者がいない。今は騒ぎのする方へ向かうのが先かと」
結月はハッとすると、辺りを見回した。
確かに、死傷者はいない。しかし代わりに折れた槍や刀といった壊れた武器が転がっていた。
だがいくら考えても答えは出ない。
というより未だ悲鳴と怒号が止まない城内で、直接事情を確認した方が早い。
「わかりました。今は原因を突き止めましょう」
崩れ落ちそうになった足を奮い立たせ、城内へと踏み入る。
「な、なんですかこれは?!」
城内は武装した兵士達でごった返していた。
装備を見るに全員が自軍の兵士であるようだが、なにやら様子がおかしい。
彼らは何かを囲むような位置どりで武器を構え、全員が中央を向いていた。悲鳴も中央から聞こえてくる。
そんな中、結月も通って来た城門から続く道に背を向けるように立っていた古参兵の一人が、結月の声に気づいた。
「ああ! 姫様! どうかお逃げください! 化け物が、化け物が貴女を狙っています!」
「ば、化け物ですか? それに私を狙っているとはどういう……っ!」
『ぞくり』とした気配が結月を襲った。
より正確に言えば、誰かからの視線と見られているという実感。
「誰……ですか?」
自分の身体を抱くようにして震えながら問うも、答えはない。
しかし、未だ視線は感じる。
「早くお逃げください! 化け物が近づいてきます!」
「待って、その化け物とはなんですか?」
「鬼です! 人の姿をした鬼です!!」
兵士達の悲鳴が近づいてくる。
その日初めて、結月は吹き飛ばされた人が宙を舞う光景を目にした。
段々と、兵士の人波が割れていく。
それに伴って、視線も強くなったような気がした。
「姫様、状況はわかりませんがここは退きましょう!」
「いえ、厳彰……どうやら私は逃げられないようです」
結月は自分に向けられる離れないこの強い視線が、逃すつもりはないと告げているように感じた。
「(せめて話が通じる相手ならいいのですが)」
化け物だというのならそれも望み薄だろうか。
「戦闘をやめてください!」
これ以上の戦闘行為は無意味。
そう結論づけた結月は、自分が出せる最大の声量でもって戦闘停止の指示を出した。
「姫様?! いったい何を考えておられるのですか!?」
到底理解できない結月の指示に、厳彰は狼狽する。
しかし悲しいかな、結月の声はこの喧騒の中でも不思議とよく通った。
同時に、兵の動きもビタリと止まる。
悲鳴や怒号が嘘のように消え、静まり返った城内。
動きを止めていないのは、この騒ぎの中心にいたナニモノかだけ。
「通せ」
バッ、と兵士の人波が結月の前まで完全に割れた。
これは結月の指示ではない。男性の、少し低めの声。
たった一声で道を作り出した『それ』は、人の形をしていた。
赤黒い髪の少年に見えるが、角が生えていないだけで鬼と言われても納得しそうなほどの威圧感を放っている。
「(ああ、私はここで死ぬのですね……)」
つい先刻諦めないと決めたはずだったが、死を覚悟してしまった身体からは力が抜け、膝をついてしまった。
恐ろしく鋭い目。今まで自分に向けられていた視線は、目の前からの視線と重なった。
「……」
黙ったままズンズンと足早に近づいてくる。
少年は誰にも阻まれることなく結月の前までたどり着いた。
「あなたがこの軍の総大将か?」
「は、はい……」
「そうか、俺の名は永星という。それで俺の力はどうだっただろうか? 雇ってもらえるか?」
「…………はぇ?」
顔を見上げると先程までの威圧感はどこへやら、鋭い目もどこかに消えて少しボーッとした印象を抱かせる少年の顔があった。
「雇われたい、ということは傭兵ですか? ならどうしてこんなことを?」
「むっ、とある傭兵に自分を売り込めと言われたのだが、何か間違っていただろうか」
「……売り込む?」
「ああ、自分の強さを見て貰うのが一番だと聞いた。まずは総大将に会いたかったんだが、この城の門に近づいただけで槍を向けられたからな。これはちょうどいいと思って相手になってもらったんだ」
「な、なるほど……?」
少年の話は理解しかねる内容だったが、結月はなんとか理解しようと努力した。
「それで、俺をこの陣営に加えてもらえるだろうか?」
首を傾げてそう問う少年の姿は、先程の威圧感漂う姿とは到底かけ離れたものだった。
……聞くべきことは山ほどある。
しかし増援が見込めないと思っていたところに降って湧いた強力な戦力を、不要と言い切るほど自軍に余裕はない。
大量の不安要素と少しだけ見えた希望が結月の頭の中をぐるぐるとかき乱す。
だが結月はたっぷり三十秒考えて、武装した数百人の兵士を相手にものともしないたった一人の強者を目の前に、自分が用意できる回答はひとつだけだと気がついた。
「よ、よろしくおねがい、します」
厳彰も、周囲の兵士も驚愕するなか、結月は目の前の少年に右手を差し出した。