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第二話 双角国のお姫様


 奥牙国との自然的な国境になっている翼竜山脈から少し離れた丘に築かれた砦、双角国最東に位置する雪羽城ゆきはじょうは喧騒に包まれていた。


 城と言っても立派な天守閣などはない、ゆえに城下町などもなく、ただ防衛することを目的として作られた場所である。そんな場所が喧騒に包まれるなど、よほどのことがなければあり得ない。


「姫〜! 姫〜!? どこにおられるのですかー!? おい、姫は見つかったか?!」

「いえ、それがまだ見つかっておりません。しかし姫の愛馬と鞍などの装具が一式なくなっておりましたので、お一人でこの城を抜け出したのではないか、と」

「な、なに?! 見張りの兵は何をしていたのだ……! ええい、追え! 今すぐ追うのだ! 姫に万が一のことがあっては兵の士気に関わる! 儂も行くから馬の準備をせよ!」

「はっ、承知致しました!」


 どうやらよほどのことが起こっているらしい。特に今指示を出していた老人は誰よりも慌てふためいている。

 それからわずか三分後、数十人の騎馬隊がその老人を先頭に砦を飛び出していった。


 防衛拠点の人員をそれほど割いてもいいのだろうかと、疑問に思った兵も少なくはない。

 

「まったく、こんなんで大丈夫なのかねぇ。姫も、家老殿もよ……」


 その場に、古参の見張り兵の小言を咎める者はいなかった。



 雪羽城から最も近い場所にある名もなき農村。

 住民が百人未満と少なく、普段はほとんどの人が畑にいることから閑散としているこの村だが、今日ばかりは様子が違う。


 大人も子供も家の中と外を行ったり来たりと忙しなく、それぞれの家の前に置いてある人用の荷車に物を積み込んでいく。


 積んでいるのはその家の財産だ。


 双角国と奥牙国との間で戦が起こることはもはや確定的であり、想定される戦場に近いこの村は避難せざるを得ない。

 彼らが今しているのも避難のための準備である。


 しかし全てを持っていくことはできない。少しでも価値のあるものを残すために苦渋の選択をしている光景がそこかしこで見えた。


 思い出の品なのだろうか。どことなく手作り感が漂う箪笥に涙目で引っ付く男の子や家の柱を持っていこうと駄々をこねている女の子の姿を見ていると胸が痛む。

 農民にとって残すべきは農具と種籾であり、それを失うと食うのに困ってしまうが、まだ小さい子供にとっては受け入れ難いだろう。


 子供達が母親に説得されるまで、その一部始終を結月ゆづきはただ見ていることしかできなかった。


 土色の中にぽつねんと佇む純白の戦衣装。最高級の陶器のような白い肌、整った目鼻立ちと腰まで伸びた金色の髪。今年で十八になるその少女は、ただ一人だけ異国から来たような隔絶した美しさを持っている。


 だが、そんな少女も今は表情を暗くし、顔を俯かせている。


 しばらくして彼女のもとに近づいてくる足音が聞こえてようやく、彼女は暗い顔をあげた。


「姫さま、今日はほんにありがとうございました。おかげで作業も随分〜と捗りました」

「そんな、私は大したことはしていません。それに皆さんのお手伝いも、ほとんどできなくて……むしろお邪魔をしてしまったんじゃないかと」

「いえいえ、姫さまがこのような小さな村を気にかけてくださるというだけで、私たちは幸せものですじゃ。それに姫さまがいてくださるおかげで、わらすも言うことをよ〜く聞いてくれております」

「だと、いいのですが……」


 多くの皺が刻まれたヨボヨボの顔でくしゃりとした笑顔をつくる老婆の優しげな雰囲気にあてられて、結月も強張っていた体の力を抜いた。しかし、依然として表情は晴れない。

 此度の戦は実に百年以上ぶりに行われる侵略行為を目的とした戦であり、奥牙国からの要求を結月が拒否したからこそ起こる。


 つまりこの戦が起こる根本的な原因は自分にある、と結月は考えている。


 もっとも、奥牙国からの要求は到底飲めるものではなかったが……


『我らが祖先から不当に取り上げた領土を直ちに返還せよ』


 奥牙国はつまり双角国の全ての領土を差し出せと言っている。

 確かに、双角国は過去に古都から抜け出した月守家が北の朝廷の支援を受けて、当時大国だった奥牙国を分割して築いたという歴史がある。


 しかしそれは主に金銭的な取引の末、双方合意したうえでの領地割譲だったと結月は父から聞かされていた。

 現双角国の領土は昔から北におそろしい怪物が巣食う山地があり、荒れ地も多く、あまり旨味のある土地とは言えなかった。だからこそ、当時の奥牙国は領地の割譲を承諾した。


 不当な要素は見当たらない。

 

「姫さま。何か深く考え込んでおられるようですが、それほど強く握られては手を痛めてしまいますよ」


 ふわりと少しひんやりしたものが、硬く握られた結月の手を包む。

 はっ、と我に返った結月が声のした方を向くと、老婆が心配そうな顔をうかべて彼女の右手を両手で包むように握っていた。


「っ、すみません。皆さんの心労を少しでも和らげるのが私の役目なのに、むしろ心配をかけてしまって……」

「いえいえ、姫さまはまだお若いのに十分務めを果たしておられますわい。それに、考えておられたのは此度の戦のことについてでしょう?」


 結月はドキリとした。老婆と目が合う。

 薄茶色の双眸は自分の全てを見通してしまっているような気がして、結月はすぐに目を逸らした。

 すると、老婆は握ったままだった結月の手を優しく撫でながら話を続ける。


「ふふ、伊達に歳はとっておりません。戦のことは、姫さまは何も間違っておりませんよ。そして私たちのことも、姫さまは何も悪くありません。姫さまがお一人で背負うことなど何もないのですよ」

「……お婆さん、それは違います。月守家の血を引く者として、全て私が背負うべきものです。もちろん、父のことも」


 結月はゆっくりと老婆の手を離した。


「私に向ける憎しみや恨みを隠す必要はありません。私は、大丈夫ですから。皆さんはこんな大名の娘のことよりも、どうかご自身の安全だけをお考えください」

「姫さま……」

「では、私はこれで。お邪魔してしまってすみません。皆さんが苦労して耕した土地は、必ず守ります」


 少し離れた場所に繋いでいた愛馬に乗り、村を後にする。

 一度振り返ると、老婆をはじめとした多くの村人が頭を下げているのが見えた。


「そんなことをする必要はないのに……」


 成人した男性が明らかに少ない村。

 それは徴兵された結果であり、そしてあの村から徴兵された男が家族の元に戻ってくることはない。


 皆死んだのだ。


 化け物が巣食う北の山「緋鷹山地」に、三万人の討伐隊が派遣されたのは半年前のこと。

 北に巣食う化け物さえいなければ、双角国はさらなる発展を見込めると、結月の父が本腰を入れて取り組んだ第一次緋鷹山地攻略作戦。


 しかし、討伐隊はわずか二日で壊滅した。

 三万人が緋鷹山地へと足を踏み入れ、帰ってきた者は六千人にも満たない。


 帰らなかった者の名簿には、双角国大名だった結月の父の名前もあった。

 結果として第一次緋鷹山地攻略作戦は、双角国の戦力を大幅に低下させるだけでなく、民達に月守家への不信感をもたらした。


 そして今、この国に王はいない。


「姫様〜!」

厳彰みねあき……」


 結月の進行方向の向こう側から、聞き慣れた声が近づいてくる。

 護衛を含む総勢四騎。その先頭に立っているのは月守家唯一の家老、秋地厳彰あきちみねあきである。


「探しましたぞ、我々に行き先も告げずどこに行っておられたのですか?!」

「……行き先を告げたら、私の外出を許してくれましたか?」

「っ、質問に質問で返さないでくだされ! 今は戦直前の大事な時期でありまする。姫様の身に何かあっては、兵の指揮にも関わります!」

「それはっ……ごめんなさい」

「わかってくだされば良いのです。ささっ、早く城へと戻りましょう。あの卑怯者どもを迎え討つ作戦を練らなければなりませんからな」


 「卑怯者」という言葉には苛立ちが感じられる。

 此度の戦、奥牙国の言い分がただの口実であるのは誰もが理解していた。

 双角国は大名の死と、半年前の徴兵で二万人以上の男手を失い、国力が低下している。


 奥牙国は弱った隣国を獲りに来たのだ。

 これを卑怯と言わずなんと言おう、というのが月守家に仕える者達の総意である。


「そうですね。父がいなくとも、この国は私が守ります」

「姫様……どうやら此度の外出にて、得るものがあったようですな」

「ええ、私が守るべきもの、背負わなければならないものをこの目で見てきました。覚悟はできています」


 普段のおどおどした様子とは違い、結月は凛とした態度でそう告げる。

 これには厳彰も驚いたようだったが、同時に顔を綻ばせた。


「行きましょう。私達の国を守るために、私は戦います」


 「おぉ……」という感嘆が護衛の口から漏れた。厳彰に至っては目頭を押さえている。

 その雰囲気がどこか気恥ずかしくて、結月は愛馬に合図を送り、先に城へと向けて馬を走らせた。


 胸中には未だ不安も残っている。


 想定される戦力差は約四倍で、圧倒的に不利な立場にある陣営に陣借りしようとする傭兵も見込めない。

 かつてこの土地を得るために支援してくれたという北の朝廷に関しては、いつからか交流もなくなっていた。

 ……しかし、やるしかないのだ。

 諦めて土地を明け渡すという選択肢を選ばない以上、結月にできることは最後まで諦めないことだけなのだから。


「厳彰、城に帰り次第軍議を開くので、準備を頼みます」

「御意」


 ただ気持ちだけではどうにもならないのはわかっている。

 結月は馬を走らせながら考えを巡らせた。

 ーーーー

 ーー


「こ、これはいったい……」


 隣を走っていた厳彰が戸惑いの声と共に馬を減速させたのに気付き、結月も馬を止めた。

 いつのまにか城の近くまで来ていたらしいが、どうも様子がおかしい。


 城は悲鳴混じりの喧騒に包まれていた。

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