第一話 兵の訪れ
第一話と言いつつ、プロローグのようなもの
春も過ぎ、農民たちも田植えを終えた今日この頃。
広大な青空を見上げれば遠くの方に巨大な積乱雲が見え、そよ風に乗って濡れた土の匂いが漂ってくる。
――戦の季節だ。
翼竜山脈手前の宿場町も、ガタイのいい柄の悪そうな男たちで賑わいを見せている。
主人を持たない浪人たちだ。そして彼らは得手して次の戦がどこでいつ起こるのかの情報をいち早く掴んでいる。
「すまない、どこかで戦が起こるのだろうか?」
永星は宿場町の茶屋で話をしていた浪人と思わしき二人の男に声をかけた。
「あ? 誰だ、お前は」
鋭い眼光が永星に向けられ、それまで和やかに話をしていた浪人二人は、不機嫌そうに質問を返す。
すると、ひょこり、と永星の後ろから黒髪を後ろに結った小柄で可愛らしい少女が姿を表した。
「もー永星さんったら、まずは自分から名乗らなきゃダメですよ? 浪人さん、ごめんなさい。あっ、私はセラと言います! この人の従者です! ほら、永星さんも謝って!」
「……失礼した。俺の名前は永星という。気分を害したなら謝ろう。すまなかった」
「本当にすみません! この人、あまり他人に話しかけたことがなくて、礼儀というものを知らないんです。本当にごめんなさい!」
「え……いやいやいや、そんなに謝る必要はねぇよ!?」
「しかし……」
「いいから頭を上げなさい。儂らはこんな形で目立ちたくはないんだ」
「そうなのか? わかった」
「わかりました!」
永星とセラは深々と頭を下げたが、浪人二人はその反応が予想外過ぎたのか慌てた様子で謝罪をやめさせる。
最初の鋭い眼光は一体なんだったのか。そう思ってしまうほど、永星とセラに頭を上げさせた後の二人の印象は変わっていた。
「……キミ達は田舎出身か?」
「田舎、かどうかはわからないが、これほど人がいる場所に来たのは初めてだ」
「これほどって、ただの宿場町だぜ? まぁ、戦が近いから俺らみたいな浪人とか商人で多少賑わっちゃいるけどよぉ、これで多いと感じるのか」
「よほどの田舎から来たんだなぁ……よし、困ったことがあったら儂に言うてみろ。金は無いが、情報と知識なら力になれるやもしれん」
白髪の浪人は好々爺じみた表情を浮かべた。
「あっ、もしかして爺さん。昔の自分と重ねちゃった?」
「余計なことは言わんでいい。ほれ、聞きたいことはなんだったかな?」
戦での成り上がりを夢見て、田舎から出てくる人間は少なくない。それが若者ならなおさらだ。
きっと、目の前の少年も過去の自分と同じ夢を見ているのだろう。と、白髪の浪人は勝手にそんなことを思った。
「わわっ、そんないいんですか!? 永星さん、これは好機ですよ! この人たち、すごくいい人みたいです!」
「ああ、そうだな……それなら戦が近いということは分かったから、どうすれば戦に参戦できるのかを知りたい」
「ふむ、参戦したい陣営の兵を束ねる立場にある者に声をかけるのが一番だろうな。儂も若い頃は総大将のもとに出向いて自分を売り込んだものだ」
「自分を売り込む?」
「ああそうだ。自分は力が強いとか、誰よりも速く走れるとか、頭が良いとか、とにかく自分がどれほど優れた存在かを伝えることが大事だ」
「あとは舐められないようにするのも大事だぜ。お前さんは少しボーッとした顔をしてるからな。もっと眼をキリッとさせてみるといいぜ」
そう言うと、若い浪人は先刻の鋭い眼光を再び永星に向けてみせた。
気のいい若者から一転して、歴戦の兵の面持になるその変化は見事というほかない。
加えて、その眼光には強烈な威圧感も含まれていた。
「なるほど、これはすごいな」
「……ビビらないのな」
「いや、十分驚いている」
「はい! 私もすっごいびっくりしましたよ!」
「そういうことじゃなくて……はぁ、まぁいいや、自信無くすぜ」
「なぁに、最初の時点で薄々感じてはいただろう。それに、少なくとも通行人には効いておるようだぞ。まったく、悪目立ちはするなと言うておるのに」
永星が後ろを振り向けば、腰を抜かした老婆やその場で足がすくんでしまった子供、パニック状態になり暴れ出す馬など結構な惨状が広がっていた。
「すまんの、阿呆のせいでこの町にはあまり長居はできぬようだ。最後に聞きたいことはあるか?」
「そうだな……あなた達が着こうとしている陣営を教えてくれ」
「俺達は奥牙国につくぜ。まぁ、今いるこの国だな」
「それは、何か理由があるんですか?」
「そりゃあな、俺たち浪人は手柄を立てるのが目的だが、死ぬ危険を冒してまで手柄を立てたいかと聞かれれば、そういう訳でもねぇ。ようは勝ち馬を選ぶんだよ。今回の戦は特にわかりやすいがな」
「奥牙国が勝つのか?」
「多分な。優勢と劣勢がひっくり返る戦はこれまでに何度も経験したことがあるけどよ、今回ばかりは九分九厘、奥牙国が勝つだろうな。攻め込むのにこの山脈を越える必要があるとは言え、戦力の差が違いすぎる」
「それに加えて大将の差だ。奥牙国と戦をする双角国は国を治めていた大名が死んだばかりで、今は一人娘が代わりを務めているようだが、自国の兵すら掌握できていないと聞く。兵数と士気で劣っていては、まず勝負にならないだろう。……戦は刃を交える前に、勝負がついているものだよ」
いつかの戦場を思い出しているのだろうか、そう語る白髪の浪人は遠い眼をしていた。
どうやらこの戦は奥牙国がかなり優勢らしい、歴戦の兵が「絶対」を言いかけるほどに。
「ありがとう、貴重な話を聞けた」
「ありがとうございます!」
「おう、いいってことよ! で、お前さん達も奥牙国につくのか?」
「いや、俺達は双角国とやらにつくことにする」
淡々としたその返答に、二人の浪人は呆れと戸惑いが混ざった表情を永星へと向ける。
正気か? とでも言いたげだ。
「……まぁ、俺たちにとって戦場は自分で選ぶもんだからこれは単純なお節介だけどよ、命あっての物種だからな!」
「ああ、だけど、俺にとってその方がいいと思っただけだ」
「っ、そうかよ! 言っとくけど戦場で会っても容赦はしないからな! 顔見知りだからって見逃してくれると思うなよ!」
「あっ……」
そう言い捨てると、若い浪人は永星に背を向けた。
セラもどうすればいいか戸惑っている。
怒らせてしまった。言い方を間違えてしまっただろうか、と表情の変化は乏しいが少し落ち込んだ様子の永星に、白髪の浪人は少し気遣うように声を掛けた。
「まあまあ、自分で考えての選択ならそれが一番いい。一番ダメなのは、他人に言われて戦うことだからなぁ。キミは違うんだろう?」
「……ああ、これは自分で選んだことだ」
「うんうん、それならいいんだ。……ただ、キミ達がその国を選んでまで戦う理由はあるのかい? これは爺のお節介だがなぁ、出世や金だけが目的なら奥牙国につくことを勧めるが……」
「心配だ」と顔に書いてあるような表情で、白髪の浪人はそれとなく言い聞かせるように話す。
それがなんだかおかしくて、そして心配してもらったという事実がくすぐったくて、セラは思わず吹き出し笑顔を浮かべた。
「ふふっ、おじいさんは本当に優しいんですね! おにいさんも! ただ、私達のことは心配ご無用です。私達が戦う理由に出世もお金も関係ないですから!」
「ほう……これは単なる爺の好奇心じゃが、それは何か教えてもらえるかのう?」
その問いには、示し合わせたわけでもなく永星とセラが同時に答えた。
「「家族を守るため」です!」
永星とセラの目は強く、真っ直ぐだった。
「……そうか……それなら儂らが口を挟むことではなかったな。儂らは変わらず奧牙国につくが、できれば戦場で会わないことを祈っておるよ。では、達者でな」
そうして二人の浪人と別れた。若い浪人は気まずそうにして最後まで振り向かなかったが、最後は手を振って別れた。
「いい人たちでしたね」
「ああ」
「また会いたいですね」
「そうだな」
「戦いたくは、ないですね」
「……」
「永星さん?」
「……名前を、聞きそびれたな」
「あっ……」
宿場町を出る直前に思い出したが、彼らはもう去った後だった。次に会うとしたら戦場だが、できれば戦場では会いたくない。
一抹の寂しさを感じながら、永星とセラは双角国を目指し翼竜山脈の山道を歩く。
途中、永星とセラは山道から目を移し、奥牙国を見下ろした。
視界いっぱいに広がる大地は雄大で、ポツリポツリと見える建造物に人の息遣いを感じる。
――これが、世界。
自然だけが悠久を保障され、人は今にも消えてしまいそうなほどに小さく弱い。
そして、人以外が強すぎる。
「グルルルル……」
「よ、翼竜……! ちょ、永星さん! 景色に感動するのはいいですけど、私を戻してくれませんか! なんかすごく竜に見られてるんですが?! 私弱いんですが!? 食べられちゃうんですが?!」
永星が目の前の景色を見て立ち止まっていると、背後の茂みから人の二倍はあろうかという竜が現れた。
鋭利な牙と爬虫類に見られる硬い鱗に覆われた全身、前足と翼が一体化したその竜はここが翼竜山脈と呼ばれる所以でもある。山脈を住処とし、近隣の空を我が物顔で飛行しては時折人里に降り立ち家畜や人を襲うこの怪物は、武装した一般的な兵士が百人いたとしても倒せる相手ではない。
翼竜は喉を鳴らし、締まりのない口から涎を垂れ流す。どうやら、永星とセラのことを餌としか見ていないようだ。
「ああもう! 勝手に戻りますから!」
セラはそう言って五芒星が描かれた永星の鎧に手を当てる。すると彼女は、ぼひゅんと消えた。
これが人なら驚くだろうが、目の前で起こった現象を見ても、竜は警戒などしない。
幾度となく襲っては己の糧としてきた、飛ぶこともできず、力の弱い矮小な生物。一人は何故か消えてしまったが、目の前の相手はこちらを振り向こうともせず、かといって逃げる気配もない。
その翼竜が行おうとしていることはただの食事だった。故に、喉を鳴らしたまま鋭利で大きな口を開き、悠長に首を伸ばして噛みつこうとする。
今までも何度かあったように、目の前の生物も動けないのだろうと。
「グルルルル……ガアッ!?」
「うるさい」
後ろを振り向かぬまま、永星は噛み付こうとした翼竜の攻撃を半身で躱す。そしてほんの少し苛立ちのこもった言葉を吐き捨てると、左の腰から振り抜いた刀で丸太のような竜の首を一撃で切り落とした。
……これで静かになった。
今この場には、一振りの刀を携えた少年だけがいる。
返り血に染まったような赤黒い髪。刀を構える四肢は確かに鍛えられ、しゃんと背筋が真っ直ぐに伸びた立ち姿には風格が漂う。
双眸は地平線を見つめていた。
疫病と飢饉に苦しむ民と、それを救わんと奮起する者。
神話の時代に生まれ、御伽噺の世界に消えるはずだった怪物と、異郷の地より持ち込まれた悪意。
はたまたその全てを飲み込み、支配せんとする神なるもの。
それは複雑で、不安定で、危うく、この国全体の癌とも言えるだろう。
だがそれでも、眼下に広がるこの景色を、彼は美しいと感じた。