2ヶ月間のエヴァ
「エヴァの調子はどう?」
「まぁ、悪くないよ」
悪くないだって? 少なからず気分を害したが、それを飲み込むくらいには僕も大人になった。まぁ、僕があからさまに不愉快な顔をしてみせても、奴はその変化に気づくことすらないだろうが。前々回顔を合わせたときに連れていた女性の腰に手を回した奴は、僕の気分なんておかまいなしに彼女の髪に鼻を一瞬うずめる。うっとりとした表情の女の前で「ところでこの間連れていた彼女の調子はどう?」と聞いてやりたい衝動にかられた。
古きよき教師代わりの家庭教師ロボットから、一人っ子の遊び相手ロボットや家庭の温かみを演出する家政婦ロボット。今の世の中にはあらゆる役割のロボットが一般家庭にまで進出している。彼らはその役割と購入家庭の財布にふさわしい外見と能力を備えている。これまでの歴史で、科学的技術を飛躍的に進歩、または市場に浸透させるキーワードといえば、戦争とセックスだった。あらゆる兵器からインターネットまで。つまりは人間はその生物として備えている欲望に従い、発展してきたのだ。物欲食欲支配欲性欲。その方程式に従うのならば、ロボットに関して言えば一番最初に市場に浸透する役割のロボットといえば言うに及ばずと思われるところだが、これに関してはなかなか市場に浸透はしなかった。性欲処理用ロボット、セクサロイド。一昔前で言うならばダッチワイフってところだ。
人間のもっとも原始的な欲望のうちの一つである性欲を満足させるという目的にかなうには、今市場に出回っているロボットよりもかなりの高性能を必要としたこと、そのためその目的のみに使用するにはあまりにも高価であったことが発展浸透しなかった大きな理由だと思われる。だって、こればかりは「人間にはかなわない」のだから。
ただし、もし「人間にも負けず劣らず」のロボットができたらどうだろう?
人間の三大欲のうちの一つを、他の目的をもつロボット並の安価で満足させることができるとなれば?
僕が勤める世界で3本の指にはいるロボット研究所でも、密かにそのためのロボットは開発を続けていた。僕は男性対象のロボットを開発するチームの指揮をとっていた。ちなみに女性対象のロボットを開発するチームの指揮は女性がとっている。男女平等合理的。商品を開発するのであれば、それを欲するものと同性のものが指揮をとるのが一番いい。
頭脳を生かし、大学をスキップし、半端ではない競争をかいくぐって得た世界最先端の職場で、一体何をさせられているのかと配属当初は思ったものだけど、予想をはるかに超えて興味深い研究だった。
外見は勿論、肌触り、温度、はてはその細やかな反応や、主人の好みに即座に理解し対応する判断力。十人十色と思われる個人的趣向をリサーチし統計をとり最大公約数的「大衆の好み」を分析。それを可能とする技術の開発。
それらの集大成がプロトタイプである「エヴァ」だった。
モニターには、僕の同期でもあり同じ大学出身である奴が選ばれた。僕と同じ研究分野ではなく、経営部門に在籍している。選ばれた理由は奴には知らされていないが、研究所一浮名を流していると自他ともに認めているわけだから別に知らせる必要もないだろう。要は「女慣れ」している奴を満足させるのであれば商品として合格ということだ。
「調子はどうだい? エヴァ」
「悪くはないわ」
主人である奴の行動パターンを分析した結果なのか、ロータイプのソファに半ば寝転がるようにくつろぎ足を高く組んでいる。今日は週に一度の定期メンテナンスの日だ。深い紫色のスタンドカラーのワンピースは、細身ながらも女性らしい丸みを存分に際立たせている。下品になる一歩手前で踏みとどまる程度の脇のスリットもその効果に一役買っていた。エヴァの顔立ち自体は造作は端正だけれども少し幼顔につくられている。主人の好みにあわせてメイクで大きく変えられるように。エヴァは主人にあわせて染め上げられるのだ。今は奴の好みに合わせ、華やいだ深紅の唇にゴールドのアイライン。カールした長い睫に小さくラメを散らしている。エヴァは僕らのチームの傑作だ。それを「悪くない」だって?
エヴァは人工知能を組み込まれており、経験値をあげることにより自ら学習し、自分の「能力」を高めていくよう設計されている。定期メンテナンスではエヴァのデータをコピーし分析することでそのチェックを行っていた。つまり、僕らは「奴がエヴァに教えたこと」を知ることができる。僕らは職務として行っているわけだからなんとも思わないが、研究所に勤める人間以外のモニターをなかなか捕まえることができなかったのはこのせいだ(意外なことに女性用の開発チームのモニターはすぐに捕まえることができたらしい)。傲慢なほど自信満々な奴は僕らの「チェック」など意に介さないのだろう。もっとも「チェック」の意味をよく理解してないだけかもしれないが。
僕はデスクの上のモニターから、先ほどスタッフがエヴァから抽出したデータ画面を呼び出した。思わず鼻で笑ってしまう。悪くないだって? 数値はなかなかのものを示しているがね。
「私のデータは興味深い?」
「悪くないね」
エヴァが眉を微かにひそめてみせた。この「女」を見て、一体誰がロボットだと思うだろう。確実に、そして飛躍的にエヴァは学習を重ねている。
「嘘だよ。すばらしい」
にっこりと微笑むエヴァは穢れを知らない淑女のようにあどけない。
こういう笑顔も奴の好みなのかと少し意外に思った。
僕らは毎週データの抽出が終わったあとに面談をする。エヴァがどのようにデータを処理しているかの最終チェックは責任者である僕が行うためだ。勿論、会話だけ。
ゆったりと結い上げた髪からのぞく耳たぶには小さなピアス。肌の色に馴染むベージュピンクの唇。胸元にギャザーのたっぷりとはいった藍色のドレス。脚をそろえてローソファに腰掛けるエヴァ。元々口数が多いわけではない。殆どのロボットは意識的にプログラムしなければ自らしゃべり倒すようなことはしないものだ。エヴァも例外ではなく、そのあたりは特別なプログラムは組んでない。元々、会話が目的のロボットではないのだから。
「ねぇ」
「ん?」
エヴァの行動をメモに書き留めている僕に珍しくエヴァから話し掛けてきた。
「私は、標準的な人間に比べて美しく作られているの?」
僕は耳を疑った。普通のロボットは「自分」に対し疑問をもったりはしない。しかし、エヴァは人間の反応を細かく分析するよう念入りに設計されている。その一環として、自分に対する人間の視線を分析しようとしているのだろうか。
「勿論。美しいという定義には個人差があるけどね。より多くの人間が美しいと感じるよう作られているよ」
「……そう」
「何故、そんなことを?」
「別に意味なんてないわ」
エヴァはこれで会話は終わりだと言わんばかりに目をそらしたまま立ち上がった。
意味がないだって? それは人間の行動の専売特許じゃないか。
データは確実に増え、自己のものとして蓄積されている。あと1ヶ月でモニター期間が終わる頃、スタッフから連絡が入った。エヴァのデータを抽出できないというのだ。
「差し出すデータなどないからよ」
エヴァは人差し指の第二関節をくわえるように、何もつけていない唇に添えながら呟いた。飾り気のない黒のシャツにストレートのジーンズ。
「何もない?」
「ええ。何もないわ。私のデータは先週から増えていない。ちゃんと見たらわかるはずよ。先々週からデータの量が減ってきていることが」
当然気づいていた。モニター期間が長期にわたっているのは、顧客の「飽き」までの期間を調査するためでもある。あの女好きにしては大方の予想よりもその時期が遅かった。チーム内では密かにその時期に関して賭けが行われていたのだ。僕が賭けたのは期間終了の3週間前。誰よりも遅くにその時期を設定していた。しかし誰も予想しなかったのは、エヴァのこの反応だ。
「やはり、データの抽出を行いたいんだがね」
「どうして?」
「君のその反応に興味がある」
まっすぐに僕の眼を捕らえるそのハシバミ色の瞳には「感情」がゆらめいているかのようにさえ見える。
「嫌よ」
困ったことになった。人間の命令を拒絶するロボットなんて。あの複雑に絡み合う電子頭脳の中で一体何が起こったというのだろう。
「では、話をしよう。奴が君にデータを与えないことについて、どう判断している?」
「彼は……婚約者ができたの」
初耳だ。やっと観念でもしたのだろうか。
「その婚約者は私の存在が不愉快だと言っていたわ」
……それはそうだろう。奴も申し出てくれればいいのに。社内の女性関係の清算が終わってないのだろうか。
「あなた、言ったわよね」
「何をだい?」
「私はより多くの人間が美しいと感じるよう作られているって」
「言ったとも」
「あれは本当のこと?」
嫉妬だろうか? 奴の婚約者に対して? エヴァが?
「君は僕らのチームの最高傑作だよ」
「最高傑作」
「そう」
「でも、彼はもう私を抱かないわ」
緊急にモニター期間を終了させた。人間の命令をきかないロボットなど市場に出すわけにはいかない。なんとか言いくるめてエヴァの基本構造部分だけでもチェックさせた。人間に危害を加えないという最優先事項が無効になっていてはとんでもないことになる。幸いなことにその部分に異常は見当たらなかった。奴は突然のモニター終了に何の興味もないらしく、「ああ、そろそろ飽きてきてたから別に構わないよ」とだけ言った。その顔にほんの少しの苦々しさを見た気がしたのは、開発者としてのプライドだろうか。
白いバスローブをまとってエヴァは研究所内で過ごしている。ここ2週間のデータ抽出については拒否したまま。そろそろまずいことになってきている。エヴァは商品としてどうなのか、その報告をしなくてはならない。チーム内のミーティングが終わり、部屋に戻るとエヴァがいた。姿見の前に座り込んで、じっと鏡の中の自分を見つめている。手には僕の机の引き出しにいつもはいってる果物ナイフ。
「何をしてるんだい?」
「私の皮膚は血管が透けてみえるわね」
「そうだね。肌の色をよく見せるのに効果的だから」
「小さな擦り傷なら血が流れるわよね」
「そう、人工血液がね」
すぅっとナイフを引き、その指先から一滴の赤い液体。
「何故そんなことを?」
「意味なんてないわ」
「そのナイフを返してくれるかい。林檎の皮を剥きたいんだ」
首をかしげて見上げたエヴァに、応接テーブルの上の林檎を指差す。ナイフは柄の方を僕に向けて差し出された。
「私はどうなるの?」
「どうって?」
「商品にならないのなら、失敗作ってことよね」
「今検討中だよ。データをもらえるかい?」
「嫌」
僕はため息をついてエヴァの横に座り込んだ。細く、薄い肩。これが人間の女性だったらとらないではいられない行動は一つしかない。でも、これはロボットだ。
「私がいなくなったら、次をつくるの?」
「さぁ、どうだろう」
「次のモニターは誰がなるの?」
「さぁ………次も僕がリーダーとは限らないしね」
「私で失敗したから?」
「はっきり言うね」
僕は思わず苦笑する。
エヴァには涙を流す機能がついてる。けれどエヴァはただ微笑んだ。この笑顔は学習の成果なのか。
エヴァのボディは完璧だ。見直すのなら、そのプログラム。エヴァは壊れているのか。少なくとも期待したのとは違う成果が出ている。しかしエヴァがデータを差し出さない以上、どんな「違い」なのか判断ができない。さっきまで行っていたミーティングで、僕はそう主張した。
「最近、服装が違ってきていたね」
「気づいていた?」
「勿論。奴の好みが違ってきていたのかい?」
「変だったかしら? 似合ってなかった?」
「いいや。とてもよく似合っていたよ」
正直、どんどん美しくなると思った。口には出さなかったけれど。
「エヴァ、君はどうしたいんだい?」
「彼のもとに戻りたいと言ったら?」
「それは、無理だろうな」
「でしょうね。私はこの研究所の持ち物ですもの」
エヴァの反応は今までのどのロボットにも出なかったものだ。全く別の研究対象としてエヴァの希望をきけないこともない。けれど。
「あなた、いつでも私の話を聞いてくれたわね」
「……仕事だからね」
「調子はどう? と聞いてくれたのは、あなただけだったわ」
「そうだったかい?」
「ええ、必ずそう聞いてくれた」
「覚えてないな」
「私は、自分の反応がどう相手に作用するのかをプログラムされている。人間にはその機能がないのね。人間が私にそうプログラムしたのに」
鏡の中のエヴァは目を閉じて、僕の肩にこつりと頭を載せた。僕は一体何をしているのだろうと思いながら、エヴァの肩を抱く鏡の中の僕の姿を見ていた。
「明日、データを渡すわ」
次の日スタッフが手に入れたデータからは、この2ヶ月がすっぽりと抜けていた。
「そういえば、式はあげないのかい?」
4ヶ月も過ぎたある日、奴と食堂で会った。奴の結婚話は全く聞こえてこないのが不思議だった。
「結婚? やめてくれよ。まだ遊びたいんだから」
まだ遊び足りないのかと驚きもしたけど、それよりも呆然とした。
「婚約者ができたって聞いたけど?」
「誰からだよ」
「エヴァからだよ」
大仰に目を見開いた奴の笑顔が消え、苦虫を噛み潰したような顔に変わった。
「あいつ、今は次のモニターのとこにいるんだってな」
「ああ、順調だよ」
「本当に?」
なんだってこいつはこんな不愉快そうにしてるんだ。
「ああ、一時はどうなるかと思ったけどね」
「今は、命令をきかなかったりしないのかい?」
「君の命令をきかなかったりしたのかい? 君、そんなこと言ってなかったよな?」
奴には、モニター打ち切りの理由は話さなかったはずだ。こんなに自信なげに目を泳がす奴ははじめてみた。誰にも言うなよと声を潜ませて。
「命令を聞かないどころか、セックスを拒否するセクサロイドなんて聞いたことあるかよ。ああ、そんな顔するなよ。いえるわけないだろう? 男として」
「……君には、モニターとして、研究所所員として、報告する義務があったはずだ」
問題行動を全く示さなくなったエヴァは、今も毎週僕のところにやってくる。今度のモニター好みの服装で。
僕は「調子はどうだい?」と話をはじめる。いつもどおりに。いつもと同じに。順調に毎週が過ぎていく。
ただ、どうしても聞きたくて聞けないことがひとつだけ。
「エヴァ、君は本当はどうしてほしかったんだい」
本当にとても意味の無い行動だけれども。