ニューゲーム
俺は夢でも見ているのだろうか。
そうでなければ現状をどう説明するんだ。先ほどまでは汚い部屋、そこそこ大きい本棚には漫画本がぎっちりと詰まり、壁には少しばかりのポスターが貼った俺の部屋があった。それなのに俺の間の前には草原。緑、草、草原、草原!青臭いわ!そよそよと心地よい風に乗って草特有の青臭い香りが鼻孔を擽る。
そりゃあ最初は夢だと思ったさ。でも匂いや風はまだしも「わー、くさっぱらなんて何年ぶりだ~」とか思って寝ころんだ時に切った指や頬の痛覚を感じたのは夢で済まされない。
「トリップしてみたいとは思ったけど…漫画の世界に行きたかった」
肩を落とし足元を見ると一対の瞳と目が合った。
「おぎゃー!」と叫び声をあげて後退りしようとすると、相手が俺のズボンの裾を掴んだためそのまま後ろへと転び後頭部を打ち付けた。草がクッションとなり痛みはそれほどない事にこの瞬間だけは草原にいて良かったと思う。
俺のズボンを掴んだのは小さな赤ん坊だった。なんでこんなところに赤ん坊が?とか親はどこにいるのか?とかよりもその風貌に目がいく。白髪に陶器の様な白過ぎる肌とエメラルドをはめ込まれたみたいな瞳の赤ん坊は形こそ人間だったが、生気を感じられず芸術作品の一つである様だった。
恐る恐るその子を抱き上げると腕の中のものが光に包まれる。
「なんだ!?え、ちょ…なんじゃこりゃああああ!」
ずっしりと重かった腕が急に軽くなり光が消えた頃に目を開けると赤ん坊が消えていた。その代わり一枚のカードが握られていた。カードを見てみると先程の赤ん坊が描かれていたことに驚く。
どことなく俺と目が合っている気がするのがさらに怖い。カードの上には『ホムンクルスベビー』と書かれていたことに納得した。確かに人間じゃないよな。
カードをどうすればいいのか悩んでいると背後からもさもさと草を踏む音が聞こえる。
振り向くとライオンの様な生き物がグルルルルと涎を垂らしながらこちらを見ていた。見た目は完全にライオンなのだが通常の何倍も大きく鬣となるはずの部分が炎で燃えている。
これはよくゲーム世界で見るやつだ、そしてヤバめのやつだ。
脳内会議を開く間もなくファイヤーライオン(仮)は俺にゆっくりと近づいてくる。ゲームの世界だったら特殊能力とか設定とかつけとけよ!これじゃあトリップして即死ルートまっしぐらでしょうが!今俺の装備はこん棒すら持ってないからね
現実逃避をしている間にもファイヤーライオン(仮)の鼻息が俺にかかる程近づいてきた。もう諦めよう…せめて一思いにお願いします。
「何をしているの!早くカードを具現化させなさい!」
どこからか少女の声が聞こえる。凛とした声は獣の唸り声よりも響きはっきりと聞こえる。同時にファイヤーライオン(仮)がもう待てないとばかりに大きな口を開け鋭い牙を俺に突き立てようとする。
「もう!『操り人形ガロット』!」
瞳を閉じてこれからくるであろう痛みに耐えようと構えていたが何も起こらない。代わりにキィンと鋼のぶつかる音と獣のうめき声が聞こえる。
何が起こったのか確認しようとすると腕を引かれ「早く!」と急かされながら走る。突然のことで足がもつれながら走ったが意外と早い少女のスピードに耐え切れずとうとう転んでしまった。
「いてっ」
「だらしないわね。早く逃げないと…立てる?」
「ちょと休ませてほしいなぁ、なんて」
少女は肩を竦め深いため息を吐いた。
小柄な少女は見た目とは裏腹に口調や仕草が大人の女性のもので、なんだか落ち着かない。まるで子どもがお姉さんぶって世話をされているみたいだ。
白銀の長い髪はサイドに一つ纏めにしているからか前に流れてきている。大きな瞳は燃える火の様に真っ赤で、あまり変わらない表情からは怒っているのか、はたして何も考えていないのかよく分からない。服装は軍帽と軍服を改造したようで腰に巻いている薄紫の布が目立っていた。
「休みたいのなら休めばいいけど。さっきの獣の声で多くのモンスターが集まってくるわよ」
「モンスター?さっきのファイヤーライオン(仮)の他にも変なのがいるってことか!?」
「あら、ファイヤーライオンだなんて。いい名前ね。私も今度からそう呼ぼうかしら」
ふふっ、と笑う少女は俺が適当につけた獣の名前を肯定した。晴れてアイツの名前はファイヤーライオン(仮)からファイヤーライオンになった。
「モンスターに種別名はいないけど、ここには沢山のモンスターがいるわ。やるか、やられるかの世界よ」
「あんな化け物に勝てないだろ!」
「レベル上げすれば生身でも勝てるわよ」
「レベル上げ大事ってか!!」
「でも生身で戦うには分が悪すぎる。だからこそのコレよ」
レッグホルダーから一枚のカードと取り出す。その模様は俺が持っていた『ホムンクルスベビー』と似ていたが表には『操り人形ガロット』と印字されていた。その名を小さく呟くとカードの中からさっと飛び出し少女の隣に並んで立つ。
『操り人形ガロット』は子どもと同じくらいの大きさであったが、フランス人形みたいな服装から覗く球体関節から人ではないと悟った。
「私達はこの子達で戦うのよ。手持ちカードに制限はないし、具現化できる枚数制限も特には決まってないけど…これは本人の精神力と判断力ね。せいぜい2、3枚程度が限度ってとこかしら」
「なんで2、3枚が限度なんだ。強い敵なら全部出して一気に仕留めたらいいだろ」
「はぁ…貴方は十人の兵士に弓を放てだの馬で後方に回れだの剣を振れだの、違う指示を一度に出せるかしら?まさか全員突撃なんて馬鹿なことはしないわよね?」
「うっ…」
「どんな知将も個人に指示を出せないわ。強い敵には全員突撃なんて単調な動きをしたらそれこそ全滅だわ」
「つまりは棒立ちになっているカードが狙われるぞ、ってことでいいよな」
「そうよ、多く出せばいいってもんじゃないわ。カードは基本的に戦って相手を屈服させることが出来たら手に入るわ。その他は他者から譲り受けたりイベントで配布されている子なら戦わなくても仲間になってくれるわよ」
例外でどうしても仲間になってくれない子もいるけれど、と付け足す。
しかし、そうなると新たな疑問が出てきた。
「俺さ、この『ホムンクルスベビー』と戦っていないし」
「それならきっと愛され度ね。貴方と『ホムンクルスベビー』の相性が良かったかあるいは、天性の物か。この子が貴方と一緒にいたいって思ってくれたのね」
そう言って『ホムンクルスベビー』を一撫でして微笑む。この少女はカードを大切にしていることが分かる。俺じゃなくてこの子のカードになった方がどんなに幸せなんだろうか。
その時、多数の動物の雄叫びが木霊する。その声に少女は舌打ちを打つと今まで大人しくしていた『操り人形ガロット』と目配せをすると二人で頷いて声のする方へと走り出す。
ちょっと待て。ここに置き去りにされたら確実に死ぬ。手短に説明はされたがまだ聞きたいことは沢山ある。何より俺はカードを具現化することができない!
きっと少女は先程の様なモンスターを倒しに行くつもりだ。言ってしまえば自ら危険な場所へと向かっている。確かにここにいればモンスターは来ないかもしれないが、万が一モンスターが来たら俺は成す術なく食われるだろう。
「ぬぅう!」
「なんで貴方までついてくるのよ」
「あそこに置き去りにされる方が俺にとっては危険なんだよ!それにカードの具現化ってのもよく分からないし、てかお前早いな!」
ぎょっとした顔で俺を見たが俺の方が驚きたい。足にはそこそこ自信があるつもりだったけどついて行くのがやっとだ。これがレベルを上げた賜物か。
「どうでもいいけど具現化は後で教えてあげるから貴方は少し離れたところにいなさいよ」
言われなくてもそうする。なんなら危なくなったすぐにでも逃げるつもりだ。
たかがゲームの戦いだと舐めていた。目の前で行われている乱闘に体が強張りいざという時は逃げられそうにない。予想していたよりも遥かに多いモンスター達に勝てるのかと不安になったが少女は着実にモンスターを倒していく。
それでも空からドラゴンのモンスターが飛んできたり、林の中から鋭い牙や爪を持ったモンスターが駆けてきたり、はたまた土の中からも飛び出してきたリとキリがない。
その時、上空に一際大きな翼のドラゴンが現れた。遠目からだったが赤黒い鱗に覆われた巨体に、咆哮を上げた口からは轟轟と燃え盛る火が漏れ出していた。あんな大きなドラゴンが暴れたら流石に太刀打ち出来ないのではないか。
おろおろと動揺する俺をよそに少女は上空のドラゴンを見るとニヤリと口角をわずかに上げた。
「やっときたのね」
ドラゴンは少女を確認すると上空に飛んでいる他のドラゴンを鋭い牙で噛みついたり、炎を吐き出し地上へと叩きつけていく。それもきちんと少女から離れた場所へと落としていく。どうやらあのドラゴンは敵ではないらしい。むしろ俺達を助けてくれる存在だ。
「空は彼に任せて私達はこっちに集中できるわ」
レッグホルダーからさらに一枚取り出しカードの名前を呟く。ここからでは何と言ったか聞こえなかったが、きっとあのドラゴンみたいにすごいモンスターを出すのだろう。
そのカードを地面に伏せると地面に亀裂が走り真っ二つに割れる。その亀裂はまるで意思があるかの様に少女だけを避けてモンスターを飲み込むために亀裂を広げていく。全てを吸い込むとゆっくりと亀裂が閉じていき辺り一面は何事もなかったみたいに綺麗に戻った。
少女は地面からカードを拾い上げ砂を丁寧に落とすとレッグホルダーへと素早くしまった。結局あのカードが何だったのか分からずに終わってしまった。倒されたモンスターはピクリとも動かないから襲い掛かってくる心配はないだろう。身の安全が確認できたところで少女に声をかけようと一歩近寄るとゴツンと後頭部に鈍痛が走る。何が起こったのか分からなかったが、突然の衝撃にあっさりと意識を手放した。