8 人と獣の狭間で
ボソボソとアカとキンの話し声が聞こえる。二人の会話には時折笑い声が混じっていた。目を閉じれば仲の良い姉妹のような光景が浮かぶ。世界が平常ならば、そういう関係もあり得たのだ。
B級映画のような現実から逃避するため僕は夢の世界に逃げ込んだ。
「ヘイ! いつまで寝てんだ、でくの坊」
目覚めは後頭部への強打だった。鋭い痛いが上り、目から星が出そうになる。
「……おはよう」
どうやらアカに殴られたらしい。目覚まし時計のなかでは最悪の部類だ。
「おはようじゃねぇぞ、さっさと手伝いな!」
「なにが?」
車は走っていた。運転席に座るのはシロだった。巧みなハンドル裁きで右へ左へ車を移動させている。いや、けっこうな蛇行運転だぞ、これ。
「ん?」
景色は後ろに流れていく。状況が判断できずに隣を見た。ショッピングモールは小さくなっていた。
寝る前まで運転席に座っていたのはアカだった。それなのに今は後部座席に座り、僕の隣で銃をぶっぱなしている。
「は?」
薬莢が腕に当たった。
「熱っ! あっつ! は? は、なんだこれ!?」
「見てわかんねぇのかよ!」
ウィンドウから身を乗り出すように、背後に乱射しまくるアカ。僕は振り返って背後を見てみた。
黒い人影が見えた。目を凝らす。
毛むくじゃら。
「ん?」
ゴリラがいた。
「……ん?」
しかも三匹。
こっちに走ってきている。
「ゾンビゴリラでございます」
助手席に座るキンがハンドガンに弾を込めながら言った。
「……ゴリラゾンビのほうが語感はよろしいですかね」
「どっちでもいい」
シュールな光景だ。
ゾンビゴリラを撃ち殺そうと必死に銃弾をぶっぱなすアカ。
「動物園が近いのですね。ウイルスに感染した動物が凶暴化しているようです」
キンはそう言って補填が終わったハンドガンを後部座席のアカに手渡す。ミカンを渡すような気楽さだ。助手席ってそういうアシストをする場所じゃない思うけど。
「たしかに多摩動物公園が近くにあるけど……いやいや、バカな。ウイルスは人間しか感染しないじゃなかったのか?」
「ゴリラと人類の全遺伝子情報の違いは17.5%と聞いたことがあります。これはチンパンジーの次に人類に近い数値だそうです。ゾンビウイルスが人類に感染すると言うなれば、ゴリラもまた標的足り得るのではないでしょうか」
背後には全力疾走するゴリラ(ゾンビ)。驚異的なスピードだ。
「しゃあ!」
アカの放った弾丸が一頭のゴリラの脳漿をぶちまけた。
「ウホウホ!」
仲間を悼む声がする。
残り二頭。
一頭がその場で立ち止まり、振りかぶってなにかを投げた。
「うおっ!」
四散する茶色い固まり。バックガラスにうんこがへばりついた。
「野郎! アタシのレクサスに糞投げつけやがった!」
「熱くなるなよ!」
どんどんと小さくなる人影。ゴリラ達は諦めたらしくウホウホ言いながら森へ帰っていった。
「……」
それはそうと、我が家遠くなる。
「このまま突っ走るぞ!」
広い道路に出た。イチョウの並木道が黄色のトンネルを作り出している。
「あっ、おい、待ってくれ!」
「どうした?」
いい感じでアクセルを踏み込むシロに声をかける。家がどんどん遠くなっていく。
「僕は港区に行くつもりはない。あんな空気の汚い見栄っ張り集まる街には二度と足を踏み入れないと誓ったんだ」
高層ビルが建ち並ぶ六本木の風景がよみがえった。ビル風は常に生ゴミ臭く、浮浪者がスーツの男達の足元で寝っ転がっている。綺麗なものの背後には汚いものが隠れているのだ。
僕の発言にシロは呆れたように鼻をならした。
「今は空気は清浄だろ。それに君の実家は青山らしいじゃないか。里帰りと思えば」
「勘弁してくれよ。いいか、この際だからはっきり言っておくけど、僕はまだ死にたくないんだ。動き回るよりじっとしてる方が死ぬ確率は低いだろ」
FPSでいうイモというやつだが、現実はゲームじゃなく、得点もキル数も関係ないのだ。生き残ることが最優先なら、必要最小限の移動で安全ルートを確保していく方が堅実だ。
「それなら、下ろしていくが……」
シロは、それでいいのか、という風にちらりとアカを見た。どうやら彼は勘違いしているらしい。弁明する気も起きなかったが、僕らはべつに付き合っているわけではない。
「アタシはかまわないぜ。腰抜けがいたって役にはたたない。どうせあと二時間もせずに目的地につくんだ。あんたを家に送って行ったって誤差の範囲さ」
「決まりだね。申し訳ないけど昨日手に入れた食料を分けてもらうよ」
「選別にくれてやるよ。縁があったらまた会おうぜ」
ひらりひらりと手を振る。まったく寂しさを感じさせたない声音だった。
「お待ちください。本当によろしいのですか?」
キンが声をあげた。
「あの辺りはゴリラゾンビの巣窟となっており。大変危険です」
「え?」
「アカ様からお聞きしたアオ様のアパートはサルなら簡単に侵入できます。ワタクシはよした方がよろしいかと」
「まじで?」
「今朝がた見張りをしておりましたアカ様とシロがゾンビサルの大群が町の方に行くのを見たと申しておりました」
「うそだろ」
「ワタクシは……町の戻るのは危険だと思います」
「……」
人の身を案じる純粋無垢な瞳だ。こんな世界なのに彼女は汚れを知らない。
ヘルメットに綴られた文字。造反有利さえかすんで見える。
だが、こればかりは譲れない。
「いや、帰るよ。たとえ危険でもあそこが我が家なんだ」
家にいたから、僕は地獄の数ヶ月を生き残ることができたのだ。そしてそれはこれからも変わらない。
食べ物さえ確保できれば、僕は無敵だ。
「わかりました。もう止めません。お世話になりました」
「……」
特にお世話をした記憶はなかった。
家まで送ってもらい、自宅マンションの前で別れる。あっさりとしたもんだった。軽く手を挙げて、それでおしまい。もう二度と会うこともないだろう。別になんの感傷もなかった。彼らとともに過ごした時間よりも一人で生きていた期間の方が長いからだ。
自分の事で手一杯な僕と同じで、彼らは彼らで地図を広げて目的地までのルート選択で忙しそうだった。
別れ方なんてそんなもんだ。
さようなら。
午前中の太陽は柔らかく僕を優しく照らしていた。
非常階段を上り、我が家につく。持ってきた食料を冷蔵機能のない冷蔵庫に積めて、ようやく一息ついた僕はベッドに仰向けに寝転んだ。
暇だ。何度も何度も襲い来る退屈は人生を灰色に塗りつぶしている。モールでいくつか小説をパクってきたので読もうかとも思ったが、なんだか気分が乗らなかった。
やさぐれていた頃は、世界よ終われと祈っていたけど、実際に終わってしまうと死んだ方がましだと思うくらい凄惨な世界が始まってしまった。
「……」
目をつむって誤魔化しのための睡眠を取ろうとしていたら、
どがん、という破壊音のあとに、
パァァァァァァァァ!
と、黒板を引っ掻いたようなクラクション音が響いた。
あまりに突然のことに僕は驚いて、立ち上がり、窓を開けて外の景色を眺めた。
車が一台、マンション前の歩道に突っ込んで、自動販売機とキスをしていた。
「な、んだ、これ」
一昔前はけっこうな頻度で悲鳴が響いたが、ここ数ヶ月でこれだけの騒音がたつのははじめてだった。人がいなくなったのだから当たり前である。
ボンネットが浮き上がり、廃車寸前のそれを確認する。
レクサスだった。




